プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「ホロコースト」は有名なのに「ナクバ」は、なぜ知られていないのか

2008-06-18 16:32:29 | 政治経済
パレスチナ自治区ガザのハマスが、エジプトの仲介によりイスラエルとの停戦に合意したという。停戦は6月19日朝に発効し、期間は6か月間。イスラエルは、ガザに対する封鎖の段階的解除に合意したという(「読売」6月18日11時22分配信)。
パレスチナのアラブ人とユダヤ人の泥沼の抗争は、欧米列強の不当な差配による「ユダヤ人国家」の建国によってもたらされた。私たちは、ヨーロッパにおけるユダヤ人大量虐殺の「ホロコースト」という言葉は比較的よく知っている。しかし、今なお続くパレスチナ問題の根源である「ナクバ」という言葉は、特定の専門家を除いてほとんどの人が知らない。ハマスは、その「ナクバ」を疎かにしないということでパレスチナ人の間で人気が高いのだ。

私は、「ナクバ」という言葉を広河隆一さん編集の月刊誌『DAYS JAPAN』を購読するまで、まったく知らなかった。広河さんは今年ドキュメンタリー映画『パレスチナ1948・NAKBA』を公開した。
広河さんは、24歳のとき、イスラエルのキブツ(農業共同体)に憧れ、ヒマワリ畑やオレンジなどの果樹園で働き、イスラエルに滞在した。ある日、広河さんは、ヒマワリ畑のはずれで、白い瓦礫やサボテンの茂みを見つける。その瓦礫を見て広河さんは、最初何かの小規模な遺跡の跡だと思った。ローマ時代か、十字軍時代かの。しかし、そのことをキブツのメンバーに問うと、なぜか答えをはぐらかした。
広河さんが、小規模な遺跡の跡と思ったのは、イスラエル建国前のパレスチナ人の村の跡だったのだある日友人が「君の探しているのはこれだろ」と言って、一枚のぼろぼろになった地図を見せた。その地図はイスラエルの建国前にイギリスによって印刷されたもので、建国後のイスラエルがその上に新しいユダヤ移住地を印刷していた。広河さんが居たキブツの場所はパレスチナの村のダリヤトルーハ(香ばしいブドウの木の意)であった(広河隆一編『パレスチナ1948・NAKBA』合同出版2008)。

初期シオニズムのスローガンは「土地なき民に民なき土地を」であった。しかし、ユダヤ人入植地は、無人の荒野ではなかった
最近私は、「ナクバから60年、今、パレスチナ問題の根源を考える」という岡真理(京大大学院准教授)さんの講演を聞く機会があった。岡さんは、ヨーロッパのユダヤ人によるイスラエル建国には、かつてヨーロッパ列強がアフリカなどを植民地にしたと同じ植民地主義(コロニアリズム)とパレスチナというアジア人蔑視の人種差別主義(レイシズム)の二つの要素があるという。この歴史の真実を隠すためにイスラエルでは、さまざまな歴史の隠蔽と偽造が行われてきた。パレスチナ人との共存を説くイスラエルの良心派も大抵は、1967年以降のイスラエルの無法な占領を批判するが、建国の歴史的真実=パレスチナ人にとっての「ナクバ(大惨事)」には決して触れようとしないという。岡さんによると、日本の歴史修正主義者が「慰安婦」はいなかった、南京大事件や「集団自決」はなかったと言うのとまったく同じだそうだ。

国連によるパレスチナ分割決議が行われた当時、パレスチナのユダヤ人は全人口の30%程度、所有する土地にいたっては6%程度しかなかった。しかし、国連パレスチナ分割決議は、一割足らずの土地を所有していたに過ぎないユダヤ系住民に対して、東地中海の肥沃な農耕地を含むパレスチナ全土の過半数が与えられるというもので、アラブ系住民にとっては、とうてい承服しがたいものあった。これが欧米列強によって、ユダヤ人取り込みのためにそして「ホロコースト」への代償として、植民地主義(コロニアリズム)と人種差別主義(レイシズム)によってパレスチナのアラブ人に強制された。
ユダヤ人国家は、その構成員はユダヤ人が多数でなければならなかった。ユダヤ武装勢力は、パレスチナの村々から、先住民を追い立てるようにアラブ人を暴力で排除した。こうして故郷を追われたパレスチナ約80万人は、いまなお流浪の難民生活を強いられ、帰還の望みを絶たれているのである。

私たちが、「ナクバ」という言葉を認識することは、イスラエル建国の歴史的真実を認識するということである。イスラエルでは「ナクバ」という言葉は意識的に隠されてきた。欧米列強の政府もその影響下にある国々の政府やマスコミもイスラエルの歴史修正主義に同調してきた。「ナクバ」を多くの人びとが知らない理由である。

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