プロメテウスの政治経済コラム

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“靖国派”自民と“政教一致”の公明――“最悪コンビ”の安倍政権  暴走の根底にあるもの

2007-05-31 19:13:57 | 政治経済
「消えた年金」問題が内閣支持率急落の原因だとあせった安倍自公政府は、29日にいきなり「年金時効特例法案」を提出。30日の衆院厚生労働委員会で4時間あまりの質疑で強行採決してしまった。そもそも、「消えた年金」問題にたいして国が年金業務にどう責任をもつのかが問われているのに、25日には、社会保険庁を解体し、年金業務を民間に委託して、国の責任を放棄する社保庁解体・民営化法案を自公与党だけで強行採決していた。29日の衆院本会議でこれまた強行採決の予定であったが、28日に松岡利勝農水相が自殺をし、これ以上の支持率低下は大変と安倍首相の音頭で慌てふためいて「消えた年金」特例法案を急遽しつらえ、これと抱き合わせで31日の衆院通過を狙うこととなった。なりふりかまわず、内容などどうでもよいと数の力で質疑を打ち切る姿勢は、安倍政権の国会運営の一貫したやり口である
「時効特例法案」は、付け焼き刃もいいところで、政府の責任だといわれたくないと議員立法で提出したが、法案提出者が答弁不能に陥り、柳沢厚労相が代わりに答弁に立つお粗末ぶりである。

近代は、市民革命とともにはじまる。封建社会は、身分的不平等を前提とする搾取の体系であった。農民は自由に土地をはなれることを許されなかったし、職業選択の自由、営業の自由、市場の自由もなかった。これらの不自由を打ち破り、市民の自由と権利を国家に認めさせ、国民主権主義の理念のもとに市民憲法、近代憲法がつくられた。
市民革命を経過した国では、①人間の経済活動の自由(財産権の自由、営業の自由など)、②人間の精神活動の自由(言論・集会の自由、結社の自由、思想・良心の自由、学問の自由、宗教の自由など)、③人間の身体の自由(不当に逮捕されない権利、裁判を受ける権利など)といった三本柱の市民的自由が確立された。
ところが、日本の場合、明治維新は市民が勝ち取った市民革命ではなかった。自由民権運動やさまざまな大衆運動、社会主義運動は、天皇制国家によってすべて弾圧されてしまった。非常に速いスピードで資本主義化が進んだが、本当の意味で市民社会は出てこなかった。天皇制憲法のもとでは、国民主権がないし、基本的人権もなかった。国家の法律の枠内での臣民の権利だけであった。国家権力の行使を抑える、あるいは公務員の行動を抑えるという意味での法という考え方は、わが国では育たなかった(渡辺洋三『新版日本憲法の精神』)。 。
政府提案立法が、議会で十分議論されないでそのまま通過する背景には、天皇制行政国家体制の伝統が強いことがある。日本の政治家と官僚が癒着と横着を決めこむ要因ともなっている。

“靖国派”とは日本が過去にやった戦争を“すばらしい戦争”と思い込んでいると同時に、あの戦争をやった日本の国家と社会を「美しい国」だったと思い込んでいる連中である。天皇を頂点にいただき、子どもたちと一般国民は「教育勅語」で、軍人・兵隊は「軍人勅諭」で統一され、国全体が一致団結していた、社会的には職場も家庭も「オトコ社会」の秩序できちんと統制されていた、それが日本という国の美しい伝統だった、と思い込んでいるのだ。彼らによれば、いまの日本国憲法の罪は、九条の平和条項だけではなく、民主主義の体制をもちこんで戦前・戦時の美しい社会秩序を過去のものとしてしまった、ここに大きな罪があると考えているのだ(不破哲三「憲法対決の全体像をつかもう――憲法改定派はどんな日本をつくろうとしているか」「しんぶん赤旗」5月9日)。

“靖国派”が政権の中枢を占める安倍政権には、憲法の国民主権のもとで公務員の活動がしばられるとか、三権分立での国会の役割とかおよそ近代政治の諸原則を念頭におく発想がもともとない。ここに自己に反対するものを「仏敵」として打倒の対象とし、目的のためには手段を選ばない公明党が加わればどうなるか。まさに国民にとって“最悪コンビ”となるほかない。
しかし、この“最悪コンビ”の暴走も国民の主権行使、選挙によってとめることができる。戦争という大きな犠牲によって、われわれは市民革命を成し遂げ、日本国憲法という近代をこえた現代憲法を手にしているからだ。

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