狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「陰徳」により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える

2017-07-22 06:53:55 | エッセイ・コラム
 私は、新聞やネットの文献をスクラップとしてPDF化し、パソコンのハードディスクに保存している。先日、過去にスクラップした記事を久しぶりにザーッと見ていると、その中に、私が新聞に投稿した記事が在った。
 2005年1月27日(木)付・神戸新聞朝刊・オピニオン面、「奉仕活動を実行していく …(氏名)… 35歳 (製缶工 …(住所)…)」より、
 「一昨年、仕事中に大けがをし、多くの方々に助けていただいて、九死に一生を得ることができた。その後、自分自身を見詰め直し、原点に戻って生き直したい、と思った。
 奉仕することを人生のテーマとして、助けられた恩義に報い、弱い立場にある方々と共感しながら、多くのコンタクトやコミュニケーションを取って、かかわりたいと思った。今春から、医療系の専門学校の夜間部で、働きながら勉強し、医療技術者を目指したい。
 年齢のリスクがあり、また、現在まで誇りを持ってきた職業でも、社会に奉仕できる。しかし、この度、その機会が与えられ、一つの選択肢として、そのを選んだ。ただ一度の人生、挑戦したい。
 過去高校中退後、悩み、苦労し、努力して、自立した。そうした経験を併せて、今後、特に、弱い立場にある方々を、支えることができるようになるための年にしたい。」
 2003年1月26日(日)、33歳8ヶ月手前の時、休日出勤をしていて怪我をし、2つの病院に受け入れを断られて3つ目の病院に入院したが、家族の要望から転院し、翌日、その4つ目の病院で手術を受けた。日曜日で当直しかおらず、且つ、難しい手術という事でもあった為である。しかしその内の2つ目の病院では、CT等の検査を終えた後に周りに居並ぶ医師や看護師の中、痛みが強く一人の医師に訴えようとしてストレッチャーの上から伸ばした手を振り払われ、その時の主任格と思われる医師の決断により他院への転院が決まった時、その中に居た内の一人の医師が看護師に向かって「良かったな」と言い、看護師が「先生も良かったですね」と返し、救急車で運んで頂いた救急救命士?が「可愛そうやな」と即、返した会話を思い出す。
 退院後、自宅療養、仕事復帰、大検(大学入学資格検定、現・高卒資格)受験と進み、その間に、当時一人暮らししていた自宅の近くに在った、プロテスタントのキリスト教会(日本同盟基督教団)に通い出した。そして、その年の11月頭に、大阪の医療系の専門学校を社会人入試として1校のみ受験した。理学療法士科で、試験科目は生物と小論文と面接のみであった。その試験には落ち、翌年1月に一般入試として同じ学校を再度受験したが、同じ結果であった。受験料は1回3万円もしたので、2回で6万円も払った。いい商売である。そしてその後、毎週日曜日に行っていた教会に数ヶ月間、通わなくなった。
 ただ、助けられたからと、単純に、純粋に目指していただけであったが、通わなくなったのは、自分の希望・目標が叶えられなかった為であった。その当時、教会に通っていた目的が、自分の願いを叶えてもらう為、自分の目標と言う名の「欲望」を叶えてもらうようにお願いをする為でしか無かった訳である。それは、世間一般の人達が御利益主義で、数々の神社に初詣やお参りをしているレベルと同じであった。創造主に感謝するのでは無く、自分の欲望(目標)を拝んでいただけであったのである。それ故に、試験に落ちた途端に教会に通わなくなったのである。

 新約聖書・ピりピ人への手紙 3章19節
  彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
 
 正に、当時の私自身も、この「彼ら」に当てはまっていたのであった。
 その後、再び通い始めた。そして未だ目指して勉強中だと伝えると、その教会の牧師は、こう言われた、「また戻る」。その牧師が以前いた教会の信者か知り合いの女性で、医師であったが人生に迷いが生じ、出家して尼になろうとしたが、結局は元の医師に戻ったとの例を挙げられた。私の場合も、例え医療に進んだとしても、また元の、私にとって本来の職業である、鉄工・製缶工に戻ると言われたのであった。現在、その通りになっている。しかし、その時は、私は聞く耳を持たなかった。
 しかし、その年(2004年)の1校目を9月に受験する前には、大分解っていた。前述の私の投稿文に、「現在まで誇りを持ってきた職業でも、社会に奉仕できる」と書いてある様に、落ちたら今年(2004年)でその目標は終わりにしようと思っていた。職業に貴賎は無く、直接行って奉仕の実感を得るか、間接的に実感を得ずに行うかの違いだけである。「陰徳」は人に知られずに隠れてする行いであり、それを行う事による報酬も無く、名声を得る事も無く、自分自身に直接感謝される事も無く、見返りのない奉仕である。但し、「陰徳」によって人・世間からの見返りは無いが、心に聖霊が宿り、死後の永遠の命を得る等の神からの見返りは有る。この世の一時の生命を重んじるか、或いは後の永遠を重視するかの違いである。
 その最後として挑んだ年、せっかく勉強して来たから受けてみよう、でも、落ちても鉄工の仕事で社会に貢献していけばいいと言う考えの基、気楽に受験した。前年の、その目標(欲望)しか見えてなかった状態とは異なっていたのである。故に、前年の場合は、落ちてショックを受けたものだった。9月の1校目は、兵庫の専門学校の義肢装具士科を社会人入試で受けて落ちた。科目は確か小論文と面接だけであった記憶が有る。面接の時、面接官が予め用意していた、パターンシートの様な、チェックリストの様なものに、私が述べた言葉と符合するものに○を付けていた様であり、そのパターン・チェック・シートの○を付けた言葉の数によって点数を付けているのかもしれない。また、社会人入試は科目が少ない為に、内申書の様に学歴や職業経歴も審査して、先に優先順位を決めているものと思われる。そして2校目に、大阪の専門学校を、第一希望・理学療法士科、第二希望・臨床工学技士科で、一般入試で受験した。科目は国・数・英・小論文・面接であった記憶がある。そして、その第二希望に引っ掛かったのであった。
 面接では「有り難う」を言われたい等と言っていた記憶が有るが、それは建前である。私に限らず、学校や会社の入試における面接では、大抵皆、通る為に建前を述べているだけの事が多いものである。当時の私も、今と比べても語彙力が乏しかった為に、他を参考に引用して用いていたに過ぎなかった。「陰徳」と異なり、そのような人からの評価・承認を期待して行う事は、偽善となる。私は当時、人・世間からの評価・承認を得たいが為に、医療を目指していた訳である。

 旧約聖書・箴言 29章25・26節
  人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。

 人を恐れて、人から嫌われたり笑われたりする裁きを恐れて、人・世間から評価・承認を得ようとする事で、偽善を行うにハマったり、人に裏切られる罠にハマる事となるのである。周囲の人・世間を自分の支配者として恐れ拝むのでは無く、真の裁き主である創造主を畏れ崇める事が必要なのである。「陰徳」によって、人からの評価・承認を得る事は出来ない。しかし、創造主に信頼する心を基にした「陰徳」によって、神に守られるのである。
 翌年(2005年)、せっかくの機会だからとその大阪の学校に入学した。そして初日いきなり、自分の教室の自分の座る椅子にガムが貼り付けてあった。当時の私は寛容の精神が優位になっていた事と純粋な気持ちがあった為に、問題にする事は無かった。その日帰った後、お好み焼き屋で、母と女主人とにその事を話た事を思い出す。その学校の教師がしたのであろうが、医療関係には、その様な嫌がらせをする者がいると言う事を、入学して初日に知ったものであった。教師は公的な教員免許を持たない、元々病院に努めていた者が殆どであった。見た目の白衣のイメージとは異なるものである。
 また、その学校のパンフレットには、スパルタ教育と書いてあった。つまり、その様な教育が必要な程に、入ってくる生徒のレベルが低い事を表しているものと言える。社会人を経て入る者はまだしも、高校から直接入る様な生徒は、医療系学校の学費の高さも考慮すると、金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんで、大学など他の学校に進学出来ないからそこに入った者も少なくないものと思われる。夜間部に高校から直接の者も多かったが、昼間部でも4年制を採っていた。入試ガイドの本で見たのだが、そこの学校は偏差値も低い。また、医療系の学校は、総じて面接で決まる。前述の様に、特に社会人入試等は試験科目が極めて少ない。私は夜間の授業までの間を過ごす為に図書室を利用する事が多かったが、隣の休憩ルームは騒々しく、図書室でも同様の事が多々あった。外から強制されて躾けられるのでは無く、自分自身の内から、自ら律する事が出来るようになる必要がある
 現在の私は、鉄工所で製缶工として働いている。本来の自分の仕事、自分の姿に戻ったのである。人にはそれぞれ運命と役割がある。その運命と役割は、他の人とは異なったものである。私には、神から与えられた運命と役割が有る。私は現在、医療関係には全く未練は無いし、妬みや恨み等は全く持っていない。また、その当時に失っていた自分らしさを取り戻している。そして、人から認められたいとは全く思わない。人から嫌われようが笑われようが、その様な人の評価を疑い、自分の考え・判断を信じて生きていく。それが、本当の意味での「自信」と言うのである。
 多少、自分を正当化する様で恐縮するが、過去の自分の投稿したスクラップに触れて、過去を想起し、現在の想いを著したまでである。そして過去を振り返り自分を見詰める事で、自分を知り、現在と未来への展望と、運命・役割を考える。因みに、私は現在、教会には通っていない。勿論、8歳になる手前に洗礼を受けたカトリックにも通っていない。今に至った私の考えは、宗教組織に所属せず、依存せず、精神的に自立して、単独で神と向き合う様にして、聖書のみを信ずるという事である。

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YouTube: 河島英五:時代おくれ
    
   作詞:阿久悠氏
     「目立たぬように はしゃがぬように  似合わぬことは無理をせず  人の心を見つめつづける  時代おくれの男になりたい」
     「不器用だけれど しらけずに  純粋だけど 野暮じゃなく……」
     「ねたまぬように あせらぬように  飾った世界に流されず……」

 

YouTube: What Can We Do? - David Icke

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