プロメテウスの政治経済コラム

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民主党国会法改定 究極の議会制民主主義形骸化と二大政党独裁制 巧妙に仕組まれる内閣法制局つぶし

2009-12-27 19:27:32 | 政治経済
民主党は、来年1月16日の党大会で採択する「2010年度活動方針案」で、国会での「官僚答弁禁止」などを柱にした国会法改定案について「成立に向けて全力を尽くす」と決意を新たにしている(「しんぶん赤旗」2009年12月27日)。同党は来年1月からの通常国会冒頭に同法案を提出する方針であり、ことは憲法と議会制民主主義の根幹に関わるものであるだけに、事態は極めて重大であるその狙いを一言で言えば、国民の参政権をマニフェスト「選挙に参加する」ことだけに限定し、選挙から選挙までは、政権党がマニフェストをただ実行し、国民は黙って業績評価するだけという究極の議会制民主主義形骸化と二大政党独裁制である。総選挙で「マニフェスト」のもとに、ある政党を選んだら、次の総選挙までは政権を獲得した政党に「マニフェスト」実行を白紙委任。「効率的に」政府提出法案を通すため国会のあり方も変える――これが小沢流「国会改革」の狙いなのだ。しかし、国民の世論は、選挙の後も当然変わることがあるだろうし、多様な意見を逐次国権の最高機関である国会に反映させながら政治参加する、政府は、国民世論に沿って政策を修正しながら民意に従った政治を行う――これが、本来の議会制民主主義のもとにおける国民主権のあり方だろう。いま、イギリスの二大政党制は「選挙による独裁」とまでいわれ曲がり角にきている。時代の転換期における支配階級の反動的野望を忠実に実行する小沢流「国会改革」を許してはならない

 先の総選挙で圧倒的な多数議席を占めた民主党の小沢一郎幹事長が 「政治主導の国会改革」 を看板に、国会法の改定にからんだ危険な動きを強めている。その主張に権威をもたせるために、イギリス議会政治の視察のための 「訪英団」 の派遣や、「新しい日本をつくる国民会議」 (21世紀臨調)の 「政治改革小委員会」 の 「国会審議活性化の緊急提言」 などという小道具まで使って、強引に進めようとしている(高田 健「小沢一郎の『国会改革』の危険性と内閣法制局の憲法解釈の功罪」2009年11月27日)。
小沢幹事長は、経済同友会が2002年10月に発表した提言「首相のリーダーシップの確立と政策本位の政治の実現を求めて」という「二大政党づくり」の青写真を忠実に実行しようとしている。提言の具体化として小沢幹事長がまず実施したのは、党の政策調査会や各部門会議を廃止し、大臣・副大臣・政務官の「政務三役」に政策決定の権限を移すことであった。選挙の結果、民主党は衆参両院合わせ400人超の巨大与党になったが、民主党議員の中の一握りの議員が政府に入って政策決定し、与党は国会でこれを追認するだけというように、与党・民主党のヒラ議員(社会保障や雇用、教育で国民の現場に最も近い議員)の声をまず排除する。一方、野党議員の声も「官僚答弁禁止」や「委員会定数の削減」「常任委員会の定例日のあり方」「通年国会」などの「国会改革」で排除する。小沢氏は16年前の著書『日本改造計画』で「野党による…政府拘束の武器」によって「政府のリーダーシップが拘束されている」と述べ、「審議を効率的に進めなければならない」として国会の会期制、定例日などの廃止を主張していた。官邸主導の政府提出法案を「効率的に」通すことだけが狙われているのだ。

 経済同友会は、二大政党による「マニフェスト選挙」を提言して次のように言う。「政策本位の政治を実現する政治改革」「各政党が、詳細な数値目標、達成時期、具体的な財政的裏付け等を明示した政権政策(マニフェスト)を党の方針として世に問い、選挙に勝った政党が政権政策を実行する。その後政権政党が次回選挙までに政策を自己評価するとともに、有権者は現政権の業績評価を行い、同じ政権を継続させるか、政権を交代させるかの意思決定をするという政治のサイクルを確立することが必要である」。
この提言を受けて、小沢氏は繰り返し「民主主義というのは選挙。それが原点。国民、主権者が主権を行使するのは唯一選挙の機会だけ」と言っている。ヒラの与党議員や野党議員の声を排除するということは、まさに多様な民意を「排除」するということだ。国民主権は、選挙時の「政権選択」と「次の首相」選びに矮小化され、総選挙で「マニフェスト」のもとにある政党を選んだら、次の選挙まで黙って業績評価だけをやれ、ということだ

 小沢幹事長が主導する「国会改革」で見逃せないのは、「政府特別補佐人」(人事院総裁、内閣法制局長官、公正取引委員長、公害調整委員長)のうち、内閣法制局長官の答弁を禁止するというとだ国会論戦を政治家同士の論戦にするということで、「官僚答弁禁止」を法定化し、「内閣法制局長官も官僚でしょう」という巧妙に仕組まれた内閣法制局つぶしである。その狙いは、言うまでもなく、憲法9条の解釈を時の政府の都合で自由に変更しようとすることだ
一般的に内閣が自身の責任において行政府の憲法解釈権を行使することは問題ではない。ただ日本には、戦力不保持という国際的にも特別の規定を持った9条が存在するということである。内閣法制局は、解釈改憲を重ねてきたが、その論理はあくまで9条のこの規定の枠内=9条は戦争を放棄していて「戦力」は持てないとう前提で腐心してきたのだ。ところが、小沢幹事長は、国連憲章・国際法で認められる武力行使は憲法上も認められる立場である。これは、国際的にも特別の規定を持つ9条の特別の意味を削除してしまうものであり、もはや「解釈の変更」と言えるようなものではない。最高裁は 疾うの昔に9条についての憲法判断を放棄してしまっている。小沢民主党の 「国会改革」がこのまま進む危険性について私たちは、全力で警鐘乱打しなくてはならない。

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