「まだ残っている日本とロシアが今、数字を出すことが重要だ」―とデ・ブア国連気候変動枠組み条約事務局長からハッパをかけられていた日本政府がやっと数値目標を発表した。世界の注目が集まる中で麻生首相が発表したのが、「8%(05年比15%)」。昨年6月に福田前首相が示していた「05年比14%(90年比7%)」とほぼ同じ。+1%で野心的な決断と思う麻生のバカボンにたいしては、国際社会がしかるべき評価をくだすだろう。地球環境について、みなが真剣な努力をしているときに、エコノミック・アニマル丸出しでは、さみしい。
国際環境NGO「FOE]Japanより
温室室効果ガス排出量を削減する2020年までの中期目標について、麻生・自公政権は05年比「15%減」(1990年比「8%減」)を決定した。97年採択の京都議定書で日本に課せられた「08~12年期に90年比6%減」の目標を2ポイント上回るだけという、他に例をみない志の低い数値である。主要先進国で、ロシアを除いて最後に最低水準の目標を出したとして、国際社会の厳しい批判を招くことは必至である。地球環境の将来を憂え、13年以降の新たな温暖化対策の野心的な合意をめざしてみなが努力しているときに、日本は本気で取り組む覚悟があるのか疑われるだろう。
麻生首相は、低い目標への批判を意識し、「削減量が大きければ大きいほどいい」とするのは「精神論」だと非難。「裏打ちのない目標にはしない」とし、日本の排出量の8割を占める産業界の削減策を示さない一方で、「国民に相応の負担をお願いする」と強調した。日本は、財界・大企業が支配するエコノミック・アニマルです、ということを世界に宣言するようなものだ。しかも当初は、90年を基準年として目標案を示していたのを、今回、見かけの数字を大きくするため、05年を基準年として発表する偽装までやった。日本提案に対し、「複数年基準は混乱を招く。基準年を変えれば削減率はよく見えるかもしれないが、(この会議は)本当の削減について議論している」「数字遊びはやめるべきだ」との批判が出るのは、当然である[実はアメリカが05年比17%減(90年比4%)案を現在検討している。温室効果ガス削減目標まで対米従属である-同時に90年以降も反省なく排出量を増やしてきたということを告白しているようなものだ]。
麻生・自公政権がなぜ、人類的課題に大胆に挑戦できないのか。いうまでもなく、財界・大企業からの注文に応えることが、政治家の使命だという呪縛から逃れられないからである。財界からのかねてからの注文は、「主要排出国が参加し、国際的公平性が担保されることが必須条件。首相は強いリーダーシップを発揮してほしい」ということだ。主要排出国の参加というのは、今後日本の競争相手になる中国や、インドにも同じように負担をさせよという要求である。国際的公平性というのは、コスト増で大企業の「国際競争力」が損なわれるようなことは、あってはならないということだ。化石エネルギーを大量消費する経済構造そのものを見直すことなど、もともと眼中にない。中国や、インドについては、「共通だが差異ある責任」原則を認めるということが、国際合意となっている(先進国はこれまで温室室効果ガス排出を好きなようにやって濃度を累積させた)。この確認された原則にいまさらケチをつけても、孤立するだけである。
世界が低炭素社会へ踏み出そうと、真剣に交渉しているときに、国内の、財界・大企業いいなりに、交渉に水をさす麻生・自公政権の温室効果ガス削減目標の妥当性は、国際社会が判断するだろう。いずれ、政権交代とともに見直しが必至となろう。