プロメテウスの政治経済コラム

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09年 どうなる社会保障削減路線 国民の反撃をさらに 思い出す竹中平蔵の社会保障敵視論

2009-01-05 21:23:55 | 政治経済
社会保障の今年を展望するとき、思い出すのが竹中平蔵の社会保障敵視論である。今朝の「朝日新聞」(14版)の3面下欄を見て驚いた。竹中平蔵の『竹中式マトリクス勉強法』なる新刊本の全面広告である。心ある人は、みな苦笑したに違いない。そのキャッチコピーが振るっている。「2009年を乗り切るために 株や不動産よりも、勉強こそが人生の宝だ 1の努力で10の成果!」ときた。日比谷公園の「年越し派遣村」の例を出すまでもなく、小泉・竹中「構造改革」でどれほど若者や働き盛りの労働者が泣いているか! 情勢を見るのに長けた小泉は、早々に次回選挙での「引退」を表明したが、懲りない冷血漢竹中は大きな顔してインチキ本を出版したり、しつこくTVにも登場して金稼ぎに精を出している。このような男に登場の機会を提供する「幻冬社」の編集者やTV製作者の見識は竹中と同類と疑われてもしかたがないだろう

2008年は、長年の福祉切り捨て・社会保障削減路線への国民の怒りが大きく広がり、自公政治を追い詰めた一年だった。妊婦が病院の受け入れ困難で死亡する、介護疲れで殺人や心中が起きる―小泉・竹中「構造改革」によって進められてきた社会保障費削減路線は、「医療難民」「介護崩壊」といわれる深刻な事態を招き、社会を殺伐とした状況に陥れた。国民の怒りに、政府は09年度予算案で、毎年2200百億円と決めた削減幅を230億円に“圧縮”せざるを得なくなった。しかし、小泉・竹中の「改革」の呪縛に囚われ、「削減路線」そのものはいまだに撤回できない。今回の“圧縮”のための財源も、年金特別会計の流用など一時しのぎの財源で糊塗しただけである。恒久財源として政府・与党が狙うのは、消費税増税である。
09年は、医療、介護、後期高齢者医療、障害者自立支援、生活保護などあらゆる分野での国民世論によるいっそうの反撃が期待される。

竹中平蔵は、一応慶應大学教授としてその著書も結構多い人物である。しかし、どの著書もおよそ学問とは縁のない漫談しかも冷酷無慈悲な漫談の域を出ないものばかりである。学問的業績は皆無といってよいだろう。ところが、新自由主義「構造改革」を焦眉の課題とする「財界」の受けは良い。小渕内閣の「経済戦略会議」や「IT戦略会議」などの諮問委員会で「活躍」し、小泉内閣ではついに経済財政政策担当大臣に就任する。竹中を中心に開催する経済財政諮問会議が「財界」の指令塔となり、今日の国民の苦難をつくりだしてきたことは、いまや誰も否定できないだろう。竹中はいの一番に懺悔し、田舎に蟄居しなければならない人物なのだ。
懺悔といえば、竹中平蔵と同様、アメリカかぶれの新自由主義の急先鋒、旗振り役だった中谷巌・多摩大学教授(一橋大名誉教授)が最近、自著『資本主義はなぜ自壊したのか』のなかで「懺悔」していることを共産党「志位委員長の新春トーク」で知った。中谷巌氏の「転向」は、インターネットのいろんなサイトで有名らしい。客観的事実の前に、竹中平蔵よりは、はるかに誠実な態度だろう。

今日までの新自由主義的社会保障削減路線に決別し、福祉を取り戻すうえで竹中平蔵の社会保障敵視論を思い出しておくことは、それなりに有益であろう。
社会保障の前提になる「所得再配分」について、竹中は次のように言う。「多くの人は税による所得の『再分配効果』とうものを期待するわけです」「ずるいですよ、すごく」「子供たちが砂場で遊んでいるんです。ある子はオモチャをたくさんもっている。その子はお金持ちの家の子なんです。もう一人の子は家が貧しいからオモチャを一個しかもっていないんです。しかし、だからといって、自分の子に向かって『○○ちゃん、あの子はオモチャをたくさんもっているからとってきなさい・・・』などと言う親がいるかというわけです」「ところがそんなことが、国の中では税というかたちで実際に行われている」「そこに・・・集団的なたかりみないたものが所得再配分という名のもとに、税にまとわりついて生まれてくるわけです」(佐藤雅彦・竹中平蔵『経済ってそういうことだったのか会議』日本経済新聞2000)。
竹中によれば、社会保障とは「たかり」なのだ。「今の社会のシステムの問題点は、困ったことがあったら人にねだれ、人からくすねろ、という世界になっていることです。『所得再分配』という言葉を使って、制度として人のものを強奪することを正当化するシステムです」(中谷巌・竹中平蔵『ITパワー』PHP研究所2000)。

社会保障は「ねだり」「くすね」「強奪の正当化システム」―これこそが、新自由主義者、竹中平蔵社会保障敵視論の神髄なのだ。竹中に言わせれば、炊き出しと宿泊テントを求めて「年越し派遣村」に辿りついた「村民」は、「たかり」「ねだり」「くすね」「ずるいですよ、すごく」ということになる。竹中の経済学は「負けたくなければ勝ち残れ」ただそれだけだ。こんなおよそ学問ともいえないようなインチキ「学者」がのさばっている日本社会をなんとしても変えたいと思うのは、私だけでないであろう。

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