プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「無保険の子ども」 約3万3千人  日本では貧困は見えにくい

2008-10-29 20:19:34 | 政治経済
国民健康保険(国保)の保険料を滞納して保険証を返還させられ、公的医療保険を使えない中学生以下の子どもが全国1万8302世帯、3万2776人に上ることが28日、厚生労働省の調査で明らかになった(「朝日」10月29日)。
学校の保健室にくる子どもで、“先生、保険証がないから病院へ行かれへん”という子が増えているという。日本では、道で物乞いをする人を余り目にしない。物乞いは、恥とでも思っているのだろうか。日本政府は正式な貧困調査を行おうとしない。貧乏に対してスティグマ(stigma)観念を与え、「日本においては貧困は大きな問題ではない」(竹中平蔵前総務大臣)と言い張っている。日本では貧困は見えにくいのだ

日本に貧困が存在しないのではない。日本では貧困は見えにくくされているのだ。生活保護を受給できずに困窮して餓死してしまったという 悲惨な事件をしばしば耳にするところだ。生活保護受給世帯は2004 年に100 万世帯を越え, 受給者数は百三十数万人となっており、その後も増え続けている。 生活保護制度の捕捉率を仮に20%とした場合, 最低生活基準程度の所得しか得ていない世帯数は約5 倍の500万世帯以上ということになる。

神戸大学の二宮厚美教授は、小泉政権の下での構造改革により生じた、格差の二重構造と貧困の拡大を次のように説明する。すなわち資本の労働力に対する「支配関係にもとづく格差」「階級格差」と、労働者ないし国民内部に相互間の「差別関係にもとづく格差」「分断的格差」(例えば正規社員と非正規社員、一般国民と社会的弱者間の格差) が生まれ、後者の広がりは前者を強めるとする。このことは、一部の業種・企業にもたらされた収益アップ、 及び経済成長はそこに留まり、 社会格差が解消されず深刻化することをもたらす。このような格差社会化は、教育権、 労働権を侵害し, 社会の底辺にさまざまな貧困問題を堆積させていく(二宮厚美「新自由主義的格差社会化の構造とその克服視点」,賃金と社会保障1427 号)。

子どもの貧困は、日本の貧困のなかで、社会問題としていっそう見えにくい。なぜなら、子どもの養育は、一定程度家族に依存し、家族依存の程度が高い社会ほど、親の養育責任の問題として意識され、社会問題となりにくいからだ。しかし、親や家族の「自助努力」を強調するだけでは、子どもの負う不利と貧困は強化されるだけである。そして家族の責任の名の下に問題が隠蔽される。

厚労省が「無保険の子ども」の全国調査を初めておこなった。
親が国民健康保険の保険料を払えないために国保証を取り上げられ、無保険状態になっている子どもは、親の自己責任に帰することができない社会問題だ。
国保料を一年以上滞納している世帯に対し、国保証の取り上げと引き換えに資格証明書の発行の義務付が実施されたのは、2000年以降である。発行を義務づけた国保法改悪(1997年)には、当時の自民、民主、社民の各党が賛成。日本共産党は反対した。資格証明書では保険がきかず、医療機関の窓口で医療費の全額(十割負担)を支払わなくてはならないから、要するに「無保険」ということだ。

保険がないと、お金がなくて病院に行けない、子どもが高熱を出しても虫歯があってもぜんそくでも、保険証がなくて医療を受けられないという状態が現にあるのだ。子どもは親を選択できない以上、親の無保険について子どもには罪はない。子どもが健やかに育つための施策を行うことは、社会全体の責任である。子どもから医療を奪う政治は、総選挙でも大きく問われる問題だ。まじめに働いて子育てしたいのに不安定雇用しかなく、高い国保料が払えず、子どもまで無保険状態に陥るといったことが特別な人間の問題でないところに日本のいまの政治の貧困があるのだ。

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