プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

志位委員長の代表質問から見えてきた、棄民政治で苦しむ若者から高齢者の生活実相

2008-01-23 18:30:49 | 政治経済
日本共産党の志位和夫委員長が22日に衆院本会議で、福田康夫首相にたいしておこなった代表質問。若者や高齢者など、貧困と格差にあえぐ国民の現実を正面からぶつけた。気迫の質問から浮き彫りになったものは――。

「私たちは、焼け野原だった日本を必死に働いて復興させた世代です。『後期高齢者医療制度』を知ったとき、その私たちがいま、国から棄(す)てられようとしていると思いました。悔しい」
志位さんは、ある高齢者の声を紹介した。
75歳という年齢を重ねただけで差別される――国保や健保からおいだされ、別枠の制度に囲い込まれ、過酷な保険料徴収がおこなわれ、診療報酬も別建てとされて保険医療が制限されるなど、人間としての存在を否定するような制度。戦中、戦後の日本の歴史をつくってきた人たちの、「国から棄てられようとしている」との思いはつよい。志位委員長は問う。「そもそも、いったいどこに75歳で区切る根拠があるのですか。年齢によって高齢者を切り離して格差をつける制度を導入しようなどというのは、国民皆保険の国では世界でも日本だけではありませんか」(「しんぶん赤旗」1月23日)。

農民にたいする棄民政策はどうか。この10年あまりで、生産者米価は四割近く下落し、2006年産の米価は一俵あたり平均14826円まで落ち込んだ。この米価で得られる農家の一時間あたりの労働報酬は、わずか256円。ほとんどの農家がコメづくりをつづけられなくなるがけっぷちまで追い込まれている。政府はこの10年あまり、WTO農業協定にあわせてコメの価格保障を廃止し、コメ市場の下支えも撤廃し、米価を市場まかせにしてきた。コメの輸入拡大が、米価下落に拍車をかけた。志位さんは「どんな言い訳をしても、米価収入を時給256円まで下落させた農政は、大失政」といいきった(「しんぶん赤旗」同上)。

社会人として、働き手として、日本の将来を託さなければならない若者がどんな目に会わされているか。派遣労働者の苦しみは、その多くが懸命に働いても年収二百万円以下という異常な低賃金だけではない。社会保険に入れない、残業代が出ない、交通費が出ない、社員食堂が使えない、名前でなく「ハケンくん」などと呼ばれるなど、人間としての尊厳をふみにじられる差別をうけ、モノのように使い捨てにされていることが、若者たちを深く傷つけているのである「一度派遣に入ったら抜け出せません。私たちは苦しんで涙して働いても希望も何もありません。若者が生きられない。こんな世の中であっていいでしょうか」志位さんが紹介したある若者の痛切な声だ。
労働者派遣法のあいつぐ規制緩和によって、派遣労働者は320万人に急増し、そのうち234万人は登録型派遣――派遣会社に登録しておき仕事があるときのみ雇用するというきわめて不安定な状態のもとにおかれている。「臨時的、一時的なものに限定し、常用雇用の代替にしてはならない」という原則は資本の搾取自由の要求によって捨て去られた(「しんぶん赤旗」同上)。

人間としての尊厳が奪われ、日本人としての誇りや希望を語れない社会。これが、自公政権の棄民政治のもとで苦しむ若者から高齢者の生活実相なのだ。これまで政府は、「企業が栄えれば、めぐりめぐって家計に波及し、国民生活がよくなる」という「成長」シナリオを唱え続けてきた。ところが、大田経済財政特命大臣の演説でも、「企業の体質は格段に強化」されたが、「賃金上昇に結び付かず、家計への波及が遅れている」と認めざるをえなくなった。資本の搾取の自由、資本蓄積の自由にたいする規制をなくしてしまえば、富めるものはますます富み、貧しいものは富からますます取り残されるこの資本蓄積の一般法則のもとでは、労働者大衆にとっては貧困と抑圧こそが鉄則である。個々人の才能や努力の違いによる労働者階層内の格差、運・不運による相違は、法則に織り込み済みの“誤差”にすぎない。

志位委員長の代表質問から見えてきた日本社会の実相は、資本主義社会の古典的な階級対立そのものである。財界・資本の横暴を国家の政策として民主的に規制し、国民の生活と権利をまもる「ルールある経済社会」をつくること――これが自公政権に替わる新しい政治の共同綱領でなければならない。

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