プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

空洞化進む憲法第25条

2005-11-11 21:44:19 | 政治経済
憲法改定を待たないで、憲法第25条の空洞化が進んでいる。義務教育費の国庫負担金8500億円削減に続いて、厚労省は、生活保護費と児童扶養手当の国庫負担率を現行の4分の3から2分の1に引き下げることを打ち出した。言うまでもなく、憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」として国の国民にたいする生存権保障責任を明確に定めている。生活保護費、児童扶養手当の国庫負担率引き下げ、生活保護基準の設定基準を地方に移すことは明らかに国の責任放棄である。いま、「地方自治」、「三位一体改革」の名のもとに国の責任放棄と地方への責任押し付けと負担転嫁がどんどんと進められている。
憲法第25条の条文そのものは、今度の自民党新憲法草案でもそのまま維持されることになっている。しかし、くせものは、第91条以下の地方自治条項の改正案である。まず第91条の2(地方自治の本旨)を新設し、第一項で「地方自治は・・・住民の身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う」と謳うとともに、第二項で「住民は、その属する地方自治体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し、その負担を公正に分任する義務を負う」と定める。そして、第92条を新設して「国および地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない」と念を押している。廻りくどい言い方だが、要するに、生存権のような身近な行政は地方自治体でやれ(国は責任を持たない)、金がかかるなら、住民が負担の義務を負えばよいということである。これでは、憲法25条の条文をそのまま残しても、福祉にかかわる国の責任を裁判で問われるようなことは、もうないのだ。小泉構造改革を憲法という最高法規で担保したものだ。
われわれは、憲法9条改悪とともに、第25条の実質的改変にも目を離せない。

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