プロメテウスの政治経済コラム

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“派遣切り”まるで人ごと経団連春闘方針  企業の社会的責任と経営者の職業倫理 

2008-12-17 16:47:14 | 政治経済
「労働者の使い捨ては許さないぞ」。全労連などでつくる国民春闘共闘委員会は16日、派遣労働者らの雇用を守るよう大企業の社会的責任を求め、日本経団連会館前で抗議行動を行った。約300人が「大企業のボロもうけを労働者に回せ」などと唱和した。財界側の春闘方針である「経労委報告」の発表にあわせた緊急行動である(「しんぶん赤旗」2008年12月17日)。かつての日本的経営というのは、不況になっても簡単には首を切らなかった。一時帰休をやったり、残業を減らしたり、関連企業に一時派遣をするなど、いろんなやり方で長期雇用を守ってきた。いま、世界不況で少し減産が始まると横並びでリストラ・首切りを競っている。企業の社会的責任と経営者の職業倫理はどこへ行ってしまったのか。こんなことで企業の「競争力」を本当に高めることができるのか。

今回のいわゆる“派遣切り・期間工切り”の最初の引き金を引いたのはトヨタだった。8月段階でトヨタ自動車九州で800人の派遣労働者を切った。このことが引き金になり、“あのトヨタがやっているんだから”ということで、横並びで自動車業界に広がり、それが電機産業に及び、他の産業にも広がった。一つ一つの企業にとってはリストラ・首切りで、その瞬間は財務状況はよくなるかもしれないが、みんながやり出したら景気の底が抜けてしまう。典型的な「合成の誤謬」である。日産のカルロス・ゴーンのようなリストラをみんなが一斉にやれば、社会全体として消費需要と投資需要の下落により平均的には企業の利益率が低下することは明らかだ。自分の会社の従業員の賃金を出来るだけ抑えておいて、他の会社の従業員は、自社の製品を買うだけの十分な賃金をもらっていると錯覚するのと同じである。これが「不況」の基本的な仕組みであり、常に過剰生産に悩む資本主義の根本矛盾である。
日本経団連の09年春闘方針・経営労働政策委員会報告は資本家のこの悩みをズバリ表明するものとなっている。景気悪化を「資本主義にとって脅威」と危機感をあらわにし、「消費者マインドの冷え込みが著しい」といいながら、「賃金上昇は国際競争力の低下を招く」と賃金抑制を強調し、いまや日本経済の建直しは、内需拡大による経済回復という常識にも背を向けるのだ。

伝統的なオーナー企業の場合、支配的株主がそのまま会社の経営も担い、利益分配も思いのままであった。ところが、20世紀に入り、株式会社が発展し、資本の集中と集積の結果である巨大企業が成立すると、資金を提供する株主が、自分たちとは別に経営者を選出し経営をその人々にまかせる、いわゆる「資本と経営の分離」がすすんだ。また、小株主などが大量に生まれるようになった。専門的経営者は、価値の自己増殖運動体である資本の人格化としての資本家の意向から相対的に独立することが可能となった。会社は、「株主主権」的会社から、「共同体」的会社となった。
「会社は誰のものか」と問うと、「株主のもの」という答えがよく返ってくる。そして、「経営者」は、委任契約にもとづく株主の代理人だと言われる。しかし、これらは俗説であってすべて間違いである。株主が持っているのは会社の「株式」であって、会社ではない。このことは、株主が会社の製品を勝手に使用することも処分することもできないことから明らかである。会社とは株主から独立した主体である。また、経営者は株主の代理人でもない。株主が望むと望まないとに関わりなく、会社の機関として経営者は存在しなければならない。株式会社の経営者とは、会社の「信任受託者」なのだ(岩井克人『会社はこれからどうなるのか』平凡社2003)。

「信任」受託者とはなにか。信任とは、英語のFIDUCIARYに当たる日本語である。フィデュシャリーとは、別の人のためにする仕事を信頼によって任されていること、と定義される。その典型は、意識不明の患者を手術する医者である。患者と医者との関係は契約関係ではない。医者はまさに医者であることによって、患者のために高い職業倫理をもって手術にあたるのだ。医者は、患者の生命を信頼によって任されている―信任受託者である(岩井 同上)。
御手洗冨士夫日本経団連会長(キヤノン会長)は9日の記者会見で、最近の目に余る大企業の派遣労働者、期間労働者などの解雇について、経営者にとっても「苦渋の選択」などと述べた。この師走の寒風のなか、職場を失い、寮からも追い出されたならば、いったいどうやって年を越せばよいのか。「苦渋の選択」などという空々しい物言いを聞くと、日本の経営者は「大企業の社会的責任」をいったいどう考えているのか、「職業倫理」はどこへ行ったのかと問いたくなる。
米国かぶれの株主資本主義に染まった経営者のゆがんだ「職業倫理」を変えさせることができるのは、労働者と国民のたたかいしかない。野党3党(民主、社民、国民)の雇用対策4法案について、自民党細田幹事長は、これを破綻した社会主義の政策と同じだと批判した。アホか!合理的な理由のない解雇をやってはならないというのは、資本主義であっても、当然の国際的ルールであり、経営者の当然の「職業倫理」なのだ

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