人に課される試練には終わりはないのだ とばかりに 悲しい話がなぜか古より今日まで尽きない。ヒントがないかと東北の歴史を概観しても 連続する戦争の記録ばかりに目をうばわれてしまう。
この首塚は[伝]九戸政実(クノヘ マサザネ)の塚で…説明書を超!要約すると…「天正十九年(1591)の秋 九戸城(現:二戸市)を開城した政実は 浅野長政の陣に下り捕虜。今の岩手県北の地から 豊臣秀次のもとへ連行され宮城県栗駒町稲屋敷で斬首され生涯を閉じた。
…家臣の佐藤外記は 主人の最後を見届けようと乞食姿に身を変えて尾行し 斬首獄門にされた首を夜陰に乗じて故郷へ持ち帰り 三十三駄〈馬一頭の荷が一駄≒135㌔*33の量のイメージ〉の土で塚を築き鎮めた」
(…これ以上要約化は限界デス)
…無論残った一族・家臣一党も末裔も 俗世から悲しく静かに姿を隠していったことでしょう。口承の悲しい「伝説・伝承」がたくさんあると云われているが 残念ながら口承だけの記憶は 時とともに消えていくと思うと とても悔しい。
きっと 地の底のお館さまも「いまや地方復権の時…!」と個の主体発現を喚起していると思うけれど あまりにも「迷走する現代」に動揺し そのこと自体も悲しく思われてきます。
改めて 永遠なる人間性の快復を切に念じつつ 供養してきました。
(盛岡から車で1.5時間…長文ご容赦)
「かたちなきものを見つむる楸邨忌:森田公司」