プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「韓国併合」100年  「痛切な反省とおわび」を対米従属下の現代日本に活かすべきだ

2010-08-11 22:02:53 | 政治経済
政府は10日午前の閣議で、日韓併合100年に当たっての首相談話を決定した。談話は1995年の「村山首相談話」を踏襲し、「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、改めて痛切な反省と心からのおわび」を表明するとともに、「これからの100年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していく」と強調。朝鮮王朝の主要行事を絵や文章で記録した古文書で、日韓併合後に日本に渡ったとされる「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を引き渡す方針も明らかにした(時事通信8月10日10時55分配信 )。
戦前の日本は、アジア侵略の50年を続け、敗戦後はアメリカの従属的な同盟者として経済復興とアジアへの経済進出を進めて来た。戦後世界では、「分断国家」三つのうち、二つがアジアに生まれた。ベトナム、朝鮮の「分断国家」の戦後の苦しみに、戦前の日本の50年戦争が深く関わっていることは紛れもない事実である。そして戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争にもアメリカへの後方支援(準軍事力)と経済力によって日本は深く関わり続けた。私たちは、「痛切な反省とおわび」を過去の清算にとどめるのではなく(実はそれも十分ではないのだが)、現代の対米従属下での日本の有り様にも思いを致すべきだ。

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』にも描かれているように、幕末から明治初期にかけて、東アジアは、いわゆる「ウェスターン・インパクト」に晒された。これらの「対外危機」に対し、明治維新後の政府は一貫して「富国強兵」によって対抗し、欧米的な近代化を強行的に遂行した。軍事力でアジアに最初の足がかりを築いた近代日本は、軍事力でアジアに侵略する政策を採用し、義和団戦争、日露戦争、第一次世界大戦、山東出兵、満州事変から日中全面戦争、アジア・太平洋戦争へと戦争を続けた。
こうして近代日本は、日清戦争の1894年から1945年の敗戦まで「50年戦争」を戦うこととなった。その出発点となったのが、農民軍の蜂起で情勢が緊迫化する朝鮮への出兵と謀略であった。1875年(明治8)、日本の軍艦「雲揚」は、朝鮮の江華島砲台と交戦する。

 菅首相は、謝罪の意思を改めて明確にすることで、菅内閣のアジア重視の姿勢を示し、日韓関係の進展につなげたいと考えたのかもしれない。私は、ともに米国を盟主として仰ぐ日韓が何かと仲たがいすることは好ましくないという支配層の意向を踏まえたズル菅らしいパフォーマンスだと考えている。安倍晋三流の嫌韓派は、グローバル市場でアジアの成長力を取り込みたいと思っている支配層には所詮、受け入れられない。
韓国政府は、日韓併合100年に当たっての首相談話について、「不幸な歴史を克服し、未来の明るい韓日関係を切り開こうとする菅直人首相と日本政府の意志と受け止める」と歓迎する論評を発表した。しかし、韓国メディアの中には、日韓の知識人1000人以上が署名した「日韓併合は根本から無効であった」という主張に触れておらず、儀軌の返還もまた韓国の文化財図書の長期的な返還に基づいたものでないなど、談話の内容は「村山談話」の水準に止まると指摘するものもあった。

 首相談話は、「日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います」とし、「朝鮮王朝儀軌」の返還を明記した。欧米植民地帝国の後を追った日本は、公式に確認されただけでも6万点余りの朝鮮の文化財を略取した。「お渡ししたい」ではなく、植民地の民族自決権が国際ルールとなり、もはや他国を植民地にすることなど思いも及ばなくなった現代において、略奪した文化財は所有者に返還するのが当然のルールである
「朝鮮王朝儀軌」は、写真もビデオもなかった時代、国の行事を絵と文で記録し続けた貴重な文化財である。時々の政治・経済・文化・風俗のありさまが分かるだけでなく、すぐれた画家たちの手になる絵は、芸術品でもある。ユネスコは3年前、世界に類をみない記録だと認め、世界遺産に登録した。

 戦後世界では、「分断国家」三つのうち、二つがアジアに生まれた。大日本帝国の50年戦争によって、朝鮮は植民地化され、ベトナムは自然災害と日本軍の徴発によって200万人以上が餓死した。植民地から国民国家形成という自主的な「新しい国家と社会のあり方」の模索過程を大日本帝国の50年戦争が阻んだというのが歴史の真実である。そして、それは戦前日本だけではなかった。「戦後日本」も、準軍事力(米軍の後方支援という意味で)でアジアの「新しい国家と社会のあり方」の模索に関わり続けた。朝鮮戦争では、特別掃海隊として1200名の旧海軍軍人が雇用され、戦死者も出した。ベトナム戦争でも、米軍の上陸用舟艇であるLSTに日本人が乗り組み、物資を戦場まで運んだ(原田敬一「東アジアの近代と『韓国併合』」『前衛』2010・9 No.861 )。

 私たちは、欧米近代国家がなし得なかった、軍隊と植民地を同時に一挙に消失させる、という経験をしたが、しかし、そのことは同時に、軍隊と植民地の歴史的意味を十分に考えない、思想的に深めないという体質を作ってしまったともに米国を盟主として仰ぐ日韓がこのまま米軍のアジア関与を認めたままでいいのだろうか。北朝鮮にまったく触れない「痛切な反省とおわび」とは何なのだろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。