「郵政造反組」となって05年9月の衆院選大分1区に無所属現職で出馬、落選して自民党を離党していた衛藤晟一氏(59)が、「盟友」を自任する安倍晋三・自民党総裁の裁定によって23日、参院選前の復党が確実になった(asahi.com 2007年02月24日)。政治倫理以前の問題として、舛添要一参院政審会長もいうように「友達だからとの理由で復党させたら、他の落選組との整合性が取れない」(「毎日新聞」2007年2月24日)。政治倫理だけではなく、もはや総裁としてのリーダーシップも失ってしまった。
参院自民党幹部のなかに後援会組織を持つ落選組を復党させないと参院選が戦えないという危機感があることは確かだが、それにしてもなぜ衛藤晟一なのか。
衛藤氏は前回衆院選で、主地盤の大分1区に送られた「刺客」が復活当選し、選挙区を追われる形になった。しかし、「盟友」安倍が首相のあいだの国政復帰にこだわり続けた。自民県連は参院大分選挙区に元総務官僚の擁立を公募で決め、公認も決めているので、衛藤氏にとって国政復帰には事実上、参院比例区しかなく、それには復党が大前提だった(asahi.com同上)。
自民党の中川秀直幹事長も、25日宝塚市内の講演で「首相と基本的に同じ考え方、同じ方向性を持つ人たちの力を結集していかなければならない」と述べ、党執行部としても認めるつもりのようだ。自民党は25日、安倍晋三首相が郵政造反落選組の衛藤晟一前衆院議員の復党を容認したことを受け、復党の党内手続きに入り、28日の選対小委で参院比例代表公認内定を目指すことを決めた(「毎日新聞」 2007年2月25日 18時04分)。
安倍内閣は、“日本会議内閣”であり、“「神の国」内閣”と特徴づけられる極右「お友達内閣」である(俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長)。このことは、衛藤晟一の復党と密接に絡んでいる。
当選したばかりの安倍晋三は93年8月に発足した自民党の「歴史・検討委員会」の委員に任命される。この委員会は、アジア太平洋戦争について、侵略戦争でない、聖戦だったと総括し、南京大虐殺や「慰安婦」はデッチ上げだとする自民党などの歴史修正の理論武装が目的だった。この委員のなかに、のちに「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(「歴史教育議連」)を結成する衛藤晟一・中川昭一・長瀬甚遠・河村建夫などがいた。97年結成の「歴史教育議連」の代表は中川昭一、幹事長は衛藤晟一、そして安倍晋三が事務局長であった。
安倍は、自著『美しい国へ』のなかで、議員になってから「素晴らしい仲間にめぐりあったし、尊敬する先輩の指導を受けることもできた」と語っている。「素晴らしい仲間」とは、中川昭一政調会長や平沼赳夫、衛藤晟一、山谷えり子首相補佐官、下村博文官房副長官などをはじめとする「歴史教育議連」や「日本会議国会議員懇談会」の「お友達」である。
平沼赳夫は、復党条件を自ら断った形となったが、他の「お友達」はみな安倍政権のしかるべきポジションを得ているのに衛藤晟一だけ、前衆議員のまま放置することはできない。
私たちは、安倍「お友達内閣」の本質が極めて危険な「なかよし」であり、改憲右派団体「日本会議」による政権ジャック、官邸ジャックである事実を見落としてはならないのだ(俵 義文『安倍晋三の本性』金曜日2006)。 衛藤晟一の復党もこの脈絡のなかで捉えなければならい。
参院自民党幹部のなかに後援会組織を持つ落選組を復党させないと参院選が戦えないという危機感があることは確かだが、それにしてもなぜ衛藤晟一なのか。
衛藤氏は前回衆院選で、主地盤の大分1区に送られた「刺客」が復活当選し、選挙区を追われる形になった。しかし、「盟友」安倍が首相のあいだの国政復帰にこだわり続けた。自民県連は参院大分選挙区に元総務官僚の擁立を公募で決め、公認も決めているので、衛藤氏にとって国政復帰には事実上、参院比例区しかなく、それには復党が大前提だった(asahi.com同上)。
自民党の中川秀直幹事長も、25日宝塚市内の講演で「首相と基本的に同じ考え方、同じ方向性を持つ人たちの力を結集していかなければならない」と述べ、党執行部としても認めるつもりのようだ。自民党は25日、安倍晋三首相が郵政造反落選組の衛藤晟一前衆院議員の復党を容認したことを受け、復党の党内手続きに入り、28日の選対小委で参院比例代表公認内定を目指すことを決めた(「毎日新聞」 2007年2月25日 18時04分)。
安倍内閣は、“日本会議内閣”であり、“「神の国」内閣”と特徴づけられる極右「お友達内閣」である(俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長)。このことは、衛藤晟一の復党と密接に絡んでいる。
当選したばかりの安倍晋三は93年8月に発足した自民党の「歴史・検討委員会」の委員に任命される。この委員会は、アジア太平洋戦争について、侵略戦争でない、聖戦だったと総括し、南京大虐殺や「慰安婦」はデッチ上げだとする自民党などの歴史修正の理論武装が目的だった。この委員のなかに、のちに「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(「歴史教育議連」)を結成する衛藤晟一・中川昭一・長瀬甚遠・河村建夫などがいた。97年結成の「歴史教育議連」の代表は中川昭一、幹事長は衛藤晟一、そして安倍晋三が事務局長であった。
安倍は、自著『美しい国へ』のなかで、議員になってから「素晴らしい仲間にめぐりあったし、尊敬する先輩の指導を受けることもできた」と語っている。「素晴らしい仲間」とは、中川昭一政調会長や平沼赳夫、衛藤晟一、山谷えり子首相補佐官、下村博文官房副長官などをはじめとする「歴史教育議連」や「日本会議国会議員懇談会」の「お友達」である。
平沼赳夫は、復党条件を自ら断った形となったが、他の「お友達」はみな安倍政権のしかるべきポジションを得ているのに衛藤晟一だけ、前衆議員のまま放置することはできない。
私たちは、安倍「お友達内閣」の本質が極めて危険な「なかよし」であり、改憲右派団体「日本会議」による政権ジャック、官邸ジャックである事実を見落としてはならないのだ(俵 義文『安倍晋三の本性』金曜日2006)。 衛藤晟一の復党もこの脈絡のなかで捉えなければならい。
この記事の納得根拠は厚生労働委員長えとうせいいち君解任決議案~にもありき。
えとうせいいち君は~年金問題の重要性を強調し…公平かつ円満な‥公約していた。~審議を突然打ち切り、与党単独で採決を強行するという、自らの公約を微塵も省みない暴挙を行ったのである。~このような重要法案を十分な審議もしないで、又 公聴会を開催して国民の意見を審議に反映する努力もせずに与党多数で採決を強行したのである。
◎国民の強い批判を受ける中で、与党の理不尽な意向を真に受けて、~行為は断じて容認出来ない。~国民年金未納問題を隠蔽していた。…‥えとう君が委員長としての自己責任を明らかにしない為、厚生労働委員会は一ヶ月以上混乱状態のまま開催出来なかった。にもかかわらず、あろうことか えとう君は六月四日に再び委員長の職権で、与党の都合で先送りしていた…‥強行しようとしているのである。言語道断である。えとう君には委員長としての見識の欠片もない。即時辞任すべきである。…‥。
のような人間が
外務省にコップの水かけたり 法務省に噛みつき、冤罪だらけで通過させたDV 虐待法案が 我々も手を尽くした?家族解体しながら保身ですか?児童相談所暴走が日教組問題同様目に余る中で 言ってのけ、頭が痛くなります政権固執
若手議員に期待 きれいな政治