プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

米自動車3社(ビッグスリー)の救済劇から見えてくるもの―その文化的・社会的側面―

2008-12-16 21:59:56 | 政治経済
米自動車3社(ビッグスリー)の救済劇が迷走している。議会では3社につなぎ融資を与える法案が上院を通過せず事実上の廃案になった。ホワイトハウスは金融安定化法に基づく公的支援を検討している。急速に悪化する世界経済への影響も考えれば、経済的緊急対策の論議が中心になることは当然ではある。ただ今回の経済危機からの回復を目指すとき、アメリカ主導のグローバル資本主義とはなにであったのかについて単に経済的側面だけでなく、その文化的・社会的側面も含めて深く内省する必要があるのではないだろうか。アメリカ的消費主義に追随して成長して来た日本経済のあり方をそのままの形で再生させるのでは意味がないのではないか。

いま世界の自動車市場がリーマンショック以後急変している。アメリカの新車販売は10月からフリーフォール(垂直落下)である。ビッグスリーだけではなく日本メーカーも同様である。とくにトヨタの落ち込みが激しい。もはや米系も日系もなく、大型も小型もなく、自動車と名の付くすべてが真っ逆さまに坂を転げ落ちている(『週刊東洋経済』2008.12.20)。
自動車産業からはじき出される大量の失業者の雇用確保・貧困対策は喫緊の課題である。ビッグ3は、米国で20万人以上を雇用し、周辺産業を含め大量失業は免れそうにない。ビッグ3に投融資する金融機関の経営不安にも波及し、金融危機がいっそう深刻化することも予想される。
日本でも減産の波は全国を一気に駆けめぐっている。日系メーカー合計の減産幅は国内で80万台、海外で100万台超に及ぶ。今回のいわゆる“派遣切り”・雇用破壊の最初の引き金を引いたのはトヨタだった。8月段階でトヨタ自動車九州で800人の派遣労働者を切った。このことが引き金になり、“あのトヨタがやっているんだから”ということで、横並びで自動車業界に広がり、それが電機産業に及び、他の産業にも広がった。

ソ連崩壊をきっかけとして1990年代初頭に隆盛を極めた「資本主義万歳」論や「社会主義終焉」論は、いまや見る影もない。世界的な貧困の拡大や地球環境破壊などが進むなか、アメリカのサブプライムローン問題をきっかけとした、底の見えない世界的な経済危機に直面して商業マスコミがとりあげる「資本主義は限界か」の問いかけが現実味をもって語られる情況だ。
各国政府は、財政・金融政策をはじめ、あらゆる政策を動員して世界経済崩壊の危機からの脱出を目指して必死である。1929年にはじまる世界大恐慌の際には、一方におけるロシア革命の成功とソ連の順調な生産拡大を横目に資本主義諸国は体制の存亡が問われた。米国のルーズベルト大統領は、ニューディール政策をとり、ケインズ主義的帝国主義国として第二次世界大戦に参戦した。結果的には、この戦争景気のおかげでアメリカ経済は繁栄を取り戻したのだった。

世界恐慌の再来といわれる経済状況の中で、オバマ・新ニューディール政策がいま世界の注目を集めている。ビッグスリーの救済には、厳しい再建・リストラ計画が条件といわれており、「労務コストをトヨタ自動車など在米外資なみに下げる」ことも条件のひとつと言われている。アメリカで比較的闘争力のあった全米自動車労組もこうして組合つぶしの憂き目にあっている。ちなみに米国内の日系メーカーはすべて、安い労働力が確保できる、組合の組織力のないところに立地している。
自動車市場のフリーフォール(垂直落下)を目の前にして、今アメリカ国民にそして、私たちに問われているのは、交通を「自家用車」主導とする「車文化」のあり方、「車文化」に象徴されるアメリカ資本主義的な大量生産、大量消費のあり方ではないだろうか。自家用車に代わる交通体系は考えられないのか

アメリカ経済は量的には世界への影響力を強くもっており、これまで資本主義世界を主導してきた。しかし、経済の質の面ではすでにEUよりも未発達なむしろ遅れた資本主義になっているといってよいだろう。アメリカや日本で資本の野蛮な本性の発揮をゆるしているのは、資本の論理に対抗する社会の力が未熟だからである。労働運動の力、市民運動の力、あるいは政党の力が育ち、それによる規制が加われば、資本は一定の文化的な行動を余儀なくされる。世界的な経済危機だからこそ、人間の生存権を保障するという経済の根本に立ち戻って、資本の蓄積衝動に振り回されない、資本主義的消費文化に対抗する新しい文化を模索することが求められているのではなかろうか

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