狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「ボタン一つ」の「生命倫理」、核戦争、仕事、技士さん、そして透析医療と導入前「保存期腎不全対策」に見る病院の「利益相反」行為

2018-02-27 11:00:25 | 予防医療の危険性と生命倫理
  (2018/02/27 21:45 ― タイトル編集)

 昨年9月、千葉県の或る病院内の整形外科で、手術における法律違反の行為が行われていた事が発覚し、今年に入ってから当該の医師が書類送検された。
 医療従事者は、その資格毎に法律が定められており、それぞれの資格毎に業務範囲が限られている。今回発覚した事件は、その業務範囲を越えたものであった。
 内容はと言うと、整形外科手術中に、担当の医師の手が間に合わず、比較的暇を持て余しながら(?)傍に立っておられた臨床工学技士に、操作出来ないX線透視診断装置のボタンを押す事をさせていたというものである。
 臨床工学技士は主に、各種医療機器の操作や点検、補修、保守、オーバーホール、メンテナンス等の他、腎臓内科の透析や、心臓血管外科での人工心肺装置の操作、呼吸器内科や集中治療室(ICU)、救急救命等における人工呼吸器の操作、その他、血管カテーテルのインターベンションの補助等が業務となる。しかしその多く、大半は、透析に従事している。透析以外の分野で、臨床工学技士が就職するのは難しい。そして、病院によれば、臨床工学技士を雇っていない所も結構存在する。その様な所は、医師や看護師が、その代替として業務を兼ねていたり、保守・点検等は、外注としてメーカーが行っていたりする。また、他の資格、例えば看護師や臨床検査技師等の中には、臨床工学技士の資格を併せて持つ者もおられる。
 臨床工学技士は放射線装置を操作出来ず、診療放射線技師が行う。この度発覚した事件の様に、たった「ボタン一つ」を押すだけでも、しかも上司である医師の言った通りに行ったとしても、法律違反で悪いこととなる。
「ボタン一つ」押すだけと言えば、私も派遣社員としての経験が有るが、NC機械の操作で、材料をセットしてただボタンを押すだけ、そして出来上がったものを運ぶだけ、という様な単純作業が、世の中には数多く有る。現在、新聞の折込チラシの求人広告を眺めて見ても、その様なものが結構載ってある。夜勤との交替制はまだしも、残業までやって単純作業を熟さなければならないとなると、私にとれば、「キチガイ」に、気が狂いそうに成りそうである。私は現在では、パレスチナの地においてイスラエルが重機でパレスチナ人の家々を破壊している事を知っているので、就職先として建設機械関係を、私が「ボイコット」をしている。幾ら就職先が見つからなくとも、「ボイコット」である。
 しかし、その「ボタン一つ」押すだけが、この世の終わりに繋がり得る様になってしまっている。そう、核のボタンである。ボタンを「ポンッ」と軽く押すだけで、世界中至る所で核ミサイルが飛び交う御時世である。「ボタン一つ」が、大きなリスクを抱えている事となっている。そして、医療分野でも同様に、「ボタン一つ」が患者の命を左右する事となる。「ボタン一つ」を押す事においても、生命に対する倫理観、道徳観が必要である。

 私は10年前に、臨床工学技士の資格は得た。それまでの少しの間だけ、その関係の勉強を少しかじった。また経験も、アルバイト程度に少しかじった程度だけ有る。10年も昔の事なので、もうその関係の知識は薄れており、当時の教科書や資料は全て捨て、資格も捨てて持っていない。また、職場を転々とする時に書かされる履歴書にも、常に「高校中退」と書き続けている。
 元々、町工場の鉄工所の職人として生きて来て、仕事中は寡黙に黙々と熟して来た訳で、その世界の中でも特に口下手であった私は、人とのコミュニケーションが苦手であった。町工場の鉄工所の場合、仕事中はずっと手や身体を動かして働いており、私の経た下請け町工場の場合は、バブルが弾けた後の不景気の中、納期の無い特急の仕事ばかりで、時間内は遊んでいる暇が無かった。それに引き換え、少しかじった透析等は、正直、「ヒマ」に感じた。そして、その「ヒマ」に感じる間は、周囲の従事者とのコミュニケーションで「間」を持たせる事が必要とされていた。
 確かに、その「間」、私が感じた「ヒマ」は、透析に関して言えば、患者が透析開始から終了までの4時間前後、その間にバイタルチェック(血圧の変動等)をしたり次のクールの準備、終了の処置の準備等は行ったりする他は、患者の体調の急変の有無を監視しておく必要が有る。それは、ICU等で重篤な患者を監視する事と同じである。それ故、一見すると、その「間」は「ヒマ」に見える。しかし、その「間」は必要なのである。
 少しかじった間、私には無理と思った事が有る。その内の一つとして、会話しながらの作業である。私は大変不器用なので、患者と会話しながらであると、きっと、「ボタン一つ」で失敗しかねないと思った事である。私は、一つの作業に黙って集中しなければ、間違ってしまう。これはとんでもない事であり、全く冗談にはならない事である。また、例え今更やれと言われたとしても、到底無理である。
 しかし今にして思うのは、周囲が「色眼鏡」で見ていただけでは無く、私自身も勘違いをして、恋愛だのどうのこうのと、その本筋から逸れてしまっていた事である。これも、私の数々の失敗の中のひとつである。しかし今に至っては、恋愛も結婚も全く興味は無い。それらの事よりも、現在においては、私はするべき事を持っている事を、悟っている。

 私もアルバイト程度に、職員側として少しだけかじった透析。現在、その患者は日本に32万人程が存在し、一人当たり毎月40万円程がかかり、その内、障害者1級のほぼ全ての患者は自己負担が1~2万円となっている。それ故、1年当たり、一人480万~500万円程かかる事となり、日本全体で年間1兆6,000億円程となり、日本の年間医療費40兆円の4~5%を占めるらしい。この4~5%は、一つの分野で占める割合としては、高い占有率であるという。また、腎臓疾患の患者の内、透析治療に依存されている割合は、日本が95%、ヨーロッパが50%、アメリカと韓国が40%となっている。
 どこの病院でも、透析だけは儲かっている。他の分野が赤字でも、透析だけは黒字という病院が、結構存在する。透析の場合、治療すると言っても、腎臓移植や再生医療で復元させない限りは、根本的に治す事が出来ず、患者の方々はそれを一生受け続けなければならない。週3回、1回当たり4時間前後を機械に繋がれて拘束されながら血液を浄化するが、間隔を空けすぎたり治療を止めてしまうと、毒素が身体の中を循環するので、多臓器の機能不全に繋がり、様々な合併症に陥り、生命の危険となる。その様な慢性疾患を抱えているので、職員側には、定期的な収入に繋がり、経営が比較的安定している。
 しかし、その様な透析分野への批判も有った事から、診療報酬点数が2年に1回ほどずつ引き下げが行われ続けて、経営が難しくなっているクリニックも多いという。しかし、製薬会社や医療機器メーカーと職員との繋がりにより、その利権は、日本全体で年間2兆円にもなるという。
 腎機能が基準以下に低下して透析治療に入ってしまうと、一生それを続けなければならなくなるが、そうならない様にする為の「保存期腎不全対策」が有る。しかし、これをきちんと行っている病院や診療所は少ない。この「保存療法」は、食事療法、血圧調節、自然療法、運動療法、その他、健康管理、教育等と、医師や看護師等の職員側にとれば、とても手間のかかるものである。単発の糖尿病や高血圧等とも異なり、総体的に全てを診る必要があり、また薬に頼り過ぎると却って副作用で余計に複雑化したり腎機能の悪化となる。そして透析に比べて全然儲からず、手間の割に収入が合わず、効率も悪い事から、大概の内科の先生方は、「保存療法」を敬遠して、サッサと透析に患者を回すのである。
 「保存期対策」の場合は、患者一人当たり、年間50万円と、透析の1/10で済む事となる。そして、もし日本全体でその「保存期対策」をしっかりとするとすれば、透析患者数は現在の1/3程は減るという。
 ところで、少し患者の方々にとれば朗報であるが、東京慈恵会医科大学が、昨年11月、「ネフロン前駆細胞からの腎臓再生成功」との研究成果を発表され、現在研究の最終段階に入っているとの事である。ドナーが仲々見つからない移植医療が当てにならず、患者にとれば再生医療は、一筋の光であろう。但し、再生医療にも問題が有り、培養・再生する過程で、またその後の将来的に、がん化する可能性が含まれている。

 何れにしても、患者本位でなければならないものと思える。私の経験上、観察(今にしてみれば取材)して来た事から言える事であるが、専門学校や大学の学生達は、建前では患者の為等と言いながら、その実、公務員と同じく、自分の将来の安定と高待遇を期待しての者達が多い。患者がかわいそうでとか、寄り添ってとかは、所詮建前で面接等で述べているだけの者達が多い。確かに、経験を経る中で、考え方や価値観は、若い時とは変わるであろうが、「してあげる」とか、恰も恩に着せるが如くに、隣人としてでは無く、同じ目線にならずに、上から見下ろす様な感じで接してはいないだろうか?。
職業に貴賎は無い。また、仕事というものは、主婦の家事もその一つであるが、報酬に繋がる事だけが仕事ではない。私は今後、透析には関わる事は無いが、私がするべき事、私の「神からの恵み」であるタラントに見合うこと、使命・務めとして行うべき事を、私は例えそれによって人からの評価や報酬を得られずとも、それを行っていく。しかし、食べるための必要最小限のマネーを稼ぐ必要は有る。
自分が立てた目標とは裏腹に、神の立てる御計画は正反対である場合が多々有るものである。その場合は、「絶望」となる。自分勝手な思い込みの「希望」、「欲望」からは、悟り諦観の念を懐き、離れる事が必要である。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2013/04/17付:「安易な透析導入の間違い(1)・・・一生離脱出来ない患者の心身の負担、医療費高騰、導入延期・回避の為の保存療法の重要性」
  ・2016/04/10付:「独立自尊の精神で孤往独邁の覚悟・・・妥協せず精神面での勝利、『自分を取り戻す』」
  ・2017/07/22付:「『陰徳』により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える」
  ・2017/07/23付:「高校中退後の30年間、友達・つながりが全く無かったが、こうして今ちゃんと生きている・・・世間・マスコミの論拠崩壊、独立自尊の精神、マイペース、へそ曲がり、リラックス、そして行雲流水、成るように成る」
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」

 参考文献
  ・2016/09/10付・週刊現代:「透析大国ニッポン!一度始めたら一生やめられない人工透析の『真実』」
  ・2017/09/15付・朝日新聞:「X線、無資格で10年操作 千葉・佐倉の病院、手術時に」
  ・2017/12/01付・無尽灯:「『人工透析はもう要らない』慈恵医大が腎臓再生に成功」
  ・2018/01/10付朝日新聞:「資格ない技士にX線操作させた疑い 医師を書類送検」


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