あっという間に時が過ぎ、今年も残り3日となった。すっかり月1ブログとなってしまって反省しきりです。例年なら今年の重大ニュースなどでこの一年を振り返るのですが、何と言ってもパーキンソン病に振り回された年でした。そのため行動半径が極端に小さくなってしまったことがブログ更新意欲低下を招いたのだと感じています。
でも、体調自体は特に問題ありません。専門医の先生から症状に応じて薬を処方してもらっており、それが効いて特に動作に支障はありません。左手の細かな作業や力仕事、敏捷性はないけれども普通の生活をしています。薬がよく効くのはハネムーン期と言って数年間らしいですが、それまでは何とか現状維持で進むのではないかと考えています。いずれにしてもリハビリなどの筋力維持が重要なのは変わりません。
さて、私は男ばっかりの5人兄弟の長男。弟一人は山口に居るが、あとの3人は同じ北九州市に住んでおり、甥姪の結婚式や法事など何事かあればすぐに集まる。昨年は山口の弟夫婦を除いて、4人兄弟の夫婦8人で湯布院別府に温泉旅行に出かけたのだが、今年は5人兄弟の全員の都合が良くて夫婦で全10人揃って熊本・阿蘇に行ってきた。10人乗りのワゴン車で幹事も運転も3男が頑張ってくれた。
11月30日の土曜日、8時半に小倉を出発、九州縦貫道を熊本へ。熊本駅で新幹線で山口から来た4男夫婦を拾って全員が集合。まず熊本城へ。熊本地震で痛んだ本丸が見学可能な程度に修復されたと聞いていたのだ。熊本は私が学生時代を過ごしたところでも有り、思い出が詰まっている。見事に修復された本丸は天気も良くて青空に映え、黄色に染まった銀杏と共に改めて素晴らしいと感じたが、無残に壊れた石垣はやはり地震のすさまじさを物語っていた。
そのあと弟たちの計らいで私が下宿していた熊本大学の近辺を巡ってくれたが、大学近辺は50年前と大して変わってないような気がした。五高の赤煉瓦はそのままだったし、大学横の狭い道路も変わっていなかった。校内は銀杏はやはり落ち葉が舞っていた。
昼は水前寺公園で食事を取った。この公園も懐かしかった。入学したての頃この付近の家庭で高校生の家庭教師をしていたことがあって、良く来ていたのだった。地震で水前寺公園の湧水が少なくなったと聞いていたが、昔のように水は綺麗で鯉が泳いでいた。
昼食の後は、一路阿蘇へ。内牧温泉だ。途中、立野は橋が落ちてしまっていたので迂回するのだがそれでも五時過ぎに旅館に着いた。早速お風呂に入ってくつろいだ後、揃って夕食。最近はお酒もあまり飲めなかったのだが、この日はそこそこ飲むことが出来た。やはり気楽だったのだろうか。ただ、食事の後はすぐに寝てしまった。疲れていたのだろう。
翌日は旅館の前で記念撮影した後に、カドリー・ドミニオンへ。昔の熊牧場でサル劇場があったところだ。今は熊の他、色んな動物もいて動物園の雰囲気。サル劇場もあって面白かった。ただ、この日は風向きが悪かったのか、阿蘇中岳の噴煙が丁度真上に立ちこめて、細かな灰が頭や服に降り注いだのには困った。
灰で身体が汚れたので食事を後にして先に黒川温泉の立ち寄り湯に入ることになった。その途中に大観峰に寄った。黒い噴煙が阿蘇の山々を覆っていた。
黒川温泉こうの湯旅館「森の湯」に着いたのは2時前。ここは深さ162cmの露天風呂があった。もちろん小柄な私は頭が浸かってしまって息ができない。掴まり棒をしっかり掴んで溺れないように頑張った。
これで兄弟旅行の計画はすべて終了、帰りは東九州道を通って小倉へ。帰り着いたのが6時半。事故も無く無事で良かった。
末の弟も還暦を過ぎた。来年も兄弟揃って旅行に行こうと話し合っている。仲良く事故無く無事に過ごすことを願っている。
でも、体調自体は特に問題ありません。専門医の先生から症状に応じて薬を処方してもらっており、それが効いて特に動作に支障はありません。左手の細かな作業や力仕事、敏捷性はないけれども普通の生活をしています。薬がよく効くのはハネムーン期と言って数年間らしいですが、それまでは何とか現状維持で進むのではないかと考えています。いずれにしてもリハビリなどの筋力維持が重要なのは変わりません。
さて、私は男ばっかりの5人兄弟の長男。弟一人は山口に居るが、あとの3人は同じ北九州市に住んでおり、甥姪の結婚式や法事など何事かあればすぐに集まる。昨年は山口の弟夫婦を除いて、4人兄弟の夫婦8人で湯布院別府に温泉旅行に出かけたのだが、今年は5人兄弟の全員の都合が良くて夫婦で全10人揃って熊本・阿蘇に行ってきた。10人乗りのワゴン車で幹事も運転も3男が頑張ってくれた。
11月30日の土曜日、8時半に小倉を出発、九州縦貫道を熊本へ。熊本駅で新幹線で山口から来た4男夫婦を拾って全員が集合。まず熊本城へ。熊本地震で痛んだ本丸が見学可能な程度に修復されたと聞いていたのだ。熊本は私が学生時代を過ごしたところでも有り、思い出が詰まっている。見事に修復された本丸は天気も良くて青空に映え、黄色に染まった銀杏と共に改めて素晴らしいと感じたが、無残に壊れた石垣はやはり地震のすさまじさを物語っていた。
そのあと弟たちの計らいで私が下宿していた熊本大学の近辺を巡ってくれたが、大学近辺は50年前と大して変わってないような気がした。五高の赤煉瓦はそのままだったし、大学横の狭い道路も変わっていなかった。校内は銀杏はやはり落ち葉が舞っていた。
昼は水前寺公園で食事を取った。この公園も懐かしかった。入学したての頃この付近の家庭で高校生の家庭教師をしていたことがあって、良く来ていたのだった。地震で水前寺公園の湧水が少なくなったと聞いていたが、昔のように水は綺麗で鯉が泳いでいた。
昼食の後は、一路阿蘇へ。内牧温泉だ。途中、立野は橋が落ちてしまっていたので迂回するのだがそれでも五時過ぎに旅館に着いた。早速お風呂に入ってくつろいだ後、揃って夕食。最近はお酒もあまり飲めなかったのだが、この日はそこそこ飲むことが出来た。やはり気楽だったのだろうか。ただ、食事の後はすぐに寝てしまった。疲れていたのだろう。
翌日は旅館の前で記念撮影した後に、カドリー・ドミニオンへ。昔の熊牧場でサル劇場があったところだ。今は熊の他、色んな動物もいて動物園の雰囲気。サル劇場もあって面白かった。ただ、この日は風向きが悪かったのか、阿蘇中岳の噴煙が丁度真上に立ちこめて、細かな灰が頭や服に降り注いだのには困った。
灰で身体が汚れたので食事を後にして先に黒川温泉の立ち寄り湯に入ることになった。その途中に大観峰に寄った。黒い噴煙が阿蘇の山々を覆っていた。
黒川温泉こうの湯旅館「森の湯」に着いたのは2時前。ここは深さ162cmの露天風呂があった。もちろん小柄な私は頭が浸かってしまって息ができない。掴まり棒をしっかり掴んで溺れないように頑張った。
これで兄弟旅行の計画はすべて終了、帰りは東九州道を通って小倉へ。帰り着いたのが6時半。事故も無く無事で良かった。
末の弟も還暦を過ぎた。来年も兄弟揃って旅行に行こうと話し合っている。仲良く事故無く無事に過ごすことを願っている。