プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

沖縄・辺野古 米軍新基地建設  出鱈目アセス(環境影響評価)と沖縄県民の意志

2009-06-15 17:32:12 | 政治経済
日米両政府が沖縄県名護市の辺野古崎沿岸で強引に推進する新基地建設のための環境影響評価(アセス)準備書に対し、住民・市民から沖縄防衛施設局に出された意見書は、6000通近くにも上った。米軍基地の県内移設、「史上最悪の独善アセス」(島津康男環境アセス学会初代会長)に対する県民の反発と批判の強さを改めて浮き彫りにした。意見書には、「埋め立てによるサンゴ礁やジュゴンなど海の生態系への環境影響調査が不十分」、「私は86歳。戦世の地獄は体験ずみ。軍隊は自国も他国もダメにする。新基地はつくるな、税金のムダ遣い」など、環境問題とあわせて、基地のない平和な沖縄を願う県民の痛切な思いが綴られている(「しんぶん赤旗」2009年5月21日)。アセス準備書は、分量だけは、住民に対するこけおどしのような5400ページ、三分冊に上る膨大なものだったが、情報公開の在り方や法手続きの問題点を無視した、ただ14年の施設供用を目指して突っ走る環境「アセス」ではなく、結論ありきのスケジュール「アワスメント」と揶揄される代物だった。

沖縄防衛局のアセスは、昨年3月14日に開始し、今年3月、ほぼ一年で終了した。沖縄県は、シュワブ沿岸に生息するジュゴンなどの生態を把握するためには、「複数年調査」を行うよう要望していたが、複数年調査について、「実施状況を踏まえ検討する」というだけで確約はしていなかった。ところが、防衛局は、サンゴの破壊、ジュゴンの追い出しになりかねない「追加調査」をこの5月下旬から来年3月末にかけて再開するということで、5月29日から、機材設置を再開した。1年で調査を打ち切ったという批判を逃れ、複数年調査したと評価書に盛り込むアリバイづくりの積もりなのだろう。アセス法の手続きに「追加調査」などない。そもそも今回のアセスは、2007年の海自を動員しての「事前調査」から始まって、アセス方法書に基づいて環境調査を行い、それを終えてから準備書を提出するというアセス法の手続き違反を繰り返してきた
準備書には、方法書に記載されていなかったヘリパッド(離着陸帯)4カ所や係船機能付きの護岸、汚水処理浄化槽、給油エリアが初めて示された。機能の後出しは、アセスにより、反対運動を刺激したくないという政治的思惑によるルール違反である。オスプレイ配備が記載されていないのも同じ理由だろう
ジュゴンについては、「時折(建設予定地に)移動する程度」で、ジュゴンなどへの影響は「総じて少ない」との記述について、米軍演習や調査でジュゴンを追い出しておいて、なにが影響は「総じて少ない」か!と現地では、怒りの声が満ち溢れているという。

環境アセスとは、事業者が広く国民に公開し、意見を求め、環境への影響を少なくしようとするものである。しかし、“環境調査はした”との「アリバイづくり」だけで、14年までの新基地建設を強行することしか頭にない防衛局には、アセス法をまとに遵守する気がまったくない。だから、方法書提出後の事業内容の重要な修正があるのだから、アセス法28条に基づいて、方法書からやり直せと住民がいくら抗議しても聞く耳を持たない。
事業をやることが前提のアセス法で、基地を造るか、造らないかを判断することには、もともと無理がある。

準備書は、在日米軍再編のロードマップに基づいて辺野古への代替施設建設事業の正当性を述べているが、普天間基地の代わりの基地の建設事業について、これまで沖縄県民は新たな基地の建設に反対し現存基地の整理縮小について繰り返し明確に意思を表示している。96年の沖縄県が実施した「県民投票」では、541,638人が投票(59.53%)し、有効投票数のうちの91.26%、482,538人が「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小」に賛成している。1997年12月の「名護市民投票」で、名護市民は、新しい基地の建設に反対の意思を示した。2008年6月の県議選挙では、普天間基地の閉鎖、辺野古への新基地建設反対を公約に掲げた県議が多数となり、「本県議会は、名護市辺野古への新基地建設を早急に断念されるよう強く要請する」との意見書を7月28日に採択した。沖縄県民の意思は明確であり、辺野古への新基地建設は民意に背くものであり、その事業そのものが不当であり中止すべきである

米軍新基地計画が進む辺野古崎の北側、大浦湾では米軍直接占領下の1960年代にも米軍による軍港、飛行場建設の動きがあった。米軍は66年に辺野古に海兵隊の飛行場計画、大浦湾の軍港化を計画していた。建設断念に追い込んだのはウミンチュ(海人・沖縄方言で漁師)たちであったところが米軍は、ウミンチュなどの抵抗で“お蔵入り”した計画を、「普天間移設」という新しい装いで再登場させたのだ。60年代のウミンチュの反対運動を当時、沖縄人民党(72年に日本共産党と合流)の機関紙「人民」の記者として取材した知念忠二さん(74)=元日本共産党宜野湾市議=は、「アメリカは野蛮な米軍支配下でも大浦湾を軍港化、周辺一帯を基地化することができなかった。ところが21世紀初頭に同盟国(日本政府)の税金で辺野古とグアムに復活させようとしている。しかし長年のたたかいの伝統をもつ大浦湾周辺の漁民と住民、辺野古の海上基地建設を阻止した県民、内外世論はこの無謀を決して許さないだろう」と語る(「しんぶん赤旗」2009年4月28日)。
沖縄県民に私たちの熱い連帯の意志を届けようではないか!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。