プロメテウスの政治経済コラム

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小沢氏は「起訴相当」  「政治とカネ」問題には「疑わしきは罰せず」は通用しない!

2010-04-28 20:41:52 | 政治経済
自らの資金管理団体「陸山会」にからむ土地購入事件で、現職の衆院議員を含む3人の元秘書が起訴されたのに、「嫌疑不十分」で起訴されなかっただけで“無実”のようにいいはっていた小沢一郎民主党幹事長に対し、東京第5検察審査会は27日、「小沢氏の供述は不合理で信用できず、共謀共同正犯が成立する」として、起訴すべきだとする「起訴相当」を議決した。この議決に対して、「疑わしきは罰せず」の法理を持ち出して、「情況証拠」だけで「起訴相当」とするのは、無理があると早速、小沢氏を擁護する議論がネットでも飛び交っている。私は、「疑わしきは罰せず」をどんな場合でも金科玉条にする議論には与しない。「政治とカネ」問題に「疑わしきは罰せず」を適用すれば、悪徳政治家をノサバラセルだけであるからだ。
田中派の派訓は何か。<起訴されなければ、何をやっても良い。疑われたら、絶対に「否定」を貫き通せ(田中は、どんなに追及されようと「否定」を通した。金丸は、ポロッと喋って「有罪」となった。小沢は、派訓を忠実に実行している)!>ということだ

 「(東京地検特捜部による)1年間の強制捜査によって、結果として私は潔白を証明してもらった」、「私は不正な献金は一切受け取っていない。脱税しているわけでもない」――これが小沢氏の口癖である。しかし、これを信じる者は誰もいない。
東北のゼネコンで、小沢の政治資金がどんなものか知らないものはいない。
ゼネコンが「裏金」から献金するためには、まず「裏金」を創ることから始めなければならない。「裏金」は一般的には過大コストを正規の帳簿に支払い記帳し、支払い先から後で、過大分を何らかの形で返してもらうことで(このときは、当然記帳しない)、創り出される。コストを過大に記帳した分だけ利益率が低下するから、大きな額の裏金を創るためには、利益率のよい大型公共工事が利用されることになる。だから、ゼネコンから小沢氏への献金はしばしば、その原資は公共工事の受注高=税金ということになる。小沢疑惑の核心は公共工事の税金還流といわれる所以である

  「裏金」を創り出すのは、容易なことではない。厳しい国税調査官の税務調査があるからである。「過大分を何らかの形で返してもらう」と書いたが返却する業者がやはり大きな会社ならば、そこでの税務調査で引っ掛かるリスクが大いにある。
小沢に献金するタイミングで裏金の貯えがない場合はどうするか。支出を記帳しないでは、カネを出せない、しかも小沢事務所が正規の領収書をくれないとなると、勘定科目を適当に仮装するほかない。そして、税務申告で使途秘匿金扱いとすることになる。ゼネコン業界に使途秘匿金が圧倒的に多いのは、それだけ受注活動では表に出せないフィクサーが暗躍しているということだ
受け取った小沢氏側はどうするか。「裏金」は大抵の場合、現ナマで運ばれるだろうから、銀行に預けるようなことはしないでこっそりどこかの金庫に入れ必要に応じて使うことになる。
どこまで収入支出を政治資金報告書に記載し、表に出すかは政治家事務所の会計責任者の腕の見せ所だろう。金の流れを素直に報告できないから、虚偽記載=粉飾決算が横行する。
収入の中には、政治資金規正法上の正規の銀行口座を通った献金もあり、裏金収入もある。そして支出の中には、表に出すもの、報告書に記載したくない支出もあるだろうから、収入支出の辻褄を合わせるのは大変だ

表金、裏金入り乱れて、石川知裕被告ら3人は苦労の末に、粉飾しきれず起訴されたのだろう。 ところが、「政治とカネ」の世界では、「『秘書に任せていた』と言えば、政治家本人の責任は問われなくていい」というのがこれまでのいわば慣習のようになっていた。“国会議員の刑事責任の問題と政治的・道義的責任の問題はそれぞれ別々に考えなければならない”などと言う一見正論と思われる議論もあるが、これは、派閥の領袖の政治資金規正法上の刑事責任は問いませんというのにほぼ等しいそして、刑事責任を問われなかった派閥の領袖が、政治的・道義的責任を感じて説明責任を果たすことは絶対にないだから、“刑事責任の問題と政治的・道義的責任の問題はそれぞれ別々に考えなければならない”という言説は、こと派閥の領袖の「政治とカネ」に関してはまったくの観念上の空論なのだ。

この度の検察審査会の「起訴相当」議決を受けて東京検察特捜部は補充捜査をすることになる。裏金、表金が入り乱れ、しかも政治資金報告書は、虚偽記載の粉飾だらけとなると、金の流れから決定的証拠をつかむのは、至難の業だろう。記録がないもの又、あるものも錯綜して本人たちも混乱しているのだから。こんなときに、まともに「共謀共同正犯」の成立要件などと杓子定規に言えば、小沢の思うツボである。カネを出したゼネコンは悔しいが、なにも言わない。「直接的証拠」がなくても、「被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである」「これこそが善良な市民としての感覚である」(検察審査会議決理由)――まさにその通りだ

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