狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

ADLがユダヤ人イエスキリストの「OKサイン」をヘイト象徴に指定の愚/Nonsense, ADL specified "OK sign" of the Trinity into hate symbol

2019-11-18 02:20:47 | 国際時事 2012~
 <2021/08/09 画像1つ追加>

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 ADLがユダヤ人であるイエス・キリストと厩戸皇子が示し「三位一体」を表す「OKサイン」をヘイト・シンボルに指定の愚
 Nonsense, ADL specified "OK sign" of the holy Trinity into hate symbol.




 現「偽」イスラエルに昔から存在しているキリスト教会に掲げられるイコンに描かれたイエス・キリストの「OKサイン」
 ユダヤ・マフィアの“慈善団体”「ブネイ・ブリス」が起源であるアメリカ最大のユダヤ“センサーシップ”団体「ADL」(名誉毀損防止同盟)が先日、「ヘイト・シンボル」のリストに追加した「OKサイン」を示すイエス・キリストのイコン。
 出典:2019/05/23付・YouTube・ILTV Israel News「Insight to Israel - The Secrets of Nazareth」


 
 出典:ウィキペディア「弥勒菩薩半跏思惟像」





 



 以上三点の出典:全ては古事記の中に ~旧約・新約聖書の国 日本~

 出典:THE WRAP「Donald Trump making OK Sign」



 出典:2019/09/26付・Infowars「ADL DECLARES “OK” HAND GESTURE “RACIST” HATE SYMBOL」




 レバノンのシーア派組織ヒズボッラーのサイイド・ハサン・ナスルッラーフ議長の「OKサイン」
 出典:2019/09/10付・YouTube・HispanTV「El Líbano se reserva derecho a responder a agresiones de Israel」

 
YouTube: 'Israelites Came to Ancient Japan' theory 1 on TV (Hebrew and Japanese, etc)
 2019/09/29
 
YouTube: 'Israelites Came to Ancient Japan' theory 2 on TV (Gion Festival)
 2019/10/06

 

 出典:ウィキペディア「INRI」

  ※ 「INRI」・・・ラテン語「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」
           日本語「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」


 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書19章19~20節
  ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
  それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった

 The New Testament・The Gospel of John 19:19~20
  Pilate wrote a title also, and put it on the cross. There was written, “JESUS OF NAZARETH, THE KING OF THE JEWS.”
  Therefore many of the Jews read this title, for the place where Jesus was crucified was near the city; and it was written in Hebrew, in Latin, and in Greek.


 ※ 「INRI」→「稲荷」(いなり:INARI)

 
YouTube: 稲荷神社はイエスキリスト神社だった(久保有政・解説)
 2019/10/29

 京都市右京区「太秦」に在る「広隆寺」は、渡来人「秦氏」の氏寺であり、聖徳太子を祀り、国宝彫刻の部第一号の「弥勒菩薩半跏思惟像」が在る(本記事の冒頭の画像)。その広隆寺では、毎年10月12日に京都三大奇祭として知られる「牛祭」が行われる。
 また広隆寺は、別名を蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)とも言う。「蜂」は数字の「八」(はち)から変えられたものと思われ、その「八」は「ヤ」とも読める。
 兵庫県高砂市の「曽根天満宮」では、毎年10月13日と14日の両日に「一ツ物神事」が行われる。その中で、馬に乗った一人の稚児が、中東のアラブ風の被り物を身に付けた地元の青年達に囲まれて先導される。その稚児の顔の額には、「八」が書かれている。

 
YouTube: 曽根天満宮秋祭り宵宮
2012/10/13
 
YouTube: 曽根天満宮 秋季例大祭 一ツ物神事 宮出し 1
 2013/10/14
 
YouTube: 曽根天満宮のキリスト降誕祭(久保有政・解説)
 2019/11/01



 出典:2015/01/17付・サザエのお裾分け「メシアのエルサレム入城とユダヤ人の思い違い 〜ヨハネ12:12~19〜」

 
 



 旧約聖書・詩篇118章26節
  主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。

 The Old Testament・The Book of Psalms 118:26
  Blessed is he who comes in Yahweh’s name! We have blessed you out of Yahweh’s house.

 
 



 新約聖書・マタイの福音書21章6~11節
  そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
  そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
  すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
  そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。
    「ダビデの子にホサナ。
    祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
    ホサナ。いと高き所に。」
  こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
  群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 21:6~11
  The disciples went and did just as Jesus commanded them,
  and brought the donkey and the colt and laid their clothes on them; and he sat on them.
  A very great multitude spread their clothes on the road. Others cut branches from the trees and spread them on the road.
  The multitudes who went in front of him, and those who followed, kept shouting,
    “Hosanna to the son of David!
    Blessed is he who comes in the name of the Lord!
    Hosanna in the highest!”
  When he had come into Jerusalem, all the city was stirred up, saying, “Who is this?”
  The multitudes said, “This is the prophet, Jesus, from Nazareth of Galilee.”


 「八」、つまり「ヤ」とは、「ヤハウェ」を意味する。「ヤハウェ」は天地の創造主の事であるが、その「一ツ物神事」の「八」が書かれた稚児は、創造主でもあるイエス・キリストを表している。天の父である神と、御子であるイエス・キリストと、聖霊は、「三位一体」の唯一神、創造主である。
 また「ヒトツモノ」は、曽根天満宮の近くの荒井神社や高砂神社(共に高砂市)、射楯兵主神社や大塩天満宮(共に姫路市)にも在り、その他、日本全国に散在している様である。

 
YouTube: 八幡神社はヤハウェ神社だった(久保有政・解説)
 2019/11/05

 今年9月、常日頃から出版物やインターネットのSNS、その他、社会風俗等、様々な分野でユダヤ人に対するヘイト・スピーチ、差別表現に相当する様なものを監視し検閲している、アメリカ最大のユダヤ人団体「名誉毀損防止同盟(ADL)」が、白人至上主義のシンボルであるとして「OKサイン」をヘイト・シンボルに、新たにリストアップした。

 今年の3月15日、この日はイスラム教の安息日である金曜日であったが、オーストラリア国籍のブレントン・タラント(28)がニュージーランドのクライストチャーチに在る2つのモスクでの礼拝中に連続して銃を乱射し、51人のムスリムが死亡、49人が負傷した。
 タラントは事件当日に逮捕され、翌日、裁判所に出廷したタラントは、手錠を掛けられた状態で「OKサイン」を示した。

 

 出典:2019/03/17付・Veterans Today「New Zealand: The Unraveling of an Israeli Mass Murder?」

 「イスラエルの移民当局は(3月)17日、ニュージーランドの銃乱射事件で、殺人容疑で訴追されたオーストラリア人、ブレントン・タラント容疑者に、イスラエルへの渡航歴があることを明らかにした。
 地元メディアによると、容疑者はオーストラリアのパスポートを使い、2016年10月25日にトルコから到着。イスラエルには9日間滞在したが、滞在中の行動は不明としている。(共同)」
  (2019/03/18付・産経新聞(共同通信):「イスラエルに渡航歴 NZ銃乱射事件の容疑者」より)

 白人のタラントは白人至上主義の思想を持ち、それ故、その「OKサイン」は「ホワイト・パワー」(WP)という意味を表現した。
 現在、確かに世界中で白人至上主義が高まり、それと同時に、特にヨーロッパに於いては「反ユダヤ主義」も上昇し広がりつつ有る。そこで危機意識を抱いたADLは、「OKサイン」をヘイト・シンボルのリストに登録したのであろう。
 
 

 出典:ADL「Okay Hand Gesture. Racist Hand Signs」

 


 冒頭で述べた「秦氏」の「広隆寺」は、祀られている聖徳太子の側近、秦河勝が建てた。本名が「達頭」(タッドゥ)である聖徳太子はキルギスから、秦氏は新疆ウイグル自治区「弓月国」から、共にそれら中央アジアから日本に渡来した。そして聖徳太子は「斑鳩寺」の在る兵庫県揖保郡太子町に、秦河勝は同じく兵庫県赤穂市に、それぞれたどり着いた。



 兵庫県揖保郡太子町の「斑鳩寺」に在る「厩戸皇子」(聖徳太子)の地球儀
 出典:2012/04/24付更新・NAVERまとめ「未発見大陸まで再現していた!?聖徳太子の地球儀の真相」他、多数

(2021/08/09追加)


斑鳩寺の聖徳殿奥殿(兵庫県揖保郡太子町鵤)
出典:Wikiwand「斑鳩寺 (兵庫県太子町)」

 聖徳太子が祖国キルギスへ帰還後、或いは暗殺された後、側近の秦河勝は政変から逃れて元の赤穂市に戻り、坂越に大避神社を創建すると共に自身の前方後円墳である生島を作った。
 その大避神社は「ダビデ神社」と言われている。支那(中国)では、もんがまえ「門」と「辟」を合わせた「闢」の字を使ってダビデの事を「大闢(だいびゃく)」と言う。また、支那(中国)ではローマの事を「大秦」と言うが、秦氏が開いた京都には「太秦」(うずまさ)が有る。

 
YouTube: 赤穂・坂越の船祭
 2012/10/15

 「広隆寺」に置かれている「弥勒菩薩半跏思惟像」の「宝冠弥勒」(本記事の冒頭の画像)は一応「仏像」ではあるものの、右手の薬指と親指で「丸」(三角形)を作り残りの指三本を立てている。この「OKサイン」は、「調和」に用いられた。
 当時、元々は一神教の神道と仏教の間での宗教戦争が起き、その結果、仏教派が勝った。聖徳太子は恰も救世主の如くに日本の政界に表れ、制定した「十七条憲法」に於いて神道、儒教、仏教が融和して平和である様にと、次の様に説いた。

  「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏教・神道・儒教なり」

 しかし、聖徳太子が政変を逃れたか、或いは陰謀によって暗殺されて政界から去った後、その十七条憲法の項目は、次の様に書き換えられた。

  「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり」

 つまり、「三宝」を全て仏教のものに「改ざん」されてしまったのである。
 聖徳太子の遺族は全て抹殺され(山背大兄王の一家暗殺事件)、その後に大化の改新で一旦は神道側に権力を戻したものの、その後再び仏教が権力を握り、以降、奈良の大仏に象徴される様に日本は「仏教レジーム」となるのであった。

 その「弥勒菩薩半跏思惟像」の国宝彫刻の部第一号である「宝冠弥勒」がポーズをとっている「OKサイン」は、キリスト教の東方教会の「イコン」にも描かれている(本記事の冒頭の画像)。東方教会に於いてその「OKサイン」は、「父と子(イエス・キリスト)と聖霊」の「三位一体」を表す。
 聖徳太子、本名「達頭」(タッドゥ)は、実はユダヤ人であり、且つ、イエス・キリストを信仰した。また、秦河勝も景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰していた為、「達頭」の事をイエス様が御降誕した時の様子に因んで「厩戸皇子」と呼んだ。そして、聖徳太子という名前に「すり替えられた」のは、厩戸皇子が去ってから100年以上も経って後の事である。
 それ故に、東方教会のイコンに描かれている事と同じくして、弥勒菩薩に「OKサイン」を取り入れたのである。当時、日本国内では仏教勢力が優位にあったので、調和を図ると共に少し迎合したのでもあろう。

聖徳太子はユダヤ人であった
「聖徳太子はユダヤ人であった
なぜ法隆寺が建立されたか」

 


日本とユダヤ 聖徳太子の謎 失われたイスラエル10支族と古代東方キリスト教徒、「秦氏」がもたらした古代神道
「日本とユダヤ 聖徳太子の謎 
失われたイスラエル10支族と
古代東方キリスト教徒、
『秦氏』がもたらした古代神道」

隠された十字架―法隆寺論
「隠された十字架―法隆寺論」


 その様に、「OKサイン」は元々、キリスト教のものであった。それを、この度の銃乱射事件の犯人がした様に、白人至上主義者達がそのサインを利用して、「ホワイト・パワー」と「悪用」したのである。

 その他にも、「OKサイン」はこんな意味も……

 
YouTube: 「突然ですがピンチです」~”OKサイン”で思わぬ事態に~【全話BODで配信中!】
 2019/10/18

 その事と同様の事が、鉤十字である卍(まんじ、左まんじ)、或いは卐(逆まんじ、右まんじ)についても言える。
 鉤十字、ドイツ語ではハーケンクロイツというが、特に卐(逆まんじ、右まんじ)について旧ナチス・ドイツがシンボルに採用していた事からそのイメージが悪くなり、ADLもヘイト・シンボルとして扱う事となっている。
 しかし、この卍、或いは卐も、元々はキリスト教やその他、古くはシュメール文明に於いても使われていたシンボルである。以下がその例である。



 6千年前のメソポタミアの大碗。ルーブル美術館所蔵
 





アテネ国立考古博物館所蔵、サントリーニ島・古代ギリシャの両耳のついた瓶(左)と瓶の上に描かれた卍符(右)


 ギリシャ、スキュロスの金盤


 「ポルトガルで発見された、先史時代の卍符と似ている神秘なトーテム。このようなトーテムはヨーロッパの多くの地区で発見され、1万年以上の歴史を持つと推定されている」


 馬家窯文化(ばかようぶんか)カラー陶器。『佛教が中国に伝わる前に、卍符はすでに中国古代の馬家窯文化の色彩陶器に現れていた。漢時代に使用された5バッチ貨幣にも見られる。佛教が中国に入って来た後、唐の武則天は卍符を「万」と命名し、……』
 
 
 現「偽」イスラエルの古い教会堂に存在する卍符図形

 
 「フランスの14世紀の墓碑に刻まれた絵画。聖職者の服の襟に、交錯する卍符と十字が飾られている」
 以上8点の出典:2017/04/09付・大紀元時報「神秘なる卍符 どんな秘密が隠されているのか」

 

「支倉常長の西洋式の紋章は盾の中に右卍をあしらったものだった。左はローマ市民権の認定の中に描かれた紋章、中はドイツの記録に残る紋章、右は常長の船の旗。」
 
 
 以上2点の出典:ウィキペディア「支倉常長」

 

 蜂須賀万字(家紋)
 出典:ウィキペディア「蜂須賀氏」

 

 出典:ウィキペディア「ナチス・ドイツの国旗」

 

 「アメリカ陸軍第45歩兵師団の部隊章であったがドイツの国家社会主義を連想させるとして1939年に廃止された。」
 出典:ウィキペディア「ハーケンクロイツ」

 ハーケンクロイツが、決して旧ナチス・ドイツのオリジナル・シンボルでは無かった事が、一目瞭然である。はるか昔、何千年も前から、卍(まんじ、左まんじ)、或いは卐(逆まんじ、右まんじ)が使われていたのであった。
 
 しかしそれにしても、アメリカが旧ナチス・ドイツと同じ頃にハーケンクロイツを使用していたというのは、米国が当時、ナチスを支援していた事と関係有るのではないだろうか。米国は当時、ヒトラー、及びナチス・ドイツを支援し、強制収容所でのユダヤ人の労働から莫大な利益を得ていた。また、ナチスのユダヤ人強制収容と同じ事を、米国の日本人強制収容にも見る事が出来る。

 ADLは、何でもかんでも全て一括にしてしまう。ヘイトに当てはまるものとそうではないものの区別を付けない。全て一緒くたにしてしまう。
 インターネット上のSNSに於いても、今やAI(人工知能)を用いた検閲を行っており、そのロボットの融通が効かないセンサーシップが、手当あり次第の言論弾圧となって、禁止、削除している事もあろう。
 尤も、ADLが米国最大のユダヤ団体であり、ディープ・ステートの検閲機関として圧力を加える意味でも行っているとも言える。何せADLは、慈善団体を装いながらその実ユダヤ・マフィアである「ブナイ・ブリス」を発祥母体としているのであるから。



 






 そして、ユダヤ教はイエス様をキリスト(救世主)として認めていない。それどころか、前回の在世時にイエス様がパリサイ派や律法学者等のユダヤの支配階級、サンヘドリン(最高法院)の「タルムーディック・ユダヤ教」を糾弾した事について、ユダヤ教徒を迫害したと解釈している。それ故、ユダヤ人の中にはイエス様の事を「ナチ」と呼ぶ者がいる。更に、イエス様が預言した通り、イエス様が昇天した後の紀元(A.D.)70年、第二神殿がローマ帝国によって破壊された事を恨んでいる。

 


 そういう事から、キリスト教を「パージ」する意味も込めて、父と子と聖霊の三位一体を表す「OKサイン」をヘイトシンボルに追加したとも言えるのではないだろうか。
 実際、現「偽」イスラエルや占領されているパレスチナ国では、キリスト教徒が激減している。「民族浄化」政策と共に「宗教浄化」が行われている。
 
 

 

 以上2点の出典:2019/09/27付・Veterans Today「Despite Known Hoax by 4Chan, ADL Declares A-OK Symbol a White Supremacist Sign – Zionist Strike 50」

 冒頭に掲げた通り、「OKサイン」は、白人のトランプ米大統領だけでは無く、黒人のオバマ元米大統領、レバノン・ヒズボラナスルッラーフ議長、その他、クリスチャン、ムスリム、アラブ人、ユダヤ人、そして日本人と、世界中の人達が行っているものである。

 全てを一緒くたにしてしまうのは、ナンセンスである。

 そして、「INRI」、ユダヤ人の王ナザレのイエス様は、「OKサイン」によってユダヤ教徒とキリスト教徒、そしてイスラム教徒の「調和」を取ろうとしているのではないだろうか。世界中には、ユダヤ教徒のみならず、クリスチャンやムスリムのユダヤ人も沢山存在しているのである。
 
 

Brother Nathanael: How To Fix America
 2019/09/26
 

Brother Nathanael: The Synagogue On Capitol Hill
 2019/09/05

 本ブログ過去の関連記事
  ・2014/05/07付:『曽根天満宮に古代ユダヤの痕跡・・・「八」は神、天の父の子「一ツ物」』
  ・2014/05/07付:『大避神社は古代ユダヤの「ダビデ神社」』
  ・2019/04/08付:『現「偽」イスラエル支配階級の白人「偽」ユダヤ人は本物の血統的古代ユダヤ人の存在する日本を妬む(1)/Present Fake Israel envies Japanese ancient Jewish』
  ・2019/04/08付:『現「偽」イスラエル支配階級の白人「偽」ユダヤ人は本物の血統的古代ユダヤ人の存在する日本を妬む(2)/Present Fake Israel envies Japanese ancient Jewish』
  ・2019/07/11付:『現「偽」イスラエルの「妬み」:昨年、日本の安倍首相夫妻はネタニヤフ宅でのディナーで「侮辱」と「脅迫」を受けた/Netanyahu did PM Abe "insult" from "jealousy"』
  ・2019/07/12付:『G20サミットの日本の「調和」を謳う「十七条憲法改ざん」&「弥勒菩薩のOKサイン」& 歴史再検証/ "Harmony" by Japan on G20. History Reinspection』
  ・2019/09/11付:『八咫烏に見るパレスチナ人と日本人の繋がり、神武東征は阿波の「倭」(邪馬壹國)から奈良の「大倭」(大和国)への「遷移」を物語る/Yatagarasu, Palestinian-Japanese tie』

 引用文献
  ・2017/04/09付・大紀元時報:「神秘なる卍符 どんな秘密が隠されているのか」
      (2011年発行 大紀元日本語新聞・文化面の記事を再掲載)
  ・2019/03/18付・産経新聞(共同通信):「イスラエルに渡航歴 NZ銃乱射事件の容疑者」
  
 参考文献
  ・2019/09/27付・Newsweek日本版:『「OK」のサインは白人至上主義のシンボルになったので、一般の方はご注意下さい』
  ・ADL:「Okay Hand Gesture. Racist Hand Signs」
  ・ウィキペディア:「ヒトツモノ」
  ・兵庫歴史ステーション:「曽根[そね]天満宮の一ツ物神事[ひとつものしんじ]」
  ・ウィキペディア:「クライストチャーチモスク銃乱射事件」


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Unknown (無飼)
2019-12-18 15:19:09
真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
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