プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

『ハート・ロッカー』 アカデミー賞とは所詮、米国人の独り善がり

2010-03-15 21:06:14 | 映画・演劇
『ハート・ロッカー』が第82回アカデミー賞で6部門を制したというから、今日、観に行ってきた。今日までに既にイラク戦争を扱った映画は多く作られている。同じくドキュメンタリータッチで戦場の出来事をリアルに描いた『リダクテッド 真実の価値』と比べると、『ハート・ロッカー』は相当レベルが落ちる。戦争中毒国家アメリカを米国人の視点で見るのか、不幸にも戦争の相手に選ばれてしまった他国民の視点でみるのかの違いである。ところが、米国のマスコミの評価は違う。キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』は、“イラク戦争に関して、これまで見た、どのドキュメンタリよりも優れている。余りに現実的で、恐ろしいくらいだ”(ポール・チェインバース、CNN)。この映画には“飾り気のない明せきさがあり”“イラクでの、長くつらい終局に関するもの”であり、“あらゆる、まじめな善意の映画以上に、戦争の苦悩と悪と悲劇について語っている”( ガーディアンのピーター・ブラッドショー)――米国のマスコミ、アカデミー賞とは所詮、米国人の独り善がりだなアとつくづく思う

 よその社会に侵略し、他国の人々の歴史や文明を破壊し、自らの流儀を押し付けることが、あたかもアメリカが神から授かった権利のように考えるのは、“インディアン”征服以来の米国白人のDNAである。かつて米兵は、ベトナム人をグークスと蔑称した。そしていま、イラク人を「ボロ切れ頭」とか、「ハージ」と呼んでいる。黒人をリンチにかける前に、ニガー(黒んぼ)と呼んだのと同じである。
アメリカの戦争を米国人の視点で見ている限り、イラクやアフガンの連中を工業的に殺害することに何の痛みを感じない。そして、戦争中毒国家アメリカの政治・軍事のからくりに決して迫ることもできない。
キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』は所詮、米国人による米国人のための“戦争の苦悩と悪と悲劇”なのだ。

 『ハート・ロッカー』の主人公は、スリルが好きで爆弾処理の危険に身をさらすことが半ば、中毒となってしまったジェームズ軍曹である。映画のタイトルになっている「Hurt Locker」。―「Hurt」には「傷」や「苦痛」、「悪意」といった名詞と、他動詞として「傷つける」という意味合いがある。また、「Locker」とは日本語でも一般的な「ロッカー」や「箱」といった意味があり、これら2つの単語を繋ぎ合わせると「痛みの場所」や、意訳で「行きたくない場所」、そして兵隊用語で「棺桶」の意味や、スラングで「ヤバイ状況」という意味もあるという。「傷つける箱」ということで、抵抗勢力や反米武装勢力が仕掛けた爆弾を少し別の表現で言ったものだ。

 ジェームズ軍曹ももともと戦争中毒だったわけではなかろう。アフガンやイラクで任務につくうちに「生か死」のギャンブルに取り憑かれてしまのである。彼はなんで、自分が爆弾処理の危険に身をさらすことになってしまったのかついて、深く考えない。だから、米軍基地の前で海賊版DVDを売るイラク少年に何のわだかまりも持たずに、優しく接することもできる。
映画は、ジェームズの気楽な姿勢にはついて行けない爆弾処理班の他の仲間ーサンボーンとエルドリッジとの葛藤も描くが、あくまでアメリカ軍兵士の個人的な視点からしか問題をつかまないから、戦争中毒国家アメリカの国家犯罪に考えが及ばない。

 同じアメリカ製の戦争映画である『リダクテッド 真実の価値』は、アカデミー賞とは無縁であったが、『ハート・ロッカー』とは一味もふた味も違う。2007年に、ブライアン・デ・パルマによって作られたこの映画は、アメリカ兵士による、ある十代のイラク人女性の輪姦と、彼女と家族の殺害という実話が元になっている。そこには、他人の国で暴力に夢中になっているヒロイズムはまったくない。イラクにおける人殺しの連続、大規模犯罪の真実がデ・パルマによって、巧みに描き出されている。映画は、殺害されたイラク民間人たちの一連の写真で終わる。“法的な理由から”そうした人々の顔を黒塗りにするよう命じられた際、デ・パルマは言った。“こうした被害者となった人々に、それぞれの顔という尊厳さえ与えてあげられないとは、痛ましいことだと思う。”
『リダクテッド 真実の価値』のような映画は、アメリカ国内では、わずかに上映された後、ほとんどマスコミに取り上げられることもなかった。世の中では、見せたくない事実、あるいは見たくない事実は、覆い隠される。これが、戦時国家アメリカ文化の現実なのだ。

 同じく今回のアカデミー賞で、視覚効果賞など3部門の受賞となった、ジェームズ・キャメロンのドル箱3-D映画『アバター』では、ナヴィ族と呼ばれる気高い野蛮人達は、彼等を救ってくれる善玉のアメリカ海兵隊ジェィク・サリー軍曹を必要としていた。これによって、アメリカ人によって救われる連中は“善玉”であることが確認される。その意味では、『アバター』もまたハリウッド戦争映画の標準仕様を出るものではない。ただ、イラクの戦場と違って空想の世界である分、支配と破壊とに専心する米国人の独り善がりを薄めている。

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