プロメテウスの政治経済コラム

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外交文書公開  日本にとって沖縄とはなにか  ダグラス・ラミスさん おおいに語る

2011-02-20 20:40:07 | 政治経済

外務省が18日公開した外交文書には、改めて“日本にとって沖縄とはなにか”を考えさせられる文書が多数含まれていた。駐米日本大使館が外務省に送った極秘公電(67年4月15日)によると、ライシャワー元駐日米大使が、外務省関係者に対し、「沖縄の軍事施設をグアム島にそっくり移すことは理論的には可能」と発言。同元大使は「(移転には)30ないし40億ドルの経費がかかるという推定が軍部によってなされている」とし、沖縄からグアムへの全面移転が検討されていることを明らかにしている。どんな経緯があったか知らないが、日本政府は米軍を沖縄につなぎ留める選択をした。奇しくも昨日(219日)、 沖縄在住の“ダグラス・ラミスさん おおいに語る”の催し(主催:とめよう改憲!おおさかネットワーク)が大阪天満であった。菅政権はいま風前の灯火となっているが、米国―日本―沖縄の関係を糺すことができない政権は、誰が政権につこうと早晩行き詰るだろう

 

米軍の直接軍事占領は、日本本土では1951年のサンフランシスコ平和条約で終わり、沖縄では1972年の日本への施政権返還で終わったことになっている。しかし、法制的に、日本は主権を回復したが、足かけ7年のGHQ占領体制のもとでの「間接統治」によってつくりだされた支配・被支配関係が歴代日米政府によって維持され、「アメリカ絶対のDNA」が日本の支配勢力に刷り込まれた。こうして、いまに至るも、日本は米国の「事実上の従属国」となった。沖縄と日本との関係について言えば、古くは薩摩藩に始まって、天皇制政府、戦後政府と今に至るも沖縄はヤマトの「事実上の植民地」である。占領米軍から日本復帰をめざしたとき、沖縄の人びとは「核も基地もない平和で豊かな沖縄」を夢みたが、ヤマトが米国の「事実上の従属国」であるかぎり、それは所詮、叶わぬ夢であった。そして、米国から押し付けられた厭なものを事実上の植民地沖縄に押し付けた

 

日本を米国の従属国にしている条約上の取り決めは、言うまでもなく日米安保条約である。講和条約発効後、どこの国の軍隊も90以内に日本から撤退しなければならなかったが、6条a項但し書きによって、特定の連合国と日本が協定を結べば、その国の軍隊は駐留を続けることができた。こうして、講和条約とともに安保条約を押し付けられ、日本は自国民の意思にかかわらず、米軍の自由な出撃を保障する従属国となった。

一方沖縄は、この日本から切り離され、引き続き米軍の直接支配下におかれた。日本政府は沖縄の人びとの気持など一顧だにせず、対日平和条約を結んだのだ(【米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む】との昭和天皇のメッセージは有名な話である)。72年の沖縄返還は、それまで米軍の直接支配のもとで、日米安保体制をいわば外から支えていた沖縄が、日本に統合されることによって、それを内から支える役割を強制されることになった。

 

ダグラス・ラミスさんは、沖縄は日々変わっているという。菅政権の閣僚が次々と“沖縄ラッシュ”をかけ、名護市辺野古への「移設」推進派だった仲井真知事を訪問しては、氏への淡い期待を寄せるが、知事はぶれることなく「県外移設」を崩さない。知事選で伊波さんを支持した人びともいまや仲井真さんを支持するので、知事はぶれることができない。ラミスさんは、辺野古への新基地建設(「移設」は名目)は、もう無理だ。沖縄の人びとの意思は固まったという。さりとて、普天間基地の早期閉鎖・返還を実現しないと今度は、宜野湾市の人びとが爆発するだろう。

ダグラス・ラミスさんは問う。“さぁー ヤマトの人はどうする?!どこか普天間基地を引き受けるところはありますか。” 沖縄がヤマトの植民地であるように、グアムが、米国の植民地であることをよく知るラミスさんは、敢えてヤマトの人びとに問いかける。

 

<ある若い東京の女性が沖縄にやってきて、米軍基地のフェンスのすぐ外に住宅街があるところを通っているときに、興味深い発言をしました。「私はあんな所に住めない」というのです。この言葉で何を伝えたいのでしょう? 1つは繊細な敏感な平和主義者だと褒めてほしいのです。もう1つは「この人たちはどうしてここに住めるのかわからない」という軽蔑です。「私はできない、不思議だ」という、ここに沖縄差別があります。微妙なところに差別が出るのです。沖縄に米軍基地がある法的根拠は安保条約です。安保条約は沖縄が結んだわけではありません。60年安保も70年安保も復帰前でした。東京で結んだのです。基地はすぐそばにあるとうるさいし、怖いし、時々犯罪は起こるし、忘れることができないものです。遠いか近いかはもちろん大きいですが、外国の軍隊の基地があるという恥はどこにいても同じはずです。東京も同じです。「東京は平和憲法、沖縄は違う、あんなところには住めない」とはどういうことでしょう。>

 

<半年程前、国連大学のシンポジウムに出た時、終わってから女性が近づいてきて、「9条を世界遺産にすることは可能でしょうか?」と質問されました。私は「安保が続いている限り無理じゃないか。アメリカの軍事力によって守ってもらっているから、世界遺産にするほどの平和状況ではない」と答えました。すると、女性たちは「え! 武器がないと危ないんじゃないですか?」と言ったのです。最初の発言から30秒も経っていません。これは極端な例ですが、日本人の過半数は憲法9条支持でかつ安保支持でしょう。安保を支持していな人がいてもいまでは行動する人は少ないです。9条を守るほどの反対運動はありません。この女性たちはどうやったらこんな意識が持てるのでしょうか? 頭の中にこの部屋とこの部屋があって、その間にはドアがないのです。部屋と部屋の連絡を取れないのはなぜでしょうか? その答えの大きな部分は沖縄にあると思います。多くの人にとって米軍基地は遠い沖縄にあり、その問題を「沖縄問題」と名づけ、ここは平和憲法の日本だと思っているのです。そういう構造ができているのではないでしょうか >

 

自分の身近に基地が来てほしくないと思うのだったら、何故、安保を問題にしないのですか。沖縄の人びとには理解できない。そして安保廃棄の目途が当分立たないというのなら、東京か大阪かヤマトで普天間基地を引き受けるのが筋じゃないですか――ラミスさんはそう言いたかったのだろう


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