プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

チャップリン没後30年  秘書・高野虎市のこと

2007-11-20 21:24:44 | 映画・演劇
現在、東京国立近代美術館フィルムセンターで「チャップリンの日本 チャップリン秘書・高野虎市遺品展」が開催中(12月27日まで)らしい。チャップリンが親日家だったことは知っていたが、チャップリンの秘書が日本人の高野虎市(こうの・とらいち)だったということは、最近「「しんぶん赤旗」(11月16日)で、大野裕之さんの一文「チャップリンを支えた日本人」を読むまでまったく知らなかった。

チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin, 1889年4月16日 - 1977年12月25日)は、ハリウッド映画の黎明期に『黄金狂時代』(The Gold Rush) 、『サーカス』(The Circus )、『街の灯』(City Lights) 、『モダン・タイムス』(Modern Times )、『独裁者』(The Great Dictator)など数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。彼の最もよく知られている役柄は放浪者(Tramp)である。窮屈な上着に、だぶだぶのズボンと大きすぎる靴(ドタ靴)、山高帽に竹のステッキといったいでたちのチョビ髭の人物で、足を大きく広いてガニ股で歩くキャラクターは、誰もの瞼に焼き付いている。ホームレスだが紳士としての威厳をもち、優雅な物腰と、その持ち前の反骨精神でブルジョワや権力を茶化し、笑い飛ばした。このTrampは滑稽味の中にもペーソスをたたえたキャラクターに進化し、ハートフルな要素も加味されて、弱者・貧者の立場から、資本主義社会の不平等を批判するものとなっている。1932年(昭和7年)5月14日に初来日(チャップリンは戦後も含めて4度来日している)。その途中で五・一五事件に遭遇した(犬養毅との面会予定をキャンセルし、チャップリンは相撲を観戦したあと散歩をしていたため、事件そのものには遭わなかったが、標的として狙われていた。高野虎市の機転で命拾い) (『ウィキペディア(Wikipedia)』チャーリー・チャップリンより)<o:p></o:p>

大野さんによると、高野は、1885年に広島に生まれ、1900年、15歳のとき親戚を頼ってシアトルに渡る。当初は従兄弟を頼りに暮らしながら雑貨店などで働いた後、友人の紹介でチャップリンの運転手となった。とくにチャップリンが日本人を求めていたわけでも、高野がチャップリンを好きだったというわけでもなかったようだ。チャップリンは高野の几帳面さを気に入り、撮影所の管理から家の切り盛りまですべてをまかせるようになる。チャップリンの身の回りに関する全てを担う秘書と呼べる存在となり、当時の手紙の多くが「チャップリン撮影所長・高野虎市様」となっていることからも、まさに「右腕」として活躍していたことが分かる。一時は料理人や庭師など17人の使用人全員が日本人だったほどである。チャップリンが日本贔屓であるのも彼に由るところが大きかったのかもしれない。
ところが、1934年、高野はチャップリン家を離れる。全幅の信頼を寄せられていた虎市が突然解雇された理由については諸説あるが、チャップリンの当時の妻ポーレット・ゴダードの浪費癖を指摘したところ、日本人に対する差別意識を持っていたポーレットに不快に思われ、それに押し切られたチャップリンによって解雇されたという説が有力である。その後、チャップリンは何度か高野のもとを訪れては戻ってきてほしそうなそぶりをみせたが、高野は戻らなかった。

大野さんによると、高野は1941年12月にアメリカで日本軍のスパイ容疑で逮捕され、6年間抑留されることになった。日本海軍の立花止(たちばな・いたる)の求めに応じて、かつて撮影所の部下だった元米軍将校を紹介したことが、スパイ行為とされ、太平洋戦争勃発とともに日系人の強制収容所に送られたのである。裸一貫で米国に渡った若者が喜劇王の右腕となり、別れたのちには、軍のスパイ容疑で逮捕され、その後敵性外国人として6年間にわたって抑留されるという、戦争をめぐっての日米関係に翻弄された運命をたどることとなった。
高野は、1957年に、日本に帰国。東嶋トミエと出会い、晩年をともに故郷の広島で過ごした。今回の展覧会では、東嶋トミエさんが大切に保管していた遺品の数々が展示されている。チャップリンや当時のハリウッド・スターたちの素顔やサイン入りポートレイト、初代水谷八重子や初代中村吉右衛門が喜劇王とともにおさまっている貴重なスナップなど、興味深い資料が展示されている。
チャップリンを支えた日本人がいたというのは、まことに興味深い話である。

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