プロメテウスの政治経済コラム

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自衛隊が「自衛軍」になるとき

2005-11-24 19:00:24 | 政治経済
自民党は22日、「立党50年記念党大会」を開き、「新憲法草案」を正式に発表した。現憲法の第9条2項を全面削除、第9条の二を新設し、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。」と定め、自衛隊を正式に自衛軍という「軍隊」に格上げした。憲法改正派は、自衛隊が「自衛軍」となっても、第9条には、依然として現憲法の「戦争放棄」条項が残り、志願兵制もそのままなので、実質的には、特に変わるところはない、憲法を現実に合わせただけと主張する。しかし、「自衛軍」が設置されたときから、「現実」は、一変する。現実を追認するだけなら、憲法を改定する必要はないのだ。
自民党草案では、「自衛軍」の設置にあわせ、「軍事裁判所」(軍法会議)も設置されることになっている(第76条)。「自衛軍」の軍人は、一般の裁判所ではなく、軍内部の特別裁判所で裁かれる。現在、在日米軍が治外法権的存在となっているが、これに「自衛軍」が加わるのである。軍隊の存在が憲法によって公認されるということは、<軍の論理>が新たな強制力をもって、人々の日常生活を支配することを意味する。アメリカに見るように戦争をする国では、必ずマスコミを使った情報操作が行われ、軍や国家に批判的な人々を異端者、非国民として弾圧する。石原都知事の国旗・国歌の強制が全国の学校に波及する。
改憲派にとって最大の障害となっているのは、現憲法第9条②項(戦力不保持、交戦権否認)のとりわけ、交戦権否認である。これを破棄することが、今回の憲法「改正」のすべてだと言っても過言でない。自衛隊の軍事力は解釈改憲を積み重ね、「自衛のための必要最小限度」を優に超えるレベルとなった。しかし、いくら戦力はあっても、交戦権がないから、専守防衛以外で(日本の領土の外=海外で)戦争できない。インド洋でもイラクでも「武力による威嚇又は武力の行使」は、現憲法下の自衛隊である限り永久に制約される。アメリカ軍とともに海外の戦場に出る自衛隊であるためには、現憲法第9条②項を破棄し、「自衛軍」となることが、絶対に必要なのだ。
自衛隊が「自衛軍」になるということは、専守防衛を投げ捨て、海外で戦争するということである。日本の防衛のためには軍事力が必要だと考える人も海外で戦争する(アメリカの有志連合の一員として戦う可能性が1番高い)のは、反対という人が多いのではなかろうか。自衛隊は「自衛軍」になってはならないのだ。


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