狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

下から目線の僕「アメリカの鉄工所にはクリスチャンが多いんだよ」無神論者が多い日本人の無知蒙昧と思い込み、勘違い/I with eye of bottom am Christian ironworker

2021-12-10 00:30:00 | 鉄工所・職人・町工場
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/12/08 05:45>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 下から目線の僕「アメリカの鉄工所にはクリスチャンが多いんだよ」
  ― 無神論者が多い日本人の無知蒙昧と思い込み、勘違い
 I with the eye of bottom, "There are many Christians in the American ironworks".
  Ignorant, misunderstanding of Japaneses who are a lot of atheists
.


 本当に、世間の中には、何時まで経っても、ナンボ見たり聞いたりし続けても、一向に理解せず、悟らない者が多い事に、僕は日々、感じながら生きている。

 プライバシーが明かされたり、メガホンどころではない超音波、テレパシーの如く、日本全国どころかアメリカ、世界の津々浦々にまで伝わっている事、そしてカメラマンの如くと言っても、普段、カメラなんてものは持ち歩いてはいないのであるが、そんな役目をも背負わされている不思議な現実が在るが故も有って、日々、監視されたり一々、干渉して来る雑音、悪口を浴びせられて来た事は、正に、ストーカーを被っている状態だ。

 本ブログ
  2021/10/23付「何故プライバシーを隠したいのに明かされるの?どなたが為さっている事?/Why is privacy revealed though want to hide it? Who is doing it?」

何故プライバシーを隠したいのに明かされるの?どなたが為さっている事?/Why is privacy revealed though want to hide it? Who is doing it? - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

<※本当の投稿日時Trueposteddate&time:2021/10/2400:53>(当方の都合にて、投稿日時を変更しておりま...

何故プライバシーを隠したいのに明かされるの?どなたが為さっている事?/Why is privacy revealed though want to hide it? Who is doing it? - 狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

 


 自分の欲望を基にしてものを言っているので、相手の人の気持ちは慮らず無視だ。自分の希望に基づいているので、そうして相手の人の事を理解する事が出来ず、悟る事が無い。

 そうして、人に干渉、介入する余計なお節介屋達は、ストーカーそのものだ。しかし、当のそんな余計なお節介屋達は、自分がストーカー行為に相当する事を行っている事に気が付いていない。全く鈍感だ。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書13章14~15節
  こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。
   『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。
   確かに見てはいるが、決してわからない。
   この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。
   それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』

 The New Testament・The Gospel of Matthew 13:14~15
  In them the prophecy of Isaiah is fulfilled, which says,
   ‘By hearing you will hear,and will in no way understand;
   Seeing you will see,and will in no way perceive;
   for this people’s heart has grown callous, their ears are dull of hearing, and they have closed their eyes;
   or else perhaps they might perceive with their eyes, hear with their ears, understand with their heart, and would turn again, and I would heal them.’


 そんなストーカー達、余計なお節介焼き達の言う事を、僕が今まで聞いて来たであろうか?

 恐らく、99%以上は聞いて来なかった、また効いて来なかっただろう。

 それでも、しつこくしつこく、同じパターンで、同じ事を繰り返し言い続ける。本当に、そんな余計なお節介焼き達に向かって、「アホ」と言ってやりたいと思ってしまう。

 実際、そうして一向に理解出来ず、悟る事が出来ないのであるから、「バカ」と言えるのではないだろうか。

 あなた方こそ、変わらなければならない。あなた方こそ、自分の内面を見て汚れている事に気付き、反省、悔い改めをして、新しい人に変わらせられなければならない。

 内面、心を変える必要が有って、外面が問題ではない。しかし、この点に於いても、世間の多くは表面ばかりを気にしている。

 実際、人の内面は見えにくいものだ。だから大抵の人は、洞察力を持たないので、そうして外でのパフォーマンス等といった、人の表面ばかりを見て判断している。それ故に、一向に理解出来ない。

 そんな洞察力から、本当の共感や同情が生まれて来るのだろう。余計なお節介焼き屋が執るそれらとは、異なるのである。

 こうして述べているのを読むと、僕が恰も傲慢になって上から目線で述べていると感じる人が居るかもしれない。

 しかし、僕はこのところの年収は200万円程であるし、今年に至っては恐らく170万円程にまで低下すると思う。また、学歴も中卒(高校中退)であるし、その後、大検を経て医療関係の専門学校に通った経緯、失敗によって一層、名誉や体裁も地に落ちている。

 そうして、地位や名誉、学歴、肩書、財産等と、世間一般に比べて非常に低い所に立っているのであって、飽くまでも、僕は「下から目線」で述べているのである。

 また僕は、いつも悪口を言っているのではなく、ただ単に本当の事を述べているだけだ。

 更に、人の言う事を聞かない(効かない)と述べたが、世間の多くは無神論者的価値観を基にして述べているのであるから、聖書的価値観を持つ僕がそんな雑音を聞く(効く)訳が無いのだ。

 確かに、以前の僕は信仰から概ね離れていたので、その頃と現在の僕は異なる。しかし、僕は世間の人達とは違い、外面は余り変わっていない様に見えようとも、内面が新しくされている。

 まぁ、こんな自己弁護する様な事を述べてもまた、一向に解らないのであろうし、それだけ無駄な事をしても却って虚しく成りかねない。

 それでも、口から出た言葉はその場限りで消えて失くなるが、こうして文章にしておけば後々に残って証拠、証明にもなるだろう。

 それより何よりも、実際、神様が聞いておられるではないか。

 日本の世間の多くは無神論者であり、且つ、クリスチャンではないので、解っていない人が多い。

 僕は今年の3月に試してみた事は、その頃に投じた記事に書いているので省略するが、その事によって、ほぼ、確信を得たと言える。

 本ブログ
  2021/09/11付「僕52歳の求職活動からの連想 2021-まとめ/Age of 52 my associations from job hunting」
 ・・・または本ページ右サイドの「ブックマーク」

 そのまとめの中の12/12の記事で「永遠に不変の聖書の真理で得る不動と安定、天恵を語るは創造主を証する」と僕が述べているのは、嘘を付いた訳では無い。

 またその記事の中で「鉄工所の仕事を辞めても、クリスチャンは辞めない。どんな仕事をしようとも、クリスチャンは辞めない。どれだけ迫害されようとも、クリスチャンは辞めないのだ」とも、僕は述べた。

 つまり、職場を転々とする事は、外面的には不安定に見えるかもしれないが、内面的にはクリスチャンとして不動で安定している訳だ。

どうしても、特に僕の場合は冒頭で述べた事を持っているが故に、世間、周囲から挑発、誘惑等と揺るがされる事を受けやすい。だから、そうして、たかが「飯の種」となる場を変えるぐらいは、別に大した事では無いとも言える。実際、僕は、今まで鉄工所だけでも20ヶ所以上、全部で50ヶ所以上も、職場を転々として来たのだから、そんな大した事とは感じない。

 僕は、この世に居る間に既に、寄留者、旅人を表現して来たのであろうか?

 本ブログ
  2021/08/01付「本日よりブログタイトルを変更します/Blog title is changed today.:Stubborn free temporary resident's deep meditation.」


 だから、別に今では、鉄工所の仕事をする事に於いてプライドを感じている訳では無いし、やりがいを感じている訳でも無い。この点だけ見ても、僕は以前とは変わっているでしょ。

 そして、何も医療関係の勉強をしたからといって、その事に縛られる必要は無い。実際、ただ、その当時の自分の希望で進んだものでしかないので、神様の御心に沿ったものであったかどうかは解らない。

 神様が、僕に対しどんな使命、宿命を負わせているのか、4年前に思った事が、今年の春に確信に近付いた訳だ。

 世間の人達に言う、「アメリカの鉄工所にはクリスチャンが多いんだよ」。

 アメリカの鉄工職人(ironworker)の多くがクリスチャンである事は、常識だ。

 しかし、日本の世間の多くは、その辺り、無知蒙昧、思い込み激しく、勘違い甚だしいと見える。クリスチャンだから、医療や介護、福祉の仕事をすべきだ等と思っている者達が居る様だ。

 それでは、日本の医療や福祉関係にクリスチャンがどれだけ居るのであろうか?

 この世の仕事、職種なんてものは、この世で死んだ後に天国に入れるか否かには、全く関係無い。

 ただ、イエス様への信仰と神様から得た恵み(=赦し)によって救われる事が、天国に入る唯一の条件だ。

 だから、多くの罪を犯して来た僕の様な者でも、イエス様によって本当に赦されているならば、天国に入る事が許可されるのだ。

 僕がクリスチャンだからといって、猫かぶりしている等と言う者が居る。そんな者達は、昔の悪いぼくのままであった方が良いと思っているのであろうか。

 冗談じゃない。僕は天国に入りたいし、昔の悪い自分には戻るつもりは無い(勿論、全て間違っていた訳ではないが)。

 そして、クリスチャンであれば、怒らないとでも思っているのであろうか?全く、世間の多くの無神論者達は、無知蒙昧だ。

 本ブログ
  2021/10/24付「イエスを模範とするクリスチャンは闘う-何故キリストは殺された?/Christians who make Jesus model are fighters. Why was Christ killed?」


 但し、クリスチャンの怒り方は、世間のそれとは異なる。それでも、クリスチャンの新渡戸稲造が著した武士道は、聖書がベースとなっているだけあって、それを読む日本人には、まだ理解出来るのではないか。

 クリスチャンは、敢為堅忍と勇気を一体にし、安易にキレず、忍耐の末の止むに止まれぬ気持ちとなってから、正義の為に、神様の栄光を表す事が出来る怒りを発するのだ。

 本ブログ
  2021/10/26付「やはり世間の多くは見聞きしても解らん?イエスキリストが用いた預言の成就/Can't after all most masses understood with looking and hearing?」
  2021/10/27付『日本人は聖書を知らない無神論者が多い-「八百万の神」を否定する「嘘八百」は古代ユダヤ人作?/In Japan, there are many atheists who don't know Bible』



僕52歳の求職活動からの連想(9/12)/Age of 52 my associations from job hunting・・・旋盤工作家・小関智弘氏、下請け町工場の鉄工所、渡り職人

2021-04-06 01:00:00 | 鉄工所・職人・町工場
 <※本当の投稿日時
  True posted date & time:2021/04/13 05:06>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 <→8/12からの続き>

 僕52歳の求職活動からの連想(9/12)
  Age of 52 my associations from job hunting
   ・・・旋盤工作家・小関智弘氏、下請け町工場の鉄工所、渡り職人


 ……その他にも日本には、伝統や文化、習慣、しきたり等に至るまで、古代イスラエル由来のものが幾らでも存在する。1975年に設立された偽イスラエルの失われた10支族に関する調査機関「アミシャーブ(Amishav)」や、元偽イスラエル駐日大使のエリ・コーヘン氏等も、古代ユダヤ人の末裔が日本に居る事を認めている。また、最近進められているDNA検査で、日本人に男系男子のハプログループDE (Y染色体)である「YAPマイナス」の遺伝子を持つ者が多い事も判明して来ている。
 (コメントここまで)



出典:次のYouTube「【初体験】イスラエル人 日本のクリスマスデビュー【カイチューブ kaiTube】」より


YouTube: 【初体験】イスラエル人 日本のクリスマスデビュー【カイチューブ kaiTube】
2020/12/26

 以下、上のYouTube「【初体験】イスラエル人 日本のクリスマスデビュー……」に投稿した僕のコメント
  ユダヤ教徒のカイ・コーヘン氏が彼女と出られておられる。彼女の方の親の一方がイタリア人と言うが、どうなんだろうか。
  それはともかく、わざと議論を巻き起こそうとしてであるのか、クリスマスにスターバックスに入っている。スターバックスと言えば、シオニスト企業として有名だ。
  僕は明確に、「反シオニスト」であり、そして同時に、クリスチャンでもある。それ故、僕は、偽イスラエルの占領政策やアパルトヘイト政策、入植政策に反対だ。しかし、反対に欧米諸国のクリスチャンには、現在、パレスチナ地方を占領する偽イスラエルを支持する人々が多い。特にアメリカの場合は、連邦議会の議員の殆ど、超党派的に、偽イスラエルを支持するシオニストばかりだ。
  実は、パレスチナ人達の中に、血統的な本物のユダヤ人が含まれている。パレスチナという名前は国名、或いは地域名であって、民族名では無い。パレスチナ人と呼ばれる人々の中には、アラブ人の他、ユダヤ人、その他の民族が混合している。それは、偽イスラエル国の中に様々な民族が混じって居住している事と同じだ。
  また、ここ日本も、実は日本人というのは同様に国名や国籍名であって、本当のところは日本人は単一民族では無く、支那人(中国人)や朝鮮人、東南アジア系、古代イスラエル人、古代ユダヤ人、その他、多くの民族の末裔が居住している多民族国家なのだ。
  そして、ユダヤ人と言われる人々は大きく分けて、スファラディ―・ユダヤ人(セファルディム)とアシュケナジー・ユダヤ人が居る。前者は、今から約500数十年前にスペインを追放された血統的ユダヤ人であり、後者はユダヤ教に改宗した宗教的ユダヤ人で、本当のところはカザール人(ハザール人)とされる。
  現在の偽イスラエルにも、母方がユダヤ人である者をユダヤ人としたり、ユダヤ教に改宗した者をユダヤ人とする法律が在る。この事は、現在のイスラエルが偽物であると言える一つの理由になる。本者のユダヤ人は、男系男子の血統を持つ者、つまり、ユダヤ民族としての男性しか持っていないY染色体を持っている者の事だ。男性の性染色体はXY型であるが、女性はXX型であるので、女性はそのY染色体を持たない。そのユダヤ民族の祖先である、アブラハム―イサク―ヤコブ……の男系男子の血統のY染色体を持つ者だけが、本者のユダヤ人であると言う事が出来、ユダヤ教に改宗しただけでユダヤ人になるなんて理屈は正にフェイクである。
  因みに、イエス・キリストの誕生日は、新約聖書に書かれていない。ただ、イエス様が御降誕された時の背景として、羊飼いが夜中に羊の番をしながら野宿していた事が書いてあり、春以降の暖かい時期である事が解る。クリスマスは、ローマ・カトリックが12月25日を祭日とするミトラ教に影響を受けた事による。他にも、人間マリアを偶像化して拝む等と、キリスト教界の宗教組織・団体にも、そんなフェイクが在る。
 (コメントここまで)

 


 

 


 

 


 また、次の件も、僕にとっては他人事とは思えないし、共通し、共感する事が含まれる。
 2003年5月、滋賀県東近江市の湖東記念病院で入院中の男性患者(当時72歳)が死亡した件で、誘導尋問により虚偽の自白をした事で冤罪を被った女性について、次の報道が有った。

 以下、2021/03/30付・毎日新聞『いまだ謝罪なく 元看護助手「闘い続ける」湖東病院・再審無罪1年』より 
  『……西山さんは2004年に24歳で逮捕され、17年8月に刑務所を出所。無罪を勝ち取るまで15年余りを要した。元々人と関わることが好きだったため、介護施設や販売の仕事など約30社に応募したが、履歴書にある約13年の「空白」のせいか、全て不採用だった。19年に採用されたリサイクル工場では車の部品を造るなどしていたが、看護助手をしていた以前の仕事とのギャップを感じていた。
  働きながら介護施設への応募を続けて20年11月、同県彦根市の自宅近くの特別養護老人ホームにようやく採用された。現在は週5日、入所者の入浴や食事、着替えなどを介助する。入所者から「ありがとう」と感謝されるとやりがいを感じるが、「人の命を預かっているので責任がある」とも語り、表情を引き締める。30日から市内の介護専門学校に通い始め、週1回の通学と通信講座で資格取得を目指す。……
  …(中略)…
  ……西山さんにとって幸せとは「普通に働いて、おいしいご飯を食べて、買い物ができること」。全てがかなった今、求めるのは県警と検察が二度と冤罪被害者を出さないよう生まれ変わることだ。西山さんは「本当はひっそりと暮らしたい。でも、県警と検察が変わるまでは闘い続ける」と力を込めた。……』
 (以上、2021/03/30付・毎日新聞『いまだ謝罪なく 元看護助手「闘い続ける」湖東病院・再審無罪1年』より)

 『……両親が共働きで、子どものときから祖母と過ごす時間が多く「おばあちゃんっ子だった」という西山さん。だが、その祖母は服役中に亡くなった。
 「介護の仕事を、ずっとしたかった。おばあちゃんの影響も大きい」と語る。施設の利用者は八十歳以上がほとんどで、認知症の人も多い。食事や排せつの介助などに汗を流し、天気やテレビ番組の話など、お年寄りとの会話も楽しむ。「介護の仕事は楽しい」と笑顔を見せた。
 職場の先輩と愚痴を言い合い、休日には一緒に出掛ける。逮捕期間を含め十三年間の身体拘束の後に得た、穏やかで普通の生活を「今でも続けたいという気持ちはある」と語る。それでも国賠訴訟で再び法廷に立つことを...』
 (2021/03/31付・中日新聞『西山さん「声上げることに意味」 呼吸器事件、無罪判決1年』より) 

 そんな、騒音おばさんについての事件から、この記事の中で、創価学会、公明党、エセ右翼、マスゴミ、サイモン・ウィーゼンタール・センター、オウム真理教、アレフ、ユダヤ、ホロコースト、ナチ・ガス室、阪神淡路大震災と、繋がって来た訳だ。
しかし、元々の、僕自身の求職活動の件からは、大分、逸れてしまったかもしれない。

 泥沼にハマり、負のスパイラルで沈み続けて溺れていくまでに、辞退届けを出して沼から脱出した。後になって「出しときゃ良かったかなぁ」と後悔する事も無くスッキリしたところで、心機一転、多少の擦り合せ、妥協を働かせた。やはり、Preparationに書いている通りに、鉄工に携わりながら並行して、もの書き、ジャーナリズムを行なっていく事を覚悟する事となった。

 しかし当面は、何と言ってもお金が無いので、向こうに合わせてやるしかない。週休二日とか残業なしとかは、言っていられない。尤も、極端に夜遅くまでとか、休日出勤の過多は、避けたい所だ。まぁ、とにかくお金が無いので、極端に合わないのでは無い限り、当面は忍耐、我慢だろう。
 そして、何と言っても、拾ってもらった事に対しての恩返しをしなければならない。

 臨工関係を辞退した2日後の3月13日(土)に、次の本を注文し、翌日に面接を控える17日(水)にメール便で到着した。お金が無いので、中古の本を買った。



小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」(2004/10/20・岩波書店刊)
出典:amazon等

 作家の小関智弘氏は、戦前の1933年(昭和8年)2月に東京市大森区(現・東京都大田区)で生まれ、現在、御歳88歳となられる。東京都立大学附属工業高校(都立電機工業学校、現・東京都立大学附属高等学校)を卒業後、1951年から大田区内の数々の町工場を渡り歩きながら旋盤工として働きつつ、作家活動を続けて来られた。しかし、渡り職人としては44歳まで、旋盤工としての経験が26年程になっていた頃までであったらしく、その後の約25年は同じ鉄工所で勤務し続けられた。2002年、小関氏が69歳と4ヶ月の時に、勤め先の工場の閉鎖により51年間の旋盤職人としての生活に幕を閉じられたものの、作家としての活動は現在に至っても未だ続けておられる。

 小関氏は作家として、これまで小説、ドキュメンタリー、ルポルタージュ、エッセイと、幅広く熟して来られた。

 『1960年代から『新日本文学』や同人誌『塩分』などを舞台に小説を発表、1977年『錆色の町』で直木賞候補、1978年『地の息』で同、1979年「羽田浦地図」で芥川賞候補、1981年「祀る町」で同、同年『大森界隈職人往来』で日本ノンフィクション賞受賞。2004年『職人学』で日経BP・BizTech図書賞、2015年『町工場のものづくり』で産経児童出版文化賞・産経新聞社賞受賞。』
 (ウィキペディア「小関智弘」より) 


YouTube: OTAKARA発見隊 vol.26 『元旋盤工・作家 小関智弘さん』
2013/06/30

 中学と高校時代から文芸部に所属され、読書やもの書きの素養や素質が備わっておられたのだろう。しかし本人は、5歳年上の秀才の兄と比較して、自らの事を愚鈍等と謙遜しておられる。その小関氏の兄は、何と東大を出ておられる。
 小関氏も、大学への進学を周囲から勧められたり、自身も進学する事を考えられたそうだが、家の事情を考えてやめる事にした。また、本人の希望も有って、敢えて、就きたかった旋盤工の職種に、しかも、小さな町工場の職人としての道を選んだという。そして、最初に就いた会社に安住する事無く、敢えて複数の町工場を転々と渡り歩かれ、困難な道、苦難となる道を通りながら、自己研鑽、練磨に励まれ、同時に作家としてのモチーフとして取り上げるべく、取材も兼ねて働かれた様だ。

 小関氏は旋盤工の作家として、「人はなぜはたらくのか」という問いを、生涯のテーマとして持つ。そして、町工場の事が取り上げられる事が殆ど皆無である、そんな社会的な雰囲気やシステムの中に存在する欠落部を埋めるべく、世間、社会に風穴を開けて、世の中にその町工場の事を伝え知ってもらう事を主題にする事を、もの書きとしての使命とされて来た様だ。

 小関氏の生まれ育った東京都の大田区は、世界的に製造業の町として有名で、工場数と従業員数は東京都で第一位であるという。その大田区に存在する会社は、従業員が10人以下の中小零細企業が80%程を占める。以前のピーク時には1万近く存在したその中小零細の会社は、3,000程(2017年時?)にまで減少した。
 1947年に大森区と蒲田区が合併して誕生した大田区は、東京23区の中で最も面積が広く、昔から魚介類を獲ったり海苔の養殖をする等と漁業が盛んで、交通の要衝、観光・行楽の名所としても栄えた。


YouTube: 来て!大田区ってこんなところ
2013/07/18

YouTube: モノづくり探検隊
2013/06/30

 戦後、現在の大田区に当たる海岸が埋め立てられ、そこに羽田空港が建設され、そして日本が主権を取り戻した1952年には東京国際空港となった。その空港が作られる前、終戦直前と直後には、余り語られていないものが存在したという。
 「羽田史誌」等の資料や、小関氏の聞き取り調査にも出て来なかった事が、所轄の蒲田警察署の「五十年誌」には、次の様に載ってあるという。

  「昭和十九年六月、穴守の慰安施設特別認可なる。穴守町七五〇番地付近六、五〇〇坪を、産業戦士に対する慰安施設として臨時私娼黙認地域を認可。」

 公娼制度としての「赤線」に対し、公には認められていないものの、非合法での売春でありながら、警察が「黙認」する形での、私娼としての「青線」といったところであろうか。

 終戦直前についての或る1枚の地図によると、鈴木町については1945年(昭和20年)3月の第三次強制疎開直前の記録で、隣接する穴守町は1944年(昭和19年)の洲崎業者転入直前を記録している、と明記してあるという。
 その洲崎の業者とは、戦前に日本人に対しての慰安所を作り、戦後は米軍兵士用の売春施設を作ったものだという。その「洲崎業者転入」が、蒲田警察署の「五十年誌」に書いてある「穴守の慰安施設特別認可」を意味しているという。

 終戦直後には、大田区を流れる多摩川河口のデルタ地帯に在る羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町を、アメリカのGHQ占領軍が、当時住んでいた農民や漁師達を強制的に立ち退かせ、ブルドーザーで根こそぎ破壊して、埋め立ててしまったという。
その強制立ち退きの被害は、「大田区史年表」によると1,231世帯、「羽田史誌」によると766世帯、2,894人であるらしい。しかし、こんな事実が、当時の新聞で殆ど報道されなかったという。
 そして、米国占領軍兵士達による強姦や性暴力等の性犯罪を防ぐ目的で、その兵士専用としての「特殊慰安施設協会(Recreation and Amusement Association:RAA)」の第一号として、大森に戦前から在った小町園という料亭が使われたという。
 
 1979年に発表された短編小説の「寒暖計」や、次の1982年に上梓された「羽田浦地図」は、そんな東京に戦時中、戦後と在った慰安施設をモチーフにしたものだ。
1979年に芥川賞候補となったその「羽田浦地図」は、1977年に直木賞候補となった『錆色の町』と併せて脚本化され、2年後の1984年(昭和59年)にNHKのドラマの原作としても用いられた。



出典:amazon

 NHKアーカイブス『「ドラマ人間模様 羽田浦地図」(1984年)』

ドラマ人間模様 羽田浦地図

脚本:池端俊策/演出:門脇正美、木田幸紀/主演:緒形拳/空港と川ひとつ隔てて町工場が立ち並ぶ羽田界わ・・・

テレビ60年 特選コレクション | NHKアーカイブス

 


 2014/08/01付・喫茶 輪「小関智弘さん」
  (同日付・神戸新聞朝刊・葉月の随想「羽田のハマグリ 小関智弘」)







『大森界隈職人往来』
(朝日新聞社 1981
のち文庫、
岩波同時代ライブラリー、
岩波現代文庫)


『職人学』
(講談社 2003 
のち日経ビジネス人文庫)



『町工場のものづくり 生きて、働いて、考える』
少年写真新聞社 ちしきのもり 2014

 日経BP・BizTech図書賞を受賞し、小関氏と同じ歳の経済評論家の内橋克人氏からも推薦を受けた「職人学」を読んだ感想を、僕は次の本ブログ記事に記した。

 2014/05/17付『職人と単なる労働者とは異なる・・・本当の喜びと誇り・・・「職人学」を読んで』

 小関氏は旋盤工と作家を一体にして活動され、自らの立場、自らが存在する位置、場所を基に、主に下請けのものづくりの町工場をライフワークにして来られた。
 僕は今回、『働きながら書く人の文章教室』(2004、岩波書店)という本を購入したが、今までに既に、小関氏が書かれた本は5冊、所有する事となっていた、『仕事が人をつくる』(岩波新書、2001)、『手仕事を見つけたぼくら』(ガテン編集部共同編集、小学館文庫 2001)、『職人学』(講談社 2003、のち日経ビジネス人文庫)、『職人ことばの「技と粋」』(東京書籍、2006)、『道具にヒミツあり』(岩波ジュニア新書、2007)と、ルポルタージュやドキュメント、エッセイといったところで、小説は読んでいない。今に至っても、普段から時事問題等を見つめる僕は、リアリストであるが故もあってか、余り小説には興味を示して来なかった。

 僕も、22歳で下請の鉄工所の町工場に見習いで入って以来、その後は36歳になる直前までは一貫して、製缶工として仕事をする事を変えずに、数か所の鉄工所を渡り歩いた。臨工関係の専門学校へ行った4年間を挟んで再び鉄工界に戻ろうとしたものの、リーマンショックが重なっていたり、そんな中途半端に肩書というべきかレッテルというべきかというものを持ってしまったが故も有って、却ってそれが製缶工として勤める事に妨げになった事も有り、それ以降も転々とする事になってしまった。それ故、本来なら一貫して続けていれば今年で丸30年になっていたところを、途中で抜け出したり、その後もそんな、いささか翻弄された様になってしまった事も有って、純粋に製缶工として働いたのは、その内の20年余りにしかならない。

 そんな風に、小関氏にしろ、僕にしろ、渡り歩いて来た事は、今でこそ殆ど居なくなっているのかもしれないが、昔は「渡り職人」とか「渡り職工」と呼ばれた人々が沢山おられた。

 以下、小関智弘氏著『職人ことばの「技と粋」』(2006/08/10・東京書籍刊)より
 『【渡り職人】
 横山源之助が「諸国を巡歴し所謂ワタリの苦艱(くかん)を嘗め」と書いたのが「渡り職人」です。“包丁一本さらし(晒布)に巻いて、旅に出るのも板場の修行”と歌にあるように、調理人の世界にも渡り職人がいました。
 マイスター制度で名高いドイツには、<遍歴職人>という制度が14世紀後半に始まりました。マイスターの下で3年間修行をした後、職業上の知識と技を磨き、人間の幅を広げる為に各地の親方を渡り歩きながら修行する事が強制されたそうです。重病に罹ったり、近親者の葬儀に参列する以外は、故郷から50キロメートル以内に帰れず、3年間の遍歴を続けるという厳しいものでした。……
 …(中略)…
 ……日本でも古くから渡り職人は存在します。各地を渡り歩いては親方の所に厄介になります。人手が足りなければ、そこでしばらく働かせてもらいますが、足りていたり、あまり腕が良くないから断ろうというような時には、一宿一飯の世話をして、草鞋銭(わらじせん)を包んで送り出すという習慣がありました。……』

 『【渡り職工】
 明治になって近代工業化が進むにつれて、工場で働く人たちは職人ではなく「職工」と呼ばれるようになります。職人は生産手段を私有していますが、工場で働く労働者は生産手段を私有してはいないからです。職工という呼称は明治から大正初期までは、誇り高い呼称でした。当時は単純労働にたずさわる底辺労働者を労働者と呼び、技能を身につけて働く労働者を職工と呼んだのです。明治16(1883)年に職工学校が設立されます。これが後の東京工業大学になります。……
 …(中略)…
 ……しかし次第に、この「職工」という呼称は、事務労働者・社員・職員と区別して、身分差別的な使われ方がされるようになりました。……
 …(中略)…
 ……渡り職人ということばは、職人気質(かたぎ)の気まぐれや定着性のなさから否定的に評価されることが多いようです。しかし渡りが修行のひとつの形態であったことは、ドイツの遍歴職人や……
 …(中略)…
 ……わたしもまたその町工場を振り出しに、たくさんの町工場を渡り歩きました。たぶん渡り職工としてはしんがりにあたるでしょう。いくつもの町工場を渡り歩いたおかげで、小は手のひらにのせて吹けば飛んでしまうような小物から、ひとつの機械部品の重さが2トン~3トンという大物まで削る体験をしました。機械技術の進歩に合わせてさまざまな鋼やガラス繊維やアクリルやナイロンも削りました。それはわたし自身の修行でしたが、そんなわたしを受け入れてくれる受け皿としての町工場があったから可能だったことです。そのつど、「こんな仕事をやったことがあるかい」「こういう刃物を使ったことは」と質問されてから採用されました。新しい種類の仕事、新しい機械や刃物を経験している職工(人)を雇えば、雇う側には都合がいいわけです。
 受け皿がなければ、渡り職工は存在しえなかったことを見逃してはならないと思うのです。……
 …(中略)…
 ……わたしの渡り歩きは、1970年代に入って終わりました。それまでの手動操作の旋盤が、コンピューター制御のNC旋盤に変わったそのころからは、小さな町工場の世界にも渡り職人の姿はほとんどなくなりました。……』
 (以上、小関智弘氏著『職人ことばの「技と粋」』より)



出典:amazon

 そんな渡り職人や渡り職工の人生というのは、小関氏の著書のタイトル「町工場巡礼の旅」に相当するのだろう。

 以下、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」(2004/10/20・岩波書店刊)より
  『旋盤工なら知っているでしょう
  『町工場巡礼の旅』というのは、2002年に発刊となったわたしの著書のタイトルであるが、1986年の『町工場の磁界』の帯にすでにそのことばを使った。それ以来の主な著書『町工場の人間地図』や『仕事が人をつくる』も、あるいはそれらの著書を使って集大成した近著「職人学」までが、わたしにとっては町工場巡礼の旅となった。
  巡礼は言うまでもなく、山本周五郎の『青べか物語』に引用されている、ストリンドベリ―の「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」を意識している。ストリンドベリ―やそれを引用した山本周五郎の意図を離れても、このことばはわたしをいつも励まし、力づけてくれるものであった。……
  …(中略)…
  ……わたしは、工場と書いて「こうば」と読んでいる。「こうじょう」だと、建物と機械がクローズアップされてしまって、そこで働く人たちが点景になってしまうというイメージが強い。「こうば」だと、働いている人間がクローズアップされて、建物や機械はその背景に後退する。工場の工は「たくみ」であり、工場はたくみたちの場だからである。旋盤工の工は、旋盤という機械を使ってものづくりをするたくみである。主人公は人間だという思いを込めている。町工場は、「こうば」と呼ぶにふさわしくどこも個性的で、だから似たような工場をたずねても、そのつど新しい発見があった。
  巡礼の旅とは、たずね歩いては新しい発見をする旅であった。しかし同時に、それは自分を発見する旅でもあった。見知らぬ人をたずねて感動を共有することがしばしばある。こういう仕事をしていると、こんなふうに感動し合える自分がいるという発見をする。そんな二重の感動である。……』
 (以上、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より)






『町工場巡礼の旅』
(現代書館 2002 
のち中公文庫)


『町工場の磁界』
(現代書館 1986)



『町工場の人間地図』
(現代書館 1990)

 小関氏は、30代の後半まで、そんな渡り職人として複数の町工場を転々と渡り歩いて来られ、その後、69歳と半ばまで一貫して、旋盤工として勤められた。
 その事と並行して、作家、それも趣味としてのレベルでは無く、直木賞や芥川賞にノミネートされ、その他の賞を受賞される程の業績を上げられたぐらいの事をされてきた訳で、ここは一つ、僕も一応、今後、製缶工ともの書きやジャーナリズムを並行して行なっていく身として、何か得るものはないかと、今後に活かせる参考になるものはないかと、その「働きながら書く人の文章教室」を読んでみた。

 読書のスピードも遅い、マイペースでノロマな亀の様な僕は、未だその本を途中までしか読んでいないのだが、先程と同様に、そこから少し引用させてもらう。

 以下、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より
  『あとは手が教えてくれる
  ……昼間は旋盤工として働いていたから、机に向かって原稿を書く時間は、夜と休日しかなかった。そんなにたくさん書いてきたわけではないが、職場の仲間の多くが帰りがけにパチンコやマージャンに興じたり、釣りや野球や競馬に出かけたりする時間を、執筆に当てるぐらいのことはした。町工場のことだから残業は多いし、週休二日制というのにはついに生涯恵まれなかったから、四十代の直木賞や芥川賞の候補になったころなどは、寝る間を惜しんで書いた。……
  …(中略)…
  ……4,5枚のエッセイを依頼されても、20枚くらいの連載ものを書くのにも、休日一日を朝から晩までかけて書くというのが、そのころのわたしの習慣になっていた。では、たとえば20枚の原稿を日曜日の朝から晩まで書いたら書けたかというと、そうではない。
  まず、昼間働きながらも、それをどう書くかを考える。昼間工場で肉体労働をして、さぞ大変でしょう、とよく言われたがそうではない。相手が鉄だから、気を使うことがない。気は使うが、それはまったく別の気であって、しかももう何十年も鉄を相手に働いてきた。…(中略)…これがもし、対人関係に気を使う営業や教員のような仕事をしていたら、そうはいかなかったろう。旋盤工だからよかった。
  そんなふうだから、鉄を相手に百分の一ミリの精度に気は使いながらも、ふと文章の内容を考えてみたりする。いいことばを思いついてメモを取る。……』
 (以上、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より)

 僕は、「時間が無ければ無理」と思って、面接先でも土日休みや残業したくないと希望して、ワーク・ライフ・バランスを求めたりしたが、小関氏は生涯、週休二日制に恵まれずに日曜日だけ休み、残業も多かったと述べている。そんな少ない自分の時間しか無いのに、よくそこまで本を出版される等と著作活動が出来るものだなぁと、僕は恐れ入ってしまう。寝る間も惜しんだと述べられるが、平日の工夫が肝心だという事の様だ。僕のワーク・ライフ・バランスを取りたいという希望は、小関氏にとれば贅沢な希望、悩みであろうか・・・?

 小関氏は、先に掲げたNHKの「ドラマ人間模様 羽田浦地図」の製作中、そのドラマに旋盤工の役で主演された緒形拳氏と語り合う中で脚本にサインを頼まれたが、その代わりに自分が著した本を贈られた。そしてその本の中に、「働くことと暮らすことが同義語のひとたち」という言葉を添えられたという。
 町工場を巡礼する旅をする事、数百ヶ所にもなるという小関氏は、著作の為の取材であちこち渡り歩いて来たとも述べられる。そんな数々の取材も含め、作家として、旋盤工として、ライフワークが正に一体になっておられた事が伺える。
 一方で、「職場というアンテナ」を活かし、旋盤の前に立ちながら、工場にやって来る工具屋、油屋、スクラップ屋、運送屋等と、様々な客や取引先からの情報も得て、それがまた、新たな取材先に繋がっていたと言われる。

 ドキュメンタリーやルポルタージュを書く場合は、そんな取材で半分は決まった様なものとおっしゃる。僕の場合は同じ様に町工場で勤めながらも小関氏とは異なり、今後も小説を書くつもりは無いし、却って自分の勤めている職種関係の事もそんなに取り上げないと思う。他に色々と、様々な時事問題や歴史見直し問題、マスゴミの問題をはじめとした社会問題、そして国際情勢と沢山在り、それらが僕にとってのライフワークとなる。謂わば現場に出て取材はしないネット・ジャーナリストとして、取材されたものを活かした情報をキュレーションしたり、その他、エッセイやコラム、論評等を書いたりする事となる。

 僕は普段、メールマガジン等も取って様々な分野の時事問題に目を通しているが、その情報量には圧倒されてしまいそうになる。最近ではSNS、特にTwitterなんかは、つぶやき程度の短文投稿に限られるので、世界中の誰もが投稿しやすい。それこそハッシュタグ(#)が付いたトレンド情報なんかでは、数秒単位で次から次へとナンボでも、ポンポンポンポンと、世界中から多くのツイートが投稿されている。よって、そんなつぶやきを追いかけていたら際限が無いし、流されてしまいかねない。

 本ブログ
  2020/05/16付「捻くれもんのツイッターに実感不要、つぶやき洪水に流されずマイペースで/Unobedient and stubborn I do my work and Twitter in my own way 」

 『デジタルトランスフォーメーション(DX)、デジタル庁、デジタル通貨――。最近、「デジタル」という言葉が世間を飛び交っている。
 情報を伝えるメディアの世界でもデジタル革命が急速に進んでいる。なかでも特筆すべき変化は、ソーシャルメディアの台頭だ。フェイスブックやツイッターなど世界で膨大なユーザーを抱えるSNS(交流サイト)の拡大で、世論形成に大きな影響を及ぼすようになった。
 かつては新聞、ラジオ、テレ...』
  (2021/04/04付・日本経済新聞「データ洪水の世界で確かな情報 6日から春の新聞週間 論説委員長 藤井彰夫」より)

 ものを書く上でも、しかも製缶工として働きながら非常に限られた時間の中で残していこうと思えば、そんな膨大な情報からモチーフなり材料とするものを取捨選択しなければ、とてもじゃぁないがやっていく事は難しい。そこで、小関氏にはそういう事に於いて、何かコツの様なものがあるのだろうかと、本の中から聞いてみた。
 すると小関氏も、「資料を集めて読み進めるうちに、その内容の豊かさに溺れて途方に暮れて書けなくなった」と述べられているではないか。

 以下、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より
  『旋盤工の目の高さで書く
  わたしがずっと愛用してきた『広辞苑』には、〔町工場〕という項目がなかった。よく使い、よく知っている字をあらためて引くことはないので、町工場が『広辞苑』に載っていないことなど、気がつきもしないで、町工場のことを書いていた。
  1983年の春、わたしはNHKテレビの「訪問インタビュー」という番組に出演した。……
  …(中略)…
  ……わたしは「だからわたしは、いつの日かこの辞書に町工場が載るまで、町工場のことを書き続けるつもりです。」と決意のほどを語った。
  その年の秋『広辞苑』第3版が出て、そこには〔町工場〕が載っている。まさかにもわたしの声が届いたわけではないが、その一事が当時のわたしを鞭打ち奮い立たせてはいた。聳え立つ富士を見て美しいと言っても、それを支えている広大な裾野を見ない。大樹が、その枝葉の広がりよりももっと広く張った土中の根に支えられて立っていることに人は思いを寄せない。似たように、「技術立国日本」の、技術の高さや経済的な豊かさに溺れて、多くの人びとはそれを下支えしている産業の底辺を見る目を失っているのではないか。
  そんな思いがわたしに、昼は旋盤のハンドルを握り、夜はペンを握らせた。……
  …(中略)…
  ……資料を探せば山ほどある。その資料の山からなにを選び、なにを捨てるかの判断基準を、旋盤の前に立ったときのわたしの目の高さから見えるものに限ることができなかったら、『大森界隈職人往来』を450枚で書き上げることなど、とうてい不可能であった。
  いまここに書いたようなおふくろの話は、『大森界隈職人往来』のなかでほとんど、“一筆書き”でしか書けなかった。書けば際限がなく豊富な資料、……』
 (以上、小関智弘氏著「働きながら書く人の文章教室」より)

 僕も、「世界を変える」と言う程に痴がましい(おこがましい)事までは言えないものの、実は密かに、「伝わっとる」とか、それも「アメリカまで聞こえとる」といった事には、ほくそ笑んだりしている。そんな事が、僕のもの書きの上での支え、励ましに繋がっている事は確かだ。
 僕は、下請の町工場の鉄工・製缶工としての、一応臨工関係の勉強もした者としての、そしてクリスチャンとしての、そんな視点、視座を持ちながら、また、周囲と異なった個性、アイデンティティ、タラントをも活かしながら、ものを書いていく。






『仕事が人をつくる』
(岩波新書 2001)


『ものづくりに生きる』
岩波ジュニア新書 1999

出典:amazon等

 東京の大田区に存在する中小零細企業が、ピーク時の1万から3,000程にまで数が少なくなったが、今でも世界有数の製造業の町として健在である。その大田区と同じく、同様に日本有数の産業の集積地である大阪府の東大阪市も、6,000の町工場が存在する。
 しかし、昭和から平成に入った直後の1990年(平成2年)、正月明けの最初の株式取引日である大発会の日、年末最後の取引日である大納会で付けた史上最高値の平均株価からの急落が始まる事となって、前年までのバブル経済が崩壊した。
 それから少なくとも、第二次安倍政権が誕生する2012年(平成24年)12月までは、デフレ・スパイラルに陥る中で、日本は金融解放や新自由主義経済で格差も広がり、大企業はまだしも、中小零細企業、下請けの町工場は、苦しい状態が続いて来た。また、その後の安倍政権時のアベノミクスについても、大概の町工場クラスの経営者達は、その恩恵を受けていないと愚痴をこぼしている。


YouTube: 大阪・町工場の現場から
2013/07/14

YouTube: 平成不況の町工場
2012/09/15 (1993/05/07録画、大阪府八尾市)

 バブル経済の真っ只中では、株の売買や先物取引、デリバティブ、レバレッジといった金融商品であるとか、土地転がしによる金儲けがブームとなり、ものづくりという実体経済が軽視され、蔑ろにされた。
 またバブル崩壊後も、経営者は単価の引き下げ等の無理難題を親会社から押し付けられ、儲からないどころか赤字が続き、工場を手放して空いた土地にマンションを建てたり、駐車場にした。それで経営者は儲かるものの、その経営者の下で勤めていた従業員達は、路頭に迷う事となった。

 僕は丁度、既にバブルが弾けた後の1991年(平成3年)に、大阪府の隣、兵庫県内の下請けの鉄工所の町工場に入って、それから鉄工の見習いを始める事となった。入った当初は未だバブルが破裂した直後という事もあってか、そんな不況という感じはしなかった。
 その下側のYouTubeが録画された1993年(平成5年)は、前述した通り24歳の歳男であった僕にとっては鉄工界での飛躍となる年であった通り、僕が勤めていた町工場の会社は、結構、忙しかった程に仕事が有った。しかしそれ以降、取引先や周囲の工場が倒産したとかいう事を耳にする様になった。
 
 当時、僕が勤めていた町工場は、社長自らが営業に回り、日中は会社に居ない事が殆どであった。そんな事もあって、若干24歳で、しかも未だ鉄工界に入って2年しか経っていないにも関わらず、社長をはじめ周囲からとやかく言われる事も無く、そういった放任主義、また、仕事を概ね完全に任せられていた事が、僕の性格にマッチしていた事が確かに言える。

 この記事の冒頭付近に掲げた事と同様に、「待ち工場」では無く、社長自ら走り回って仕事を取って来ていた。その代わり、他所が断った仕事をする事は勿論、納期までの日にちが少ないものや、ややこしい品物、難しい製品等と、何でもかんでも仕事を取って来る。選り好みしていたら、そんなに仕事を取れなかったのであろう。そして、そうして色々な所と取引する事となるので、親会社が1社2社の場合にそれらに切られて倒産という事態も避ける事が出来ていた。

 また、下請けの町工場は仕事量の波が有る事が常であるが、仕事の薄い状態が暫く続きそうな時には、僕自らが進んで、他所の会社に移って来た。

 そんなバブル崩壊以降、日本は長い間、デフレ・スパイラルという泥沼に沈んでいく事となった。同時に、金融ビッグバンで金融経済の解放、規制緩和、ネオリベラリズム、小泉・竹中の自民党政権による構造改革によって格差は一層広がり、大企業は優遇された。
 国の税収が落ち込む中でも国際競争力を高める事を目的とした法人税の減税等で、大企業は生き残る事は容易かったかもしれない。また、そんな大手の正社員は、そんな恩恵も有って社内留保に回す、そんな余力の有る大手企業の中で、余りデフレの影響を受けなかったのかもしれない。更に、所得税の最高税率の軽減で、そんな大企業に勤める富裕層はその分、余計に貯蓄に回す事が出来る様になった。

 しかし、下請けの会社、町工場、そして非正規社員、派遣社員らは、中小法人の軽減税率が適用されようとも、所得に関係なく一律に課される消費税の増税で圧迫され、そんな大手の人々の様に貯蓄に回せる程の余裕も無く、不安定な状態に置かれる事となった。
 大企業は、下請けの町工場に非効率、割の合わない品物を作る様に強制した。大企業が国内総生産額や輸出額の内の割合を大きく占める様になり、弱肉強食、企業の合併・買収(M&A)と、グローバリズムの中での優生学の考えの下、中小零細企業が淘汰されていった。



法人税率の推移
(「昭和56年3月31日の間に終了する事業年度については年700万円以下の所得に適用。」)
出典:財務省「法人課税に関する基本的な資料」



所得税の最高税率の推移
1974年(昭和49年):75.0%、1984年(昭和59年):70.0%、1987年(昭和62年):60.0%、1989年(平成元年):50.0%、1999年(平成11年):37.0%、2007年(平成19年):40.0% (課税標準1,800万円以上)、2015年(平成27年)、45.0%(ウィキペディア「所得税」より) 
出典:2012年6月13日付・神戸新聞
 
 『コロナ禍で鮮明になった世界の分断は、日本にとって対岸の火事ですか――。
 「女性や非正規労働の雇用に深刻な影響が出ている。自殺の増加や孤独・孤立の問題に真正面から向き合っていく」。菅義偉首相は3月16日、新型コロナウイルスの非正規雇用の緊急対策関係閣僚会議で訴えた。
 2020年に非正規雇用者は前年比で75万人減と比較可能な03年以降で最大の減少幅となった。一方で正規は35万人増えている。飲食・サービ...』
  (2021/04/04付・日本経済新聞『繰り返さぬために(4) 「一億総中流」もはや過去 成長と安全網、両輪で』より) 



「日本は経済が伸びず貧困層も増えてきた」
名目GDPと生活保護受給者数の推移
出典:2021/04/04付・日本経済新聞『繰り返さぬために(4) 「一億総中流」もはや過去 成長と安全網、両輪で』

 そんなデフレ禍の中に在り、且つ、リーマン・ショックの後で未だその不況から抜け出せないでいた頃、当時民主党政権であった時の、小関氏による下請けの町工場の立場に立ったコメントが、以下に在る。

 『……たとえば東京・三鷹にある従業員40人ぐらいの会社は、スペースシャトルに載るような最先端の光学機械を作っています。名だたる大企業でも作れない製品を作れるのです。その技術は、実はわかってしまえば簡単なもの。発想が重要なのです。
 ところが大企業の人がその工場に「どうしてうまくできたのか」と聞きに来たから教えたところ、「それならウチだってできるな」と言って帰ったそうです。人の成果をすぐに横取りするのが今の大企業の姿勢。それではダメです。技術をきちんと評価しないようでは、日本の技術力は衰弱するしかないでしょう。』
  (2010/05/12付・東洋経済ONLINE「町工場の悲鳴が耳に刺さる 元旋盤工・作家・小関智弘氏①」より)

 『……大きく言えば、人の役に立つものを作ることが、人間を特徴づけることであり、人間のいちばん大きな役割、というのが私の考えです。人はなぜ、何のために働くのか、その根源にあるのが「人の役に立つものを作る」ということだと思うのです。
 これは多くの町工場を訪ねてわかったことです。町工場の人たちは、大きくなろうとしていません。工場を大きくするよりも、いい仕事、楽しい仕事をして死んでいきたいと考えています。経営者を含めほとんどの町工場の人がそう考えています。
 ところが大企業になると、少しでも大きくなろう、少しでもおカネを多く儲けよう、となる。町工場の人がそうならないのはなぜか。それは、自分の生きがい・働きがいと、自分がものを作るということが、非常に密接に結びついているからだと思います。たとえば、苦労して作り上げたものは、本来なら高い値段を請求してもいいでしょう。ところが町工場の多くの人は、高い値段を請求せず、完成できたことに大きな喜びを感じます。値段と違うところに生きがい・働きがいを感じているからです。そういう価値観で生きているのが町工場の人たちなのです。』
  (2010/05/19付・東洋経済ONLINE「値段とは違う価値に生きがい 元旋盤工・作家・小関智弘氏②」より)

 『日本の工場は、1980年ぐらいからコンピュータで制御するNC工作機械が主力になってきました。それを境に、人間の持っている五感や、勘とかコツといわれるような、あいまい模糊としたものが、古臭いと排除されるようになりました。……
  …(中略)…
  ……こうした職人技は、長い経験とたくさんの失敗の積み重ねがあって初めてできるもの。広めていく必要があるものなのに、それをいらないといって排除する最近の風潮は間違いだと私は思っています。』
  (2010/05/26付・東洋経済ONLINE「刃物の切れ味は耳で聞け! 元旋盤工・作家・小関智弘氏③」より)

 『……人生経験豊かな男気あふれる人です。この人に負けたくないという競争心から、学ぶことに貪欲になりました。
 私は不器用なので、手先ではかないません。だから工夫することで勝負しようと思い、毎日の仕事の記録をつけ始めました。新しい仕事が来るたびに図面と加工法をノートに記し、うまくいった、失敗したといったことを書き留めていったのです。すると、後で同じような注文が来たときに確認でき、もっとうまく工夫できるようになったのです。……
 …(中略)…
 ノートをつけ続けたおかげで私は成長できたと思います。旋盤で鋼(はがね)を削ることの奥深さがわかり、苦痛にすぎなかった仕事がどんどん面白くなっていきました。
 そして鋼が見えてきたとき、人も見えてきました。職人さんたちの姿が見えてきたのです。その頃から文章も書けるようになりました。私は高校を出てから同人誌などで町工場の暮らしを書いていました。
 それまでは、職人という人たちは、口が重く煮え切らず面白くない人たちだと感じていましたが、そうではないことがわかってきたのです。その後に職人を描いた小説は、4度も直木賞や芥川賞の候補になりました。……』
  (2010/06/02付・東洋経済ONLINE「ノートのおかげで成長できた 元旋盤工・作家・小関智弘氏④」より)

 実は、僕も鉄工所に見習いに入って以来、ノートをつけて来た。下請けの町工場の製缶工として、特に前述した通り、僕が在籍した鉄工所の場合は様々な種類の製品の仕事を多く取っていた事もあって、お陰で色んなものを作らせて頂く事が出来た。しかしその分、同じ物ばかりを作る訳では無く、そんな一品物を作る故に、それぞれの製品、仕事は異なっているので、余計に記憶だけに頼ろうとするのは危ない。

よって、それらについて、掛かった時間の他、それぞれの特徴や重要に感じた事、例えば溶接後の歪みが思ったよりも大きく出てしまったとか、それを防ぐ為の補強が足りなかった事、手順を間違えたとか、このやり方の方が早く出来たのではないかとか、失敗した事、作ってから後悔、反省すると同時に気が付いた事等を、メモを添える様にして記録して来た。……

 <10/12に続く→>

精神的に自立した本当の職人は「自分のやり方」を持つ・・・頑固、寡黙、目利き、そして「他人のやり方」を尊重する

2017-03-29 15:48:10 | 鉄工所・職人・町工場
 職人とは、「自分のやり方」を持つ者の事を言う
 他人と同じ方法で作るのでは無く、他人を真似したやり方で作るのでも無い。
 例え図面通りに物を作るにしても、その物を作り上げて仕上げていくまでのプロセス、過程が、職人によって異なるものである。例え単品物では無く量産品であっても、同様にプロセス、作り方は、職人によって異なる。
 職人は、そのプロセス、製作過程、製作方法に自分のオリジナル性を発揮し、その独自性に誇りを持つものである。
 また、プロセスには「段取り」もある。図面を見てイメージし、製作手順や製作方法を考え、それに応じた材料を揃え、必要な工具・機械を用意する。更に加工には前加工、組み立てにも先組がある様に、各職人によって一つの物を作り上げていく上でのプロセスは細かく異なるものである。
 もしもその「自分のやり方」に対して他人から干渉・介入を受けたり、他人のやり方を押し付けられ強要されたりすると、その自分のアイデンティティは壊され、自尊心・誇りは踏みにじられる事となる
 職人は、精神的に自立し独立した存在である。「自分のやり方」を持って他人のやり方に依存せず、独自性、自尊心、誇りを持っている。自分自身がその様であるので、他の職人の独自性、自尊心、誇りを尊重する。故に、例え会社で雇われる身であるとしても、本当の職人は、お互いにその精神面の独立を尊重しながら共存するものである。
 勿論、日々成長する上での改良は必要である。反面教師も含めた他人のやり方を参考にする事も必要である。しかしそれらも、他人からの押しつけでは無く、自分で、自分の努力で改善するのである。独立意識、自立意識とはそういうものである。
 また職人は目利きを持つ。人や物事だけでは無く、果てには時事問題にまで「見る目」を持つ者もいる。
 職人は1度しか言わない。見習いに対し、一つの事に対して1回しか教えない。1回教えて理解出来ないのは、センスが無いか、馬の耳に念仏、猫に小判、豚に真珠、馬耳東風であると捉える事が出来る事もあるからである。
 職人は寡黙である。仕事中、黙々と作業を行う。それだけに、仕事に集中し、熱中する
 職人は頑固である。他人の干渉に対し安易に「自分の考え」を曲げない。自分の内に堅い信念を持つ、つまり「自信」を持つ。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/10/27付:「私の鉄工所・町工場での経験と照らし合わせて……・・・「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」を読んで」
  ・2014/05/17付:「職人と単なる労働者とは異なる・・・本当の喜びと誇り・・・『職人学』を読んで」
  ・2014/05/17付:「儲けよりも誇り・意地を大事にし、名を売らず謙虚に『清貧』を貫く職人たち・・・『職人』を読んで」
 
 参考・関連文献






職人学
職人学
    職人
職人
    THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書
THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書


職人と単なる労働者とは異なる・・・本当の喜びと誇り・・・「職人学」を読んで

2014-05-17 23:42:26 | 鉄工所・職人・町工場
 本当の喜びと誇りを持って、好きで楽しみながら仕事をする職人たち。
 「職人学」(著者:小関智弘氏、出版社:講談社、出版日:2003/11/12)
 本書を読みました。
 「小さな工場の旋盤の前に立って、その目の高さで、世のなかを見据えて書くということを続けてきた。どんな工場をたずね歩いても、どんな人とお逢いしても、その目の高さだけは変えなかった。先生とか作家と呼ばれることもあったが、俺は旋盤工だとみずからを戒めてもきた。卑下してきたわけではない。むしろ、旋盤を使ってものづくりをする工(たくみ)であることを誇りに感じながら働き、書き続けてきた。…(中略)…鉄を削ることが好きだから続けられた。」(本書、著者によるあとがきより。)
 著者は高校卒業後、約50年間一貫して旋盤工として働き、途中「渡り職人」の様にして勤める職場・会社を転々と変えながら「場数を踏む」事による自身の持つ経験と、働きながらの取材から得た多くの知見が、本書をはじめ、旋盤工として働く傍ら作家としての執筆活動によって出された多くの著書に記されて有ります。元々が作家としての才能も持ち合わせていたのでしょうが、豊富な語彙と鋭い感性から表現力も豊かで、深い意味を含む各見出しから私は引き付けられ、共感してしまいます。
 世の中には数多くの職人の携わる仕事が在りますが、著者が旋盤工であった事もあって、本書では鉄工、及び町工場が中心となっています(他の職種も勿論取材されて取り上げています)。
私は旋盤工ではありませんが、同じく鉄工の分野で働いて来ました。私の場合は著者と違って大した腕や技能は持ち合わせてはいませんが、著者と同様に若い頃からただ純粋にその仕事が好きで続けて来ました。また、単なる労働者と異なり、職人のする仕事に携わる事が出来る事に誇りを感じて来ました。給料は二の次で、ただ単に仕事が好きで働いて来ました。納期までの日が浅い特急の仕事を間に合わせようとして遅くまで残業しても苦にならず、ろくな暖房も無い工場の中での冬の寒い中や夏のクーラーも無い暑い中で大量の汗をかきながらでも一向に苦に思わずに働いて来ました。その様にして働いていると、給料・稼ぎは勝手に後からついて来たものでした。
 現在、私は40代も半ばとなりました。鉄工の仕事の上で著者と同様に職場を数ヶ所渡り歩き、同じ所で続けて働き続けるよりは見識が広がっていると自負しています。しかしその後、訳有って暫く鉄工の仕事を離れ、現在は好きな鉄工の仕事に戻る事が出来ました。本書は此度再読したのですが、私自身にとっての原点に今一度戻り、本書を読む事によって基本を見つめ直し、職人としての心構えや姿勢・態度・考え方等を自分の中で点検し整理し直す事に努めました。
 最近は機械化が進んで、たくみを意味する機械工では無く「機械要員」が増え、回転寿司店で働くのは寿司職人では無く「単なる店番」、家を建てるのが大工職人では無く機械加工された材料を組み立てるだけの「下働き」となってしまっていると言います。
 「職人とは、ものを作る手だてを考え、そのための道具を工夫する人である。」。タカを括らずに「広い間口から入っても、その奥ゆきを極めようと努力する人たちだけが職人」と言います。「現合」(現物合わせ)で良い「一品物」では無く、「数物」(量産品)においては誤差やばらつきが限りなくゼロに近い無個性な品物が要求されますが、その場合においても、仕掛かり・段取り、治具・道具の工夫、加工手順等においての「プロセスで個性を発揮」する事が大事だと言います。
 また、図面を見て「全体を見て、手順をイメージ」する事が出来ることが大事で、「イメージできないから見積りをふっかけ(高い値段に見積もり)」、そして「イメージできない人は、結局できません」と言います。特に、数物では無い「一品料理」であるその時限りの「一品物」にはマニュアルや教科書は無く、そのプロセスを考えてイメージする能力が重要であると言います。「段取り八分」の言葉通り、段取りまででその品物の完成度がほぼ決まってしまう事ともなります。その様に図面をもらってからのイメージに始まって品物を完成させるまでは職人はその仕事において主人公であり、その一連の一貫した作業を通して行う事が一人前であると言います。
 与えられた機械をただ受け身になって教えられた通りに使うのは、単なる労働者で機械の奴隷であると言います。考え工夫して「邪道」や「我流」を極めれば、それがやがて「正道」になると言います。一例として、大きな工場でのNC機械を数台掛け持ちした機械要員が、効率重視で時間に追われる中で走り回されている姿は「作らされているにすぎない」と言っています。
 ところで、ステンレスが固いと言うイメージの「神話」が一般的には持たれていると思います。しかし、ステンレスは「加工硬化性」が強い為に、旋盤やボール盤等において送りが細かいと削る端から切削熱で固くなってしまうので、送りを荒くして深く切り込めば、切削熱で焼けていない柔らかい部分を削る事が出来て切削が容易になると言います。理屈では無く、現場で働きながら学んで「場数を踏む」事が、その様な事に気付いたり理解を深める事になると言います。そして「恥をかきながら技能を獲得する」事が、真剣に働きながら本当に学ぶと言う事と言います。
 現在では超硬チップが使い捨てにされ、自分でバイトを火造りしたり研ぐことも出来ない旋盤工が増えていると言います。その超硬バイトは先端では無くナタの刃の両脇で木を割る様に削っており、刃先を殺す事で刃もちが良いと言います。
 「ものを見る目を養う」事が必要だと説き、また感受性を豊かにして鉄などの素材と親しくなる事が大事だと言います。感受性豊かな著者は、「鉄が匂う、鉄が泣く」、「指先で百分の一ミリを感知」、「湯面を見る」、「金属を舐める」、「機械にニンベンをつけろ」等と題して説きます。


 
職人学職人学価格:¥ 1,728(税込)発売日:2003-11-13



 関連動画↓↓
 

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YouTube: OTAKARA発見隊 vol.26 『元旋盤工・作家 小関智弘さん』


 


儲けよりも誇り・意地を大事にし、名を売らず謙虚に「清貧」を貫く職人たち・・・「職人」を読んで

2014-05-17 18:09:22 | 鉄工所・職人・町工場
 威勢の良い、粋な姿・言葉を表現する職人たち。自分の名を売ろうとせず、目立とうとせず謙虚に、小さな町工場や工房、商店等で働き「清貧」を表す職人たち。利益・儲けよりも、誇り・意地・遣り甲斐を優先し大事にする職人たち。目利きを持ち、物事の真偽や人の才能や能力を見分けて育てる力を持つ職人たち。
 「職人」(著者:永六輔氏、出版社:岩波書店、出版日:1996/10/21)
 本書を読みました。
 本書は、著者自身が以前にある雑誌に連載していた「無名人語録」の中から、職人たちの言葉の数々を再び取り上げて編集しまとめたものが中心となっています。その江戸言葉等で語られる職人たちの言葉や、怒ったり叱ったりする職人たちの言葉に触れるだけでも、その活気や意気の盛んな様子が伝わって来て、私自身がその元気をもらっている様に感じます。
 「職人」と「作家」との違い。また同様に、「芸人」と「芸術家」との違い。消費税が導入される前までは、「職人」の作るモノには物品税が掛けられていた様で、反対に「作家」の作るモノには物品税は掛けられなかったとの事。また、一つの名も無き地方の田舎で作られた小さな「雑器」が、都会の有名な「工芸館」に暫く飾られるだけで、世間の見る目が変わってしまうとの事。その様に日本では、法律や世間体等によって、職人が生きにくい様な状態に陥らされています。
 職人(や芸人)の世界は徒弟制度であるのだが、最近は労働基準法がそれを認めていないせいもあって、本来は弟子が親方に月謝を払うべきところを、修行中の弟子にも月給を払わなければならないとの事。
 最近はテレビ等でもよく職人が人前に出演してその腕前を披露している番組が有りますが、しかし著者はその様にテレビ等に出て名を売ったり目立ったりする事は、「粋」では無く「野暮」だと言います。
 「粋」は「いき」でもあり「すい」でもあります。腕の良さ、技能の良さだけでは無く、その「粋(いき)」な姿・言葉と同時に、「粋(すい)」な心、純粋な心を持って働く事からの、単なる労働者とは異なった職人の素晴らしさが有る様に思います。
 江戸時代においての江戸や上方等では、職人たちは大事にされたとの事。その名残として、紺屋町・鍛冶屋町・大工町等が現在も地名として残っているとの事。名古屋の徳川美術館には職人衆を優遇する伝統が残っており、職人は入館無料との事。
 本来は旅芸人である落語家の噺である落語の主人公は、大抵が職人たちとの事。
 著者は、「職人というのは職業じゃなくて、『生き方』(及び考え方)」と言います。そして、「『人間国宝』と書いてあると、それだけで良く見えちゃうっていうの、あるじゃないですか。…(中略)…。むずかしいけれど、自分自身の基準をもたなくちゃね。他人があまり評価しないものをいいなと思っちゃう場合もあるし、だれもが認めているものを、なんでこれがいいの?ということもあるでしょう。そのとき、自分のほうを大事にする。自分の目に自信を持つ。ときには失敗しますけど、その失敗が月謝になるんです。……(後略)。」。
 本書に在る「職人語録」の内の、私の共感する一例の言葉を次に記します。
 「ウチナーの人間は、その日が楽しければいいの。明日はもっと楽しくしようとは思わないのさ。だからヤマトの仕事は合わないの。余計に儲けなくたっていいんだ。向上心がないのとはちがうのさ。欲がないだけのことさ。」(沖縄でゆっくりと仕事をする、ある大工さんの言葉。)
 「人間、ヒマになると悪口を言うようになります。悪口を言わない程度の忙しさは大事です。」
 「職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ」
 「人間、<出世したか><しないか>ではありません。<いやしいか><いやしくないか>ですね。」
 「残らない職人の仕事ってものもあるんですよ。えェ、私の仕事は一つも残ってません。着物のしみ抜きをやってます。着物のしみをきれいに抜いて、仕事の跡が残らないようにしなきゃ、私の仕事になりません。」・・・政治家等が自分の名・業績を残す為に、名声を得る為に、あえて無駄な大事業を起こしたり自分の銅像を建てる事とは正反対に、陰徳を行なう様に名を出さず密かに善い仕事を行なっている職人の言葉
 「怒ってなきゃダメだよ、年寄りは。」
 「昔は伜(せがれ)に他人の飯を食わせるということをやったもんです。職人や芸人なんか、とくにそうやって修業したもんです。ところがマイホーム主義なんていうようになって、親の手元で修業する例が増えています。つまり、修業が甘くなっているんです。」
 「褒められたい、認められたい、そう思い始めたら、仕事がどこか嘘になります。」・・・この言葉と同様に、今の世の中、人の為だとか世の為だとか言って行われている事は、とかく「偽善」である事が多い様に私は思います。
 「職人が愛されるっていうんならいいですよ。でも、職人が尊敬されるようになっちゃァ、オシマイですね。」(役人等のお上の決める黄綬褒章等についての言葉。)
 「批評家が偉そうに良し悪しを言いますけど、あれは良し悪しじゃなくて、単なる好き嫌いを言っているだけです。」
 「職人の仕事そのものが名前だと思うんですけどねェ。名前だけをありがたがる人がいるのも、困ったもんですよ。」
 「名声とか金は、歩いた後からついてくるものだった。名声と金が欲しくて歩いている奴が増えてますねェ。」
 「自分の評判なんて気にするんじゃない!気にしたからって、何の得もない。」


 
職人 (岩波新書)職人 (岩波新書)価格:¥ 778(税込)発売日:1996-10-21



ほのぼのとした町工場の日常・・・「とろける鉄工所」&「ナッちゃん」を読んで

2014-01-25 16:11:16 | 鉄工所・職人・町工場
 ホッとする、ほのぼのとした町工場の日常が描かれた、下記の本(マンガ)2作品を読みました。
 「とろける鉄工所(1)」(著者:野村宗弘氏、出版日:2008/11/21)、出版社:講談社)
 昨今の円高ドル安、金融経済、市場原理主義、国際化、グローバル化、規制緩和等により、下請けの町工場の鉄工所は非常に厳しくなっています。かつての様な高度経済成長は望めず、中国を始めとした新興国に其の立場を奪われようとしています。その様な中、本書を読むと少しホッとさせられます。しかし、それはかえって、少し、現実離れしている様にも思えます。古き良き昭和の頃が、鉄工所にとっても良かったのではないでしょうか。勿論、其の頃もオイルショックや、現在ほどではないが円高ドル安があって、特に中小零細町工場は大企業のしわ寄せも食らって苦労はしていたでしょうが……。
 溶接工と言う言い方を作者の広島ではされている様ですが、関西では溶接工(アーク溶接をする事により、電気屋とも言います)はほぼ溶接専門(個人、会社、会社の規模によっても違いますが...)、図面通りに材料を点付けの仮止め溶接で組み立てて行く等の作業を担当する者は、製缶工(鍛冶屋とも言う。これも前期同様、各環境・立場で作業範囲・内容は異なりますが)と言います。但し製缶と言っても、タンクや圧力容器等の缶々ばかりを作る訳では無く、鉄や非鉄金属の材料を使用した製品全般の製作を意味します。
 「ナッちゃん 1」(著者:たなかじゅん氏、出版日:2000/1/7))、出版社:集英社)
 NC等の高価な機械が無くとも、道具が全て揃っていなくとも、主人公のナッちゃんは優れたアイデアで何とかしてしまいます。ベースとなる知識は勿論必要ですが、それらを生かして其の上に、アイデアを生む重要性が分かります。勉強になります。NC・機械に対する汎用・手作業、大企業に対する零細町工場、組織に対する独立した個人の姿勢・考えも良いと思います。男ばかりの鉄工所に、このような女性が居ると、大分違うのではないかとも思います。


 
とろける鉄工所(1) (イブニングKC)とろける鉄工所(1) (イブニングKC)価格:¥ 609(税込)発売日:2008-11-21

 
ナッちゃん 1 (ジャンプコミックスデラックス)ナッちゃん 1 (ジャンプコミックスデラックス)価格:¥ 590(税込)発売日:2000-01-07



私の鉄工所・町工場での経験と照らし合わせて……・・・「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」を読んで

2013-10-27 01:51:18 | 鉄工所・職人・町工場
 総タイトル:【私の鉄工所・町工場での経験と照らし合わせて......・・・「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」を読んで】

 世の中の鉄製品全般を担い、社会の根幹を支えて貢献する「鉄工所」、「町工場」
 汗やチリ・油にまみれて、作業着を汚しながら仕事をする正しさ
 「清貧」、「謙遜」を表している、町工場の小さな古い鉄工所
 「THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書 」(著者:相澤弘機氏、出版日:2010/6/15、出版社:文芸社)
 上記の本を読みました。
 著者は、大学文学部英米語学科を卒業すると同時に父の興した大阪の町工場に入社し、その後代表に就任して機械屋として機械加工を日々行っています。早寝早起きが習慣らしく、学生時代からの大変な読書家で、学生時代には自分で小説も書かれていたとの事です。
 私は、町工場の鉄工所に育てられました。私は普通科の高校を中退後暫くしてから町工場の鉄工所見習から入り、最初は図面も読み取る事が出来ず、溶接もそれまではした事が無く、学校で習ったはずの三角関数もすっかり忘れてしまっていました。その後、見習の立場、先手(職人に付いて職人の手の様になって職人に使われながら働く事)の立場、或いはそこから少し毛の生えた様な状態の間に、同じ製缶を行なっている町工場の鉄工所に数ヶ所移り代わりました。その後、一人で仕事を任せられる様になってからも、仕事が少し薄くなった時に、他所の飯を食って見識を広げ、勉強して自分のレベルを上げる事を理由に、製缶工として同じ製缶の町工場の鉄工所の会社に移転しました。同じ職種を続ける為に、会社は代わっても、転職ではありません
 製缶と言う仕事は、幅が広くて奥も深い。製缶と言う名前からしてタンク等の缶かんばかりを作っている様に思うかもしれませんが、そうでは無く、鉄やステンレス等の非鉄金属を材料として、世の中のそれらで出来た物全てが商品としての対象となります。故に、同じ製缶をしていると言っても、会社によって取り扱う商品が異なって様々であり、小さい物から大きな物まで、建築関係、機械関係、輸送関係、食品関係、各種構造物、プラント関係設備等々、町工場の取引先の種類と数、顧客としている親会社の種類によって様々な内容となっています。
 よって、同じ会社に居座っていると、そこの会社の事しか解らず、他所での仕事の事が解らなくなってしまいます。そこでの仕事が全てであると思い込んでしまったり、そこでのやり方が正しいと思い込んでしまったり、先輩やベテランの職人の言う事が正しいと思い込んでしまう事にもなりかねません。先輩やベテランの職人は俗にいう「カン」に頼っている部分が有り、それらは得てして職人の思い込みである事も多いです。現場での長年の経験から得た「カン」は価値が有りますが、一方で根拠の無い思い込みは間違っている事も多いです。私は見習時分からその様な疑う姿勢が有りましたので、見習の立場でありながらも余り言う事を素直に聞きませんでした。
 以前は若かったので移転もまだ比較的容易かったですが、最近の町工場の不況もあって、同じ様にはいかなくなっています。昔の高度経済成長期の様に物の無い時代では無く、バブルの様な事も今後は起こる事は無いと思います。新規で物を作らずとも、日本国内は一般的に大方設備等は揃っていています。一方で、橋梁の老朽化等、現存設備のメンテナンス・保守点検・修理等は今後は忙しいものと思います。
 市場至上原理主義、金融経済、グローバル化の下に、製造業が金融に支配されている為に、マネーゲームによって、特に下請けである町工場は煽りをまともに受けてしまいます。米国を初めとする各国の金融緩和政策によって、紙切れのお金が市中にばら撒かれ、物に比較して天文学的に余剰となっているお金を投資に用いている為に、モノづくりの実体経済は常に揺さぶられて不安定となって、直ぐに状況が変わってしまう事も有って、先行きは不透明で全く予想・予断が出来ません。
 お金が大分余っているにも関わらず、下請けの町工場まではお金が回って来ません。政府の金融緩和による市中のお金の量を増やしても、銀行が自身の営利目的の為に日本よりも金利の高い海外に投資したり、元請けの大企業・メーカーはリーマンショックのイメージも色濃く記憶に残っていたり先行き不透明である事から内部留保をして、下請けにお金を回しません。そして、今後、或る時急にハイパーインフレが起こって、その不況の煽りを食らう恐れが有ります。
 下請けの町工場は、親会社の都合でいい様に使われてしまいがちです。自分の所で仕事をしようとしていた品物が忙しくて手が回らなくて、納期がいよいよ迫ってきて出来ないからといって、その納期のままで下請けに出す為に、下請けの町工場は超特急で、遅くまで残業をしたり、外注として他の同業の町工場に仕事を分割して振り分ける等をして、その納期に間に合わさなければならない羽目になります。
 不況で世間一般的に仕事の無い時には、元請けは多くの下請けに見積を出して、その中で最も値段の低い所に仕事を出します。しかし、値段を低く見積もる会社は赤字覚悟で見積を出している事も多く、仕事が無いよりはまし、従業員を遊ばせないよりはましと言う事で仕事を取る会社も多いです。
 元請けの直接の1次下請けならまだしも、2次の孫請け、3次、4次、5次……と下のほうの下請けとなると、会社を通す度にピンハネ(中抜き)されて利益が出るどころか赤字覚悟の仕事、合わない仕事となります。
 その様に、仕事をしても儲からず、却って仕事をする事によって赤字が膨らんでしまいかねないので、自分の所に工場の無い、事務所だけの鉄工所も最近は多いです。要するに、自分の所では工場の現場で物を作る仕事をせず、営業や見積、材料の発注等をするだけで、実際のモノづくりの仕事は通すだけで下請けに安い値段で押し付け、ピンハネする事で利益を得ています。また、派遣業者の様にして、大手の工場に従業員を入れているだけの所も有ります。
 例え元請けの直接の1次下請けであっても、そことの取引量の割合が高い場合には、親会社の都合に左右されやすくなります。もしもそれが1社だけであると、そこに切られた場合には即倒産となります。逆に、2次や3次の下請けでも、仕事をもらう先の多くの顧客を持っていると、潰れにくいです。
 ところで、大きな会社は従業員も多い為に、分業制によって一人ひとりの作業範囲は狭くなっています。逆に大手の「単能工」と違って、10人前後等の零細町工場は人数が少ない為に、「多能工」として何でも熟しています。多能工の場合は他所の同じ職種の会社に代わっても、融通が利き易く、柔軟性が有ります。よって、何処へ行っても通用しやすくなります。昔の「渡り職人」は、いろんな所を転々として多くの見識を持ち、融通の利く腕を持っていました
 鉄工所の事が、余り世間には理解されていないと思います。また、誤解も多いと思います。社会に影響を与えるマスコミの中でも特にテレビの場合には、スーツ姿のホワイトカラーの職場が舞台のドラマが多いです。トレンディだのおしゃれだのとマスコミは囃し立てます。逆にグレーの作業着姿等のブルーカラーの職場を扱おうものなら、ダサいだの汚いだの3kだのと、特に若い女性にはウケない様に思います。マスコミスポンサー企業のマーケティング・意向に添った番組作りを余儀なくされる為に、そのマーケティングが若い女性をターゲットにしている為にその様になっています。
 例え同じ鉄工所でも、元請けのメーカーの社員等には解らない、下請けの中小零細町工場の苦労が本書には在ります。特に経営者としての著者の経験・苦労からの言葉が在ります。しかし著者は機械加工の仕事が好きで、自身と同じ下請けの鉄工所の町工場に共感し、応援する意味も込めて世間に理解を深めてもらう事を理由に本書を出されたのではないかと思います。
 鉄工所・町工場の昭和50年代から現在に至る過程、現在の取り巻く環境、抱える問題等が本書に在ります。

 
THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書THE 中小零細製造業 町工場・鉄工所の解体新書価格:¥ 1,365(税込)発売日:2010-06-01



本物の鍛冶屋さん

2012-12-03 20:43:29 | 鉄工所・職人・町工場
 昨日の深夜(本日の未明、2:35~3:30A.M.)、関西テレビ(フジテレビ系列)で放送された「FNSドキュメンタリー大賞『鋼の絆~島原の鍛冶屋五人兄弟』」(テレビ長崎制作・著作)を見ました。江戸時代から9代続く鍛冶屋「吉光」は、91歳の次男から72歳の九男までの5人兄弟で営まれ、島原の伝統工芸品の包丁や鍬や鎌等の農具等を作っておられます。父が11人兄弟全てに鍛冶屋さんに関する名前を付け、その内9人は鍛冶屋を継ぎましたが、4人は亡くなられました。又、取材中には社長である84歳の六男の方が亡くなられました。その社長の48歳の長男が父が亡くなられる前から見習で加わっています。一方、91歳の次男の方は、毎朝自転車で通勤されていて、正に現役そのものです。昔からの日本刀を作る方法と同じ鍛接という方法で、1000℃の高熱とハンマーで叩く圧力によって「玉鋼」と他の工具鋼とを溶接し、其の後ハンマーやプレス機によって鍛造して不純物を除きながら平たく鍛え、よく切れ、硬く、粘りがあり、曲がり難い包丁へと仕上げていきます。
 市販の玉鋼を使っていましたが、鍛冶屋として本格的にやろうとして、様々な文献を集めて昔行われていた「たたら製鉄」自ら行う事に挑戦し、現在は自社製の玉鋼を使用した包丁を作っています。朝鮮半島から渡ってきた渡来人が日本へ伝えて弥生時代から行なわれてきた「たたら製鉄」は、中国山地等、岡山県の備前・美作兵庫県の千種川・揖保川沿いの砂鉄の採れる所でも盛んに行なわれて来ました。鋼は刃金とも書き、日本刀の刃の部分に用いられて来ました。文献を基に赤土でたたら炉(火床(ホド))を作り、有明海沿岸で採取した砂鉄を使い、木炭で火を起こして1000~1300℃まで熱して鞴(ふいご)から風を送りながら、純度を高める為に藁灰(わらばい)と貝を砕いた粉を加え、ノロ(スラグ(不純物))を分離して、「玉鋼」(和鋼)の基となる粗鉄である「(ケラ)」を作ります。砂鉄80kgから20kgのケラしか取れません。鍛接しやすく、研磨もしやすく、鉄と1~1.5%の炭素のみの合金で純度の高い「刃金(鋼)」が出来ます。
 私も実はこの番組の様な鍛冶屋さんとは違った種類・内容ではありますが、町工場の鉄工所で若い時から働いて来ていたのですが、この御兄弟の方達の様に60~70年程も鍛冶屋一筋で働いて来られて、且つ挑戦して新たにされていく本物の鍛冶屋さんを見て、とてもすばらしいと思いました。仕上げの研磨した後の刃文を見ただけで、その切れ味が解ってしまいます。紙を立てにすっと切れてしまう程の切れ味の良い包丁です。耐久性も良いです。又他にも、ボランティアで農作業の器具の刃物を研いだり、リサイクルとして空き缶を使用しての包丁作りの挑戦もしています。
 関東地方の放送は未だ(12月19日(水)の深夜(翌日の未明))ですが、こちらと同じ午前2~3時という視聴率の悪い時間帯です。九州地方では昨年の3月に放送されましたが、そちらの方でも早朝や深夜でありました。私はいつも思うのですが、この様な良い番組がなぜ深夜等のあまり視聴率の上がらない時間帯に流されるのかと疑問に思っています。こちらの関西では、日曜日の深夜(翌月曜の未明の真夜中)という、翌日出勤日で最も視聴率の上がらない時間帯に放送しています。逆にゴールデンタイムに放送している番組は、お笑いやクイズ、バラエティ番組、セックスシーンのあるドラマ等の意味の無い空虚な番組ばかりです。しかし、その様な意味の無い番組の視聴率が上がっている事が現実に起こっている事から大衆受けしている事が表されており、且つ広告業者の大衆への洗脳の意図(勿論、電通等の広告業者も裏の権力に操作されている)もあるのでしょうが、愚民化・平和ボケ政策とそれを歓迎している一般大衆の様子が表されている様に思います。私は此の度見た様な意味のあるドキュメンタリー番組こそゴールデンタイムに放送すべきだと思います。因みに私の場合は、番組表から選んで録画してから良い番組だけを見ています。NHKの場合は未だその様な意味のある番組を視聴率の上がる時間帯に放送しているのですが、コマーシャルが無い分で未だ民放よりは操作される度合いが少ないのでましなのかもしれません。