プロメテウスの政治経済コラム

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開門無効判決 訳の分からない司法の自己否定

2018-08-01 17:36:47 | 政治経済

裁判所の役割は紛争の解決だと思っていたが、どうもそうではないらしい。漁業者の開門を求める権利は5年ほども前に自然消滅していたそうで、そもそも国に開門を命じた確定判決は無意味だったことになり、それを前提とした開門差し止めや制裁金の司法判断も全て茶番だった。福岡高裁(西井和徒裁判長)の7月30日判決は、司法の自己否定という訳の分からないものだった。(https://www.saga-s.co.jp/articles/-/253249

判決のポイントはこうだ。漁協には一定の水域を共同利用して漁業を営む共同漁業権があり、10年の免許制だ。漁業者はこの権利が脅かされるとして開門を求めた。国に開門を命じた確定判決が出たのが2010年12月。ところが、今回の西井判決は共同漁業権が13年8月末で免許の期限を迎え、それを根拠にした開門を求める権利も自然消滅していたと認定した。新しく取り直した免許には開門の権利は引き継がれないというわけだ。

2010年12月の福岡高裁判決は、国に対して排水門の開門を命じた(「判決確定日から3年以内に,防災上やむを得ない場合を除き,5年間にわたって開門せよ」という旨の主文)。この判決に対し,国が上告をしなかったため,この判決が確定することとなった。ところが、今回の請求異議の西井判決によれば、開門期限の3年以内前に漁業者の権利は失われていたことになり、同じ裁判所が下した判決を自分で否定してしまった。

確定判決があったからこそ、干拓営農者側は開門の差し止めを求めて争い、最高裁も国に開門するまで制裁金の支払いを課した。これらが全て無意味な茶番だったとするなら、この間、関係者は皆で、何をやっていたかということになる。

共同漁業権の免許期限である10年間しか開門を求められないのなら、もう司法に解決を託すのは無理ではないか。逆に言えば、免許が変われば何度でも同じ当事者が同じ内容の裁判を蒸し返すことになる。連日の猛暑で頭が変になってきた。安倍政権下で行政も国会も頼みの司法も溶解状態だ。


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