プロメテウスの政治経済コラム

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サ条約・安保60年  沖縄返還40周年  「沖縄交流の旅」に参加して

2012-05-01 20:30:38 | 政治経済

私は、4月22日~25日、「沖縄返還40周年  全国で最初にできた沖縄AALA50周年  普天間基地撤去・辺野古新基地建設反対連帯・交流ツアー」に参加した。大阪AALAの主催だった。沖縄戦の戦跡を訪ねるとともに、辺野古の団結小屋や高江ヘリパッド建設反対テントも訪問した。沖縄から日本政府を見た場合、日本人の課題が良く見える。折しも、野田首相が訪米中である。対米従属、半主権国家の日本政府は、沖縄返還40周年の年に相も変わらず、「日米同盟をさらに深化、発展させる」である。しかし、基地被害の犠牲をこれ以上、沖縄に押し付けることはできない。戦後67年間、巨大な米軍の暴力に非暴力で対峙してきた沖縄の人びとの日本政府に対する侮蔑と怒りの意思は固い。 

60年前の4月28日、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効した。日本は、敗戦後の占領から形式的に「独立」を回復したが、沖縄は、サ条約3条で本土から切り離され、異民族支配と広大な基地を押し付けられた。沖縄では、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ。官軍民共生共死のスローガンのもと、あらゆる犠牲に耐えて沖縄戦を戦った人びとを私たちは、異民族支配のもとに追いやってしまったのだ。米軍は沖縄占領とともに基地を拡大し、土地収用に抵抗する住民には「銃剣とブルドーザー」による強制土地取り上げで応じた。しかし、沖縄の人びとは、米軍の圧倒的な武力を前にたじろぐことなく、非暴力で苛烈な異民族支配に抵抗し、1972年5月、遂に祖国復帰を勝ち取った。

それから間もなく40年が経つ。しかし、沖縄の日本復帰後も、沖縄の人びとが基地負担の重圧に苦しむ状況は、何ら変わらなかった。反帝独立闘争の勝利の結果が、同じ課題を抱える対米従属、半主権国家の日本への帰属であったからだ。形式的に「独立」を回復した日本人は、米軍基地を沖縄に押し付け、対米従属で経済成長を追求するうちに反帝独立の課題を忘れてしまい、いまや右翼愛国主義者までが、米国に擦り寄るありさまである。在日米軍基地の約74%が今なお0・6%の面積の沖縄県内に集中していることについて多くの日本人は、いつの間にか、その事実すら忘れたかのようである。

4月28日の琉球新報社説は、次のように告発する。
<60年前と一体、何が変わったのか。日米両政府が27日に発表した在日米軍再編見直しの共同文書にこんな印象を抱く県民が多いのではないだろうか。・・・「沖縄における米軍のプレゼンス(駐留)の長期的な持続可能性を強化する」。共同文書は記す。戦後67年も基地被害に苦しんできた沖縄に、長期にわたって基地を置き続けるという日米の狙いがはっきりした。条約発効から60年後の「屈辱の日」前日に、新たな「屈辱」が重ねられる。沖縄をいつまで日米安保の踏み台にするのか。>

私たちは、<沖縄をいつまで日米安保の踏み台にするのか>という沖縄の人びとの悲痛な叫びにどう応えるべきなのか。辺野古の団結小屋の安次富 浩さんたち、高江ヘリパッド建設反対テントの伊佐真次さんたちは、米軍にではなく、日本の沖縄防衛局によって苦しめられている。私たちの同胞が、よりによって異民族米国の手先となりさがった日本政府によって苦しめられているのだ。直接の異民族支配よりも、もっとタチが悪い
 

今回のツアーで、沖縄戦の戦跡を案内してくれた平和ガイドの横田さんは、戦場に投げ込まれた沖縄県民の悲惨な歴史事実の説明とともに、意識的に韓国の人びとが建立した戦争記念碑を案内してくれた。沖縄戦で帝国軍隊が、沖縄住民に加えた数々の蛮行は、沖縄県民にとって一方的な被害であるが、帝国軍隊は、朝鮮半島、中国大陸でも数々の蛮行を加えた。沖縄戦をアジア大陸での戦争と結び付けて考える。これが、平和ガイドさんの問題意識であった。日本人として、戦争の被害とともに加害の事実も合わせて、平和の問題を考えたいということである

大陸での戦争と沖縄戦を結びつけて考える場合、南京で捕虜の大量殺害を指示した参謀が沖縄軍参謀長長勇であったということや、南京攻略に参加した第9師団が、一時期沖縄守備軍の主力として配備されていたということが真っ先に頭に浮かぶが、それだけではない。沖縄の渡嘉敷に駐留していた中隊長で、後に陸将補になった人物が次のように語っているという(林 博史「南京から― 虐殺の現場にて」『軍事民論』特集第46号1986年10月)。
<「沖縄戦は明治以来、外地ばかりで戦争してきた日本軍が、はじめて経験した国土戦でした。戦争が始まる前に国土戦のやり方を決めておくべきだったが、それがなかったので、外地の戦場でやってきた慣習をそのまま国土戦に持ちこみ、沖縄戦の悲劇がおこったのです。>
沖縄県民の多くが、米軍の捕虜になれば女性はすべて暴行され、男女とも皆戦車でひき殺される、という噂を信じ込まされたが、これなど、自分たち日本軍が中国などでおこなってきたことを類推したまでのことだ。この軍の誘導で、多くの県民が、「集団自死」に追い込まれたのだった

敗戦後の占領から形式的に「独立」を回復してから半世紀以上たつのに、いまだに外国の軍隊が首都を含む全国に基地を置いているのは異常だ。しかも、沖縄をいつまでも日米安保の踏み台にしたままにである。“醜い日本人”を改めて思い知らされた沖縄交流ツアーであった。


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