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狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<8-1/14>:エピローグならぬプロローグの追録~ 今までに有った不思議な事の数々・・・odd, strange, mysterious, & miraculous

2019-01-06 15:29:59 | エッセイ・コラム
 ※ 当「My Testimony/僕の証」シリーズの内、特に<8-1/14~14/14>の記事に於いては、他の文献から多く記事を引用しておりますが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。
 ※ また本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証
   エピローグならぬプロローグの「追録」
    ~ 今までに有った不思議な事の数々
     ・・・odd, strange, mysterious, & miraculous

 




 新約聖書・コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:10
  But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.

 一見すると、恰もテレパシー等の超能力にも思える、僕に有る「不思議」な物事は、僕が行っている訳では無いし、またそれらは、僕の才能でも無い。僕は、唯の人間でしかない。よって、飽くまでも、それらの「不思議」な物事は、「神様の恵み」として表されているのである。

 「あなたは『ビジョン』を持っていますか?。どういう『ビジョン』を持って生きていますか?。信長がええやつや悪いやつやなんかはどうでもエエ。『ビジョン!』。『ビジョン』が有れば、人は何を食べて、何を飲んで、何を読んで良いかが解る。それが無いからダーラダーラ、ビールでも飲んでテレビでも見よか……。しょーもない人生や!そんなもんは、しょーもないですよ。だから私達は、ダーラダラして信長なんか解りません……。」
 「日本にいる(古代)ユダヤ人…(中略)…これから、そういう人たちが、未来を創っていく……」
  (2017年9月30日収録CD、「聖書講義・聖徳太子はユダヤ人であった」(宇野正美氏講演、エノク出版)より)

 この記事は、実は本シリーズ「僕の証」の他の7つの記事が大方書き終わった後に、おまけ、追記、エピローグとして書き始めたのであるが、書き編集しながら、自己紹介の意味も込めて、プロローグとした方が良いのではないかと思った。この記事以外の本シリーズの他の7つの記事(1)~(7)は、本年(2018年)10月末の着想に始まり、11月に入った土日の休日のみに書き進め、11月最後の日曜日には大方それら7つの記事は書き終えていた。その途中、本シリーズ以外の記事も並行して作成したり他の用事も熟していたので、出すのが大幅に遅れてしまった。そして、この「エピローグならぬプロローグの『追録』」が、この際、いっそのこと、ついでに、ついでに……、といった感じで、当初、思っていたものよりも、非常に長くなってしまった。その為に結局、投稿するのが、年末にまでずれ込んでしまった。また、このシリーズの記事ばかりに捕われてしまい、チェックはしているものの、他の時事問題、国際問題等に触れる事が出来なかった。
 また、当初は「証」をするつもりで書いていた訳では無く、途中で「証」をしている事に当てはまっていると気付いた。今後の目的に向かって進んでいく為にも、先ず、本年5月以降の、且つそれ以前の、自身のトラブルや変調について分析し整理して、先に自分の内面を固める事を目的として書き出したのであった。このタイミングでの「証」は、自分の意志によって行ったものでは無く、正に「偶々」である。
 そして、その後に変調が「リセット」され、スパイラルの如く、終わりの後に再び始まる事となる。それは何も、医療系の事を言っているのでは無い。もう今後、医療系に戻る事は無い。僕が、今までに失敗、挫折、紆余曲折を経ながら現在に至って持つ事となった目的は、それでは無い。
 しかしそれにしても、本年5月末の丁度、僕の誕生日から、長期休暇後の最初の新しい職場での仕事となった訳だが、その時を持って、ジャーナリズムの内の発信(投稿)が大方止まる様にして減ってしまった事と、年男の48歳がその時点で終わったというのは、意味が深い様にも感じる。昨年は、酉年であった。「渡り鳥」の様にして渡り歩く僕……。
 
 ※ 尚、当記事に於いて、結果的には他文献記事から引いて用いる文章が多くなりましたが、本記事によって当方は収入を一切得ておりません。

 関連・本ブログ記事
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一6章12~20節
   すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
  食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。
  神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。
  あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
  遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
  しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
  不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
  あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
  あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 6:12~20
   “All things are lawful for me,” but not all things are expedient. “All things are lawful for me,” but I will not be brought under the power of anything.
  “Foods for the belly, and the belly for foods,” but God will bring to nothing both it and them. But the body is not for sexual immorality, but for the Lord; and the Lord for the body.
  Now God raised up the Lord, and will also raise us up by his power.
  Don’t you know that your bodies are members of Christ? Shall I then take the members of Christ and make them members of a prostitute? May it never be!
  Or don’t you know that he who is joined to a prostitute is one body? For, “The two”, he says, “will become one flesh.”
  But he who is joined to the Lord is one spirit.
  Flee sexual immorality! “Every sin that a man does is outside the body,” but he who commits sexual immorality sins against his own body.
  Or don’t you know that your body is a temple of the Holy Spirit who is in you, whom you have from God? You are not your own,
  for you were bought with a price. Therefore glorify God in your body and in your spirit, which are God’s.


 僕は今後、セックス等のくだらないもの、「不品行」を見せるつもりは全く無い。また、恋愛を見せるつもりも全く無い。そして、医療関係の仕事を見せるつもりも全く無い。セックスを見たければ、アダルト・ビデオでも見とけばよい(但し、それを視る事が道徳的に適ったものかどうか、少なくとも、キリスト者(クリスチャン)としてはふさわしくない行いである)。恋愛を見たければ、テレビ・ドラマや映画でも見とけば良い。医療を見たければ、同じくテレビ・ドラマでも見とけばよい。却って、作業着姿のテレビ・ドラマは殆ど無いので、町工場の作業着姿は値打ちがあるのではないだろうか?。そして、「タブー」を見せる事こそ、「真実」を見せる事こそ、値打ちがあるのではないだろうか?。また、レジャー等と周囲の大多数と同じ様な事をして見せる事に何の値打ちが有るのだろうか?。僕は世間・空気の反対こそ、世間の中に於ける稀(まれ)な事こそ、値打ちが有ると日々、強く思っている。

 2017年12月9日付・本ブログ記事、「世界統一政府エルサレムと第三次世界大戦を計画するユダヤ・イルミナティによる執念の挑発・・・平昌オリンピックのロシア排除と、イスラエル首都をエルサレムとするアメリカによる承認と、そして誘い込む『罠』か?」より、

 『来年(2018年)の韓国で行われる平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)に向かうに当たり、昨年のリオ五輪とパラリンピックに引き続きロシアへの妨害工作が行われた。国際オリンピック委員会(IOC)が先日12月5日(日本時間6日)、ロシア選手団の参加を認めない決定を下した。表面上は政治圧力等は無かったと言っているが、やはり欧米・西側・ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンによる執念のロシアいじめ、排除、そして挑発であると思われる。国旗掲揚や国歌斉唱も認めないと言うのは、大変な侮辱である。
 これに対して常に賢明な判断を下されるロシアのプーチン大統領は……』
 『旧約聖書・エゼキエル書38~39章には、次の預言が…(中略)…
 この事を、ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンは勿論知っている。また、欧米各国、聖書を読む者は、大概知っている。プーチン大統領も知っている。非常に賢明なプーチン大統領がユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンから挑発を受ける中で、その挑発に乗ってしまう罠に掛からないかどうか、また今後の近い将来、プーチン大統領の後任のロシア大統領はどの様な人物なのか。その辺り、危惧される所である。
 トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と承認した事は、ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンがエルサレムにロシアの介入を呼び込もうとする「罠」かもしれない。』
 (以上、2017年12月9日付・本ブログ記事、「世界統一政府エルサレムと第三次世界大戦を計画するユダヤ・イルミナティによる執念の挑発・・・平昌オリンピックのロシア排除と、イスラエル首都をエルサレムとするアメリカによる承認と、そして誘い込む『罠』か?」より)

 本年(2018年)1月11日付・本ブログ記事、「トランプ氏へ、エルサレム首都承認に対する世界の抗議撤回要求声明の数々(18):あなたが尊敬するプーチン大統領はロシア正教が礎の高い道徳心&中心に深入りしない賢明さ、USはシリア征服失敗完了日に首都決定」より、

 『(昨年(2017年))12月6日のアメリカによるエルサレム首都決定に対する撤回要求決議案の採決に際し、ロシアは18日の緊急国連安全保障理事会では賛成し、また21日の緊急国連総会においても賛成された。そしてパレスチナ自治政府のアッバス議長は、「もはやアメリカを中東和平の仲介者としては認めない」(13日)、「米国が再び和平協議のパートナーや仲介者になることを認めるような人はどうかしている」(18日)等と述べられ、代わりにロシアと支那(中国)に、その仲介役を期待してそれぞれに代表団を送り、その大きな役割を果たして頂ける様にとの要請が行なわれた。アッバス議長からプーチン大統領宛の手紙が手渡された事を受けてロシア側は、「当事者の代わりに問題を解決することはできない」が、しかし「解決のサポートはできる」と述べ、飽くまでも一定の距離を取りながらの援助に留め、決してエルサレムには深入りしない事を伺わせる、慎重な姿勢を表明された。
 また今回のエルサレム騒動のきっかけとなったアメリカによる決定と同じ日、シリア内戦におけるIS(Daesh)掃討が完了し、シリアが「完全解放」されたという声明が、ロシア国防省から翌日7日に発表された。そしてプーチン大統領は4日後の11日午前、予告なしに突如、シリア北西部の地中海沿いでラタキア市南東にあるロシア軍のフメイミム空軍基地を訪問し、駐留するロシア軍の大部分の撤退を命令された。』
 (以上、本年(2018年)1月11日付・本ブログ記事、「トランプ氏へ、エルサレム首都承認に対する世界の抗議撤回要求声明の数々(18):あなたが尊敬するプーチン大統領はロシア正教が礎の高い道徳心&中心に深入りしない賢明さ、USはシリア征服失敗完了日に首都決定」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2017/12/09付:「世界統一政府エルサレムと第三次世界大戦を計画するユダヤ・イルミナティによる執念の挑発・・・平昌オリンピックのロシア排除と、イスラエル首都をエルサレムとするアメリカによる承認と、そして誘い込む『罠』か?」
  ・2018/01/11付:「トランプ氏へ、エルサレム首都承認に対する世界の抗議撤回要求声明の数々(18):あなたが尊敬するプーチン大統領はロシア正教が礎の高い道徳心&中心に深入りしない賢明さ、USはシリア征服失敗完了日に首都決定」

 関連文献
  ・2017/12/11付・読売新聞:「プーチン氏、シリア電撃訪問…露軍撤退を指示」

 2016年9月6日付・本ブログ記事、「日々、社会的システムから排除されがちな障がい者達はロシア全選手のリオ五輪排除に共感するのか・・・欧米のロシアへの圧力・嫌がらせは『逆効果』、日本とロシアの連携」より、

 「本年(※ 2016年当時)8月中旬まで行われたオリンピックでは、あのドイツの作曲家バッハの血統であるのか否かは解らないが、IOCのバッハ会長は概ね妥当な判断を下した事により、潔白なロシア選手に出場の道を開いた事は良かった。しかし、(※ オリンピック競技の中でも特に、花、中心とも言う事が出来る)陸上競技に於いては全選手排除のままとなってしまい、残念に思った。」
 (以上、2016年9月6日付・本ブログ記事、「日々、社会的システムから排除されがちな障がい者達はロシア全選手のリオ五輪排除に共感するのか・・・欧米のロシアへの圧力・嫌がらせは『逆効果』、日本とロシアの連携」より)

 「スポーツ仲裁裁判所(CAS)が国際オリンピック委員会(IOC)の下していた処分を全面否定した事により、イルミナティが支援しているIOCは恥をかき、面子が潰れる事となった。」(2018年2月5日付・本ブログ記事、「CASが処分を全面否定した事で恥をかいたイルミナティ・バックアップのIOCは悔い改めず自分の名誉を守る為に潔白なロシア選手達を犠牲にするのか?-Does IOC repent ?」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2016/07/23付:「リオ五輪ドーピング問題の連帯責任適用は間違いである・・・政治介入はロシアへの陰謀、最終戦争を企てるユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンはプーチン大統領がキレるのを待つ」
  ・2016/09/06付:「日々、社会的システムから排除されがちな障がい者達はロシア全選手のリオ五輪排除に共感するのか・・・欧米のロシアへの圧力・嫌がらせは『逆効果』、日本とロシアの連携」
  ・2018/01/14付:「“Unfair IOC”イルミナティの『global flag』挑発を軽く往なしロシアを安定安泰に導くプーチン大統領:不当な政治的迫害で理不尽な犠牲に遭われた『一意専心』アスリートの方々のケアも忘れず」
  ・2018/01/18付:「ドーピング疑惑の陰謀理解への一連の流れ:ソ連崩壊、オリガルヒ一掃、オレンジ革命、FEMEN、プッシーライオット、ロンドン五輪、ウクライナ騒乱、『目の敵』(enemy of eye) にされたロシア」
  ・2018/02/05付:「CASが処分を全面否定した事で恥をかいたイルミナティ・バックアップのIOCは悔い改めず自分の名誉を守る為に潔白なロシア選手達を犠牲にするのか?-Does IOC repent ?」
  ・2018/02/07付:「スポーツ仲裁裁判所(CAS)が処分を全面的に取り消したにも関わらず、恥知らずなイルミナティIOC(国際オリンピック委員会)はオリンピックに汚点を残す -“For shame ! , IOC .”」

 「マティス米国防長官はシリアから米軍を撤退させる命令に署名した。国防総省報道官が24日、明らかにした。
 マティス長官は20日、来年2月に退任すると表明。前日にはトランプ大統領が側近の反対を押し切ってシリアからの米軍撤退を表明しており、外交政策を巡る大統領との見解の相違が背景にあったとみられる。」
 (2018年12月24日付・REUTERS JAPAN「米国防長官、シリア撤退命令に署名=報道官」より)

 関連・本ブログ記事
  ・本ブログ ブックマーク:「シリア騒乱:とにかく反政府勢力が間違いで政府が正しい 2013」 ・・・本ページ右サイド

  ・本ブログ ブックマーク:「シリア東グータ解放 2018:Eastern Ghouta Liberation + 西側欧米によるドゥマ偽旗工作 False Flag by anti-Govt. of West」 ・・・本ページ右サイド

 参考文献
  ・2018/12/24付・REUTERS JAPAN:「米国防長官、シリア撤退命令に署名=報道官」

 「2008年12月27日から始まったガザ紛争についてテル・アヴィヴのバル=イラン大学の講演で、『イスラエルは、ハマースに勢力がある間は、安全でない。ハマースの戦意を萎えさせる決起が必要だ』と発言、また、『我々は、アメリカが日本に対して第二次世界大戦中に行ったのと同様、ハマースとの戦いを続けなければならない。当時も、占領は不要だった』と発言し、ハマースの戦意が萎えるまで闘い続けるよう訴えた。同発言を報じた『エルサレム・ポスト』は、広島、長崎への原子爆弾投下を引き、暗にハマースへの原爆投下を指すと報じた。」
(ウィキペディア「アヴィグドール・リーベルマン」より)

 「イスラエルのリーベルマン国防相は(本年(2018年11月))14日、パレスチナ自治区ガザでの停戦に反発し、辞任を表明した。イスラム組織ハマスとの停戦を受け入れたネタニヤフ首相の判断を『テロに屈した』と批判し、総選挙の早期実施を要求した。主要閣僚であるリーベルマン氏の辞任は、ネタニヤフ政権への大きな打撃となる。
 リーベルマン氏は極右政党『わが家イスラエル』の党首で、イスラエルの対パレスチナ最強硬派として知られる。」
(2018年11月14日付、時事通信「イスラエル国防相が辞任=強硬派、ガザ停戦に反発」より)

 関連・本ブログ記事
  ・本ブログ ブックマーク:「イスラエルのガザ侵略・パレスチナ人に対する虐殺と人権蹂躙 2014」
  ・本ブログ ブックマーク:「アメリカ・トランプ政権に送る、エルサレムをイスラエルの首都と承認した決定に対する世界中の反対・抗議・撤回要求声明の数々 2017」
  ・本ブログ ブックマーク:「KEY48, Right of Return, “Palestinian Nakba 70th”/2018.5.14『パレスチナ・ナクバ70周年』祖国帰還の権利」

 参考文献
  ・2018/11/14付・時事通信:「イスラエル国防相が辞任=強硬派、ガザ停戦に反発」
  ・ウィキペディア:「アヴィグドール・リーベルマン」

 「副作用が定期接種化されるよりも前に既に多数報告されていた子宮頸がんワクチンは、臨床試験も十分にしないままに認可され、臨床においての『人体実験』を行なって副作用のデータを集めています。
 添加物に不妊剤『アジュバンド』が入っており、イルミナティの下部組織WHO(世界保健機構)の進める人口削減計画と製薬会社の利権の為の子宮頸がんワクチン接種促進によるものです。
 また、接種後の効き目が7年間のみで、小学6年(12歳)~高校1年(16歳)の接種対象者にその効き目の有る12歳~23歳の少女期の間にセックスをする事を奨励している様なものです。
 5月17日付、神戸新聞によると、「ワクチンの安全性を検討する厚生労働省の専門部会は16日、4月に定期接種化したばかりの子宮頸がんワクチンで、以前から接種後に原因不明の痛みやけいれんなど健康被害の報告が多数あることを踏まえ、接種と症状に関連があるかどうかを調査すべきだとする意見をまとめた。厚労省は詳しい調査を開始すると決めた。」
(2013年5月21日付・本ブログ記事、「子宮頸がんワクチンは中止が必要」より)

 「『全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会』やインターネットでの子宮頸がんワクチンに対する批判・抗議が多い効果もあってか、厚生労働省の役人が少し折れる対応を見せました。
 2013年6月14日付・ 読売新聞より、『子宮頸けいがんワクチンの接種後に体の痛みや歩行障害などの重い副作用が表れている問題で、厚生労働省は14日、『積極的な勧奨を一時的に差し控える』と発表した。
 同日の有識者検討会の議論を受けたもので、同省は、自治体から各家庭への接種の案内を控えさせる通知を都道府県に出した。こうした対応は2005年の日本脳炎ワクチン以来2例目で、極めて異例だ。」
(2013年6月15日付・本ブログ記事、「子宮頸がんワクチン接種、一時推奨中止へ・・・被害者連絡会等の訴えに官僚が少し折れたか」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2013/05/21付:「子宮頸がんワクチンは中止が必要」
  ・2013/06/15付:「子宮頸がんワクチン接種、一時推奨中止へ・・・被害者連絡会等の訴えに官僚が少し折れたか」
  ・2014/07/06付:「子宮頸がんの根本的予防は結婚するまで『純潔』を守ること」

 『ナチスによるユダヤ人の財産没収と強制移住の為の一時的な強制収容は迫害かもしれないが、アウシュウィッツにガス室は存在せず、ホロコーストも無かった。チフス等の感染症や飢餓が原因で亡くなられた。財産没収と強制収容は、同じ大戦中に在米日本人に対して米国も行っていた。そして、日本軍による南京大虐殺も無かった。』
  (2017年12月1日、本ブログ記事「アウシュウィッツの『ガス室』とユダヤ人『ホロコースト』は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画『DENIAL』(「否定と肯定」)12/8公開」より)

 『ポーランド上院は2月1日、ナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺(ホロコースト)について、ポーランドが加担していたと批判することを違法にする法案を可決した。法案については、イスラエルが強く批判するほか、米国が懸念を示していた。』
 『ポーランド政府はかねてから、アウシュビッツ強制収容所などナチス・ドイツがポーランド領内に作った施設を「ポーランドの死のキャンプ」などと呼ぶのは、ポーランドにも責任があったかのような印象を与えると、強く反発してきた。』
 『ポーランド政府は、法案はホロコーストに関する研究や議論の自由を制限するのが目的ではなく、海外における国の名誉を守るためだと説明している。
法案を起草した法務省のパトリク・ヤキ副大臣は、イスラエルの反応がまさに「いかにこの法案が必要かという証明だ」と述べた。』
  (2018年2月1日付、BBC NEWS JAPAN「ホロコーストに『ポーランド加担』の表現禁止する法案、上院可決」より)
 『ポーランドの対外イメージを守ることが新法の狙い。愛国主義的な政治理念を掲げる右派の与党「法と正義(PiS)」が過半数を占める上院は1日、賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で法案を可決した。同じく与党が多数派の下院では先月26日に可決済みで、アンジェイ・ドゥダ(Andrzej Duda)大統領が署名をすれば成立する。』
  (2018年2月1日付、AFP BB NEWS「ポーランド、ホロコースト表現に罰則科す新法可決 最大禁錮3年」より)
 『ポーランドのアンジェイ・ドゥダ(Andrzej Duda)大統領は6日、ナチス・ドイツ(Nazi)によるホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)が行われた強制収容所を「ポーランドの死の収容所」と表現することなどを禁じた法案に署名し、同法は成立・発効した。』
  (2018年2月7日付、AFP BB NEWS「ポーランド、ホロコースト表現に罰則科す新法成立 イスラエルは修正求める」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2017/12/01付:「アウシュウィッツの『ガス室』とユダヤ人『ホロコースト』は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画『DENIAL』(「否定と肯定」)12/8公開」

 参考文献
  ・2018/02/01付・AFP BB NEWS:「ポーランド、ホロコースト表現に罰則科す新法可決 最大禁錮3年」
  ・2018/02/01付・BBC NEWS JAPAN:「ホロコーストに『ポーランド加担』の表現禁止する法案、上院可決」
  ・2018/02/07付・AFP BB NEWS:「ポーランド、ホロコースト表現に罰則科す新法成立 イスラエルは修正求める」

 一方で、少し気掛かりなのが、次の3例である。

 「スポーツ仲裁裁判所(CAS)が国際オリンピック委員会(IOC)の下していた処分を全面否定した事により、イルミナティが支援しているIOCは恥をかき、面子が潰れる事となった。
 ロシア・オリンピック委員会(ROC)は先月1月29日、平昌オリンピックに個人資格で参加する選手169人を、正式に発表した。コーチ80人を含む189人が帯同し、総勢358人となるとの事である。事前にロシア側が予備登録した選手は、500人であった。
 世界的なドーピングの流行の中で、理不尽にもロシアばかりに集中して注目され、検査数も他国の倍以上行われ、他国の選手が許容されるものでも摘発されている。その理由は、本ブログにおける過去記事に記載している為に、本日の記事では省略させて頂くが、一言で言うと、欧米・西側・NATO(北大西洋条約機構)とその裏のユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの陰謀である。
 31日にはプーチン大統領がモスクワ郊外の大統領公邸に出場選手を招かれ、選手達を激励されると共に、ロシア選手としての出場では無く個人資格での出場となってしまい、且つ、国旗・国歌を使用出来なくなってしまった事等について謝罪された。」
 (2018年2月5日付、本ブログ記事「CASが処分を全面否定した事で恥をかいたイルミナティ・バックアップのIOCは悔い改めず自分の名誉を守る為に潔白なロシア選手達を犠牲にするのか?ーDoes IOC repent ?」より)

 「ロシア・ボブスレー連盟は23日、個人資格の「ロシアからの五輪選手(OAR)」として平昌冬季五輪に出場した女子ボブスレー選手、ナジェジダ・セルゲエワがドーピング検査で陽性反応を示したと発表した。
同選手は18日に行われた検査で心臓用の薬に陽性反応を示したという。チームの医療スタッフが処方した薬ではないとされ、その5日前の検査結果は陰性だったという。」
  (2018/02/24付・REUTERS「五輪=OAR選手がドーピング陽性、平昌で2人目」より)

 『当該の女性選手は、何処かで見覚えのある方であると、パッと見て感じた。そう、多分、本ブログ記事、2018年2月5日付の記事の「CASが処分を全面否定した事で恥をかいたイルミナティ・バックアップのIOCは悔い改めず自分の名誉を守る為に潔白なロシア選手達を犠牲にするのか?―Does IOC repent ?」に掲載したYouTubeの内の一つで、サムネイル(表紙)にプーチン大統領と並んで映された女性アスリートの方ではないのか?。
 先日の本ブログ記事、2018年2月24日付「Did Illuminati feel envy?ーロシア・カーリング混合ペアの女性がアンジーと似ていた為にイルミナティの『妬み』からメダル剥奪に繋がったのか? & 同様に予防医療でも病気にされる」で記載した事と同様、あのメダル剥奪されたロシア夫婦と同じく、目を着けられてしまったのでは無いのか?。それ故に、罠に嵌められたのではないのか?。
 もしかすると、ひょっとして、本ブログ2018年2月5日付の記事のせいで目を着けられたのだとすれば、多大な御迷惑をお掛けしてしまった事になる。
 却って、私は当該の女性選手に御迷惑をお掛けしてしまったのであろうか?。もしそうならば、余計な事をして、大変申し訳なく思い、ここに謝罪致します。それとも単に、私の感受性が強いが為、私の考え過ぎだろうか・・・・・・。』
  (2018年2月26日付、本ブログ記事「もしかすると・・・、If it's so , I'm truly sorry to do an unnecessary thing, and I apologize here ー ロシア2人目の陽性」より)

 関連・本ブログ記事
 ・2018/02/05付:「CASが処分を全面否定した事で恥をかいたイルミナティ・バックアップのIOCは悔い改めず自分の名誉を守る為に潔白なロシア選手達を犠牲にするのか?ーDoes IOC repent ?」
  ・2018/02/26付:「もしかすると・・・、If it's so , I'm truly sorry to do an unnecessary thing, and I apologize here ー ロシア2人目の陽性」

 参考文献
  ・2018/02/24付・REUTERS:「五輪=OAR選手がドーピング陽性、平昌で2人目」

 



YouTube: Putin: La decisión del TAS confirma que la mayoría de los
  atletas rusos están limpios [SUBTITULADO]

RT en Españolにより2018/02/02公開
本ブログ2018/02/05付記事にて共有


出典:2018/02/24付REUTERS「五輪=OAR選手がドーピング陽性、平昌で2人目」

 上動画、及び画像:ロシアの女子ボブスレー選手、ナジェジダ・セルゲエワ氏

 『2013年当時、シリアの管理状況を調べる為の国連視察団によれば、化学兵器と生物兵器は現イスラエルを査察すれば、それらの多くが見つかるはずだと述べていた。
 現イスラエルは国際法規上でその査察を逃れる為に、核拡散防止条約と生物兵器禁止条約に調印せず、化学兵器禁止条約にはその当時に調印するものの批准はしていない。
 核兵器は300発以上を保有し、原料のプルトニウムも保有する。また他にも、放射性トリチウムを製造する。
 生化学、バイオテクノロジーに力を入れ、生物兵器の散布による、ペストやエボラ等の細菌・ウイルスの感染症や、新たな病原菌の開発を行っている。
 対外諜報機関モサドが、そのナノテクノロジーを応用した毒物兵器を使う為の、体内での血液凝固による循環不全、細胞殺、臓器の炭化を引き起こす事を目指した研究開発が進む。
 またアメリカも、2013年時点で未だ2,700トンの化学兵器が備蓄されている事が明らかにされている。メディアは、アメリカが支援するシリアの反体制派にそれらの化学兵器が流れていると見る事が出来ないのだろうか?。ユダヤに支配されている西側・欧米メディアは、西側・欧米の「嘘」、「偽善」の主張のみを伝える偏向報道である。
 そして、アメリカは世界で初めて日本の広島と長崎に核兵器を使用し、民間人無差別爆撃と大量破壊、大虐殺の「ホロコースト」を行った。戦後、同じ時期に行われたとされるナチス・ドイツによるユダヤ人「ホロコースト」は、アメリカ自身が日本に対して行った「ホロコースト」のすり替えであり、ユダヤ支配のアメリカ自身が行った事を敗戦国ドイツに対してレッテルを貼り、同じく敗戦国の日本にも南京「ホロコースト」という「嘘」のレッテルを貼ったのである。アメリカはその当時、ナチス・ドイツに資金援助をし、アシュケナジー・ユダヤ人の迫害(※但し「虐殺」は全く無かった)に協力し、強制収容所でのフェイク・ユダヤ人の強制労働から莫大な利益を得ていたのである。』
  (2018年10月14日付、本ブログ記事「KEY48, Right of Return、 5.14パレスチナ・ナクバ70th(48):ナチス援助米国とイスラエルの化学と核/US aided the Nazis & Israel CW & NW」より)

 『フランスのエマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は7日、第2次世界大戦(World War II)中に権威主義的なビシー(Vichy)政権を率い、ナチス・ドイツ(Nazi)に協力したフィリップ・ペタン(Philippe Petain)元国家主席について、第1次世界大戦(World War I)では「偉大な軍人」だったと擁護し、大きな批判を浴びた。』
  (2018年11月8日付、AFP BB NEWS「仏大統領、ナチス協力の元国家主席を擁護 批判噴出」より)

 『終戦100周年記念でフランス北部を訪れているマクロン氏はシャルルビル=メジエールでの演説で、「(第1次世界大戦で)フランスを勝利に導いた司令官たちに敬意を表するのは正しい」と述べた。
マクロン氏はペタンについて触れ、ナチス占領下のフランスで「悲惨な選択」をしたが、「彼はすばらしい兵士だった」と語った。
ペタンはフランス第3共和政最後の首相として、仏中部ビシーに置かれたナチスの傀儡(かいらい)政権を率いた。』
  (2018年11月8日付、BBC NEWS JAPAN:「第1次世界大戦の英雄は後のナチス協力者 マクロン仏大統領が称賛し物議」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2018/10/14付:「KEY48, Right of Return、 5.14パレスチナ・ナクバ70th(48):ナチス援助米国とイスラエルの化学と核/US aided the Nazis & Israel CW & NW」

 参考文献
  ・2018/11/08付・BBC NEWS JAPAN:「第1次世界大戦の英雄は後のナチス協力者 マクロン仏大統領が称賛し物議」
  ・2018/11/08付・AFP BB NEWS:「仏大統領、ナチス協力の元国家主席を擁護 批判噴出」

 以下、2018年10月14日付、本ブログ記事「KEY48, Right of Return、 5.14パレスチナ・ナクバ70th(49):現イスラエル独立へのユダヤのイデオロギー『共産主義』/Jewish ideology "Communism"」より、
 『(2018年)5月17日
  日本のフォト・ジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家で月刊誌DAYS JAPANの元編集長、広河隆一氏(74)。
   現イスラエルの「首都」テルアビブ市内のミンシャール芸術学校をギャラリーとし、1969年に続き2度目の写真展、「広河隆一-大惨事 人間に敬意を表して」を開く。占領下に在るパレスチナ人の他、チェルノブイリや福島の原発事故、アメリカに侵攻されたイラク等の人々や消えた村等の写真80点以上を展示する。……』
 『広河氏は、「(第三次中東戦争でイスラエルが侵略し占領した)1967年にイスラエルのキブツ(集団農場)で暮らした。『理想社会』の近くの廃虚がイスラエル建国で追われたパレスチナ人の村跡地と知り、衝撃を覚えた。村跡地を訪ね歩き、パレスチナ難民の撮影を続け、2008年には自身が監督した映画『パレスチナ1948・NAKBA』を公開した。……』
 『現イスラエルの集団農場である「キブツ」とは、ヘブライ語で「集団」「集合」を意味し、ユダヤ人の農業共同体、農業コミュニティーである。……』
 『ドイツ等のヨーロッパだけではなく、1881年~1884年と1903年~1906年のロシアでも、ユダヤ人に対するポグロム(破滅・破壊)が行われた。その難を避ける為にロシアのユダヤ人達が向かったのは、アメリカであった。そのアメリカのユダヤ人達は、現イスラエルが存在するパレスチナ地方への移住を希望していない。
 1978年から始まった、初期のパレスチナ地方へのユダヤ人入植に際して、ロスチャイルド家が豊富な資金を使って土地を購入して入植させた。しかしユダヤ人入植者達は自ら耕作せず、アラブ人達に小作させ、ロスチャイルド家の資金援助にも関わらず農村型入植が成功しなかった。それ故、その後の1909年に、シオニスト機構の指導により軍隊駐屯型のキブツ方式が導入され、ユダヤ人入植者達を強制的に縛り付ける必要があった。そこにも、ロスチャイルド家の資金援助無しには有り得なかった事が言える。』
 『その1909年の後、1917年のイギリスのバルフォア外相(当時)と「ユダヤ人」であるロスチャイルド英貴族院議員との間での「バルフォア宣言」や、その同年の「ユダヤ人」による「ロシア革命」、1922年に「ユダヤ人」が95%以上も占めた共産主義政権の旧ソビエト連邦成立、1939年9月1日~1945年9月2日の第二次世界大戦の中でのナチス・ドイツによる「ユダヤ人」の強制収容とそれに伴う財産没収が行われ、その戦後に「ユダヤ人」によって「ホロコースト」という歴史が捏造され、1947年の強制力の無い国連総会におけるユダヤ人に偏向したパレスチナ分割決議採択、そして1948年の現イスラエル独立宣言と続いた。それらの一連の流れの中で、ロスチャイルド家の資金援助、アラブ人コミュニティーの中でシオニストによるテロ活動、東欧や「ロシア革命」の難から逃れて来た「白人」の「アシュケナジー・ユダヤ人」がパレスチナ地域に移住し、また「ホロコースト」のプロパガンダを利用した「フェイク・イスラエル」に移住して来た者達が居た。
 共同体を意味するコミュニティとは、コミュニズム、つまり「共産主義」である。そして、世界のグローバル化、「世界は一つ」とするグローバリズムとは、世界のコミュニティ化、世界を一つの共同体とする事であり、それは、世界を「ユダヤのコミュニティ」とする事であり、「世界ユダヤ・コミュニズム」、ユダヤによる「世界共産化グローバリズム」である。共産主義とは、ユダヤ人のイデオロギーである。』
  (以上、2018年10月14日付、本ブログ記事「KEY48, Right of Return、 5.14パレスチナ・ナクバ70th(49):現イスラエル独立へのユダヤのイデオロギー『共産主義』/Jewish ideology "Communism"」より)

 



「ヒトラー・ホロコースト神話検証」 「ヒトラー・ホロコースト神話検証」 「ヒトラー・ホロコースト神話検証」

 「ヒトラー・ホロコースト神話検証」
  (著者:木村愛二氏、出版社:木村書店、出版日:2006/10/15)
  出典:「憎まれ愚痴」~「木村書店@憎まれ愚痴」~『ヒトラー・ホロコースト神話検証』内容ご案内
・・・2018年10月14日付、本ブログの同記事に掲載 

 『写真誌「DAYS JAPAN」を発行するデイズジャパン(東京)は27日までに、フォトジャーナリストの広河隆一氏(75)を25日付で代表取締役から解任したことを明らかにした。週刊文春2019年1月3日・10日号で、広河氏からのセクハラ行為を訴える女性の元スタッフらの証言が報じられていた。
 広河氏はチェルノブイリ原発事故やパレスチナ難民キャンプ虐殺事件などの報道で知られる。』
 『デイズジャパンはホームページで「傷つけたという認識が欠けていた。私の向き合い方が不実だったため、傷つけることになった方々に心からおわびします」との広河氏のコメントも掲載した。
 同誌は2004年に広河氏らが創刊し、国内外の社会問題を取り上げてきた。11月、売り上げ不振のため、来年2月発売の3月号で休刊する方針を発表していた。』
  (2018年12月27日付、日本経済新聞「広河隆一氏を解任 セクハラ報道で発行元」より)
 『デイズジャパンだけでなく、認定NPO法人沖縄・球美の里の名誉理事長を解任されたことも報告した。』
  (2018年12月26日付、The Huffington Post Japan「広河隆一氏、『DAYS JAPAN』の社長解任。性暴力疑惑の報道を受けて謝罪『傷つけた認識に欠けていた』」より」

 関連・本ブログ記事
  ・2018/10/14付:「KEY48, Right of Return、 5.14パレスチナ・ナクバ70th(49):現イスラエル独立へのユダヤのイデオロギー『共産主義』/Jewish ideology "Communism"」

 参考文献
  ・2018/12/26付・The Huffington Post Japan:「広河隆一氏、『DAYS JAPAN』の社長解任。性暴力疑惑の報道を受けて謝罪『傷つけた認識に欠けていた』」
  ・2018/12/27付・日本経済新聞:「広河隆一氏を解任 セクハラ報道で発行元」

 ユダヤと繋がる朝日新聞系の「ハフィントンポスト」や、花田紀凱氏(現「月刊Hanada」編集長)が編集長をされておられた頃とは異なり左翼・リベラル系の立ち位置からスキャンダルを出し続ける「週刊文春」の言う事を「鵜呑み」にする事は出来ない。
それら両誌が「性行為やヌード写真の撮影などを要求」、「あっという間にベッドに移動させられ、抗えないままセックスが終わった」等とは、俄にも信じ難い。その両誌は、ユダヤに使われているのであろう。
そして、このタイミングである。その直前に(?)、来年(2019年)2月発売の3月号で休刊する方針を発表していたのは圧力が掛けられたのか……?。そして同じく直前、2018年10月14日付の広河隆一氏の写真展等に関した本ブログ記事の投稿の後……。
 元々、SNS用語として、「私も」を意味してセクハラや性的暴行の被害体験を告白・共有する事に用いられ、それがフェミニズムやジェンダーフリーと合わさる様にして行われているデモにも利用されている「#MeToo」。この世界的なムーブメントは、グローバリズム、世界共産化グローバリズムの一環で行われているに過ぎない。勿論、告発の中には本当のものも含まれるであろうが、旧ナチス・ドイツによるユダヤ人ホロコーストが実は無かった事や、南京大虐殺が無かったこと、従軍慰安婦の強制や徴用工が無かった事等と歴史の捏造と同じく、「#MeToo」にも多分に「嘘」が含まれていると見なければならない。

 しかし、それにしても、誠に勝手ながらも、本ブログ記事で取り上げさせて頂いた方々に、前例の如く、「ひょっとして……」、「もしかすると……」といった事、罠、粗探し、難癖が付けられる等がないであろうか……?。本記事「僕の証<8>」、では、多くの方々が登場されるのであるが、大丈夫であろうか……?。
 ※ 尚、本記事によって当方は収入を一切得ておりません。

 以下、2018年10月12日付、女性自身「メラニア大統領夫人、『私は世界で最もいじめられている人間』」より、
 「トランプ大統領の妻、メラニア・トランプ夫人が(アメリカ)ABCニュースのインタビューで、自らを『世界でいちばんいじめられている人間』だと発言し、……(僕の証<8-2/14>に続く)

 「 My Testimony/僕の証<8> 」<1/14> ~ <14/14> ↓
 【1】 【2】 【3】 【4】 【5】 【6】 【7】 【8】 【9】 【10】 【11】 【12】 【13】 【14】
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映画「ジェラシック・パークⅢ」より「創造主の生命倫理」「創造論」を冒涜するリベラリズム・進歩主義・悪魔主義の「ダーウィン進化論」ー「優生学」の「過剰医療」ー「バビロニア・タルムード」の繋がりを思う

2019-01-06 00:24:52 | エッセイ・コラム
 映画「ジェラシック・パークⅢ」に見る、
  「創造主の生命倫理」「創造論」を冒涜するリベラリズム・進歩主義・悪魔主義の「ダーウィン進化論」
    それに繋がる「優生学」の「過剰医療」
     推し進めるユダヤ・イルミナティ・「マスコミ」
      「世界統一共産主義政府エルサレム」に存する「進化論」と「バビロニア・タルムード」と「ゴイム」


 



YouTube: ジュラシック・パークIII (吹替版) - 予告編

YouTube: Jurassic Park 3 (1/10) Movie CLIP - Crash Landing (2001) HD


 昨年(2018年)7月6日(金)、読売テレビ(日本テレビ系)で放送された「ジェラシック・パークⅢ」を視聴した。
 「ジュラシック・パーク」の内容は、概ね、次のウィキペディアからの引用分に要約されている。

 以下、ウィキペディア:「ジュラシック・パーク」より、
  「1990年に出版されたマイケル・クライトンによる小説、またそれを原作として1993年に製作された同名映画に端を発する映画シリーズ、小説、コミックシリーズ、ラジオドラマ。作中に登場する娯楽施設の名称でもある。」
  「バイオテクノロジーを駆使して蘇らせた恐竜たちによる惨劇を描くパニック・サスペンス。
  原作ではヴェロキラプトルを『知力が高く厄介な存在』と設定し、最大の脅威として描いている。これは続編『ロスト・ワールド -ジュラシック・パーク2-』でも同様である。
  作中に登場するジャングルリバーライドはユニバーサルスタジオのアトラクションである『ジュラシック・パーク・ザ・ライド』として再現されている。
  SFエンターテイメント作品だが、原作・映画全体を通して背景には『生命倫理や生命の進化・歴史』『テクノロジーの進歩と過信』に対する哲学的テーマが存在する。」
 (以上、ウィキペディア:「ジュラシック・パーク」より、)

 また、本作については、同じくウィキペディアから引用する。
 以下、ウィキペディア:「ジュラシック・パークⅢ」より、
  「2001年に公開されたアメリカ映画。『ジュラシック・パーク』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』から続くシリーズの第3作である。ユニバーサル映画提供。」
  「人気シリーズ第3作。シリーズの前2作が『マイケル・クライトンによるSF小説の映画化』という形をとっていたのに対し、この作品では基本的に映画独自のストーリーが展開されている。監督は前2作のスティーヴン・スピルバーグからジョー・ジョンストンに変わる。
  タイトルのロゴマークはスピノサウルスに変わった。原点回帰をテーマにしており、背景には『生命倫理や生命の進化・歴史』、人間が『神の真似事』をすることへの批判精神等は、原作及び1作目から引き続き受け継がれている。また、スピルバーグの作品でよく指摘される「親子関係」も1作目とは異なる形で見られる。」
 (以上、ウィキペディア:「ジュラシック・パークⅢ」より)

 以下、2018/06/06付、YouTube・YouTube ムービー「ジュラシック・パークIII (吹替版) - 予告編」より、
  「著名な古生物学者アラン・グラント博士(サム・ニール)は、裕福な冒険家(ウィリアム・H・メイシー)とその妻(ティア・レオーニ)に依頼されて、恐竜をクローン生産する拠点だった小島の遊覧飛行ツアーに同行する。だが、夫婦には別の目的があり、3人は小島に不時着することになる。そして、彼らに襲いかかる恐竜たちは、博士が想像もしないほどに狡猾で俊敏、獰猛で残忍だった。」
   (以上、以下、YouTube ムービー「ジュラシック・パークIII (吹替版) - 予告編」より)

 先日、支那(中国)の或る研究者が、「ゲノム編集」技術で受精卵を改編した女児の双子を誕生させた事を公表した。

  昨年(2018年)11月25日
   支那の南方科技大学に所属する賀建奎博士
    「HIV(エイズウイルス)に感染した男性とこれに感染していない女性との受精卵の遺伝子をCRISPR-Cas9というゲノム編集技術で改変し、HIVに耐性を持つ双子の女児を誕生させた」

 以下、2018年11月29日付・Newsweek日本版、「遺伝子編集した双子の女児が誕生と主張の中国科学者に批判集まる」より、
  『現時点において、この研究結果は、論文として査読付きの学術雑誌で発表されておらず、第三者による検証が行われていない。賀博士が籍を置く南方科技大学は、11月26日、「賀博士の研究は大学外で行われ、大学や学部への報告もなかった。大学も学部もこの研究について認識していない。これが事実であるならば、研究倫理や行動規範に反するものだ」との声明を発表した。
  中国の国家衛生健康委員会(NHC)では、同日、広東省の衛生健康委員会に対し、この事実関係について速やかに調査するよう命じている。
  賀博士がこの研究結果を公表して以降、ゲノム編集技術による人の受精卵の遺伝子改変について中国内外から様々な懸念や批判が寄せられている。中国でエイズ研究にたずさわる140名の研究者グループは、11月27日、賀博士の研究を強く非難し、このような研究や実験を厳しく禁じるよう、規制の強化を当局に求める共同声明を発表した。』
 (以上、2018年11月29日付・Newsweek日本版、「遺伝子編集した双子の女児が誕生と主張の中国科学者に批判集まる」より)

 人間の作った科学技術は、農業や漁業、工業、医療、その他の生活全般に渡って、人間がより便利に、快適に、そして、後の天での「永遠の命」に比べればほんの一瞬に過ぎない此の世での寿命を少しでも伸ばせる様にと、人間なりに考えた結果のものである。人間なりに考えたものであるので、または、人間が勝手な思いで作ったものでしかないので、神様の「御心」に適っているとは限らない。
 その科学技術を作る者達がキリスト者(クリスチャン)やムスリム(イスラム教徒)の方々であれば、聖書を規範としている事で、「神様の領域」である生命にはむやみやたらに触れたりせず、且つ一線を引き、節度・限度を守り、踏み込まないはずである。そして、「生命倫理」は創造主にエビデンス(根拠)を置く。
 今後、AI(artificial intelligence、人工知能)が発達し、それぞれの分野で人間を超えてしまう可能性が高いが、それらの専門分野が一つに統合されたAIが、旧約聖書の「ダニエル書」にも預言されている通り、「荒らす忌むべきもの」(同書11章31節、12章11節)となって頂点に立ち、人類を支配する可能性が有る。
 将来のAIと同様に、既に人間の手に負えなくなってしまっているのが、核兵器と原子力発電である。同じく聖書で預言されている「世界最終戦争」に於いて核兵器が使われたり、原子力発電所への人工地震兵器等を使ったテロ攻撃が行われる時、前例の如く、人間はどうすることも出来ない。その他、電磁波パルス兵器「EMP」(electromagnetic pulse)も、全ての都市インフラを破壊してしまう能力を持ち、手に負えない。そして、例え、人間が此の世で全滅したとしても、コンピューターは独り勝手に動き続けるという。現在、核兵器も原発も、全てがコンピューター制御の下に在る。そのコンピューターが暴走する時、人間は既に手に負えなくなっている。
 また、バイオ・テクノロジー等の発達で、それが食品や医療等の分野に利用されている。食品の遺伝子組み換え、ゲノム編集だけでは無く、また医薬品への利用が挙げられるが、その他に、人工授精や出生前診断、人工妊娠中絶、代理出産も、これに当てはまる。果たして、これらは「聖書」を規準として考えた場合、「聖書の生命倫理」に適合するものであろうか?。僕は、これら現在、食品分野や医療で行われている「科学的」、「進歩的」なものは、「間違い」であると考える。
 その「進歩的」なものとしてNHKをはじめとした「マスコミ」に持て囃されているのが、「ダーウィンの進化論」である。この「ダーウィンの進化論」は、次の聖書の御言葉を「冒涜」し、否定したものである。

 
 



 旧約聖書・創世記1章24~28節
   ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ」と仰せられた。するとそのようになった。
  神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。
  そして神は、「われわれに似る様に、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
  神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
  神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」。

 The Old Testament・The Book of Genesis 1:24~28
   God said, “Let the earth produce living creatures after their kind, livestock, creeping things, and animals of the earth after their kind;” and it was so.
  God made the animals of the earth after their kind, and the livestock after their kind, and everything that creeps on the ground after its kind. God saw that it was good.
  God said, “Let’s make man in our image, after our likeness. Let them have dominion over the fish of the sea, and over the birds of the sky, and over the livestock, and over all the earth, and over every creeping   thing that creeps on the earth.”
  God created man in his own image. In God’s image he created him; male and female he created them.
  God blessed them. God said to them, “Be fruitful, multiply, fill the earth, and subdue it. Have dominion over the fish of the sea, over the birds of the sky, and over every living thing that moves on the earth.”


 上記、創世記1章26節の「われわれ」とは、唯一神である創造主の内に複数の人格=位格(ペルソナ)が存在する為である。天の父である創造主とその子イエス・キリストと聖霊というペルソナが存在するが、三位一体の唯一の神である。
 上に掲げた様に、創世記では「その種類にしたがって」と繰り返し述べられている。これは、後々将来に於いて、「進化論」の様なものが出現する事を神様が予め知り、それに対する警告の意味も込めて預言されたのであろう。「進化論」が突然出現したのはつい最近、1859年である。「種の起源」においてダーウィンが唱えたものでしかないのだが、人間をはじめ全てのものが創造主である唯一神によって創られた「創造論」を否定し、人間が神様によって創られたのでは無く、単細胞、アメーバから誕生したとか、猿やチンパンジーから進化した等とする説である。もし、ダーウィンの言う通り「創造論」が間違いで「進化論」が正しいのであれば、「人間の尊厳」は存在しない事となり、他の動物と同じレベルとなり、創世記の「創造論」に書かれてある人間が他の動物を支配して良いという事も出来なくなってしまう。
 よって、その「ダーウィンの進化論」には、「バビロニア・タルムード」の臭いがする。「タルムード」には、「ユダヤだけが人間である。他は全部『ゴイム(獣)』である」と、書かれているからである。つまり、現在進められている、「世界共産化グローバリズム」によって建てられる「世界統一政府エルサレム」では、一部の支配者がユダヤであり、その他は全部「ゴイム」であり、家畜であり、奴隷である、という事である。
 聖書の唱えている「創造論」を証明したのが、「優性の法則・分離の法則・独立の法則」の3つから成る「メンデルの法則」である。研究・実験によって、エンドウ豆はいつまでもエンドウ豆、朝顔はいつまでも朝顔である事を証明された。また、「メンデルの法則」を構成する3つの法則により、「種」が独立したもので、それぞれ別の「種」を持った動物と動物の間には「壁」が存在するという事を示している。つまり例えば、人間と猿との間には絶対に子供が生まれないと言う事で、進化論が唱えている、種と種の壁を打ち破って通り越える事は在り得ないという事である。そして、この「メンデルの法則」がきっかけとなって、「遺伝学」が誕生する事になった。
 しかし現在、その「創造論」を冒涜して「進化論」を推し進めている傾向が伺える。遺伝子操作、医療での「出生前診断」をはじめとした行き過ぎた医療行為には、それが見える。「ダーウィンの進化論」が劣性遺伝子・民族・人種が淘汰されるという「優生学」に繋がった様に、正に、医療での「予防医療」という名目下で行われている「出生前診断」や「遺伝子診断」等の「過剰医療」には、それが見えるのである。
 ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンは、傲慢にも神様を無視し、科学至上主義・人間至上主義・人間第一主義となって、リベラリズム・進歩主義・サタニズム(悪魔主義)の「ダーウィン進化論」を「マスコミ」を使って洗脳しながら、「世界共産化グローバリズム」の一環として、現在、推し進めている。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/02/09付:「『生命倫理』について・・・(4)人間の尊厳、『メンデルの法則』と『進化論』」
  ・2015/02/22付:「NHKはイルミナティ・フリーメーソンが用いるサタニズムの進化論を洗脳 & タルムードの『ゴイム』」
  ・2016/12/25付:「聖書を冒涜する『進化論』は、タルム―ディックユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの悪魔主義である・・・聖書が真実。宗教組織・偽預言者・無神論者・科学至上主義・人間至上主義・人間第一主義による幻惑」
  ・2017/03/29付:「生命倫理とは『神の倫理』、生命は『神の領域』・・・人工授精、出生前診断、人工妊娠中絶、遺伝子組み換え、ゲノム編集……そして創造主・神の『創造論』に対する悪魔・人間の『進化論』」
  ・本ブログ カテゴリー:「予防医療の危険性と生命倫理」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)
  ・2018/11/29付・Newsweek日本版:「遺伝子編集した双子の女児が誕生と主張の中国科学者に批判集まる」
  ・ウィキペディア:「ジュラシック・パーク」
  ・ウィキペディア:「ジュラシック・パークIII」
  ・2018/06/06付・YouTube YouTube ムービー:「ジュラシック・パークIII (吹替版) - 予告編」
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“Preparation !“、“Repentance !” 、周囲から笑われながらコツコツと備蓄、「腐敗」と「発酵」は紙一重、知識薄くして行うは危なきなり、天国へ行く前の「悔い改め」

2019-01-05 21:00:40 | エッセイ・コラム

 昨年(2018年)の7月、猛暑の中、鉄工所で大量の汗をかきながら仕事をしていた。
 ふと冷蔵庫を開けてみると、甘酒が入っている。勿論、毎日開けているので気が付いていたはずである。
 しかし、にも関わらず、ドアポケットの中に、ずっと入れっぱなしになっていた。
 喉が乾いていたので手に取った。裏側のラベルを見た。すると、何と、賞味期限は、「2014年9月2日」と書いてあった。そう、丁度、賞味切れとなってから4年も経過していたのである。
 国産の米麹と米のみが原料となっている、その手に取った甘酒。添加物は一切入っていない。
 そして、甘酒は、何と言っても「発酵食品」である。僕は、その「発酵食品」である事を信じ、瓶の中の甘酒を、瓶のまま一気に飲み干した。
 すると、当日、翌日、…1週間後、…1月後と経っても、お腹が壊れる事も無く、それどころか却って、元気が湧いた気がする。
 甘酒は「飲む点滴」と言われている。それ程に、栄養価が高く、身体への吸収率も高い。原料を発酵させている事で、分解されて分子量が小さくなり、身体の血液や細胞に取り込まれ易い。
 食欲が落ち易い夏場、昔から夏バテ防止の為に、甘酒はよく飲まれて来た。

 また、昨年の12月、備蓄品を除いてみた。すると、賞味期限切れが頻発していた。
 「こりゃまずい!」と思い、早速、同じ代替のものを、ネット通販でまとめて購入した。
 期限切れのものは、その後に飲食する。しかし先の甘酒と同様、長い間消費せず、放ったらかしのものがあった。
 その内、いわしやサンマの蒲焼、鯖の味噌煮、グリンピース等の缶詰を食べた。それらは、賞味期限が「2015年1月11日」等となっていた。同じく期限切れとなってから4年が経過していた。
 しかし、同じく、経過観察をしてみたものの、何とも無かった。
 そう言えば、「世界一臭い食べ物」と評される「シュールストレミング」という缶詰が在る。塩漬けのニシンの缶詰であるが、強烈な臭いであるらしい。「腐敗」せず、「発酵」する事による「臭い」であるらしい。
 納豆やぬか漬け、味噌、ヨーグルト、チーズ等と、発酵食品は、本来、「臭い」がキツいものである。
 また、発酵食品以外でも、にんにくやニラ、玉ねぎ等、強壮効果が有る程に栄養価が高いもの程、元来、「臭い」がキツい。
 「臭い」は強壮効果、そう、「臭い」は「フェロモン」である。「臭い」は、性的欲求を高める。
 「臭い」は栄養、そう、「臭い」はそのものの本質を表す。
 「犬」は、「臭い」を嗅ぐ。「警察」は犯罪を嗅ぐ。
 人間に於いても、スマートで、「男臭い」訳でも無く、失敗の無い、「鈍臭い」事の無い、「臭い」の無い人は、味気無いのではないだろうか……。

 備蓄品の中には、「アルファ米」が含まれている。こちらの賞味期限は、2017年2月、もうそろそろ、期限が切れてから2年が経とうとしている。
 5年間の保存が効く「アルファ米」。色んな種類のものが発売されている。僕は、再び、シンプルな、「白米」ばかりを購入した。
 その期限切れとなって2年が経とうとしている「アルファ米」を、初めて食べる事にした。お湯は勿論の事、水でも「炊く」事が出来る。但し、とても時間が掛かる。
 僕は、お湯を入れて、そのインスタント米を食べた。付属のスプーンで食べた。とても美味しかった。ただ、袋のまま食べると、スプーンが短いので、底の方が掬いにくいのが難点である。

 ついでに、酒も確かめた。焼酎の「いいちこ」と「霧島」が残っていた。
 お酒も発酵食品である。前掲の甘酒は、酒と言ってもアルコールは含んでいない。
 焼酎は、アルコール度数が高いので、僕はお湯割りで薄めて飲む。
 製造日を見てみると、2014年10月であった。丁度、その頃に購入したはずである。4年が経過しても未だに残っている程に、普段、僕は余り酒を飲まない。
 余り、僕は普段、酒を飲みたいとは思わない。酒を飲むと、つい、眠たくなってしまう。
 しかし、偶に飲むと、リラックス出来る。偶にはいい。因みに、僕は、タバコを吸った事が無い。

 「腐敗」と「発酵」は紙一重。賞味期限切れはくれぐれも、サッサと食べられます様に。
 くれぐれも、真似しませぬ様に……。
 知識薄くして行うは、危なきなり。

 今後の異常気象や世界大恐慌、そして世界最終戦争となる第三次世界大戦を思いながら、僕は箱舟を造ったノアの様に、周囲からは「トンデモ」、「イタイ」、「有り得へん」、「怖がり」等と笑われながらも、コツコツと備蓄しておくのであった。
 そして、物の備えと共に必要な、心の備蓄と備え。
 最も大事なプレパレーション(Preparation)である、「悔い改め」を忘れずに……。

 




 旧約聖書・創世記6章11~14節
  地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
  神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
   そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
  あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。

 The Old Testament・The Book of Genesis 6:11~14
  The earth was corrupt before God, and the earth was filled with violence.
  God saw the earth, and saw that it was corrupt, for all flesh had corrupted their way on the earth.
   God said to Noah, “I will bring an end to all flesh, for the earth is filled with violence through them. Behold, I will destroy them and the earth.
  Make a ship of gopher wood. You shall make rooms in the ship, and shall seal it inside and outside with pitch.


 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/10/07付:「生命の根幹を司る食養生における日本人にとっての中心『味噌汁』・・・『体質と食物―健康への道』を読んで」
  ・2016/05/08付:「北朝鮮でも実証、有用微生物、発酵食品による除染・・・『放射能汚染 だまされてはいけない!?』を読む」
  ・2017/04/11付:「北朝鮮とアメリカとの核戦争、そのとき日本人はどうするのか・・・『白人至上主義』米国は前衛日本の犠牲を厭わない。しかし神である主イエス・キリストはアジア人。日本に神の選民の存在」
  ・2018/02/28付:「脳卒中・心血管疾患(2):血圧高いほど生存率高い、食塩、味噌・納豆・牛乳の有効性、『ナト・カリ食品』代替と味噌の塩分OK」
  ・2018/03/02付:「Preparation:株暴落、バブル崩壊は近い、マネーと核兵器の膨張、トランプ大統領は『破裂』を担う『パペット』-"Trump-puppet" makes money & nuclear burst 」
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パソコンの「バックアップ」も災害やトラブル等の非常時の為の備え、"Preparation"

2018-10-14 17:42:15 | エッセイ・コラム
 先日、僕の自宅のデスクトップ・パソコンに、トラブルが発生した。
 そのトラブルとは、「タスク・マネージャー」の「パフォーマンス」(及び「プロセス」)で、「ディスク」が100%を維持し続けるものであり、重たく動かない状態となった。
 当初、PCの立ち上がりが重くなっていた「ディスク100%」の対策として、インターネットの記事を参考に「タスク・マネージャー」の「スタートアップ」や「プロセス」に在るプログラムやサービスを一部停止してディスクのパフォーマンスを下げる事が出来たが、暫くしてから(数日後に)、「ディスク100%」を維持したままパフォーマンスが下がらなくなってしまった。
 そのトラブル対策としてWindows10の回復機能を利用し、以下、順に実行してみた。①スタートアップ修復(失敗)→②セーフモード起動・各種調査(失敗)→③Windows10復元ポイントを用いてのシステム復元(失敗)→④外付けハードディスクにバックアップしていたシステム・イメージからコピー(失敗)→⑤HDD初期化(失敗)→⑥クリア・インストール(成功:ブート・ディスクのパフォーマンスが100%から下がる)。
 しかし、PC購入後の8年半の使用により、HDDは経年劣化によるセクタ不良が多発している為、結局、新品の本HDDに交換する事にした。
 実際、SMART機能を持つフリーソフト「CrystalDiskInfo」の「生の値」(16進数)を見てみると、セクタ不良の項目、その中でも重要な「05・代替処理済みのセクタ数」は164(16進数)=1x16²+6x16¹+4x16°=356(10進数)、「C5・代替処理保留中のセクタ数」は2030(16進数)=2x16³+0x16²+3x16¹+0x16°=8,240(10進数)もの実数を数える事となっていた。
 旧HDDは500GBであったが、余裕を持たせる為に新品の本HDDは1TBを選んだ。そして本HDDをブート・ドライブとし、旧HDDは再フォーマットしてクリーン・アップし、バックアップ用の増設ドライブとした。バックアップ用のHDDは、別に外付けHDDが存在する。
 新HDDには、PCの調子の良い時に前もって作っておいたUSB回復ドライブを用い、外付けHDDから前もってバックアップしておいたシステム・イメージをコピーした。しかし、そのシステム・イメージは、約1年前のものであった。それ故、インターネットGoogleの拡張機能「OneTab」に保存していたタブは、その間の約1年分は消えて失ってしまった。一方では僕の場合、自身の「ドキュメント」や「ピクチャ」、「ミュージック」等の各種データやファイル等は、最直近まで別にバックアップしていたので助かった。
 内臓HDDのブート機能を持つドライブの方が500GBから1TBに容量が大きくなった為に、フリーソフトの「AOMEI Partition Assistant Standard Edition 7.1」で増加した分の割り当て無き領域の結合、パーテーションの調節を行った。
 メーカーは、5年程度の耐用年数を見てHDDを製作している。この度の僕の経験からの教訓として、各種データやファイルのバックアップは勿論の事、「システム・イメージ」のバックアップを出来るだけ直近に、小まめにしておく事の必要を学んだ。パソコンの「バックアップ」も、災害やトラブルの為の備蓄、備え、"Preparation" の内の一つである。
 ところで、それだけに留まらず、同じく8年半そのモニターとして接続していた21.5インチTFT液晶ディスプレイも、続けて故障してしまった。丁度、HDDを交換した後ぐらいからチラつき始め、時々消える現象が起きた後に、映らなくなってしまった。
 容量の増加したブート・ドライブの交換、及び旧HDDを増設した為、電源負荷の高まりや、グラフィックボード、ディスプレイ・ドライバ更新を疑ったが、PC本体をそのままにして他のモニター(地上波・衛星用テレビ)をHDMI接続してみたところ、異状は無く普通に映った。恐らく、液晶パネルのバックライトの寿命であると思われる。液晶パネルの修理は高価であり、本品をはじめとして1万円程度の比較的安価なディスプレイが数多く出ている為に、新品を購入する事にした。
 少し迷ったが、旧使用モニターには無かった、高視野角のADSパネル、5段階のブルーライト・リダクション搭載から、旧モニターより少し大き目の23.8インチのものを選んだ。ゲームをする事は無く(してもソリティア程度)、watching、reading、writing、note等、daily-work、そしてlifeworkには必要十分である。
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僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God

2018-03-19 04:18:50 | エッセイ・コラム
(2018/03/20:タイトル訂正)

I am not outlaw, and I am“out-low”. ― 身分の低い外れ者)
I am servant. ― 私は僕(ぼく、神様のしもべ)
I doesn't have the ability. ― 能力の無い僕
 People who have faith in God are make changeing their all things as good by the grace of God. ― 神様への信仰心により、神様の恵みで益として下さる


 

新約聖書・コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:10
  But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.

 コリント人への手紙 第一15章58節
  ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 The First Epistle to the Corinthians 15:58
  Therefore, my beloved brothers, be steadfast, immovable, always abounding in the Lord’s work, because you know that your labor is not in vain in the Lord.



 

コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.



 

新約聖書・エペソ人への手紙3章7~9節
  私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。
  すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
  また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 The New Testament・The Epistle to the Ephesians 3:7~9
  of which I was made a servant according to the gift of that grace of God which was given me according to the working of his power.
  To me, the very least of all saints, was this grace given, to preach to the Gentiles the unsearchable riches of Christ,
  and to make all men see what is the administration of the mystery which for ages has been hidden in God, who created all things through Jesus Christ,

 

 

新約聖書・ローマ人への手紙8章28~30節
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
  なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
  神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 The Epistle to the Romans 8:28~30
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.
  For whom he foreknew, he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers.
  Whom he predestined, those he also called. Whom he called, those he also justified. Whom he justified, those he also glorified.

 

 

ローマ人への手紙12章2節
  この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 12:2
  Don’t be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what is the good, well-pleasing, and perfect will of God.

 旧約聖書・伝道者の書7章21節
   人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。

 The Old Testament・Ecclesiastes 7:21
   Also don’t take heed to all words that are spoken, lest you hear your servant curse you;

 新約聖書・テモテへの手紙 第二4章5節
  しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

 The New Testament・The Second Epistle to Timothy 4:5
  But you be sober in all things, suffer hardship, do the work of an evangelist, and fulfill your ministry.

 
 
 


新約聖書・ルカの福音書1章26~38節
   ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
  この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
  御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
  しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
  すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
  ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
  その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
  彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
  そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
  御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
  ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
  神にとって不可能なことは一つもありません。」
  マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

The New Testament・The Gospel of Luke 1:26~38
   Now in the sixth month, the angel Gabriel was sent from God to a city of Galilee named Nazareth,
  to a virgin pledged to be married to a man whose name was Joseph, of David’s house. The virgin’s name was Mary.
  aving come in, the angel said to her, “Rejoice, you highly favored one! The Lord is with you. Blessed are you among women!”
  But when she saw him, she was greatly troubled at the saying, and considered what kind of salutation this might be.
  The angel said to her, “Don’t be afraid, Mary, for you have found favor with God.
  Behold, you will conceive in your womb and give birth to a son, and shall name him ‘Jesus.’
  He will be great and will be called the Son of the Most High. The Lord God will give him the throne of his father David,
  and he will reign over the house of Jacob forever. There will be no end to his Kingdom.”
  Mary said to the angel, “How can this be, seeing I am a virgin?”
  The angel answered her, “The Holy Spirit will come on you, and the power of the Most High will overshadow you. Therefore also the holy one who is born from you will be called the Son of God.
  Behold, Elizabeth your relative also has conceived a son in her old age; and this is the sixth month with her who was called barren.
  For nothing spoken by God is impossible.”
  Mary said, “Behold, the servant of the Lord; let it be done to me according to your word.” Then the angel departed from her.

 

 


ルカの福音書1章46~55節
  マリヤは言った。
   「わがたましいは主をあがめ、
   わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
   主はこの卑しいはしために
   目を留めてくださったからです。
   ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
   私をしあわせ者と思うでしょう。
   力ある方が、
   私に大きなことをしてくださいました。
   その御名は聖く、
   そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
   代々にわたって及びます。
   主は、御腕をもって力強いわざをなし、
   心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
   権力ある者を王位から引き降ろされます。
   低い者を高く引き上げ、
   飢えた者を良いもので満ち足らせ、
   富む者を何も持たせないで追い返されました。
   主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
   そのしもべイスラエルをお助けになりました。
   私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に
   語られたとおりです。」

 The Gospel of Luke 1:46~55
  Mary said,
   “My soul magnifies the Lord.
   My spirit has rejoiced in God my Savior,
   for he has looked at the humble state of his servant.
   For behold, from now on, all generations will call me blessed.
   For he who is mighty has done great things for me.
   Holy is his name.
   His mercy is for generations and generations on those who fear him.
   He has shown strength with his arm.
   He has scattered the proud in the imagination of their hearts.
   He has put down princes from their thrones,
   and has exalted the lowly.
   e has filled the hungry with good things.
   He has sent the rich away empty.
   He has given help to Israel, his servant, that he might remember mercy,
   as he spoke to our fathers,
   to Abraham and his offspring forever.”

 
 
 

旧約聖書・イザヤ書7章14~16節
  それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
  この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
  それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 7:14~16
  Therefore the Lord himself will give you a sign. Behold, the virgin will conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.
  He shall eat butter and honey when he knows to refuse the evil and choose the good.
  For before the child knows to refuse the evil and choose the good, the land whose two kings you abhor shall be forsaken.

 

 


 新約聖書・マタイの福音書1章23節
  「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 
 The New Testament・The Gospel of Matthew 1:23
  “Behold, the virgin shall be with child, and shall give birth to a son. They shall call his name Immanuel;” which is, being interpreted, “God with us.”

 新約聖書・ガラテヤ人への手紙6:14
  しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

 The New Testament・The Epistle to the Galatians 6:14
  But far be it from me to boast, except in the cross of our Lord Jesus Christ, through which the world has been crucified to me, and I to the world.






 先日2月27日の本ブログ記事の内の2本から、ヒョッとすると誤解、勘違いされているかもしれないので、本記事で追記しておく。
 僕(ぼく)は、決して、出世したい等とは、全く望んでいない。それらの記事に記載している様に、衣食住が足りれば良く、必要最低限の収入さえ有れば良い。全く、高望みはしていない。そして、却って出世してしまうと、出来なくなってしまう事が有る。また、名を売ってしまっても、出来なくなる事が有る。僕は、例え周囲から評価されなくとも、世間一般から認められなくとも、これから続けて行っていこうと自分の内に懐いている事を行っていく。世間、人からの承認はいらない。
 そして、今までもそうであったが、今後も同様に嫌われ続ける事を、全く厭わない。僕は、自分を信じる「自信」であって、人から嫌われるとか、人から笑われるとかの、その様な他人の判断を疑い信じない。飽くまでも、「自信」であり、「他信」では無いのである。人から誤解され様が、どう思われ様が、僕はそんな事に関心は無い。但し、周囲に迷惑が掛かっていないかどうかは、勿論、常に気にはしている。
 基本的に、他人、世間が希望する事に、僕は応えない。他人、周囲の、その様な欲望の奴隷にはならない。だから、今までも敢えて、反発、反抗して来た。飽くまでも、自分の考えを優先し、周囲やその場の空気や雰囲気には、決して呑まれない。僕は敢えて孤独を選び、中に入らず外から客観的に眺める。
 但し、「自信」であり「他信」では無いものの、「神第一」とする「神信」である。「神信」は、神様を信じる事である。高いレベル順に並べれば、「神信」>「自信」>「他信」となる。飽くまでも、「神第一」とし、その下で、「独立自尊」の精神を伴う「自信」である。
 また、その「自信」も、今から7年前程までは、「僕の能力」に置いていた。つまり、僕は、仕事やスポーツ、勉強、資格、住居、等々……と、それらの上での実績、成績、技術、上手さ、……等を「誇り」としていた。しかし、教会では無く、自ら聖書を手にして「通読」し始めた6年前からは、それが間違いである事に気付いた。それらの、僕が「自己実現」した結果に「誇り」を持つ事が間違いである事を、悟り出したのである。
 「自己実現」とは、自分の能力で、自分の立てた計画通りに、自分の希望通りに、自分の欲望通りに、そして自分の目標を達成する等と、自分の力で成し遂げる事を意味するものである。それに対して、「神実現」が有る。全ての物事は、神様の立てた御計画通りに進んでいる「運命」、「宿命」であり、その上で、決して自分の力では無く、飽くまでも「神実現」によって成し遂げられ、その事に素直に委ねる事によって、神様である創造主に感謝する。但し、勿論、委ねるだけでは単なる甘えであるので、努力する事は大事である。他人への依存は甘えで良く無いが、自立する努力が大事であると共に、神様への依存、委ねは、敬虔な信仰の姿勢、態度であり、最も正しい事である。
 自分の能力を過信する事が良くない事は勿論の事、自分が取るに足りない者、小さき者、無益者、無用者、無能者、役立たずである事を素直に認め、その上で日々、創造主によって自分自身が造られて、創造主によってこの世に遣わされ、創造主によって命を託され、創造主によって日々、生かされている事を感謝する。飽くまでも、創造主によって成し遂げられる「神実現」に対し、感謝する。そして、取るに足らぬ、弱き僕自身の日々の営みの中で、生きる事が出来ている事をはじめとした事柄に、神様の力が働いている事に感謝すると共に「誇り」を置く。飽くまでも、自分を誇るのでは無く、神様を誇るのである。
 小さき無用者の僕自身が、世間、他人に対してギフトを与える事が出来る様な能力は、決して持っていない。また、その様なものを、僕が持っている等と思い込んでもいない。飽くまでも、僕には、大した能力は全く無い。
 例え、何かで失敗せずに成功したとしても、また、良い成績を残したとしても、それらは私の能力で成し遂げたものでは無い。飽くまでも、唯一の神様、創造主が成し遂げたものである。
 ところで、自分が嫌に感じる事を自ら行う事は、一般的には考えられない。自分の良い部分、過去の実績や栄光、現在の地位や役職、肩書等は、とかく一般的にはそれらを見せびらかしたくも思うぐらいであり、またそれによって、世間一般からの承認を得たいとも思うものであろう。この様なブログ記事や投稿動画、その他のSNS、商品レビュー等においても、世間一般の人達へのアドバイス、How to 、お勧め、説教や、その他、自慢話、成功物語……等を行い、それに対しての承認、評価の点数が多い等と良い反応が有ると、喜んだりしているものであろう。
 しかし反対に、自分がコンプレックスに感じていたり、自分で欠点に思い込んでいるもの、また過去の失敗や体たらく、スランプ、不遇、加害者として、或いは被害者としての経験等は、大概、隠して秘密にしたいと思うものであろう。その様な秘密は、多かれ少なかれ、誰でも持っているものである。そして、その秘密にする事は、大抵の場合、恥ずかしいと感じているものであろう。或いは、その秘密が明かされてしまう事で、地位や身分、自分の生命や組織の体制等が、崩壊する事に繋がってしまうものであろう。
 その様な、大なり小なり誰でも持っている秘密を、自らがバラす事は、余り考えられない。それは、バラされると羞恥心を抱く事になり、それに嫌悪感を抱くからである。故に、自分で秘密にしたいと思っている事を、自分で暴露する事は有り得ないと言って良い。
 普通、一般的に、家の鍵は閉める。そして少なくとも就寝する時には、窓のカーテンは閉める。そして勿論、セックスする時に、カーテンを閉める事は勿論、電気も薄暗くして行っているものであろう。それは、一般的に、セックスに対して羞恥心を抱いているからである。人間の考えから言って、セックスを人前に見せびらかす事は、普通は考えられない。例え、夫婦の間でのセックスは悪いものでは無く、また子供を創造主から授けて頂く為の手段としてのセックスで正しい事であっても、それを自ら曝け出す事は有り得ない。そのセックスをはじめとしたプライバシーを、誰でも自ら暴露する事は有り得ないと言って良い。
 セックスは勿論の事、人前で裸を見せる事にも、普通は恥ずかしく思うものである。服も基本的には、その裸を隠すものである。自分の性器、「恥部」を、服でカバーしているのである。その「恥部」を、自らの意思で見せびらかす事は、普通は有り得ない。
 しかし現実、この世には不思議な事が、時々起こるものである。その様に自分が嫌だと感じる事であっても、起こるのである。自然災害は、その内の一つの例である。誰しも、その様な災害を望んでいない。また、その様な自然災害を、科学的に理由付けが出来ない。今後将来、科学が幾ら進歩しても、その解明は不可能である。しかし、超常現象、超自然現象、超科学的現象は、実際に今まで数多く、起こって来たのである。
 精子と卵子がくっついて細胞分裂が始まり、生命が誕生するとされている。しかし、何故、精子と卵子がくっついただけで、生命が誕生するのであろうか?。またその後、頭、手足、各種臓器等と、人間が勝手に形造られていき、そして、勝手に心臓が動いているのである。更に、神経系、免疫系、内分泌系と生体の恒常性(ホメオスタシス)の維持も含めて、これら不随意で造られ動かされているのを果たしてお偉い只の人間の科学者の方々は、どの様に解明し説明していくつもりであろうか?。そんなものは、将来的にも不可能である。
生命の誕生、人間の誕生、超常現象等と、それらの発生原因、及び発祥は、ただ一つ、創造主である。何とシンプル、何と単純、何と簡単な答えであろうか。そのシンプル、単純、簡単な答えを、不信心で、無神論者で、科学至上主義の人間達が、ややこしく、複雑にして来たのである。
 その代表的なものが、「進化論」である。「進化論」は、聖書の「創造論」を否定したものである。旧約聖書の最初、創世記の第1章に繰り返し書かれている、「その種類にしたがって」、人間を含む全ての生き物が、それぞれの種毎に独立して造られ、また子孫を残し、繁栄していく事が述べられている。決して、種と種の壁を突き破る事は無い。よって、サルやチンパンジーから人間に進化する事は有り得ないのである。ダーウィンの唱える「進化論」は聖書を否定したものであり、サタニズム(悪魔主義)と言える。「進化論」は無神論カルト、イルミナティのサタニズム・サイエンス(“Satanism Science”)なのである。「創造論」は、創造主によって、人間を含む全ての生物が造られた事を論じるものであり、それは、聖書そのものである。
 今から約2,000年前、只の人間のマリアさんは、処女にして子供をお産みになられた。その子供に、「イエス」と名付けた。そう、救い主、イエス・キリスト(メシア)である。この事も、超常現象である。世間一般の無神論者達は、セックスなしで子供を産める訳が無いと考える。また、科学至上主義のお偉い科学者の方々も、その様な事を否定する。それ故、タルムード・ユダヤ教やイルミナティの御用学者達や歴史家達は、その事を神話扱いしたり、否定する内容の論文や捏造された歴史書を、今までに発表して来た。前述の「進化論」も、同じである。セックスなしでも、生命が誕生する事は起こり得る。その約2,000年前の事実が、それを物語り、証明している。
 そして、人間マリアさんが処女でイエス様をお産みになられた事においてもう一つ大事な事は、飽くまでも、マリアさんは、只の人間であったという事である。決してマリアさんは、聖人でも無く、単なる人間でしか無かったのである。「聖母マリア」と言われるが、確かにイエス様をお産みになられた時点では処女であったが、その後、イエス様の弟と妹を数人お産みになられたのである、そのイエス様の弟妹達は、マリアさんの夫、ヨセフとの間の子、ヨセフとのセックスを通して産まれたのである。故に、マリアさんは僕たち人間と、何ら変わらず同じ、同じレベルの人間であったのである。そしてマリアさんも自分の事を、「卑しいはしため」と言っているのである(新約聖書・ルカの福音書1章48節「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです」)。
 それでは何故、只の人間でしか無いマリアさんが処女にしてイエス様をお産みになる事が出来たのであろうか?。それは、創造主である唯一神によって、マリアさんの身体を利用して、成し遂げられたからである。創造主である唯一神に不可能な事は無い。飽くまでも、「創造主の能力」によって、神様の全能の力によって、事が成し遂げられたのである。決して、人間マリアさんの能力によってイエス様がこの世に御降誕されたのでは無い。マリアさんは「只の人間」なので、自らの能力によって、その様な超常現象を起こせる訳が無いのである。
 しかしマリアさんがすごかった所は、天の創造主からの御使いガブリエルが「『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。』」(ルカの福音書1章28節)と言われても、決してプレッシャーに感じなかった事である。それどころか、その御使いを通した神様の御意志を嫌がる事無く素直に受け入れて、「『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」(ルカの福音書1章38節)と述べられたのである。普通、神様に敬虔でない者ならば、神様の子を宿し、産み、育てる事について大きなプレッシャーに感じ、ストレスとなって、出来れば避けて、世間一般と同じ様になりたいと思うのではないであろうか?。しかしマリアさんは、嫌がる事が無いばかりか、「ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」(ルカの福音書1章48節)と、素直に受け入れると同時に心から喜ばれ、更にその奇跡を起こされる神様を賛美されたのであった。
 そのイエス様が処女の身体を通してこの世に御降臨される事が、その約700(~800)年前、今からでは約2,700(~2,800)年前に、預言者イザヤによって預言されていた。名を「インマヌエル」と言い、「人と共に住む」という意味が込められている。その事は、旧約聖書のイザヤ書に書かれている(旧約聖書・イザヤ書7章14節「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」)。
 僕は、この世で最底辺に生きる小さき者であり、前述の通り、人にギフトを与える事が出来る様な、その様な大層な能力は持っていない。例え発言した事が偶々(たまたま)その後に同様な事が起きたとしても、それは飽く迄も「たまたま」であり、決して予言者でも預言者でも無く、只の人間、単なる人間であり、役立たず、無用者、無益者であり、小さき者の僕は、大した能力を全く持っていないのである。
しかし、その「たまたま」の方が、却って意味が有る。何故か?。自分の意思で、自分の立てた計画通りで、自分の立てた目標通りで行動する事は、一般的に見ると立派であり、世間、周囲の評価は高い。逆に、「たまたま」であると、評価には繋がらない。しかし、その「たまたま」と言う、不随意で、自分の考えの存在しない、思ってもみなかった事こそ、創造主の御意志で成し遂げられたと言って良い。「偶然」に起こった事こそが、人間の考えに依らない、神様の御意志に純粋な出来事と言えると思う。
 確かに、7年以前の僕自身と、6年前以降の僕自身では考え方や生き方、捉え方、持っている知識や教養の量には違いが有ると同時に格差も有り、以前のイメージで依然、僕自身を捉える方々が、世間一般には多い。それは仕方の無い事である。その事も誤解される事に繋がっている。自分の十字架として背負っていく様に捉える事も必要であろうが、前述通り、人の評価を当てにせず、嫌われようが笑われようが、そして誤解されようが、その様な事に僕の心を関わらせない(=関心しない)。一時期、あそこに通っていた9~13年前の頃は、「ファッション」に気に掛けていた頃も有ったが、今では全く興味は無く、服は、寒暑を凌げれば良いぐらいにしか考えない。よって、「Dress Rehearsal For The Antichrist」(反キリストの為のドレス・リハーサル)は行わない。また、先日の記事にも記載した通り、資格も教科書も資料も全部捨てたので、その関係に戻る事は無い。よって、「思い出が罠になる時」は、僕には来ない。お金になる方の仕事は、衣食住が最低限賄える事と、こちらと並行して出来るものであれば良いと、考えている程度である。
 本日の本記事においては、「私」では無く、「僕」を用いた。「僕」は、普段の会話の時にはいつも、「オレ」とかでは無く、「僕」(ぼく)を使っている。漢字の「僕」の「ぼく」とは、「しもべ」とも読む。「しもべ」とは、召使い、身分の低い者、雑用に使われる者である。僕(私)は、身分の高い人間の召使いには成りたくは無い。その様な奴隷には甘んじたくはない。しかし、「しもべ」の英語「servant」は、召使い、使用人の意味が有ると共に、奉仕者、公務員、役立つ者でもある。創造主である唯一神の「しもべ」となり、公義を基として奉仕、陰徳を行う、「サーバント・リーダー」(“servant leader”)を目指したい。決して出世して上に立つのでは無く、「アウトロー」の視点と立ち位置を忘れずに。但し僕の言う「アウトロー」とは、“outlaw”(無法者、無頼漢、やくざ者)では無く、“out-low”(身分の低い外れ者)の事である。
 僕には、能力は無い。例え何かが成されたとしても、それは、僕が行ったのでは無く、創造主が行った事である。「神様の力の働き」、「神様の恵み」によって、成し遂げられるのである。飽くまでも、私には能力が無いのである。そして、その「神様の恵み」は、「運命」、「宿命」、「使命」である。しかし、僕は只の人間で完璧には程遠いので、その様に解っていながらも、完全に開き直る事は出来ていない。悪しからず。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2012/12/02付:「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・『アシジの聖フランシスコ』を読んで」
  ・2013/08/30付:「『自己実現』と『神実現』の違いについての私の独り言・・・過去を振り返り、『悔い改め』と確認をする」
  ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」
  ・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
  ・2015/08/23付:「失敗、ユニーク、ユーモア・・・『道化師の孤独』を抱えた『聖なる無用性』:『寅さんとイエス』を読む」
  ・2016/04/10付:「プライバシー侵害とストーカー行為は孤独・独立精神・自尊心を持つ権利を蹂躙しようとするものである」
  ・2016/05/08付:「聖霊存する不動の土台が築かれた心により失敗・ユニークが才能・特性に変貌する・・・『聖書力』を読む」
  ・2016/12/25付:「聖書を冒涜する『進化論』は、タルム―ディックユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの悪魔主義である・・・聖書が真実。宗教組織・偽預言者・無神論者・科学至上主義・人間至上主義・人間第一主義による幻惑」
  ・2017/07/23付:「高校中退後の30年間、友達・つながりが全く無かったが、こうして今ちゃんと生きている・・・世間・マスコミの論拠崩壊、独立自尊の精神、マイペース、へそ曲がり、リラックス、そして行雲流水、成るように成る」
  ・2017/07/22付:「『陰徳』により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える」
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/02/27付:「『隠遁者』で『世捨て人』、『道化師』の私からの一言、『麻生さん、ひょっとして、マンガが好きって「ドラえもん」の事だったのですか?』」
  ・2018/02/27付:「『ボタン一つ』の『生命倫理』、核戦争、仕事、技士さん、そして透析医療と導入前『保存期腎不全対策』に見る病院の『利益相反』行為」
  ・本ブログ・カテゴリー:「孤独・独立・自尊心・誇り」
  ・本ブログ・カテゴリー:「世間・空気」
  ・本ブログ・カテゴリー:「エッセイ・コラム」

 関連文献
  ・Christian Today:「多くのクリスチャンが取り除かなければならない聖書的ではない3つの態度」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 参考・関連動画
 



YouTube: Dress Rehearsal For The Antichrist

YouTube:「思い出が罠になる時」第2列王記18章1節から8節
"When memories will be traps." The Second Book of Kings 18:1~8

 



YouTube:「天の国籍と地上での役目」ピリピ3章20節21節
"The nationality in heaven and the duties on this world"
  The Epistle to the Philippians 3:20~21

YouTube: 今日の聖書の言葉 2016年9月11日
人の言葉を気にしない 伝道者の書7章21節
Today's Biblical words September 11, 2016
Don't worry about person's word. Ecclesiastes 7:21

 



YouTube: 今日の聖書の言葉 2016年6月6日
この世の声に調子を合わせてはならない ルカの福音書23章13~25節
Today's Biblical words June 6, 2016
Don't play along with voices in this world.  The Gospel of Luke 23:13~25

YouTube: 今日の聖書の言葉 2015年1月23日
全てのことを働かせて益として下さる 創世記50章15~21節
Today's Biblical words January 23, 2015
The Lord make them as profit by act of all things. The Book of Genesis 50:15~21





YouTube: [CGN フォーカス] 1123編 横田早紀江さんを囲む祈り会
[CGN Focus] 1123 pieces. The prayer meeting which circles Mrs. Sakie Yokota

YouTube: 柳美里×富岡幸一郎×西部邁「人生にはやらなくていいことがある」
  〔新著〕を題材に『柳美里さんと人生を語る』 TOKYOMX西部邁ゼミナール

Misato Yanagi x Koichiro Tomioka x Nisibe Susumu "There are things that we don't
 need to do in a life." "We told lifes with Mrs. Misato Yanagi" by using [new book]
  as a subject. TOKYOMX Nisibe Susumu Seminar

 



YouTube:【直言極言】最も絶望する者が最も希望する者である[桜H29/6/9]
[speaking plainly and going so far as to say ]
 The person who despairs most is the person who hopes most.
  [Sakura(cherry blossom) Heisei 29/6/9]

YouTube:【直言極言】人間の屑と呼ばれて[桜H29/7/7]
[speaking plainly and going so far as to say ] About that had been called human waste.
  [Sakura(cherry blossom) Heisei 29/7/7]

 



YouTube: お金が目的でなければ 何をしたいか? Alan Watts
If you aren't money as an aim , what would you like to do?

YouTube: What Can We Do? - David Icke

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本ブログ開始5周年、未だまだ勉強不足、成長途上を痛感する・・・過去投稿記事3本の補足修正文を追加

2017-12-07 06:00:47 | エッセイ・コラム
 (2017/12/08:編集)

 先日11月20日で、本ブログ開始5周年となった。この5年で、文章の内容といい長さといい、大分変わった様に思う。始めた頃と今とでは勉強の度合いが違っている為、考え等もそれなりに変わって来た様に思う。それ故、政治や社会問題、国際問題、その他時事問題等について長年ジャーナリスティックな活動をされている方々から見れば、私なんぞはただの俄(にわか)保守の様に見られているだけなのかもしれない。
 確かに過去に投稿した記事を読むと、保守的では無い事も多少書いている。これは飽くまでも「勉強不足」であったからである。そこでこの度12月の頭に、3つの記事に対して投稿した当時の文章を全く変えずに残したまま、訂正、及び補足する為の文章を追加した。たった3、4年前であるのに、現在と違っている事が自分で解る。
 まず1つ目は、2013年8月20日に投稿した、「ヘイトスピーチの間違い・・・表面のイメージに騙されずに裏側・根本を見ての真の理解が必要」法律を制定する事により言論弾圧に繋がる恐れが有り、且つ北朝鮮拉致の事実を踏まえる必要が有り、そして大東亜戦争史観に立って当時の日本軍の人道的活動の基となる「武士道」を知る事が必要である事を追加した。「ユダヤによる言論弾圧」、アウシュウィッツの「ガス室」とユダヤ人の「ホロコースト」(大虐殺)が本当は存在しなかった事、「ポリティカル・コレクトネス」、そして朝鮮総連や朝鮮学校への規制・制限は当然の事。一方、日常生活・社会生活等に於いての極端な悪口や憎悪発言、理不尽な中傷や揶揄、いじめ等は勿論悪い事で許されない。しかし一例として、歴史を正しく修正する為の議論を行う為の反対意見、反論、異論、批判、疑問は許されなければならない。よって、法律による規制は議論を損なう危険性が生まれる。また、確かに日韓併合時に朝鮮の人達に対する「鮮人」という蔑称が存在した事は事実で、直近、或いは現在までにも、特に内地に於いての民間・世間一般の中には偏見や差別が有った(、或いは現在も有る)事は否めない。日韓併合時の経済格差から、その様な偏見・差別意識が内地の世間一般民衆の中に生じていたものと思われる。しかし法律や規則、行政等に於いては、日本人と朝鮮人は同等に扱われた。そして朝鮮半島に於いても多少は「痛み」や「差別」を与えた事は有ったかもしれないが(朝鮮半島に於いて差別は殆ど無かったと思われる)、朝鮮半島だけでは無く、台湾、支那、南洋諸島等でも概ね善政を施していた。日韓併合は、破産状態の当時の韓国を救い、内容的に白人至上主義による統治とは全く異なっていた。日本軍による従軍慰安婦の強制や労働者の強制連行は、無かった。日本は内地が赤字になる程投資をして損になる事をしてまでして自らを犠牲にし、韓国を経済的な面だけではなく白人国家からの侵略を防いだ。また、日本軍による南京大虐殺も無かった。大東亜戦争の大義であった、白人至上主義の欧米の植民地となっていたアジア各国を解放し、大東亜共同宣言「相互協力・独立尊重」を、日本の主導で謳われた。その「公義」の為に多くの日本兵の方々が、南洋諸島を含む海外で犠牲になられた。第一次世界大戦後の国連に於いては、世界で初めて人種的差別撤廃提案を提出した
 2つ目は、2014年6月1日の記事、「ネオナチを支援するユダヤ・マフィアと、ホロコーストの神話・・・ウクライナ情勢(10)」南京大虐殺も、ユダヤ人のホロコーストも、数字的誇張どころでは無く実は無かったという事。ナチスによるユダヤ人の財産没収と強制移住の為の一時的な強制収容という事は迫害に当たるのかもしれないが、アウシュウィッツにガス室は存在せず、ホロコースト(大虐殺)も無かった。チフス等の感染症の病気や飢餓が原因で亡くなられた。財産没収と強制収容は、同じ大戦中に在米日本人に対して米国も行っていた。そして、日本軍による南京大虐殺は無かった。日本軍には軍規が有り、日本人による犯罪は少数で、概して日本軍は南京をはじめとした戦地に於いて、「武士道」精神を基に人道的な活動をされた
 3つ目は、2014年1月26日の記事、「日本書紀に抹殺された排仏派・物部守屋と、中臣氏に成済ました百済王子・豊璋(中臣鎌足)・・・『物部氏の正体』を読んで」中臣氏の先祖「コヤネ」はユダヤ祭司「コヘン」である事。そして、中臣氏は古代ユダヤ人である事。この事については、先日2017年12月2日の記事、「『男系男子の血統』護持の為の旧宮家復帰と養子、日本復活の為の旧祝日『新嘗祭』復活、『邪馬臺国』阿波・伊国の高天原・木屋平から献上の麁妙服・・・平成31年、天皇陛下譲位・皇太子様即位・改元・践祚大嘗祭」に記載した為に、ここでは省略する。
 未だまだ私は勉強不足、成長途上故に、今後もこの様に過去投稿記事を加筆修正、及び補足を行う必要性に迫られる事が有るものと思われる。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/08/20付:「ヘイトスピーチの間違い・・・表面のイメージに騙されずに裏側・根本を見ての真の理解が必要 ※2017/12/2・7ー補足訂正:法律による言論弾圧、北朝鮮拉致、大東亜戦争史観で知る日本軍の人道的『武士道』」
  ・2014/01/26付:「日本書紀に抹殺された排仏派・物部守屋と、中臣氏に成済ました百済王子・豊璋(中臣鎌足)・・・『物部氏の正体』を読む ※2017/12/02追記:中臣氏の先祖『コヤネ』はユダヤ祭司『コヘン』」 
  ・2014/06/01付:「ネオナチを支援するユダヤ・マフィアと、ホロコーストの神話・・・ウクライナ情勢(10) ※2017/12/01:訂正文追加・・・南京大虐殺もユダヤ人のホロコーストも数字的誇張どころでは無く実は無かった」
  ・2017/12/02付:「『男系男子の血統』護持の為の旧宮家復帰と養子、日本復活の為の旧祝日『新嘗祭』復活、『邪馬臺国』阿波・伊国の高天原・木屋平から献上の麁妙服・・・平成31年、天皇陛下譲位・皇太子様即位・改元・践祚大嘗祭」
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「陰徳」により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える

2017-07-22 06:53:55 | エッセイ・コラム
 私は、新聞やネットの文献をスクラップとしてPDF化し、パソコンのハードディスクに保存している。先日、過去にスクラップした記事を久しぶりにザーッと見ていると、その中に、私が新聞に投稿した記事が在った。
 2005年1月27日(木)付・神戸新聞朝刊・オピニオン面、「奉仕活動を実行していく …(氏名)… 35歳 (製缶工 …(住所)…)」より、
 「一昨年、仕事中に大けがをし、多くの方々に助けていただいて、九死に一生を得ることができた。その後、自分自身を見詰め直し、原点に戻って生き直したい、と思った。
 奉仕することを人生のテーマとして、助けられた恩義に報い、弱い立場にある方々と共感しながら、多くのコンタクトやコミュニケーションを取って、かかわりたいと思った。今春から、医療系の専門学校の夜間部で、働きながら勉強し、医療技術者を目指したい。
 年齢のリスクがあり、また、現在まで誇りを持ってきた職業でも、社会に奉仕できる。しかし、この度、その機会が与えられ、一つの選択肢として、そのを選んだ。ただ一度の人生、挑戦したい。
 過去高校中退後、悩み、苦労し、努力して、自立した。そうした経験を併せて、今後、特に、弱い立場にある方々を、支えることができるようになるための年にしたい。」
 2003年1月26日(日)、33歳8ヶ月手前の時、休日出勤をしていて怪我をし、2つの病院に受け入れを断られて3つ目の病院に入院したが、家族の要望から転院し、翌日、その4つ目の病院で手術を受けた。日曜日で当直しかおらず、且つ、難しい手術という事でもあった為である。しかしその内の2つ目の病院では、CT等の検査を終えた後に周りに居並ぶ医師や看護師の中、痛みが強く一人の医師に訴えようとしてストレッチャーの上から伸ばした手を振り払われ、その時の主任格と思われる医師の決断により他院への転院が決まった時、その中に居た内の一人の医師が看護師に向かって「良かったな」と言い、看護師が「先生も良かったですね」と返し、救急車で運んで頂いた救急救命士?が「可愛そうやな」と即、返した会話を思い出す。
 退院後、自宅療養、仕事復帰、大検(大学入学資格検定、現・高卒資格)受験と進み、その間に、当時一人暮らししていた自宅の近くに在った、プロテスタントのキリスト教会(日本同盟基督教団)に通い出した。そして、その年の11月頭に、大阪の医療系の専門学校を社会人入試として1校のみ受験した。理学療法士科で、試験科目は生物と小論文と面接のみであった。その試験には落ち、翌年1月に一般入試として同じ学校を再度受験したが、同じ結果であった。受験料は1回3万円もしたので、2回で6万円も払った。いい商売である。そしてその後、毎週日曜日に行っていた教会に数ヶ月間、通わなくなった。
 ただ、助けられたからと、単純に、純粋に目指していただけであったが、通わなくなったのは、自分の希望・目標が叶えられなかった為であった。その当時、教会に通っていた目的が、自分の願いを叶えてもらう為、自分の目標と言う名の「欲望」を叶えてもらうようにお願いをする為でしか無かった訳である。それは、世間一般の人達が御利益主義で、数々の神社に初詣やお参りをしているレベルと同じであった。創造主に感謝するのでは無く、自分の欲望(目標)を拝んでいただけであったのである。それ故に、試験に落ちた途端に教会に通わなくなったのである。

 新約聖書・ピりピ人への手紙 3章19節
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
 
 正に、当時の私自身も、この「彼ら」に当てはまっていたのであった。
 その後、再び通い始めた。そして未だ目指して勉強中だと伝えると、その教会の牧師は、こう言われた、「また戻る」。その牧師が以前いた教会の信者か知り合いの女性で、医師であったが人生に迷いが生じ、出家して尼になろうとしたが、結局は元の医師に戻ったとの例を挙げられた。私の場合も、例え医療に進んだとしても、また元の、私にとって本来の職業である、鉄工・製缶工に戻ると言われたのであった。現在、その通りになっている。しかし、その時は、私は聞く耳を持たなかった。
 しかし、その年(2004年)の1校目を9月に受験する前には、大分解っていた。前述の私の投稿文に、「現在まで誇りを持ってきた職業でも、社会に奉仕できる」と書いてある様に、落ちたら今年(2004年)でその目標は終わりにしようと思っていた。職業に貴賎は無く、直接行って奉仕の実感を得るか、間接的に実感を得ずに行うかの違いだけである。「陰徳」は人に知られずに隠れてする行いであり、それを行う事による報酬も無く、名声を得る事も無く、自分自身に直接感謝される事も無く、見返りのない奉仕である。但し、「陰徳」によって人・世間からの見返りは無いが、心に聖霊が宿り、死後の永遠の命を得る等の神からの見返りは有る。この世の一時の生命を重んじるか、或いは後の永遠を重視するかの違いである。
 その最後として挑んだ年、せっかく勉強して来たから受けてみよう、でも、落ちても鉄工の仕事で社会に貢献していけばいいと言う考えの基、気楽に受験した。前年の、その目標(欲望)しか見えてなかった状態とは異なっていたのである。故に、前年の場合は、落ちてショックを受けたものだった。9月の1校目は、兵庫の専門学校の義肢装具士科を社会人入試で受けて落ちた。科目は確か小論文と面接だけであった記憶が有る。面接の時、面接官が予め用意していた、パターンシートの様な、チェックリストの様なものに、私が述べた言葉と符合するものに○を付けていた様であり、そのパターン・チェック・シートの○を付けた言葉の数によって点数を付けているのかもしれない。また、社会人入試は科目が少ない為に、内申書の様に学歴や職業経歴も審査して、先に優先順位を決めているものと思われる。そして2校目に、大阪の専門学校を、第一希望・理学療法士科、第二希望・臨床工学技士科で、一般入試で受験した。科目は国・数・英・小論文・面接であった記憶がある。そして、その第二希望に引っ掛かったのであった。
 面接では「有り難う」を言われたい等と言っていた記憶が有るが、それは建前である。私に限らず、学校や会社の入試における面接では、大抵皆、通る為に建前を述べているだけの事が多いものである。当時の私も、今と比べても語彙力が乏しかった為に、他を参考に引用して用いていたに過ぎなかった。「陰徳」と異なり、そのような人からの評価・承認を期待して行う事は、偽善となる。私は当時、人・世間からの評価・承認を得たいが為に、医療を目指していた訳である。

 旧約聖書・箴言 29章25・26節
  人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。

 人を恐れて、人から嫌われたり笑われたりする裁きを恐れて、人・世間から評価・承認を得ようとする事で、偽善を行うにハマったり、人に裏切られる罠にハマる事となるのである。周囲の人・世間を自分の支配者として恐れ拝むのでは無く、真の裁き主である創造主を畏れ崇める事が必要なのである。「陰徳」によって、人からの評価・承認を得る事は出来ない。しかし、創造主に信頼する心を基にした「陰徳」によって、神に守られるのである。
 翌年(2005年)、せっかくの機会だからとその大阪の学校に入学した。そして初日いきなり、自分の教室の自分の座る椅子にガムが貼り付けてあった。当時の私は寛容の精神が優位になっていた事と純粋な気持ちがあった為に、問題にする事は無かった。その日帰った後、お好み焼き屋で、母と女主人とにその事を話た事を思い出す。その学校の教師がしたのであろうが、医療関係には、その様な嫌がらせをする者がいると言う事を、入学して初日に知ったものであった。教師は公的な教員免許を持たない、元々病院に努めていた者が殆どであった。見た目の白衣のイメージとは異なるものである。
 また、その学校のパンフレットには、スパルタ教育と書いてあった。つまり、その様な教育が必要な程に、入ってくる生徒のレベルが低い事を表しているものと言える。社会人を経て入る者はまだしも、高校から直接入る様な生徒は、医療系学校の学費の高さも考慮すると、金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんで、大学など他の学校に進学出来ないからそこに入った者も少なくないものと思われる。夜間部に高校から直接の者も多かったが、昼間部でも4年制を採っていた。入試ガイドの本で見たのだが、そこの学校は偏差値も低い。また、医療系の学校は、総じて面接で決まる。前述の様に、特に社会人入試等は試験科目が極めて少ない。私は夜間の授業までの間を過ごす為に図書室を利用する事が多かったが、隣の休憩ルームは騒々しく、図書室でも同様の事が多々あった。外から強制されて躾けられるのでは無く、自分自身の内から、自ら律する事が出来るようになる必要がある
 現在の私は、鉄工所で製缶工として働いている。本来の自分の仕事、自分の姿に戻ったのである。人にはそれぞれ運命と役割がある。その運命と役割は、他の人とは異なったものである。私には、神から与えられた運命と役割が有る。私は現在、医療関係には全く未練は無いし、妬みや恨み等は全く持っていない。また、その当時に失っていた自分らしさを取り戻している。そして、人から認められたいとは全く思わない。人から嫌われようが笑われようが、その様な人の評価を疑い、自分の考え・判断を信じて生きていく。それが、本当の意味での「自信」と言うのである。
 多少、自分を正当化する様で恐縮するが、過去の自分の投稿したスクラップに触れて、過去を想起し、現在の想いを著したまでである。そして過去を振り返り自分を見詰める事で、自分を知り、現在と未来への展望と、運命・役割を考える。因みに、私は現在、教会には通っていない。勿論、8歳になる手前に洗礼を受けたカトリックにも通っていない。今に至った私の考えは、宗教組織に所属せず、依存せず、精神的に自立して、単独で神と向き合う様にして、聖書のみを信ずるという事である。

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  ・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
  ・2014/06/29付:「『『普通がいい』という病』を読んで・・・絶対的基準・規範も持たずにお互いの顔色・反応を確かめて『普通』と認め合っているに過ぎない世間の人達」
  ・2016/04/10付:「独立自尊の精神で孤往独邁の覚悟・・・妥協せず精神面での勝利、『自分を取り戻す』」

 関連動画
 

YouTube: 河島英五:時代おくれ
    
   作詞:阿久悠氏
     「目立たぬように はしゃがぬように  似合わぬことは無理をせず  人の心を見つめつづける  時代おくれの男になりたい」
     「不器用だけれど しらけずに  純粋だけど 野暮じゃなく……」
     「ねたまぬように あせらぬように  飾った世界に流されず……」

 

YouTube: What Can We Do? - David Icke
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桜のはかなさに見る武士の魂と道・・・大東亜戦争、特攻隊、一粒の麦

2017-04-03 12:42:15 | エッセイ・コラム
 桜が咲く時期である。しかし、桜はすぐに散り、開花の時期は短い。

 大東亜戦争の中において若くして飛び立ち、日本精神を守る為、国の存続・防衛の為に亡くなられた特攻隊の先人達。

 武士は、潔く、綺麗さっぱり、未練を残さずに死んだ。

 例え、自分に非が見られなくとも、潔く身を引いた。

 物事に執着せず、穢れなく、嫌味無く、潔白であった。

 一方で、自分の信念・良心に堅く、譲ることをしなかった。

 桜のはかなさを想い、武士の魂と道を見る思いがする。

 大和魂
  「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)」
  「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」
    (以上、ウィキペディア「大和魂」より)

 葉隠
  「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

 新約聖書・ヨハネの福音書12章24~25節
  「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」

 本ブログ過去の関連記事
  ・2014/05/18付:「『独行道』・・・流浪・孤独の境涯を渡った宮本武蔵・・・『宮本武蔵 剣と人―遺書『独行道』に秘められたその実像』を読んで」
  ・2016/07/21付:「クリスチャン内村鑑三・新渡戸稲造は愛国者であった・・・「三つのJ」、武士道精神、契約の民の末裔、歴史修正の必要性、慰霊・慰謝の靖国公式参拝の正当性」
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私も数年前までは「無知」だった・・・勉強すればする程、「保守」、「右」となる。

2017-03-29 15:12:44 | エッセイ・コラム
 私自身、6年前の2011年までは、政治に殆ど関心を持たず、その他の国際情勢社会問題等の時事問題に殆ど興味を持たなかった。それ故、それらの知識は今と比べると大分少なかったものであった。
 確か、民主党(現・民進党)が政権を採って鳩山由紀夫首相(当時)が誕生する事となった2009年の衆議院総選挙では、マスコミが政権交代を煽って民主党への投票を促す状態の中で、世間の多くの人達はマスコミに煽動されるままに民主党に投票していた。その様な中で私も投票に行ったのだが、元々から捻くれてへそ曲がりな性格の私は、周囲の大多数と同じ事はしたくないし、流行・空気に乗りたくないから民主党は嫌であった。自民党は同様に多数派であるので嫌であった。その当時、みんなの党や国民新党、新党大地等が存在していた様だが、それを知らなかった。更に、公明党は創価学会なので勿論嫌いであった。すると、残るのは共産党だけである。それ故、当時無知で天の邪鬼な私は、共産党に投票した様な記憶が残っている。
 ただただ私が無知であったからであるのだが、この事は世間の無党派層の殆どの人達にも当てはまるのではないかと思われる。
 私の場合、2012年の初めからYouTubeを視聴する様になった。それまでは殆ど見る事は無かった。却って今と違って、地上波の主流メディアのテレビを見ていた。インターネットの開始も2008年と遅かった。ただ、2012年以降、それらから入ってくる情報や知識の吸収が早かったのは、20代の頃からリバティ情報研究所の発行する月刊・国際時事情報誌を定期購読し続けて来た事により、頭の中に「ベース」が出来ていたからである様に思う。
 その著者である宇野正美氏のお陰で、世界に於ける2つの座標軸である、「ユダヤ問題」「聖書預言」を知る事が出来た事は、私の精神面に於ける独立意識・自立意識を強める事に繋げられた様に思い有難く思っている。情報を得る事は独立に繋がる。また、私が元々小学校2年の時に洗礼を受けたクリスチャンである事からも、宇野氏の宗教組織とは関係の無い聖書を基準にした捉え方は、真実に最も近いものと信じ得るものであると思うものであった。その上、キリスト教界を批判し、キリスト教界と聖書は無関係、キリスト教界が聖書を利用しているに過ぎないという主張は、今では十分理解する事が出来、共感し、その通りで正しい事と思う様になっている。これは、決して洗脳されているのではない。キリスト者としての「ベース」を持っていたから、吸収しやすかったものと思われる。
 そして、勉強すればする程、どちらかと言うと左寄りでリベラル的であったかもしれない私は、右へ、保守へと変わっていったのである。本ブログは2012年11月20日から開始したのだが、振り返って読んでみると多少その感じが伺える。日本の近現代史の事も、地上波のテレビや地元の神戸新聞等からの表層どころか曲げられた情報に接触させられて多少誤ったイメージを持たされていた為、無知で全く理解していなかった。また興味・関心を持たない様にされていた様にも思う。俗に言う「平和ボケ」もそれに当てはまる。
 世間一般の無党派層の人達も、大抵その様なものであるのだろう。私自身が6年前までがそうであった様に、ただ単に勉強不足な為に理解せず、左翼のマスコミを鵜呑みにしているだけである様に思うのである。(私は全てを鵜呑みにしていなかったはずだと思うのだが、それ以前の問題としてあまり関心を向けていなかった事が問題であった様に思う。)
 評論家の西部邁氏は、大学生時代は共産主義者同盟(ブント)、全学連、60年安保闘争に参加されたらしいが、その後に若い内に保守へと変わり、現在に至るまで正統派の保守である。拓殖大学客員教授で新しい歴史教科書をつくる会理事である藤岡信勝氏は元日本共産党員であったが、現在は保守である。
勉強すればする程、左から右へ、リベラルから保守へと変わっていくのである。
 そして、「ベース」、つまり基礎、土台を内に有していれば、失敗してもそれを基に内省し、軌道修正、或いは歯止めにもなるのである。「ベース」は、判断基準ともなるのでとても大事なものである。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/11/23付:「情報を握る事が『独立』に繋がる・・・『動乱のインテリジェンス』を読んで」
  ・2017/03/29付:「憲法改正の国民投票に向けた保守系有名人の影響力に期待する・・・左翼のマスコミ業界で干されないだろうか……」

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「笑われて来た」イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃

2016-07-21 04:45:53 | エッセイ・コラム
 先日2016年6月15日、米大リーグ・マーリンズのイチロー外野手が、ピート・ローズ氏の持つ大リーグ記録の最多安打記録4,256安打を上回る、日米通算安打数を更新した。
 イチロー氏は、子供の頃から常識外れの言動を行う事により笑われて来たと、その日の会見で語っていた。しかし、その周囲の嘲笑や雑音に影響されず、動揺せず、煽られず、泰然自若として淡々と集中力を持って我が道を進みながら、また自身の個性を伸ばしながら、結果・実績を残して来た。その事によって、反論せずとも周囲を黙らせて来た。
 イチロー氏の内面には独特の感性・捉え方・考え方・判断の仕方が存在する。それらのユニークさがイチロー氏のアイデンティティとなっており、子供の頃から自尊心・自信・誇りを持っているものと思われる。
 その個性はオリックス・ブルーウェーブ在籍時のバッティング・フォームにも現れていた。振り子打法は、その特異なフォームから、当初は周囲から笑われていたのであろう。しかし、それを臆する事無く頑固に信念を貫いた事が立派である。また、その個性を認める監督やコーチに恵まれた事も運が良かった故・仰木彬監督は放任主義でイチロー氏には好都合であったが、元巨人軍の前任の監督の場合には管理主義であった為に、押し付けられる事でその個性が潰されそうになっていた
 何時だったか、その当時の1990年代にテレビの報道番組か何かで、「科学する野球」( ベースボール・マガジン社)の著者である村上豊氏がイチロー氏について、その著者の物理的打撃理論に最も近いプロ野球選手であると言っていた事を思い出す。
 1984年~1985年に投手篇と打撃篇の「科学する野球」をそれぞれ出版された著者の村上豊氏は、プロ野球の経験は無い。「1918年生まれで、神戸三中(現・長田高)-高知高(旧制)-京都大学法学部(旧制)を卒業し、ノンプロ・オール神戸の一塁手として活躍。戦時中は川崎重工業、戦後は三菱商事に勤務し、定年退職後にリョウマ・システムズ(株)社長、金菱商事(株)会長、村上スポーツ企画を兼営する。身体運動学的見地と物理から割り出した野球技術理論で技術指導を行う。」(「科学する野球」著者略歴より一部要約。)
 本書には、物理を基にした打撃・ピッチングの本質が説かれている。そして、現場の監督やコーチの言っている理論とは、全く異なる事が書いてある。従来からの常識とされる理論を否定し、科学的・物理的な理論を根拠にした技術指導を行っている。著者は、巷の指導者よりは実績が無く、肩書きも無い為に説得力に欠ける様に感じる方々も多いと思う。しかし、現場の指導者や先輩は、昔からの根拠の無い言い伝え的な理論や、自分の経験からの思い込みによる指導をされる事が多い。それ故に、プロに入ってコーチにいじられ過ぎて、鳴かず飛ばずで去っていく選手達が多い。又、真実で無い為に、人によって指導理論・内容が違ってくる為に、聞く耳を持ち過ぎる選手は、それらの様々な理論に振り回されてしまう。本書に有る様に、科学的・物理的な理論を根拠にした技術指導であれば、真に正しいフォームとなって、故障する事も無く、選手としての寿命も延びる
 イチロー氏の打撃に見られる様に、球を打つ瞬間は後ろの軸足が地面から離れて浮いているか或いは着地していてもつま先がチョンと着いているだけで、全体重がステップして内側に閉じている前足に乗り移っている。重心は動かさず体重だけを移動するので、体は後ろに倒れて頭の位置は後方となっている。前足を外側に開かず内側に閉じておく事で、体重と捻りによる力を逃さずに溜めて、球にその力を乗り移せている。ステップの幅が小さい事で体重移動もスムーズであり、前足を屈さずに真っ直ぐ伸ばしている事で、打つ瞬間に前足がしっかりとした捻りの固定軸となっている。捻りによる打撃で静かに打ち、その捻りによる力と柔軟性のバネが相乗効果となって増大する力を生み出し、物理的に適ったフォームである為に力のロスが殆ど無く、故障することも無く、現役としての選手寿命も長くなっている
 構えた時に両足のつま先が内側に閉じ、初めは後ろ足を捻りの軸足とし、打つ瞬間に前足を捻りの軸足とする、体が後ろに倒れているので球を打った後は後ろ足に体重が戻ってくる。
 レベル・スイングとは、地面に対しての水平では無い。「仮想の加撃面」に対しての水平である。相対させる基準を何処に置くかが問題である。
 打撃・ピッチングに共通する事が多いが、バレーボールやボクシング、陸上競技、水泳等の他のスポーツにも共通する、或いは通用するのが本書の物理理論である。
 腕を内捻することで腰が入り胸が張る。ピッチングにおいては手投げにならず、肩を壊さない。
 踵(かかと)からのフットワークによりステップした足に体重をしっかりと載せて強い軸足となり、ボクシングにおいては強いパンチを生み出す。
 陸上競技の短距離走においては、踵からの着地でストライドが伸び、踏み出す脚にシッカリと体重を順に載せていく事が出来る為に、より一層の加速力が増す。また腕を内捻する事で腰が入り、野生の走力を持つ肉食系動物の様に、体全体を効率良く使って走る事が出来る。
 ピッチングにおいてもステップの幅を狭くする事で、体重移動がスムーズになるばかりでは無く、高い位置からの投球が可能となり、より角度のある球を投げる事が出来る。後ろ足(初めの軸脚)の膝を地面に着ける程に広くステップしている者が多いが前脚(後の軸脚)に体重が乗り切れずにステップの間に力を損失しており、せっかくの高身長も損をしている。また、ステップ幅を取り過ぎている為に前脚の膝が曲がってしまい、捻りの軸脚の役目を果たしていない
 投球においての直球を投げる上で、人差し指と中指を離さず付けて揃えた方が、力が集中してロスが無くなる
 著者が本書において、自身の物理理論に最も近い投手と紹介しているのが、元・阪急ブレーブスの故・梶本隆夫氏である。梶本氏は高校卒業後、1954~1973年まで20年間の現役時に、通算254勝255敗、防御率2.98、奪三振数2945等の実績を残した。歪み理論に適ったフォームで、捻りで静かに投げ、選手寿命も長かった
 「同時代の投手の多くが力投型のフォームで投げたのに対して、長身にもかかわらずスリー・クォーター気味の、一見おとなしく見えるフォームからの快速球を特徴としていた。ゆったりとしつつ全身を大きく使うフォームは当時最高の左腕投手の呼び声が高かった金田正一を手本にしたと言う。『カネさんの独特の全身の使い方はあの人にしか出来ないもの。ついにものにできなかった』という」(ウィキペディア「梶本隆夫」より。)本書には勿論、元・国鉄スワローズ投手の金田正一氏の捻りの投球も紹介している。
 科学的・物理的根拠を持つ事は大事である。私自身、まだまだ修行が足りない為に欠陥部分が多いが、心に確かな礎・土台を築き、確乎不動の中で自身の信念を持って集中力を発揮する為に、私の場合はそれを聖霊に求める

 



【イチロー氏の打撃フォーム】
・打撃の瞬間時において後ろ脚に体重が全く残っておらず、全体重が前脚に移っている事が解る。
・重心は動かさず体重のみを前脚に移動しているので、頭の位置は後方となって、上体が後ろに倒れている。
・打撃の瞬間時における軸脚である前足のつま先が、投手方向に対して真っ直ぐに向かずに内側に閉じ、前脚の膝が折れずに伸びているので強固な捻りの軸足となっており、体重の力をロスする事無く溜め、その全ての力を球に移す事が出来ている。
・ステップの幅が狭い為に体重移動がスムーズに行われており、前脚の打撃瞬間時の捻りの軸足の膝を伸ばす事が出来ている。
・手が背屈していない(手が手首で甲側に折れていない)。
・レベルスイングを行っているのだが、決して地面を相対基準にしての水平では無い事が解る(特に、高い投球や低い投球に対して「仮想の加撃面」を基準にしてのレベル)。
・静かな力みのない捻りによる打撃である事が解る。


 
 

【梶本隆夫氏の投球フォーム】
   (右から左へ)
・右写真より両腕が内捻して胸が張り、腰が入り、手投げにならず身体全体を使う事が出来ている事が解る(肩に負担が掛からない)。
・ステップの幅が狭い為に体重移動がスムーズに行われており、踏み出した前脚の捻りの軸足の膝を伸ばす事が出来ている。
・ステップの幅が狭い為に、全体重が踏み出した前脚に移動出来ており、体重の力のロスが全く無い。
・踏み出した前足のつま先が投球方向に対して真っ直ぐに向かずに内側に閉じており、前脚に体重の力をしっかり溜めて強固な捻りの軸足になっている事が解る。
・左写真より、上体が打者方向に対して正面を向いてもテークバックした腕が未だ後ろに残っている事が解る(この事は打撃においても同様で、投手側に正面を向いた時点でもバットのヘッドは後ろに残っている)。
・静かで力みなく、ゆったりとした捻りによる投球である事が解る。



 参考文献
 
 
 
科学する野球 ・打撃篇(著者:村上豊氏、出版社:ベースボール・マガジン社、出版日:1985/03)
科学する野球 ・打撃篇(著者:村上豊氏、出版社:ベースボール・マガジン社、出版日:1985/03/25)
科学する野球 ・投手篇(著者:村上豊氏、出版社:ベースボール・マガジン社、出版日:1984/11)
科学する野球 ・投手篇(著者:村上豊氏、出版社:ベースボール・マガジン社、出版日:1984/12/01)


  ・ウィキペディア:「梶本隆夫」
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OCNブログ人からの引っ越し~本日、当サービス終了により

2014-11-30 04:16:58 | エッセイ・コラム
 「OCNブログ人」のサービスが、本日をもって終了となります。
 それにより、本ブログ「日々雑記、沈思黙考」が本サービス「gooブログ」に移行して来ました。因みに、既に本年9月7日に移行済みでした。
 本ブログ「日々雑記、沈思黙考」は、「OCNブログ人」サービス上において2年前の2012(平成24)年11月20日に開始して以来、丸2年が経ちました。
 しかし直近においては、本ブログ記事のブランクが3ヶ月間となってしまいました。
 
 
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イエス・キリストはなぜ殺されたのか・・・「革命者」イエス

2014-01-12 21:45:04 | エッセイ・コラム
 イエス・キリストはなぜ殺されたのでしょうか。その事が聖書には書いてあります。
 俗世間のキリスト教に対するイメージや、教会等で言われている平和や愛等は、表面的なもの、形式的なものであり、それは偽りの平和や偽善に繋がりかねません。
 イエス・キリストは、在世時のパレスチナ地方の権力者(パリサイ人や律法学者等の当時のユダヤの指導者達)に対して、媚びへつらわず、迎合せず、正しい事、真実を堂々と宣べ伝え、且つその権力者達を批判したが故に、戦った為に、十字架の磔刑にあって殺されました
 イエス・キリストは、それら権力者達にとっては、「革命者」であり、「テロリスト」、「過激派」であった訳です。それら権力者の「保守派」から嫌われたから殺されました。つまり、腐敗した偽りの「平和」をあえて壊そうとした為に殺されたのです。
 新約聖書・マタイの福音書10章34~36節「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのですなぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。
 クリスマスの「お祭り」や教会での結婚式のイメージしか持たない日本の世間の人々が「勘違い」している様な、「聖書」は決して可愛らしい書物ではありません
 また、「聖書」はキリスト教と言う「組織」とは無関係で独立した書物です。


 本ブログ過去の関連記事↓↓
   ・2012/12/26付「『馴れ合い』『なあなあ』『かわいさ』を打破し、『真実』をもたらしたイエス・キリスト」

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新年に当たっての私自身の事においての独り言

2014-01-12 20:04:35 | エッセイ・コラム
神第一

独立自尊

そして、I am an "ironworker".

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神の「御心」である「運命」を素直に受け入れると言う事・・・「置かれた場所で咲きなさい」を読んで

2013-11-11 01:24:23 | エッセイ・コラム
 旧約聖書・伝道者の書3章1~2節「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。」
 同書3章11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠の思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
 「置かれた場所で咲きなさい」(著者:渡辺和子氏、出版日:2012/4/25、出版社:幻冬舎)
 上記の本を読みました。
 カトリックのシスターとして、そのカトリックと言う組織はともかくとして(別として)、「聖書」を基にした考え方や捉え方、判断の仕方、生き方、人の心の理解の仕方等を持っておられ、そこから出てくる「言葉」が本書には存在します。
 世間の考えや評判に依らず、自分の考えや欲望にも依らず、神の「御心」に従う謙遜・謙虚さが、本書に在る言葉から伺えます。
 本書にはその「聖書」を基にした「指針」が書かれています。タイトルの「置かれた場所で咲きなさい」とは、創造主から一人ひとりの人全てに与えられている「運命」、「使命」を素直に受け入れて、神に大きく委ねて従わなければならないと言う事を意味しています。つまり、自分の意志や目的、目標、欲望をも捨てて、神の意志・計画である「御心」に従わなければならないと言う事です。
 その「指針」の内で、「一人格」として生きる事の大切さを述べられています。
 「便利さ・安楽さ・スピード」が、「待つ事・耐える事・静かに考える事」を奪ってしまったとして、「まず考えるということ、次に感じる余裕を持ち、その次に行動するという順序こそが、『一人格』としての生き方」(本書より)と言われています。
 また、「人間は一人ひとり『人格』、『Person(パーソン)』なんだと。自ら判断して、その判断に基づいて選択、決断して、その決断したことに対しては責任をとる、そういう人がパーソンと呼ばれるに値する。右を向けといわれてただ右を向き、一人では渡らないのに、みんなが渡るから赤信号でも渡る。そういう人は人間だけれども人格ではない」(本書より)とも言われています。
 「人格」とは、個性・人柄・人品であり、また、道徳的意志を主体として自己決定権と自律的意志を有する個人を言います。つまり、道徳を持ちながら自分が主体的に考える「一人称」として自律出来ている人の事です。
 その様な人は「独り」で考えて行動出来るので、世間一般的な「群れ」で行動する「0人称」の人達よりはレベルが高いですが、その「一人称」を超えて、自分を捨てて神の「御心」に従い神に委ねる事が最もレベルが高く、最も人間として「成熟」した姿であると言う事が出来ます。

 
置かれた場所で咲きなさい置かれた場所で咲きなさい価格:¥ 1,000(税込)発売日:2012-04-25


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「道徳の教科化」により日本人は変わるのか

2013-11-10 12:44:17 | エッセイ・コラム
 先日、文部科学省の道徳教育の充実策を検討する有識者会議において、「道徳の正式な教科化」への「格上げ」が提言され、今後に報告書が提出されて年内に最終的な意見がまとめられる事となりました。
 ところで、戦前には「修身」と言う素晴らしい「道徳教育」が有りました
 しかし戦後、GHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」による日本人への戦争責任と戦争についての罪悪感の植え付け等によって、戦前の良い事を含めた全てのものを、米国の押しつけにより、或いは日本人が自ら否定する事で、その「修身」をも捨ててしまいました
 戦前の日本には、善きものが沢山在りました。しかし戦後、米国による占領と事実上の米国属国状態下においての、アメリカの「民主化」・「近代化」が素晴らしいものであると勘違いされ、騙されて来ました。自然環境が破壊され、心身共に本来の人の在り方から離れて「不自然」な状態に陥っていまい、皆ストレスを抱えて、凡そ本当の意味で幸せとは言えない状態になってしまっています。
 「修身」は、戦前の日本人にとっての「規範」となっていました。それを「基準」にして、自分を律し、それが秩序にも繋がっていました
 人の考え方や捉え方、判断の仕方、人の心の理解の仕方等は、「規範」・「基準」を基にして創られていきます。戦前には一応、「修身」が存在してその務めを果たしていました。
 しかし戦後、日本にはその「規範」が存在しませんでした。「基準」にするものが無く、「民主化」や「自由」と言う名の下、何でもして良いと勘違いをし、自分の欲望のままに行動したり発言し、歯止めにするものも無い為に悪化して来ました。
 また「規範」が無いのと同時に、世間一般・社会の中では「空気」や「常識」、「普通」が存在し、それらに合わせ様とか、はみ出さない様にとか、異ならない様にとか、嫌われ無い様にしようとか、笑われない様にしようとかと言う、自分の神経症的な思いを「基準」にする、或いは世間の思いを「基準」にしているだけで、益々自律及び自立する事が出来ずに、心は益々荒廃して来ました。
 正しい「規範」を基にしていない「空気」や「常識」、「普通」と言うものにはその「根拠」が無い為に、とかく間違っている事が多いです。国、地域、社会、世間、会社、学校、組織、団体等、その各枠内において「空気」や「常識」、「普通」と言うものがそれぞれ存在します。一応、憲法や法律、規則等を作って全体としての秩序や、個人の理性や善悪の分別、方向性、行動範囲、自由度等を定めています。そして、法律に違反する場合には、裁判を経ての処罰等の対応を取る事となっています。
 しかし、憲法や法律、規則と言うものは完全では無い人間が作るもので、勿論それらは不完全で間違いが含まれています。また全体の秩序やまとまりを優先する為に、特に少数派の考え、個性的な考えは「違反」とされてしまいます
 社会・世間の中での慣行・慣例・仕来り等も併せて、また出世の為に、世渡り上手になる為に、権力、権威、上司等に只々媚びへつらい迎合しているだけで、その事が正しいか否かの判断もせずに、ただ単に命令に従っているだけであります。
 この社会・世間には「偽善」や「矛盾」が沢山在ります。その「偽善」や「矛盾」が生まれる原因が、「規範」が無い事に在ります。
 そういう意味で、「規範」となるべく「道徳教育」は大事に思います。しかし戦後、GHQによって建てられた「日教組」は、その間違った歴史認識や偏向教育を行なって「反日的教育」を行なってきました。それにより、若者たちが「骨抜き」にされて来ました。
 しかし、人は不完全であるが故に、人の言う事は区区(まちまち)で、「規範」にしようとするものも色々なものが生まれてしまう可能性が有ります。それにより教育現場は混乱し、教師は迷い、そして生徒は振り回される事になりかねません。
 インターネットでの情報の氾濫と同様に、自分自身に「基準」にするものを持っていないと、自分が多様な情報や人の言う「雑音」・「外野の声」等に振り回されて自分を見失ってしまいます。「規範」もその当てにするものによっては、自分が思わぬ方向にずれてしまう可能性が有ります。
 人の生死等の究極的な問題に関しては、哲学や宗教が重用されます。結局最終的には、それらに頼らざるを得ない訳です。哲学は人の考えで、元々は宗教を元にして生まれたものです。宗教も、宗教組織や人の都合、政治等によって形成されて来ました。また宗教の枠組の中には、様々な神々や仏々、偶像群が存在しています。数学や理科等の科学において「答えがただ一つ」である事にも現されている様に、「真実は唯一」です。多くの神々や仏々、偶像群が存在していても、その中で正しいものは「ただ一つだけ」であるのです。
 世界の三大宗教である「ユダヤ教」・「キリスト教」・「イスラム教」の信者の総計数は世界人口の半数以上を占めますが、それら三大宗教の元を辿れば「旧約聖書」に辿り着きます。その「旧約聖書」には創造主である唯一神が存在します。そして神からの預かった言葉である「預言」が書かれています。それら三大宗教の全ての信者が「旧約聖書」を「規範」として完全にそれに忠実に従っている訳では無いにしても、また宗教組織の教えを優先して聖書の教えを蔑ろ(ないがしろ)にしているとしても、一応、その信者達にとっては「旧約聖書」と言う「規範」が存在している訳です。絶対的真理で不変で完全な唯一神が存在している訳です。
 それに比べて、日本人にははっきりとした「規範」が有りません。心の拠り所となる、絶対的な「基準」やその「根拠」が存在していません自分の願い事・都合に合わせてコロコロとすがる神々を転々とし、キリスト教形式で結婚式やクリスマスのお祭りをするかと思えば、仏教形式の葬式を行なっています。その様に、自分の中に「基準」・「柱」にするものが無いので、筋も通らず滅茶苦茶な訳です。
 人間は全てを知り尽くす事は出来ず、人間の作る科学も所詮、自然や宇宙に比べればチッポケなものでしか有りません。人間は自然や宇宙だけでは無く、今や自分で作った原発等の科学にも超されて支配される様になってしまいました。人間が自分の能力で解決しようとしても無理が有ります。多様な意見を尊重する反面、永遠にまとまりません。しかし実際には、「答えはただ一つ」であるのです。絶対的に依り頼める「神」と言う視点が無いと、何時までも解決する事は不可能です。道徳教育の問題を通して、全知全能で永遠の創造主に人は立ち返る必要が有る様に思います。
 
 

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