プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

裁判員制度 名簿記載通知発送へ このまま進めてよいのか!

2008-11-24 17:29:45 | 政治経済
いよいよ来年の裁判員候補者名簿が、今月28日に全国30万~40万人の有権者にたいし発送される。制度の詳細説明も国民が抱いている不安の解消もないままこれを進めたら混乱は必至である。あまりにも強権的で無謀ではないか。プロの裁判に国民を無理やり参加させ、権力の片棒を担がせて“民主主義”のアリバイとするつもりなのだ。国民から選ばれた素人が裁判官や検察官、弁護士と対等に話せるわけがない。裁判員は裁判員だけで、議論し結論を出すわけではない。議論をリードするのは、プロの裁判官である。結局彼らの結論に加担することだけに終わるのが、目に見えている。そして冤罪の片棒を担がされる

「あなたは抽選の結果、当裁判所の裁判員候補者名簿に記載されました」――そんな「お知らせ」が、有権者約350人に1人の割合で今月末から届く。ところが、国民は裁判員(候補者)に選ばれたとき、どのように対応をすればよいのか詳しい説明をなにも聞いていない。
裁判員制度とは、国民が裁判員として、一定の重大犯罪に関する刑事裁判に参加し(死刑判決もある)、被告人が有罪かどうか,有罪の場合どのような刑にするかを裁判官と一緒に決めていく制度である。裁判員法によれば、候補者本人が選ばれた事実を家族や職場の上司など、最小限の人にしか伝えてはいけないとなっている。誰かに相談することもできないのだ。

国民は、裁判員がどのように選らばれるかについても、詳しい説明を受けていない。
裁判員は、衆議院議員の選挙権を有する者(欠格事由、就職禁止事由に該当するものを除く)の中から抽選で選ばれる。その選任は、各地方裁判所ごとに行われ、大まかに、裁判員候補者名簿の調製→裁判員候補者の選定→裁判員(補充裁判員)の選任*という手続で行われる。
<*裁判の当日に、裁判員候補者の中から1事件について50人程度(辞退が認められる者等を除く)を裁判所に呼び出し、その中から、6人の裁判員を選任する。必要に応じて補充裁判員も選任する。>
裁判員候補者名簿は年単位で調製する。その準備は前年の秋頃から始める。その裁判員候補者名簿に記載された人の中から、その年の一定の刑事裁判について、事件ごとに裁判員候補者、そして裁判員(補充裁判員)を選ぶというわけである。

なぜ、わけのわからない制度がドンドン進んだのか。日弁連や共産党までが賛成した(もっとも共産党などの野党は、8月のはじめから実施の延期を主張している)。
国民の司法参加は、あった方がいいのか、やらなくてもいいのかの二分法でいえば、やった方がいいということになる。日弁連や共産党は、これまでの職業裁判官中心の治安維持的裁判を国民の手に取り戻せというわけだ。裁判を国民の手に取り戻せというなら、有罪、無罪は、国民から選ばれた陪審員が自分たちだけで決める陪審制が筋である。とにろが、日本の権力はそんなことを絶対に認めない。参審制ならいいだろうということで日本独特の中途半端でとんでもない制度となった。

アメリカの陪審員制は、12人の陪審員全員が国民から選ばれるが、日本の場合、裁判官3人に裁判員6人という割合とした。そして裁判員を選挙人名簿から無作為に選ぶ。ヨーロッパの参審制は団体とかの推薦で、一応フィルターを掛けた形で裁判員を選ぶ。しかも任期制である。日本の裁判員制度はアメリカ方式を選択して、事件ごとに素人を無作為で選ぶ。ただアメリカの場合、陪審員による裁判を受けるかどうかは、被告人が選択できるが、日本は被告人の権利を認めず選択権はない。もう一つアメリカの陪審制と違うのは、有罪無罪の判断だけではなく必ず量刑も含めて判断しなければならないことだ。ヨーロッパの参審制にも量刑判断があるが、ヨーロッパでは死刑を廃止している。ところが日本の場合は死刑があるから、死刑か無期かという職業裁判官ですら尻込みするような量刑を裁判員が判断することになる。

裁判員を「務めたくない」のに、どうして「原則として拒否できない」のか。強権的で無謀な“民主主義”の押し付けに対し、国民的抵抗で反撃しよう。

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1 コメント

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矛盾の極みの裁判員制度 (遂犯無罪)
2008-11-28 06:24:47
ある掲示板で裁判員制度についての意見交換がされていますが 控訴審は現行の職業裁判官制度になることを知らない人たちが多くいます。
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