3日からの核不拡散条約(NPT)再検討会議を前にして2日にニューヨークで開かれた「核兵器のない世界のための国際行動デー」のパレードとリバーサイド教会で開催された公開シンポジウムをメインにニューヨーク行動に参加してきた。全体として、「核兵器のない世界」を築くという意思、この歴史的チャンスを必ず生かしたいという思いは、特定の大国の支配層を除いた草の根では、文字通り国際社会の圧倒的多数の流れとなっていると実感できる熱気溢れるニューヨークを体験できた。世界の民意は核兵器廃絶であり、日本の市民運動の役割を特別の関心をもって見つめる世界の人びとの姿がそこにあった。
「しんぶん赤旗」5月4日付より
「核兵器のない世界を」―。3日から始まる核不拡散条約(NPT)再検討会議前日の2日、核兵器廃絶にむけ世界的な世論と運動を強めようと、100人の被爆者はじめ、日本や各国の平和・反核活動家が「国際行動デー」に取り組んだ。前日までは涼しかったとのことだが、8月のような暑さのなか、ブロードウェー42丁目(タイムズ・スクエア近く)で始まった集会は、300メートル以上南の38丁目まで1万人を超える参加者で溢れた。日本人も、外国人も、思い思いのプラカード、横断幕、さらに音楽や踊りでパフォーマンス。歩道で見ていた市民ともあちこちで連帯の交流の輪が広がった。行進は42丁目で東に曲がり、国連に向かうことになっていた。私は、行進のかなり後ろだったので、歩き始める前の集会スピーチの様子は道路脇に設置されたスピーカーからだけ聞くことになり、全体として長時間に及んだため、炎天下で行進前にかなり疲れた。
集会が長引いたことは、日本からの国連署名提出のスケジュールにも影響したようだ。署名を受け取ってくれるドゥアルテ国連上級代表(軍縮担当)、第8回NPT会議議長のカバクチュラン・フィリピン国連大使らは、日曜日なので、国連ビルの外で待機していたが、約束の時間より1時間遅れることとなった。しかし、いやな顔ひとつせず、「私は、署名を受け取るために、今日来ています。皆さんのことを、ここで待ちます」と感動のコメント。原水協代表団と気楽に懇談して待ってくれたという。さらに二人は署名のダンボール箱が積み上げられたハマーショルド広場まで「皆さんの署名をこの目で見たい」と警備警察を説得して出向いてくれたという(残念ながら、後ろの方の私がハマーショルド広場に着いたころには、すべて終わっていたことだが)。
核不拡散条約(NPT)再検討会議の成功に向け、ニューヨークで会議主催者、国連関係者、各国代表団との要請・会談に精力的にとりくんだ日本共産党の志位和夫委員長が言うように、「核兵器のない世界」をつくろうとしたら、核軍縮の個々の部分的措置をすすめることも大事だが、それを積み重ねていけば核兵器がなくなるということにはならない。それと一体に、また同時並行で、核兵器廃絶を主題とした国際交渉を開始する必要がある。そのために日本共産党は、会議主催者、国連関係者、各国代表団らに要請するA4一枚のペーパーを用意した。その中身は、きわめてシンプルである。第一は、2000年のNPT再検討会議での核保有国による核兵器廃絶を達成する「明確な約束」を再確認すること。これは会議成功の土台となるものである。第二は、核兵器廃絶のための国際交渉を開始する合意をつくること。これは「核兵器のない世界」にすすむうえで核心中の核心の問題である。
米国による核脅迫のもと、核開発疑惑が北朝鮮やイランなどまでに広がっている。米国はNPTをたてに核兵器を開発する国に圧力をかけてきたが、ブッシュ政権の姿勢はNPT体制自体を掘り崩すものだった。
オバマ米大統領の「核兵器のない世界」の提唱は、歴史的に核軍拡を推進してきた米国が、初めて廃絶を国家政策にするという重要な動きである。今年の再検討会議では、00年の「明確な約束」を再確認し、その土台にたって廃絶に向けて具体的に前進する絶好のチャンスが生まれていることは確かである。
ただ、オバマ政権は核拡散が米国にとっての最大の脅威だとみなし、保有国による核独占を前提にしたNPT体制の強化を目標としており、廃絶に踏み出すにはなお距離がある。世界の反核世論が各国の支配層を動かし、廃絶のための交渉の開始に道を開くことが求められている。今度、ニューヨーク行動に参加してみて、日本の市民運動の特別な役割を改めて実感した次第である。
「しんぶん赤旗」5月4日付より
「核兵器のない世界を」―。3日から始まる核不拡散条約(NPT)再検討会議前日の2日、核兵器廃絶にむけ世界的な世論と運動を強めようと、100人の被爆者はじめ、日本や各国の平和・反核活動家が「国際行動デー」に取り組んだ。前日までは涼しかったとのことだが、8月のような暑さのなか、ブロードウェー42丁目(タイムズ・スクエア近く)で始まった集会は、300メートル以上南の38丁目まで1万人を超える参加者で溢れた。日本人も、外国人も、思い思いのプラカード、横断幕、さらに音楽や踊りでパフォーマンス。歩道で見ていた市民ともあちこちで連帯の交流の輪が広がった。行進は42丁目で東に曲がり、国連に向かうことになっていた。私は、行進のかなり後ろだったので、歩き始める前の集会スピーチの様子は道路脇に設置されたスピーカーからだけ聞くことになり、全体として長時間に及んだため、炎天下で行進前にかなり疲れた。
集会が長引いたことは、日本からの国連署名提出のスケジュールにも影響したようだ。署名を受け取ってくれるドゥアルテ国連上級代表(軍縮担当)、第8回NPT会議議長のカバクチュラン・フィリピン国連大使らは、日曜日なので、国連ビルの外で待機していたが、約束の時間より1時間遅れることとなった。しかし、いやな顔ひとつせず、「私は、署名を受け取るために、今日来ています。皆さんのことを、ここで待ちます」と感動のコメント。原水協代表団と気楽に懇談して待ってくれたという。さらに二人は署名のダンボール箱が積み上げられたハマーショルド広場まで「皆さんの署名をこの目で見たい」と警備警察を説得して出向いてくれたという(残念ながら、後ろの方の私がハマーショルド広場に着いたころには、すべて終わっていたことだが)。
核不拡散条約(NPT)再検討会議の成功に向け、ニューヨークで会議主催者、国連関係者、各国代表団との要請・会談に精力的にとりくんだ日本共産党の志位和夫委員長が言うように、「核兵器のない世界」をつくろうとしたら、核軍縮の個々の部分的措置をすすめることも大事だが、それを積み重ねていけば核兵器がなくなるということにはならない。それと一体に、また同時並行で、核兵器廃絶を主題とした国際交渉を開始する必要がある。そのために日本共産党は、会議主催者、国連関係者、各国代表団らに要請するA4一枚のペーパーを用意した。その中身は、きわめてシンプルである。第一は、2000年のNPT再検討会議での核保有国による核兵器廃絶を達成する「明確な約束」を再確認すること。これは会議成功の土台となるものである。第二は、核兵器廃絶のための国際交渉を開始する合意をつくること。これは「核兵器のない世界」にすすむうえで核心中の核心の問題である。
米国による核脅迫のもと、核開発疑惑が北朝鮮やイランなどまでに広がっている。米国はNPTをたてに核兵器を開発する国に圧力をかけてきたが、ブッシュ政権の姿勢はNPT体制自体を掘り崩すものだった。
オバマ米大統領の「核兵器のない世界」の提唱は、歴史的に核軍拡を推進してきた米国が、初めて廃絶を国家政策にするという重要な動きである。今年の再検討会議では、00年の「明確な約束」を再確認し、その土台にたって廃絶に向けて具体的に前進する絶好のチャンスが生まれていることは確かである。
ただ、オバマ政権は核拡散が米国にとっての最大の脅威だとみなし、保有国による核独占を前提にしたNPT体制の強化を目標としており、廃絶に踏み出すにはなお距離がある。世界の反核世論が各国の支配層を動かし、廃絶のための交渉の開始に道を開くことが求められている。今度、ニューヨーク行動に参加してみて、日本の市民運動の特別な役割を改めて実感した次第である。