プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

高すぎる国保料 保険証取り上げ 改めて考える「社会的連帯」の基盤のない日本社会

2010-03-05 20:45:37 | 政治経済

昨日(4日)の参院予算委員会で、日本共産党の小池晃政策委員長は、高すぎる国民健康保険(国保)料の問題を取り上げた。高すぎる保険料が払えず亡くなる人もいるなどの痛ましい実態とともに、私が改めて驚いたのは、日本は、税や社会保障の負担を入れない第一次の市場所得での貧困率(16・5%)は他国に比べて、そう悪い数字でないにもかかわらず、税や社会保障の負担を加味した第二次の可処分所得の貧困率(13・5%)ではアメリカに続いて悪い数字となっていることである。フランスやドイツなどでも、資本主義国なので、相当数の貧困者がいる。ただ、アメリカを除く他国は、税や社会保障を通じた所得再分配によって、貧困率を著しく改善しているのに、日本ではほとんど改善がないということだ。「社会的連帯」の基盤があるヨーロッパ諸国では、税や社会保障を通じた所得再分配が手厚いが、競争によってズタズタに分断された「自己責任」だけのアメリカや日本社会では、弱者はただじっと耐えるしかないのだ。

「しんぶん赤旗」2010年3月5日より


 上記のグラフによると、例えば、フランスやドイツの市場所得の貧困率は、24.1%、20.5%と日本の16.5%より高い。しかし、税と社会保障を加味した可処分所得の貧困率は、6.0%、8.7%なのに、日本は13.5%とアメリカの13.7%についで貧困率が高い。富裕層(及び大企業)が税と社会保障の負担を嫌い、所得再分配が機能せず、貧乏人は「自己責任」だとして放置されているということだ。
小池氏は、自治体が、保険料を払えない人たちから保険証を取り上げることまでやって、病院にかかれないまま死んだ札幌市の60代男性(大工)のケースと保険料取立ての厳しい督促状が毎月のように届き、窓口で10割負担を強いられる資格証明書が送られた1カ月後に自ら命を絶った東京都板橋区の29歳の男性のケースを紹介している。小池氏は男性に届けられた督促状の束を首相に示しながら――。「首相、これを見てください。こんなことはあってはならない。保険証の取り上げが市町村の義務とされたのは、97年の自社さ政権の時だ。当時、民主党にいた首相も賛成した。それ以来、こうした事態が全国に広がったのだ。胸の痛みを感じないのか」と無慈悲な日本の政治を追及した(「しんぶん赤旗」2010年3月5日)。

 なぜ、日本社会はこれほどまで無慈悲な社会になってしまったのか。日本では強者(資本)の横暴から労働者・国民の生活と権利をまもる社会的ルールが、他の資本主義国、とくにヨーロッパ諸国と比べて、著しく立ち遅れているのはなぜか
憲法97条は、日本の後進性を考慮して、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって,これらの権利は,過去幾多の試錬に堪へ,現在及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と念を押している。
そもそも日本人は、1945年の戦争終結まで、天皇制専制政治のもとで人権を語ることすら抑圧されていた。戦後、日本に「民主化」の時代が始まるが、自分の身につけるための階級的な労働運動、社会運動はアメリカ占領軍の強圧でつぶされてしまった。そうこうするうちに、高度経済成長下の企業社会では、集団主義とは裏腹に、猛烈な企業に対する忠誠競争を強いられ(「過労死」、「サービス残業」)、学校教育も企業にとって望ましい人材育成競争に巻き込まれた。そして90年代から始まる新自由主義の弱肉強食の競争による「自己責任」論が跋扈する。

基本的人権の尊重、よりよい人間らしい社会の実現は、幾多の試錬に堪へた人類の多年にわたる努力の成果であるという歴史を持たない日本人は、「よりよく統治するためには分断せよ」という統治者の分断の罠に簡単に嵌り、富者は高みの見物で、貧者は闘う術も知らず、孤立したまま、ただじっと耐えているのだ。


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