プロメテウスの政治経済コラム

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足利事件の菅家さん釈放 「間違ったではすまない」日本の冤罪を生み出す刑事司法システム

2009-06-05 19:20:29 | 政治経済

90年に栃木県足利市で女児が殺害された事件で無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役していた菅家利和(すがや・としかず)さん(62)が4日午後、釈放された。一審の宇都宮地裁で近々再審が開かれると、反論の余地のない検察側がついに諦め、刑の執行を停止した。91年12月の逮捕・勾留以来17年半にわたって身柄を拘束されていた菅家さんは、釈放後、千葉市内のホテルで記者会見した。「真犯人にされ、ずっと我慢してきたが、間違ったではすまない。当時の警察官、検察官を絶対に許さない。私と亡くなった両親、世間の皆様に絶対に謝ってほしい」と話した(「朝日」2009年6月5日)。
日本の冤罪を生み出す刑事司法システムは構造的な問題であり、裁判員制度は一般国民をその共同責任者として引きずり込み、国民の裁判批判をかわそうとするものだ

足利事件は90年5月、同市のパチンコ店駐車場で女児が行方不明となり、近くの河川敷で遺体が見つかった。県警は91年12月、店の客だった菅家受刑者を逮捕した。
菅家さんの公判では、一審・宇都宮地裁判決(93年)、二審・東京高裁判決(96年)とも無期懲役とした。菅家受刑者は一審途中から無罪を主張。物証が乏しく、自白やDNA鑑定[科学警察研究所]の信用性が争点となった。弁護側は上告中の97年、独自に依頼した鑑定でDNA型が異なる結果が出たとして最高裁に再鑑定を請求。しかし最高裁は00年、捜査段階の91年に行われた鑑定の「一致する」との結果を裁判の証拠として認める判断を示し、上告を棄却した
DNA再鑑定は、再審請求の即時抗告審を行う東京高裁が昨年12月に実施を決定。検察側、弁護側がそれぞれ推薦する鑑定人が鑑定し、5月、いずれも「一致しない」との結果が高裁に報告された。検察側は、捜査員らのDNAが鑑定資料に紛れ込んだのではないかとなお抵抗を試みたが、捜査員らのDNAとは一切関係なかった。こうして「白旗」を揚げるほかなくなった。

無実の人がなぜ誤った自白をするのか。
警察・検察がなぜ「虚偽自白」を誘導し、裁判官はなぜ検察の調書の方を信用し、法廷での被疑者の調書訂正発言を信用しないのか。日本の刑事司法システムに埋め込まれた冤罪産出構造にメスを入れない限り、冤罪・誤判は絶対になくならない
やってもいない人がなぜ「自白」をするのか。普通の人は警察に身柄を押さえられた経験がない。だから代用監獄に身柄を拘束され、頭ごなしに犯人視して「事実を喋れ」とひたすら責められる心理的圧迫は常識では理解できない。周囲はみな敵で、自分の言うことにも耳を貸さず、トイレまで看守に監視され(トイレットペーパーも水を流すのも看守に頼まねばならない)、孤立無援の状態がいつ終わるかわからい先の見えない孤立無援状態に陥ったときの人間が、いかに早く普通の状態にもどりたいと思うか。「喋ればすぐに出してやる」「喋れば執行猶予がつく」という取調官の言葉が唯一の救いに見えてくる
釈放された菅家さんは支援者に当てた手紙で、逮捕については「まったく身に覚えがないので本当にびっくりした」と書き、髪の毛を引っ張られたり、足をけ飛ばされたりするなど暴行を受け、「刑事たちが怖くなって、夜遅くなって『やりました』と言ってしまったのです」と自白した経緯を振り返っている(「時事通信」6月4日16時55分配信)。

否認していた被疑者が「やりました」と言えば、取調官はやっと落ちたかとほっとすると同時に、こいつが犯人だという確信をもつ。捜査情報から分かっていることと矛盾する供述があっても、「そんなことはないだろう。嘘を言うな。往生際の悪い奴だ」となだめたりすかしたり脅かしたりしながら供述調書のストーリーを固めていく警察や検察には犯人を逮捕しなければならい、というプレッシャーが常にある。特に世間で騒がれた事件では、逮捕できなかったり、捜査に時間がかかるとマスコミからも叩かれ、上司からの圧力もかかる。そういうなかで、ようやく何らかの手がかりを見つけてきたが、決定的な証拠がない。こんなときに、任意や別件で引っ張ってきた被疑者を前にして「こいつさえ口を割れば・・・」となりがちだ。「頑固に否認する被疑者に対し、『もしかすると白ではないか』との疑念を持って取調べてはならない」―これが捜査官の心得なのだ。

無罪判決は、処理件数に追われる職業裁判官にとって、重い負担である。検察官の控訴により、控訴審で無罪判決が破棄されると、無罪判決を出した一審裁判官は、裁判所組織内で冷遇されがちである。無罪判決は、すなわち警察・検察官批判である。法廷で調書とは違う供述が出ても、調書で洗脳された頭では、嘘の供述としか思えない。無実の人が虚偽「自白」に追い込まれ、警察・検察官批判をしない「調書裁判」で冤罪が生み出される。
そのような裁判システムに今後は、素人裁判官が巻き込まれることになるのだ。


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2 コメント

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今でもまだある冤罪事件 (あゆみ)
2009-06-17 01:32:44
菅谷さんの冤罪事件は釈放をされた今でも苦しい戦いがあります。ここで同じ冤罪で死刑執行された事実があるようです。飯塚事件です。無実の人が犯人にされ死刑執行になれているのです。その人の事を考えるとやりきれなく無念すぎます。この飯塚事件の詳細を明らかにし当時関わった刑事、検事、裁判官たちを問い詰める必要性があります。
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チカンの冤罪 (永田)
2009-06-17 01:44:33
チカンをしていないのに女性にチカンと決めつけられチカン犯にされ捕まった人がいます。かわいそうでしかなりません。本当にしてないのに捕まった人たち、いつか必ず生きている中で疑って決めつけた人たちにこの嫌な思いが返って来ると信じるといいです。周りにチカンと思われても自分は晴れた気持ちになれます。チカンと思われたからって苦しむのは変です。満員電車は大変です。こういう場にもカメラを設置すべきです。
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