プロメテウスの政治経済コラム

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木村前振興銀会長 逮捕   MHKのKがようやく摘発対象  小泉・竹中の罪

2010-07-15 21:43:39 | 政治経済

小泉・竹中新自由主義「構造改革」のもとで、悪徳ウォール街を真似て私腹を肥やそうとしたMHK(村上世彰氏、堀江貴文氏、木村剛氏)はかねて、摘発対象候補者と噂されていたが、これまで摘発されていなかった木村剛氏がとうとう摘発対象になった。木村容疑者が、東京青年会議所の有志とともに、「中小企業を元気に」をスローガンに2004年4月に開業した日本振興銀行をめぐって、ついに刑事責任を問われる事態となったのだ。
小泉・竹中「構造改革」は日本の多国籍大企業の要求であるとともに、日本の国富の買い叩きを狙うアメリカ金融資本の要求でもあった。小泉・竹中「構造改革」政策失敗で多数の国民が傷ついた。しかし、両氏とも“逃げの名人”であるので、日本にもたらした災厄がどれほど巨大であっても、“去勢された”マスメディアによって罪過はまったく問われていない。それどころが、竹中氏などは、性懲りもなくテレビに登場し、エセ学者の議論を一方的にまくしたてては、出演料を稼いでいる
反構造改革・福祉の政治が求められているいま、「小泉・竹中の罪」を改めて考えてみよう。

 木村氏の逮捕は、金融庁の立ち入り検査の際に取引に関する電子メールを削除した容疑。日銀出身で金融庁顧問まで務めた「金融のプロ」が、法令に違反してまで隠したかったものとは何だったのか。
「民にできることは民で」という小泉「構造改革」路線のもとで、国民生活金融公庫や中小企業金融公庫など政府系金融機関が統合され、中小企業融資を後退させておいた上で、木村の日本振興銀行は、金利を高めに設定する代わりに、既存銀行から融資を受けられない中小・零細企業に融資するビジネスモデルで注目された。木村氏は、第3次小泉内閣の伊藤達也金融担当相の私的懇談会のメンバーに選任され、日本振興銀行の免許交付そのものが疑惑に包まれたものだった。
木村容疑者は、日本銀行出身で、小泉政権時代に竹中平蔵金融担当相(当時)のブレーンとして金融庁顧問を務め、02年に公表された「金融再生プログラム」(竹中プラン)の策定に中心的な役割を果した。竹中プランは、金融機関に厳格な資産査定を求め、「不良債権」の早期抜本処理を迫るものだった。日本の企業や銀行資産の買い叩きを狙うウォール街の意を受けたものだった。

田原総一朗氏は意図的に小泉ー竹中ー木村らを持ち上げた

 「天網恢恢疎にして漏らさず」(てんもうかいかい、そにしてもらさず)―-木村氏の逮捕について植草 一秀さんは、こう書いている(植草 一秀「木村剛氏逮捕『売国者たちの末路』を見定める」2010年7月15日)。「天網は目があらいようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある」との意味だ。
小泉・竹中構造改革路線はアメリカ型の弱肉強食の論理で日本の経済や社会をズタズタにした。勝ち組は、焼け太りした大金融資本と多国籍大企業およびその関係者であった。
植草 一秀さんは、上記のブログで、竹中―木村コンビの「不透明な」問題を五つ例示する。
①2002年10月に発表された「金融再生プログラム」は竹中氏が組織し、木村氏がメンバーとして参加したプロジェクトチームがまとめたものである。重大な問題は、このなかの「中小企業貸出に関する担い手の拡充」のタイトルの下に、「銀行免許認可の迅速化」の文言が盛り込まれたことだ。日本振興銀行は2003年8月に予備申請を行い、2004年4月に開業している。驚天動地のスピードで銀行免許が付与されたのである。
②金融再生プログラム策定過程で、木村氏は繰延税金資産計上(米国基準の企業会計や商習慣の確立を目指して導入された)ルールの変更を試みた。結局、ルール変更は見送られたが、この動きは、銀行の自己資本不足誘導→外資による日本の銀行収奪の目的に沿って提案された疑いが濃厚である。
③竹中金融行政はりそな銀行を標的に定めたが、その詳細を追跡すると、りそな銀行実質国有化全体が、大きな謀略そのものであったことが明らかになる。りそなを倒産に追い込むように仕向けながら実質国有化で救ったのは、日本の株式市場操作そのものであった。米国ファンドはしこたま儲けたはずである。
④日本振興銀行が木村氏の親族企業(実質は木村氏本人)に対して実行した融資が不正融資に当たるのではないかとの問題が浮上したが、木村氏は摘発されなかった。
⑤今回の逮捕は検査妨害を理由とするものである。被疑事実は社内メールの削除を指示したというものだが、なぜ、メールを削除しなければならなかったのかが、今後の問題になる(植草 一秀 同上)。

 小泉・竹中経済政策がいかに売国的で反国民的であったかは、年々歳々、明白なものとなっている。“日本は貧しくなった”と言われる。だがそれは単に経済的な意味だけでなく、はるかに精神的に貧しくなったように思われる。つまり、すべてが劣化したというか、劣悪になった感じだ。小泉―竹中コンビが5年半も存続したことが、すべての始まりだったように思えてならない。


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