プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

派遣労働者らの雇い止め(解雇)  有期労働契約そのものを規制する労働法制の改正を

2008-11-09 17:48:16 | 政治経済
世界同時不況の様相が深まる中で、派遣労働者らの雇い止め(解雇)が大企業を中心に広がってきた。大企業の調達コストの削減は、当然、裾野を支える中小企業の雇用調整にも及ばざるをえない。相対的過剰人口のもとで、労働者の吸引と反発は、資本主義の宿命と言ってしまえばそれまでだが、労働者階級の長年の闘いのなかで、正社員については、解雇4原則のしばりをかけてきた。ところが、派遣労働の規制緩和で相対的過剰人口の労働者を登録型派遣でプールしておけば、派遣受入れ企業は、契約更新を中止するだけで、労働者の首をいとも簡単に切ることができる。派遣元企業も登録型なので、痛くも痒くもない。いわゆる「派遣切り」である。自動車、電機などの大企業が(会社の存立にはまったく影響しない)ちょっと減益となったというだけで、大量の労働者の生活権を奪ってしまう。すべてが政治の問題である。

派遣労働者らを使って空前の大もうけをあげながら、減益になると真っ先に切り捨てるやり方に対して、企業に社会的責任を果たさせる規制をするのは、政府の当然の仕事である。
確かに資本主義社会は、労働者も企業も独立した人格として契約を結ぶ。しかし、個々の労働者は、企業に雇われないとたちまち生活ができない。だから、3ヶ月、6ヶ月いや今日一日の短期雇用契約でも承諾せざるをえない。短期雇用は、特殊な例外を除いて違法であるという規制をしなければ、つまり労働者と企業の契約に社会的規制をかけなければ、いつでも解雇自由のもとにおかれた労働者は常に死を覚悟しなければならない。日本では、失業保険、生活保護などの社会保障制度がきわめて貧困だからである。

政府は、確かに日雇い派遣は余りにも不安定と言うことで、30日以内の短期派遣を禁止する法律改正を検討している。しかしこれでは31日以上の契約さえ結べば、仕事があるときだけスポット派遣で使いまわすことが可能である。不安定雇用を生み出している「登録型派遣」を野放しにしたままでは、労働者の契約上の弱い立場の改善にはまったくならない。欧州諸国では、常識の派遣先の正規労働者との(解雇条件を除く)労働条件の「均等待遇」についても法的規制をする気はまったくない。
専門的技能をもつ労働者が常用的にプールされており、どうしても緊急時に一時的応援が必要とする雇用主に対応するのが、派遣労働の原則である。いずれにしても現在の労働者派遣法を抜本的に改定しなければならい。

労働者を雇用すれば労働者の側から有期の希望が出ない限り、期間の定めのない長期雇用を原則とするのを雇い主の契約義務とする労働法の改正が必要だ
そうすると失業者がいっぱい増えるという反論があるだろう。しかし、それは資本主義システムの相対的過剰人口の問題を誰の目にも見える形で明らかにするだけである。一部の労働者が過労死するまで働いて、一部の労働者は働きたくても明日が見えい不安定でしかも劣悪な労働条件の仕事しかない。明らかに、生産の無政府制と私的所有制に基づく資本主義システムの現実が赤裸々に示されるのだ。

派遣労働者の一部から、自分たちの犠牲のうえで正規社員がノーノーと暮らしているという議論がでることがある。たしかに、相対的過剰人口の問題が資本主義システムの矛盾として爆発することを派遣労働者の犠牲が隠蔽しているという側面がないわけではない。正規社員でも比較的上位の管理職と過労死するまで働かされている下級労働者では大きな差があるだろう。
資本主義システムでは、他人の労働を搾取する側か搾取されるが側かでまず大きく階級がわかれるが、その階級内でもさまざまな階層差がある。資本はその階層間の対立を最大限に利用して、団結・連帯することを妨げる。

代議制民主主義のもと私たちは階級・階層に関係なく平等の選挙権をもっている。しかし、ただそれだけである。職場の働き方を決定することについては、まったくといいていいほど何の権限もない。トップマネジメントは絶大な権限を持っているが、その意思決定は完全に自由ではなく、資本間の競争に強制されたものである。職場をそして社会を私たちに納得できるものにするためには、社会的規制=政治を平等の選挙権を駆使して改善しながら私たちの制御能力を一歩一歩高めていくほかない。そのなかで資本主義システムの限界も見えてくるのだろう。

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