日本は血液透析大国だってごぞんじだったでしょうか。
世界中の透析患者さんの21%がアメリカ、14%が日本です。
ヨーロッパ全体で16%と見積もられており、これだけでほぼ半分になります。
現在、アメリカの人口は3億900万人、日本は1億2000万人ですから、
日本の総人口に占める割合の多さは、伝わるでしょうか。
Worldwide access to treatment for end-stage kidney disease: a systematic review. The Lancet. 385(9981), p1975–1982, 2015
このところ、非がん、高齢者患者さんの緩和ケアのことに
取り組むことがあり、文献を拾っていたところでした。
透析導入年齢に至っては、
そのピークが75歳~79歳なのです。
(日本透析医学会調査報告書)
高齢化率第一位の日本ならではということでしょう。
End-of-lifeにおける諸問題を考えると、
どのように引いていくか、
倫理的な問題も大きい分野です。
大変な時代に差し掛かりました・・・
高齢者の誰もが願う自宅での最期。
自分のブログにも書きましたが肝臓癌の旦那君の父を看とり、悪性リンパ腫の父を看とり、旦那君の母親は脳梗塞で倒れたもののその後は施設で暮らし、母はラクナ脳梗塞を患っているものの自宅で過ごすことができております。
若い頃の病院での経験も含めて今の医療のあり方に疑問を感じつつ…。
医薬分業反対派のくせになりゆきで調剤薬局に勤務し、意思と裏腹なときもありますが…。
終末期医療に関して母が従軍看護婦だった影響もあり、中学生の頃から関心をもっておりました。
大学病院研修生時代にブロンプトンミクスチャーの説明の折りにホスピスの話が出て、ドラマなどで見ていたものが現実に存在することを知りました。
叔父が大腸癌で人工肛門をつけたとき、他の叔父がインスリン自己注射を始めた時、とても死にたい気持ちになったそうです。
たくさんの人々が病と戦う前に事実を受け入れられず翻弄します。調剤薬局の窓口でも呆然とたたずむ方も時々。明るく振る舞うけれど家では違うのよ、と家族がこっそり教えてくれたり
。
告知を拒んだが故に家族は思い荷物を背負います。でも、死への恐怖は癌に限らず、糖尿病→透析とか、高齢化で変わり果てていく己の姿と死への恐怖。
連れ合いを失い、いきる気力をなくしてもお迎えはなかなか来ない過酷な現実。
死にたいけど死が怖い。だからまじめに病院へいく。そんな人々に対して果たして検査、投薬は本当に必要なのだろうか?その薬は本当は要らないのではないだろうかと、日々疑問を感じつつも従うしかない自分がいます。
85過ぎたら自然に任せてもいいのではないてわしょうか?年齢は個人差があるのでなんともいえませんが…。
母が自然死を望んでいます。
それを支えてくれる緩和ケア医を求めているけど身近にはいるはずありません。
現在3ヶ月に一度の診察で問診のみ。何を訴えても気のせいだと。タケプロン飲んで味覚障害で食事が取れなくなったときも、気のせいだと。
これから高齢者の比率がどんどん増えて、それを金儲けの手段と考える人々がいることがとても残念です。
人として最期まで凛として生きるには選択の自由があってもよいのではないでしょうか。
検査結果で薬を決めて本人の意思にかかわりなくどんどん増えて行き…。
「私、こんなにたくさんのむ必要あるのでしょうか?」とか「こんなに飲んで大丈夫なのでしょうか?」とか尋ねる方が増えてきました。テレビや雑誌の影響でしょう。
患者として意見を言える立場ではない日本の医療。選択の自由もないことが多いし。
終活がブームだそうです。
人生の終焉をいかに迎えるのか。そのためにどのドクターに身を委ねるのか。
それを自分自身で決めていく時代になるのかもしれませんね。
薬剤師の人との関わり方を見直す時期が来ているのは確かです。患者を支え、家族を支え。地域の方々に支えられながら地域の方々と共に生きる。
共存共栄の時代の到来かもしれません。在宅の本当の意味はそこにあるのではないかと。
患者さんご家族の立場でもあり、医療者でもいらっしゃることは、どんなに患者さんの気持ちに近くに寄り添っていけることだろうか・・と思いました。
様々なご経験は、患者さんたちが抱える辛さ、葛藤をより医療者に近づけてくれることと思います。
コメント、ありがとうございました。
母親は超高齢者でいて透析患者です。
毎年、なにかしらトラブルはあります。
それでも週3回、今日は誰に会えるだろう?
なんて言いながら通院しています。
喜びは、非常勤ドクターの回診です。
母は聖書を読み込んでおります。
洗礼はまだですが、このドクターがクリスチャンでして、ふたりでお祈りをいたしております。
母は心が安らぎ、静かな気持ちになるのだそうです。
こんなふうに、母のことを想ってくださるドクターに感謝しております。
ところが、本日、病院側から、お祈りは許可できません。
と、言われてしまいました。
理由はほかの患者さんがいらっしゃるから。
母にはまだこのことを伝えきれずにいます。
このドクターへは病院から話すとのことです。
透析治療は進化し、高齢な患者さんが増えています。
病院も透析治療をしているだけでは不十分と感じているのか、ケア施設などと併設するところも増えました。
これも大事ですが、透析回診で心の癒しをいただいている良い環境が壊されていくのが、なんとも悲しくて悔しくて情けない想いでいます。
やはり、キリスト系病院でないと、受け入れてはいただけないのでしょうか。
治療の一環という考え方は、おかしいのでしょうか。
大きな声で迷惑になるようなこともしていません。
世界の宗教戦争が医療者を慎重にさせているということがあるのでしょうか。
先生は、どうお考えでしょうか?
こんなご経験がおありでしょうか?
患者のわがままでしょうか。
突然のコメントで質問ばかりでたいへん申し訳ありません。
一般的に、宗教、政治、販売、勧誘等で他の患者さん・ご家族に影響が及ぶものはご遠慮頂くことが通例だと思います。宗教で影響があるというのは、お祈りが聞こえる、像などが見えるという意味です。
宗教を持っていない方は、あまり気になさらないこともありますが、特定の宗教の方の中には、ご自身が信じていない宗教のお祈りが聞こえてくるとそれを受け止められない方もいらっしゃいます。
聞こえたり、見えたりしなければ、信じていることそのこと自体は否定しているわけではないと思いますので、沈黙の祈りなどもあるのではないかと思います。
お忙しい中、コメントをいただきましてありがとうございました。
先生のお話で、理解できました。
母の想いばかりを優先して、ほかの患者さんのお気持ちを察することができなくなっていました。
確かに、強い信仰心をお持ちの方には不愉快に感じられるのでしょう。
沈黙、タッチなどお祈りの方法を改めてみます。
あいがとうございました。