プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

改憲手続き法案 問題だらけのままで採決 改憲の焦点がどこにあるかを忘れまい

2007-05-12 19:06:21 | 政治経済
国民投票の趣旨はいうまでもなく、憲法に関して、主権者である国民の意思をできるだけ幅広く聞くということだ。もし憲法を改正するというなら、その改正に正統性を与えるための重要な手続きである。改憲そのものと同じように、投票のルールもできるだけ幅広い合意に基づいた公正で民主的なものでなければならない。しかし、きのうの参院特別委員会の採決は、衆院と同様に自民、公明の与党が数の力で押し切っただけであり、中身の面でも、やり方の面でもまったく正当性をもたない(「朝日」2007年5月12日)。

中身の面では、国会の質疑を通じて、法案はぼろぼろの状態になっていた。国民の八割が必要と認める最低投票率を拒むのはなぜか、自由な国民の意見表明が保障されるべき国民投票運動で五百万人もの公務員、教育者の自由な意見表明をなぜ制限するのか―改憲案を通しやすくしたいという以外、不公正で反民主的な内容の根拠を説明することはできない、したがって答弁不能に陥っていたのだ。財界が金で憲法を買うことになる有料広告、改憲を発議した国会に置かれ中立性を確保できない広報協議会、改憲案づくりを促進する憲法審査会の常設等々、審議をすればするほど矛盾と問題点が浮かび、法案は文字通りぼろぼろの状態である(「しんぶん赤旗」2007年5月12日)。
こんな法律でたとえ憲法改正が実現したとしても、その改正は、正当な手続きによったとはとてもいえない。

やり方の面では、憲法という国の一番の基本法を改変する手続き法案を決めるというのに、国民の声を聞こうという姿勢が与党にまったくなかった。4月13日、衆院で同法案が強行採決されたとき、国民は、新たな審議の場となる参院が「再考の府」としての役割を発揮し、慎重な審議を尽くすことを求めた。しかし、与党は「ゼロからの審議でなく衆院の足らざるところを」(法案提案者の自民・保岡興治衆院議員)と二院制の根本を踏み外す態度をとり、委員が議事録をチェックし、考える余裕も与えぬ連日審議の超過密日程を押し付けた。はじめから、審議時間をただ形式的に消化し、採決に持ち込む姿勢が露骨であった。ところが、民主党は与党が無理押しする過密審議に抵抗せず、採決日程にあっさり合意した。憲法問題でも自民への対抗軸を持たず、九条改憲を競い合う民主党の役割がはしなくも露呈した(「しんぶん赤旗」同上)。
格差社会の中・低層を抑えこむために、二大保守政党制を用いて彼らが反権力政治勢力として結集することを防ぐというのは、アメリカやイギリスに見られるように支配階級の統治の常套手段である。こんなやり方で成立した手続き法が、正当な手続きによったとはとてもいえないのは当然だ。

安倍首相は、「在任中の改憲」に執念を燃やしている。彼自身は、国会内で有力となった「日本会議国会議員懇談会」=靖国派にのって改憲に邁進している。支配階級主流派(=財界、米国政府)は、彼が親米であること、九条改憲のターゲットをはずさない限り、彼と彼の取り巻きに当面、改憲運動をまかせるつもりである。長くてもあと5年程度の安倍首相の在任中に改憲を実行するためには、今国会での手続き法成立が不可欠という彼の都合も、可及的に九条改憲を急ぎたい支配階級主流派にとっても悪いことではない。安倍が時々、地金を出して、アメリカが敷いた戦後秩序に抵触するようなことを言ったときには、その都度、注意を与えるということだろう。

私たちは、支配階級主流派の眼目が、アメリカと肩をならべて(もちろん対等ではなく、手下としてであるが)海外で戦争する国づくりであること、したがって、改憲は、極端に言えば、九条二項を削除し、自衛軍の創設と海外派兵が実現できれば、ほかはどうでもよいという改憲の焦点を忘れてはならない。21世紀の世界の流れをどう捉え、国際秩序をどう構想するか、第二次世界大戦後に問われたことが、いま新しい情勢のもとで、再び問われている。私は、「憲法9条は、いまこそ旬」だとつくづく思う。

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