プロメテウスの政治経済コラム

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海兵隊グアム移転、最大で6年遅れ  移転経費も代替基地も必要なし  残るは普天間基地撤去のみ

2010-07-28 21:40:59 | 政治経済
米国防総省の統合グアム計画事務所は27日夕(日本時間28日朝)、沖縄に駐留する米海兵隊約8000人のグアム移転に関する環境影響評価書の最終版を公表し、日米両政府が合意した「2014年」の移転完了期限を断念する方針を正式発表した。新たな期限は「今後、決定される」としながらも、環境への影響を軽減するため、移転を最大で6年間遅らせ、20年を完了期限とする「試算」を提示している(「読売」7月28日14時46分配信)。
普天間飛行場は「世界一危険な飛行場」であり、速やかに運用停止、閉鎖すべきものである。だから、1996年「SACO(沖縄に関する特別行動委員会)」で全面返還が合意されたのだ。ところが、SACO合意で返還条件として代替施設をリンクさせたことから、話がおかしくなった。代替施設はさまざまな変遷を経て今は辺野古崎にV字型滑走路を二本もつ新基地建設を日本側の全面負担で行う一方、海兵隊はグアムに移転することになり、2014年完了予定でその経費のうち60・9億ドルを日本側が負担させられることになっている。
ところが、ここにきてグアム移転が米国内の事情で大幅に遅れることとなった。日本側としては、米国内の事情に付き合う必要はない。グアム移転経費も代替基地探しも必要ない(米軍再編協議でグアム移転が決まったところで、SACO合意は破棄され、代替施設建設も破棄されるべきものだった)。残るは普天間基地撤去問題のみだ。

 普天間飛行場は、米軍が沖縄戦の最中に民有地を占領し、日本本土攻撃のために重爆撃機専用飛行場として建設したのが始まりである。戦後も、住民同意のないまま米軍が強制接収しながら基地を広げ、今日に至っている。
伊波洋一・宜野湾市長は、占領と強制接収による基地建設こそ、沖縄における最大の人権問題だという。沖縄で戦後一貫して米軍基地撤去運動が続いているのは、基地撤去と土地の返還こそが沖縄県民の人権回復につながるからで、それが県民の求めていることだからである(2010年4月18日『自治と分権』沖縄シンポジウムでの報告『季刊自治と分権』2010・夏/no.40)。

普天間飛行場は、宜野湾市(人口約9万人、3万7千世帯)の中心にあり、市域の4分の1を占める。2009年4月に宜野湾市は「米軍普天間飛行場の危険性」というレポートを出し、住宅密集地を飛行する危険性や騒音被害を訴えている。住民は、米軍機の重低音が響く中、いつどこを飛び,落ちてくるかも分からない恐怖の中で日常的に暮らしている。「市に寄せられた基地被害110番の声」の例として「ヘリコプターが5分おきに自宅を通過する」「夜中の1:30ですが、米軍機がうるさい」「子どもがミルクも飲まないし、寝付かない」「また墜落するのではないかと思った」などの住民の声が掲載されている。
空港周辺には、離発着の際の安全を確保するために障害物を排除したクリアゾーンが設けられなければならないが、普天間飛行場の場合、クリアゾーン内に公共施設・保育所・病院が18箇所、住宅約800戸あり、約3,600人余の住民が居住している。普天間飛行場は即時無条件に閉鎖すべきだ飛行場なのだ。

 普天間飛行場は米政府にとっても、閉鎖すべき基地なのだ。ただ話が拗れたのは、1996年4月12日、当時の橋本龍太郎総理大臣とモンデール駐日大使が「今後5乃至7年以内に十分な代替施設が完成し、運用可能になった後、普天間飛行場を返還する」と突然の記者会見で発表したことだった。しかし、普天間閉鎖と新基地建設は、リンクしなければならない必然性はない。伊波市長は次のように言う。
米軍再編協議のなかで、「沖縄の海兵隊をグアムに移し嘉手納以南の米軍基地を返還する」というのは、占領と接収、銃剣とブルドーザーで沖縄県民に基地を押し付けた米軍基地の成り立ちを少しでも払拭したいからだろう。同時に、辺野古沿岸への新基地建設を地元合意のなかで実現し、米軍基地の正当化をしたいという意図があるのだろう(『季刊自治と分権』 同上)。
しかし、占領と強制接収による基地建設が最大の人権問題である沖縄で、新基地建設の地元同意が得られずはずもない
民主党政権は参院選で沖縄に候補者を立てることさえできずに不戦敗。「県内移設」反対という県民の総意は明白であり、どんな新基地建設計画をつくっても破綻は不可避である。

そしてここにきて、グアム移転も怪しくなってきた。米海軍の推計で、米軍関係者だけで10年の5646人から14年に4万6052人に、基地建設工事などに関連する労働者などを含めた総数で、10年の1万1038人から14年には7万9178人まで激増する。しかし、これらを受け入れる住宅や電力、上下水道などのインフラ整備を放置しておいて、基地建設は不可能である(「しんぶん赤旗」2010年7月28日)。
グアム当局が、急激な軍増強に対し反発するのは当然である。

 グアム移転が大幅に遅れることとなったのは、米国内の事情である。日本側としては、米国内の事情に付き合う必要はない。グアム移転経費の負担支出も代替基地探しも必要ない。そもそも、グアム移転を決めたときから、辺野古新基地は、普天間の代替施設とは違うものだった。
残るは普天間基地撤去問題のみなのだ。

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