緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

夫婦の歳時記~家の中なる妻をみて

2008年06月13日 | つれづれ

随分前に、友人が送ってくれた句集を手に取りました。
『夫婦の歳時記』

高校時代の同級生の友人は知る人ぞ知る俳人。
ご主人も有名な俳人。
この本は、俳句とエッセイで交互にやり取りをされており、
バレエのパ・ド・ドゥみたいな本なのです。

恋の句などを読むと、それに続く随筆では軽やかにかわしつつ進んでいきます。
友人の10代の頃の記憶しかない私にとって、何と艶やかな関係なんだろうと驚きました。

何度も何度も読んだところは、”春を待つ妻”というページ。
ご長男の出産で退職した友人を黄あやめと例え、

黄あやめや険しき坂に妻たちて



中村汀女の 「外にも出よ触るるばかりに春の月」 の裏返しかもしれないと言いつつ読んだ句は、

春月や家の中なる妻を見て

ん?どういうことだろう・・
と、思いつつエッセイを読むと、

「残業をして夜遅く帰って来ると、家の居間に灯りがともっている。
 まだ乳飲み子だった長男が目を覚まして泣いているのを
 妻が抱いて揺すってあやしている。
 どこの家の母親も同じようなことをしているはずなのだが、
 まだ私が帰って来たことに気づかない妻の姿を
 ガラス戸の外から見ていると、妙に感傷的になる。
 家の上には春の月があった。」(本文より)

最高峰の大学を出、高校の英語の教師をしていた友人は、
妊娠・出産という人生の岐路において、
仕事をやめるという選択をしていました。
そんな友人が夜も更けた時間に母として子をあやしている姿をみて、
いたたまれない気持ちにご主人はなられたのでしょうか。

汀女は ”外へ” と詠んだ綺麗な春の月。 
専業主婦になり家の中にいるということを鮮明に意識され、心を砕くご主人の気持ち。




私も出産後かなりの年月、第一線から離れていました。
もう、臨床医にはもどれないだろうと覚悟していました。
今の私を知る方からは、誰も想像できないような時を過ごしていました。

この句を初めて読んだとき、その頃の自分とダブらせて
中なる妻の意味を理解したとき
抑えることができず、泣いていました。



女性医師の離職を抑えるために、保育園などの整備が始まっています。
それがあるに越したことはないのでしょうが、
それで、解決できるものではない、
そんな単純なものではないと強く実感しています。

今までは、自分のスキルアップにエネルギーを使ってきました。
ここまで何とかくぐり抜けてくることができたことに感謝をし、
緩和医療学会の理事という立場を与えていただいたことで
今度は、次世代医師に還元することに、労苦を惜しまないで働いていきたいと思っています。


『夫婦の歳時記』 蝸牛社 ISBN4-87661-309-5 c0392


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2 コメント

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悩んだすえに (レモン)
2008-06-14 07:50:08
子供が小学生の時私は仕事をやめました。生まれた頃は働いていたのに。保育園の問題ではなく、学校に疲れてしまいました。俳句を詠んだ男性の方、優しい方ですね。先生にも悩んだ時期があった事を知り、励まされました。ありがとうございました。
返信する
それぞれの事情がありますよね。 (aruga)
2008-06-14 19:18:38
育児って、幼児までのケアをどうするかということに焦点をあてていますけれど、10歳前後は違った意味で親を必要とし、社会も家庭教育という名で求めてきます。さぞ、悩まれたことでしょう。子も親も今日のままっていうことはありませんから、日々変わっていきますから。ね!?
返信する

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