プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

横井さん、リエンさん感動の出会い――反戦歌が結ぶ日本とベトナム

2007-05-10 23:04:16 | 政治経済
リエンさんは、フエを訪れた日本人に「戦車は動けない」を歌った女性歌手のことを聞いてまわった。そして昨年やっと茨城大学人文学部教授の伊藤哲司さんから、その歌手が横井久美子さんで、現在も活躍中であることを教えてもらう。
「1.戦車は動けない>このまちの橋をわたって>銃口をベトナムに>子どもらをねらいうつ>戦争は通さない > 戦車は動けない

この歌です!この歌ですよ、伊藤さん! 私は伊藤さんのメールを読みながら、泣いています。・・・伊藤さんのおかげで、私の子供ころの記念する事が起きました。伊藤さんのおかげで、横井久美子歌手がまだ日本で活躍している事 が分かりました。 奇跡が起きているのを信じています。本当に、いつか あの歌手に会うことを祈っています。」(Kumiko Yokoi Webより)

2002年8月3日、「戦車闘争から三十年、ベトナム代表団歓迎・交流の集い」が相模原市で開かれた。冒頭には地元市民が制作した「ドキュメント・相模原72 戦車を止める闘い」が上映され、巨大な戦車群に素手で立ち向かう市民の闘いのエネルギーが映像を通して会場内にゆきわたる。小田実さんが記念講演を行い、「アメリカ善玉論の仮面を引きはがしたのがベトナム戦争だ。過去の出来事として回顧するのではなく今日のアフガニスタンや中東での戦争、日本での戦時(有事)立法化の動きに立ち向かうための視点をベトナム反戦闘争から学ぼう」と訴えた(「この戦車をベトナムに送るな!」かけはし2002.8.12)。
「戦車は動けない」は、この市民のたたかいの歌である。

5月3日フエのレストランの会場でリエンさんは、横井さんと感動の初対面を果たした。ステージであいさつした横井さんは「昨年4月にリエンさんにメールをいただいてとてもうれしかった。歌手として38年間、うたってきてこんなに幸せに思ったことはありませんでした」・・・あとは涙にむせんで聞き取れなかった。リエンさんも感動で言葉を詰まらせながら日本語で語った。「34年前に一人の歌手が戦争中のベトナムに来て歌いました。彼女の歌声は私をはじめ、ハノイの市民に力を与えてくれました。あの時の歌声が今でもまだ聞こえているようです。今日ここでその歌手にお目にかかりました。夢みたいです」(「しんぶん赤旗」2007年5月10日)。

今年、一月ベトナムを訪問した日本共産党の志位委員長は次のように語っている。
「ベトナムでは、アメリカによる侵略に反対するベトナム人民の抗米救国戦争に連帯した日本共産党や民主団体の連帯のたたかいが、どこでも生々しい記憶として残っています。私たちがホーチミン市の戦争証跡博物館にいきますと、『日本コーナー』がありまして、なつかしい日本のベトナム人民連帯のポスターがはってあります。この歴史がベトナムの人々との連帯の絆(きずな)として、いまも生きていることを強く感じました」(「しんぶん赤旗」2007年3月27日)。

ベトナム戦争が世界の注目を浴びていた、60年代後半から70年代はじめ青年時代を過ごした人々のうちの少なくない部分が、ベトナム反戦運動に自ら参加するか、しないまでも運動を記憶にとどめている。当時日本政府と軍需産業は米軍のベトナム侵略に加担し、国内では米軍のあらゆる兵器・弾薬の補給・修理・整備を行っていた。また大量の軍需物資を米軍に供給していた。爆撃機は沖縄嘉手納基地から出撃し、連日南北ベトナムに膨大な量の爆弾と地雷と枯れ葉剤とを降らせた。
安倍改憲策動が重大局面を迎えるなかで、現在50歳から60歳の「ベトナム反戦世代」が若者に歴史を教え、ともに立ち上がる役割がかつてなく大きくなっていると思うのだ。

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