確かにあの日も朝夕が冷え込み 小雪が舞った。電気が切れ やがて水も出なくなった。日常の肝心なところで機能しない不便さと その対応への無能さに地団駄踏んで悔しがった。
もっとも被災直下の方々のお気持ちは そんなものではなかったでしょう…もっと大切なものを失っているのだから。
それにしても五年は長い。当面の日常を取り戻すと やがて あたりまえに慣れ切ってしまい 肝心なことも忘れている。早く忘れてしまいたいことと 忘れてはいけないことを 整理しきれないでいる雑然とした自分が…まだいる。人の心は移ろいやすい…などとジブンゴトではない感想は すなわちあの時の悔しさを忘れた証であろう。
式典で「…暗澹たる気持ちになった…」との陛下のお言葉をお聞きしたとき 脳天に冷水をかけられたような緊張があった。
ここまできて 今の悔しさには二つあると思っている。肝心要を忘れることと 新しいコミュニティ創出の次の局面にありながら 考えが及ばないこと…だろう。及ばぬなりに自分にできることは 人を大切にすること。そうすれば徐々にでも 必ず復興の先が見え 真のバトンタッチになる と…信じています。
「山鳩よみればまはりに雪がふる:高屋窓秋」