プロメテウスの政治経済コラム

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自民党総裁選  提供すべき情報は皆無 なぜ大騒ぎするテレビ報道

2007-09-22 16:56:34 | 政治経済
テレビの自民党総裁選報道の大騒ぎぶりはいったいどうなっているのか。連日、どのチャンネルでも福田康夫、麻生太郎両候補のその日の動向が事細かに報じられる。参院選に敗北しても居直り続投を決めた安倍首相が、所信表明の直後に政権を投げ出すという前代未聞の異常事態は、選挙の顔として安倍を選んだ自民党の責任ではないのか。なぜこういう事態を招いたのか、まず自民党として謝罪し、国民の審判を真摯に反省すべきだろう。この肝心な問題をすり抜け、「福田か麻生か」を演出する自民党総裁選は国民の批判の目を欺くものだ。
この点でテレビの基本的スタンスが厳しく問われなければならない。自民党のスケジュール通りに総裁選になだれ込み、連日「福田か麻生か」と視聴者に選択を迫るような放送をたれ流すことが、ジャーナリズムの役割ではないはずである。「福田VS麻生勝つのはどっちか」は自民党内の問題であって、一般国民には選択の機会もない話だ。政権党とはいえ、しょせんは自民党の中のことなのに、国民に「福田か麻生か」を選べるような錯覚を与えるテレビや全国紙の報道は、無料で自民党のCMをタレ流すようなものだ中央大学の塚本三夫教授は、「国民に投票権はないのだから、『開かれた選挙』でもなんでもない。それを普通の国政選挙と同じように報道するのがそもそもおかしい」と指摘している(「しんぶん赤旗」9月22日)。

安倍首相の突然の辞任表明(12日)で、後任の総理・総裁が決まるまで、衆参両院の代表質問や予算委員会の質疑ができず、国会は空転状態となっている。このような事態を招いた根本問題について、両候補からの反省の弁はない。マスコミは安倍・自公政治のなにが行き詰ったのかを解明し、自民党の責任を問題にすべきなのにそのようなようすはまったくない。NHKは15日午前の総裁選受け付けの生中継に始まり、昼は両候補の共同会見を一時間にわたり報道、夜には総裁選特集。16日の「日曜討論」は二人の生討論、午後は「立会演説会」生中継と、自民党のスケジュールどおり逐一報道した。東京・渋谷、大阪、高松の合同演説も、外国特派員協会での会見も細大漏らさず放送。その後のそれぞれの行動もニューストップで指定席のように伝えているのだ。民放も似たりよったりである。「福田VS麻生」を煽るだけで、候補者自身が「違いはない、同じ自民党ですから」と語るように、ほとんど違いのない両者の話を、ただ連日報じているだけである(「しんぶん赤旗」同上)。

あれだけ参院選で国民の厳しい「自公政治ノー」の審判が下ったわけだから、この審判をどう受けとめるかが真剣に検証されてしかるべきである。貧困と格差を広げた「構造改革」「新自由主義」の路線を継続するのか、路線転換をするのか、アメリカいいなりにアフガンやイラクへの派兵を続けるのかどうか、双方の候補者の間に政策的違いはないのか。福田、麻生の両氏には、憲法問題の姿勢に違いがあるのかないのか。麻生氏がかつての侵略戦争を肯定する「靖国」派の中心人物であること。福田氏が自民党の九条改憲案を作った責任者であることなどは、国民としても無関心でいられない情報である。しかし、マスコミはこれらの必要な情報はなにも提供しない(「しんぶん赤旗」同上)。
二年前の郵政解散選挙。テレビは、刺客だ、ホリエモンだと追いまわし、「改革派」「抵抗派」の二項対決をあおり、自民党勝利に「貢献」した。このとき多くの放送人から「自民党の広報戦略に乗せられた」と反省の弁が聞かれたものだ。その反省はどこへいったのか。メディアが煽って国政を誤らせた愚をもう一度繰り返すつもりか。大マスコミの報道姿勢が厳しく問われている。

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