プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

橋下主義(ハシズム=ファッシズム)をどう考えるか   民主主義と独裁(その2)

2011-11-08 21:53:49 | 政治経済

橋下・維新の会が、「大阪都」構想と「教育基本条例案」「府職員基本条例案」をかかげ、大阪府・市の権限と財源を「1人の指揮官」に集中させる。そして行政も、教育も、橋下・維新の会が独裁的に牛耳って、府民犠牲と大企業優先の政治をすすめる。さらに、これを足場に「全国進出」をもはかろうという権力的な野望をむきだしにする中で、かつてのファシズムの歴史を知る人びとが、危機感を募らせている。

 

浦部法穂・神戸大名誉教授は、次のように指摘する。

<かつて、1933年に、ドイツでヒトラーが首相の座についたとき、彼は、革命やクーデターといった暴力的手段で政権を奪い取ったのではなかった。ヒトラーが国民の支持を集め、その率いるナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が選挙で勝利して、彼が首相に任命されたのであった。つまり、これも「民主主義」の結果だったのである。この「結果」が、その後のドイツおよび世界に何をもたらしたかは、周知のことである。

同じ時期、日本でも、軍部ファシズムの圧政と侵略が、日本のみならずアジアの国々の人々を恐怖に陥れていた。ナチス・ドイツと同じ道を、日本も歩んでいたのである。だが、日本の場合、それは、「民主主義」の結果ではなかった。当時の日本は、もともと「民主主義国家」ではなかったからである。だから、日本の場合には、「民主主義」でなかったためにファシズムが勃興したのだ、という言い方をしても、まちがいとはいえない。 そして、日本は、第二次大戦後、「民主主義国家」として「立派に」再生を遂げた。その日本が、「いつか来たみち」を再び歩み始めることなど、もはや、あろうはずがない。かつてのファシズム体制は、「民主主義国家」でなかったことの帰結なのだから……。多くの国民は、たぶん、そう思っているにちがいないと、私にはみえる。しかし、「民主主義」は、その枠組があるというだけでは、それほどの力をもつわけではない。むしろ、時としてそれは、自らを死滅させることさえある。そして、その過程には、必ずしも「自覚症状」はない。「民意」にもとづく政治が行われているはずなのに、いつの間にか、気がついてみたら「民主主義」は死に絶えていた、ということにさえなるのである。そのことを、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至るまでの間のドイツの歴史が実証しているのである。>(http://p.tl/qNYd

 

ミュンヘンの1地方政党に過ぎなかったナチス党は、1930年から33年にかけて猛烈な勢いで躍進を遂げる。ヒトラーはこの何年かの間に大衆の支持をかき集め、この大衆の支持こそが、その後の彼の政治活動を支えたのである。ヒトラーは、まさに「民主的」な方法で独裁権力を手に入れたのだ。

当時のドイツでは、第一次大戦の敗戦国としての経済的混乱と世界恐慌の直撃による国民生活の困窮、ヴェルサイユ条約による苛酷な賠償等への屈辱感(大国優越意識の裏返し)などで、国民の間に鬱積した不満や閉塞感が充満していた。そうした現状を、ヒトラーは大衆受けのする分かり易い仕方で、「自分が変えてみせる」と国民に訴えた(具体的にどうするということをいっさい言わずに、ただアジテーション的に)。

 

いまの日本においても、橋下・維新の会は、政治と社会の閉塞感を逆手にとって、「システムを変え」「強いリーダーをつくってこそ政治を変えることができる」という幻想をあおり、「政敵」(ふつうの政治家、公務員、議会)を排除して、そのファッショ・独裁政治を確立しようとしている。

大阪に限らず現代日本において、具体的にどうするとかこうするとか小難しいことはいっさい言わないで、大衆受けのする分かり易い問題を持ち出して「自分が変えてみせる」とアジる人間が出てくると、あっという間に大衆の支持を集め、政治の方向を決定づける傾向(大衆扇動・迎合政治)が強まっている(小泉政権、河村名古屋市政etc.)。大衆がそのように御しやすいと高をくくると、普天間問題にみられるように、政権は平気で「民意」を無視することも行う。

「民主主義が民主主義を滅ぼす」ことは、いまの日本でも十分ありうることだ。私たちは、歴史の教訓から何を学ぶべきか。

<続き>


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