プロメテウスの政治経済コラム

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原爆症認定訴訟  国・厚生労働省12連敗  被爆者の死を待つその卑劣な態度

2008-10-25 20:09:56 | 政治経済
原爆症認定集団訴訟を支援している若き女性弁護士の濱本由(ゆかり)さんの話を伺う機会があった。まず心を動かされたのは、集団訴訟をしている被爆者皆さんの60年以上に及ぶ苦しみと波乱に満ちた人生体験であった。訴訟の準備書面を作成するために濱本さんがじっくりと聴取された被爆者個々の生々しい人生体験は涙なしには聞けなかった。同時に被爆者たちをただ厄介者扱いにし、いまや被爆者の死を待つにひとしい国・厚生労働省の対応に心からの怒りを覚えた

原爆症とは、原子爆弾(原爆)による被災による健康障害の総称で、発症は被爆直後の場合が多いが、10年、20年経った後に発症することも少なくない。60年以上経った現在でも、新たに発症するケースが見られる。また、直接被爆をしていなくても、原爆投下直後に救援等のため被災地に入ったことによっていわゆる「入市被爆」したり、放射性降下物を含んだ「黒い雨」を浴びたり、さらに母胎内で被爆(胎内被爆)して生まれた子供も発症している。
被爆者に対し、国(厚生労働省)が「原爆症」と認定すれば、医療特別手当(毎月137,430円)が支給される。この制度は、被爆者とそれを支援する団体の永年にわたる粘り強い運動でかちとったものであった。しかし政府は、被害と国の責任を狭く小さなものにとどめようと被爆の実態とはかけ離れた認定基準を設け、被爆者を限定しているため、被爆者手帳を持つ25万人余の被爆者のうち、原爆症認定はわずか1%にしか達していないのが現状である。そのため、認定されなかった被爆者は、原爆症認定申請をしたにもかかわらず、国(厚生労働省)から放射線が原因ではないとして原爆症の認定を却下されたことに対して、その却下処分の取り消しを求める裁判を起こすところとなった。

原爆症認定集団訴訟で国・厚生労働省は、これまでの裁判で12連敗を重ねても控訴を繰り返し、時間稼ぎをしている。4月からの認定新基準への改定につづき、さらにその後の裁判で再検討を迫られながら、なお全面解決に踏み出そうとはしない。その根本には、追い込まれながらも原爆被害者の苦しみに満ちた人生に想像力を働かせることもせず、原爆被害の問題に正面から向かい合おうとしない姿勢がある(「しんぶん赤旗」2008年10月23日)。
国・厚労省は、従来の認定審査の基準をすべての裁判で批判され、「改める」と撤回せざるをえなかったにもかかわらず、いまだに認定基準は科学的に正しい、原告の認定申請を却下したのは間違っていなかった、新基準は「政策的な判断による」―と言い張っているのだ。新基準は認定枠を拡大したものの「積極的認定」の対象をがん、白血病など五疾病に限定し、距離、時間など被爆条件について機械的な切り捨てにつながる線引きを持ち込んだ。「政策的な判断」といいながらまともに説明できない制限を加え、居直っている(「しんぶん赤旗」同上)。

被爆者の平均年齢は75歳を超え、裁判の結果を待たずに不幸な人生に幕を閉じている人たちも少なからずいる。濱本さんの話しを聞いて驚いたのは、追い込まれた国・厚生労働省は、現在、申請認定作業をサボタージュし、申請却下も認定もいずれの回答もしないで事務を意識的に滞らせているということだ。被爆者が死ぬのを待って騒ぎを鎮めようとしているとしか思えない。
なぜ、日本政府は、被爆者が死ぬのを待って騒ぎを鎮めようとするのか
私たちは、先の戦争で「殺され、焼かれ、奪われ」、そして最後にアメリカに原爆までも落とされた。しかしその前段として、私たち日本人は、アジア諸国民を「殺し、焼き、奪った」。「殺し、焼き、奪う」という戦争の過程があって、「殺され、焼かれ、奪われた」のだ。そして「殺し、焼き、奪う」ためにアジア諸国に送られた「皇軍」兵士は、よろこんで戦場におもむいたのではなく、国家権力によって召集され、その運命を強いられた被害者であった。被害者であるがゆえに加害者となり、そしてまた被害者となる。この戦争の理不尽を日本政府は決して認めたくないのだ

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