プロメテウスの政治経済コラム

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サブプライムローンなどによる米自己破産、前年比37%増  「生存権」を攻撃する日米支配層

2008-12-25 20:56:11 | 政治経済
米信用情報大手エクイファクスのデータによると、米国の消費者の間で住宅ローンやクレジトカード、自動車ローンの返済の延滞が増えており、自己破産も増加している。11月の消費者信用のトレンドについてまとめた同社のデータによると、同月の自己破産申請件数は13万1672件で、前年比37%増加した。サブプライムローン(信用度の低い借り手向け住宅担保ローン)を使って住宅(主な居住場所)を購入した人のうち36.6%が返済が30日以上遅れており、この比率は10月から1.5%ポイント上昇した(「ロイター」12月25日15時42分配信)
今回の金融危機の発端となったサブプライムローンは別名「略奪的貸出」(predatory lending)といわれている。金融資本の甘い言葉にだまされてローンを組んで、返済不能になると担保となった住宅を略奪される。ブッシュ政権は、この悪徳商法になんらの規制も加えないどころかむしろさまざまな便宜をはかった。実体経済の悪化のもとで、もともと住宅価格の永遠の高騰以外に返済不可能なサブプライムローンが焦げ付くのは当然であった。いま、日本の非正規労働者が大量に社宅から寒空に放り出されているが、アメリカのサブプライムローン利用者もいま厳しい寒気の中に放り出されている。日米両政府が、20世紀に発達した人権としての「生存権」の保障という政治の原点を投げ捨て資本の儲けに奉仕しているからである。

サブプライムローンを議論するときに、多くの経済学者や評論家は、証券化などの金融上のからくりを問題にする。しかし、問題の核心は、低所得層が、金融資本の甘言に乗って無理なインチキローンで住宅取得に夢を掛けざるをえない米政府の住宅政策の貧困にある現代の国民主権国家の政府は、まず何よりもすべての国民に「生存権」を保障しなければならない。それは、資本主義の発展とともに、人権と現実の乖離のなかで、主権者国民が権利として獲得してきたものである。「生存権」の保障とは、なによりも衣食住の保障である。低所得層でも住める安い公的住宅を潤沢に供給することは、政治が真っ先にやらねばならないことだ。大学を出たホワイトカラーが定年になってやっと我が家を手にするという日本の状況は、生存権の保障という点でまったく異常である。

日本国憲法は、第25条の生存権条項を憲法9条の平和条項と互いに分ちがたいものとして、前文で次のようにたからかに謳う。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存することを確認する。」

「恐怖と欠乏からの解放」とは、第一に専制・暴虐・抑圧・暴力、何よりも戦争の恐怖からの解放である。第二に飢え・渇き・病い・衰弱・極貧、蒙昧など、要するに貧しさからの解放である。「平和のうちに生存する権利」は、いわゆる平和的生存権である。一言でいえば、戦後の日本の国家、国民の課題は、平和・福祉国家の実現ということだ。そして、25条第一項は、国民の文化的最低限度の生存権を基本的人権として明記し、第二項で生存権保障のための国家の義務を明記した。
ちなみに、改憲右派勢力は、憲法は国民の権利ばかりが多くて義務が少ないと批判する。しかし、このような議論は、もともと国民主権のもとでの憲法とは何のためのものであるのか、まったく基本を理解しない議論である。国民を主権者とする憲法が、かつての天皇制国家が臣民としての国民の義務を多くつらねたとはまったく逆に、国民の権利について多く語り、義務が少なくなるのは、当然の帰結なのである。

実は、日本の憲法の「恐怖と欠乏から免かれ」のルーツは、大西洋憲章(1941年8月、英米のチャーチル、ルーズベルトの間で取り交わされた文書)である。アメリカが第二次世界大戦に参加するに際し、国民に参加の大義を明らかにしたものである。その第六項に「ナチス暴政の最終的破壊の後、・・・すべての国のすべての人類が恐怖及び欠乏から解放されて・・・・」の文言がでてくる。アメリカで社会権が法制度化されたのは、ニューディール期のことであった。ルーズベルトは1941年の年頭教書において、「4つの自由」を主張した。「4つの自由」とは、言論の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由である。「欠乏からの自由」とは生存権の保障、「恐怖からの自由」とは侵略戦争の廃絶を意味するものとされていた。

新自由主義が世界を席捲するなかで、日米両政府とも福祉国家の理念を忘れて、ひたすら資本の儲けに奉仕するところとなったのだ。さらに、いま両国は、共同して軍事的介入をしようとして、改憲を企んでいる。
われわれ日本人にとっては、日本国憲法の平和・福祉国家の理念がますますその重みをましているのだ。歴史的に平和(9条)と福祉(25条)は、切っても切れない関係にあったことを忘れない。


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