狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<8-12/14>エピローグならぬプロローグの追録~「失敗は勝利」、特攻を無駄死と嘲弄する人達、母の包容と導き/Defeat & Failure are Victory

2019-01-30 04:00:00 | エッセイ・コラム
 ※ 当「My Testimony/僕の証」シリーズの内、特に<8-1/14~14/14>の記事に於いては、他の文献から多く記事を引用しておりますが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。
 ※ また本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証
   エピローグならぬプロローグの「追録」
    ~「敗北や失敗が実は勝利」
      特攻を「無駄死に」と嘲弄する人達
       母の包容力と導き
        Defeat & Failure are Victory.


 (「My Testimony/僕の証<8-11/14>」からの続き)……
 以下、2016年9月8日付・Christian Today日本版、「『敗北や失敗が実は勝利だった』と教えてくれる3つの聖書箇所」(※ 英国クリスチャントゥデイの記事を日本向けに翻訳・編集したもの)より、
  「……
  しかしながら聖書では、一見すると敗北や失敗でも、実際には勝利を意味する例を挙げている。これらの例が私たちに示してくれるのは、ある事柄に勝つことが、そのまま勝利にならないということだ。時には戦いに勝っても、実際には負けているということがあるのである。」

   1.キリストの死
    「私たちの主イエス・キリストの死に勝るものはない。なぜなら、イエスの死が、罪とサタンを打ち負かしたからだ。それだけではない。死後3日目に復活したことで、死をもが打ち破られ、全ての人に希望が与えられることとなったのだ(ローマ6~8章)。」
    「キリストの地上での人生、死、および復活は、それらを理解していない人たちにとっては損失であるように思われる。しかし、救われている人たちにとっては、神からの救いの力なのだ。」

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙2章13~15節
  あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、
  いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
  神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 2:13~15
  You were dead through your trespasses and the uncircumcision of your flesh. He made you alive together with him, having forgiven us all our trespasses,
  wiping out the handwriting in ordinances which was against us. He has taken it out of the way, nailing it to the cross.
  Having stripped the principalities and the powers, he made a show of them openly, triumphing over them in it.

 新約聖書・エペソ人への手紙2章6節
  キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

 The New Testament・The Epistle to the Ephesians 2:6
  and raised us up with him, and made us to sit with him in the heavenly places in Christ Jesus,


   2.ダビデの逃亡
    「イスラエルの王になる前の若い頃、ダビデは命を狙われ逃げる必要があった。逃げるという行為は、敗北とか失敗であるかのように私たちは考える傾向があるが、ダビデのいた状況では逃げることが必要不可欠であった。」

   3.一粒の麦

 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書12章24・25節
  まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
  自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。

 The New Testament・The Gospel of John 12:24~25
  Most certainly I tell you, unless a grain of wheat falls into the earth and dies, it remains by itself alone. But if it dies, it bears much fruit.
  He who loves his life will lose it. He who hates his life in this world will keep it to eternal life.


 「私たちは皆、自分自身と罪に対して死ぬ必要がある。そうすることで、神が私たちの内に御霊の実を結ばせてくださり、神に似た者とされていくことができる。私たちは皆、己の肉に死ぬ必要がある。そうすることで、聖霊が働く余地が増え、聖霊が私たちの内に御霊の実を結ぶことができる(ローマ8:1~17、ガラテヤ5:16~26)。」

 (以上、2016年9月8日付・Christian Today日本版、「『敗北や失敗が実は勝利だった』と教えてくれる3つの聖書箇所」より)
(※ 尚、聖句を「新改訳聖書」の聖句に変更し、また、それぞれ英語の「World English Bible」からの聖句を追加し、更に画像を追加した。)

 「敗北や失敗が実は勝利だった」とは、正に、その負けた事と失敗して来た事の後に「信仰」を得た僕に当てはまる。そして、僕もダビデの様なプライバシー侵害やストーカーに晒されている状況を抱えているが故に、この世の中を渡っていく上での現実的な対処法としての「逃亡」も必要である事を、肯定されている事が解る。恰も、僕を応援してくれているが如くの、タイトルと内容である。

 本シリーズ記事、『My Testimony/僕の証<8-9/*>:エピローグならぬプロローグの「追録」~僕は反米・反イスラエルの保守&いじめ・不登校・引きこもり公表有名人/Coming-out of Bullying』の中で前掲させて頂いた、蛭子能収氏が述べる「笑われる勇気」。「嘲笑」や「揶揄」も「いじめ」に相当するが、その「笑われる勇気」を実際に行動する事によって示され、そして結果を残され、実績を積み重ねられ、成功を得た、アメリカのプロ野球・大リーグのイチロー氏。

 一方で、「マンガ」(=漫画の世界の様な空想・非現実的・高い不可能性)等と茶化されながらも、僕の場合も開き直って「笑われる勇気」を持って実際に行動(=怪我で九死に一生を得た後に、高校中退であった為に「大検」取得後、36歳にして医療系専門学校への通学)を起こしたものの、結局、「結果的には失敗」した事によって、更に世間から「笑い」を積み重ねられた。この様な例は僕に限らず、商売・ビジネスの失敗や、一流大学を出た後の就職失敗等、他にも世の中には存在している。また僕と同様に、専門学校や大学等で専攻した分野とは関係の無い仕事をしておられる方々も、世の中には多く存在している。
 僕は「失敗」はしたものの、また、その学校の夜間部への通学中は、クラスメート達や同級生達、先生方(と言っても、何も教員免許等を持っている訳でも無い)、その他在校生達、事務職員達等と肌が合わず、レッテルを貼られ、笑われ、嫌われ、偏見を持たれ、差別され、結局、「繋がり」を得る事が全く無かったのであるが、入学直ぐ(1年時)にME(Medical Engineer)2種、翌年(2年時)にはME1種と初級シスアド、その2年後(4年時)には医療情報技師、そしてその翌年の卒業時に臨床工学技士の各資格を取得した。在学中に5つの資格を、取る事が出来た資格全てを取得して、それらに対して「一矢を報いる」事が出来たのではないか、とも思っている。因みに、特に入学直ぐにME2種を取得したのはその学校では僕で2人目であったらしく、しかも前例の方は大学の工学部出身であったらしいのであるが、僕はその学校への入学直前までは「高校中退」のままであった。また、ME1種も数例?に留まる?(或いは居なかった?)。更に、MEの2種も1種も、授業で習う前の内容のものが、試験に於いて出題されていたのである。僕は当時も、「自立」して、お偉い先生方(果たして何が偉いのか、僕にはさっぱり解らないが……)に極力頼らずに、「独力で」、「自分で勉強」する事を行っていたのである(医療系の資格を取得する為には、国が指定した学校で単位を取得する必要が有るので、否が応でも通学しなければならない)。
 僕は今後、“医療系の仕事はしない”が、その後の事、過去の事、今後の事も含めて、ただ(=取り立てて値打ちや意味がないこと、普通、ありきたり)では終わっていない事がお解りであろうか?。しかし、先の大戦中の「特攻隊」の取られた行動に対して「無駄死に」等と揶揄する人達が、実際に世間の中に存在する現実が有る。しかも、その様な方々は、自らは「レジャー」に明け暮れ、日々の「ルーティン」に流されるだけで、「目的」や「ビジョン」も持たず、「実践」も、「挑戦」も、「研究」も、していないにも関わらずに……、である。日本人の「多数派」嗜好や、その様な方々の内に在る虚しさ、自身の現状への不満、自分の不甲斐なさ、情けなさ等から、「かっこつけとる」等と、「出る杭を打ち」、嫉妬したり、羨んでいる事も有るのであろう。

 2016年6月15日、米大リーグ・マーリンズのイチロー外野手(当時)が、ピート・ローズ氏の持つ大リーグの最多安打記録4,256安打を上回る、日米通算安打数を更新された当時のコメント
  イチロー氏
   「子供のころから笑われてきたきたことを達成してきました。小学生の時、プロ野球選手になると言って毎日野球を練習して、いつも笑われて悔しい思いもしましたけど、でもプロ野球選手になりました。何年かやって、日本で首位打者を取って、アメリカに行く時にも首位打者になってみたいと言って、その時もやっぱり笑われました。でも、それを2回達成しました。常に、人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にあるので、これからもそれをクリアーしていきたいという思いがもちろんあります」

 「放任主義」によって、イチロー氏の「個性」や素質を認めて伸ばされた、故・仰木彬監督。同じく、その仰木監督に影響を受けられ、米大リーグも経験された、千葉ロッテマリーンズの投手コーチ、吉井理人氏。著書「最高のコーチは、教えない。」(2018/11/15、ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓された。
  吉井理人氏
   「実際にコーチになって初めて気づきましたが、本当にちょっとしたアドバイスや起用法を誤ると、選手の一生を台無しにしてしまいます。
   私も現役時代、コーチから言われたことが全然できず、『本当にいいアドバイスなのか?』と思いながら従うこともありました。スポーツ界全般にそうですが、昔は、コーチと選手は師匠と弟子みたいな関係でしたから。
   それで、コーチになった当初は『自分がされて嫌だったことはしない』という方針でしたが、本当に選手のためになっているのか不安もあって、コーチングを知るため大学院で勉強しました。
   アメリカでは選手とコーチは別物で、選手で成功した人がコーチになるという考えがありません。選手を途中で諦めた人が、コーチの道で生きようという選択肢もある文化ですね。
   一方日本では、ある程度成功した選手でないとコーチになれません。中には選手として高い技術があって、それを教える能力もある人はいると思いますが、確率は低いですよね。選手とコーチで、全く別の能力が必要なのはごく当たり前のことですよね。」
   「選手が気付かないうちにアドバイスを送るのが、コーチの一番の仕事だと思っています。選手自らこうしようと気づいて、練習し始めるという。教えすぎないというのが本当かもしれないですね。
   コミュニケーション方法として、頭ごなしに否定するのはよくないので、選手の話を聞いた上で、『でもな』よりも『こんなんもありまっせ』と提案するのがいいかなと。butじゃなくてandの方が受け入れられやすい。
   僕が実践しているのは質問攻めです。……(後略)」
   「人に言われてやるよりも、自分で考えるほうがモチベーションは高いはずで、上手くいく確率は高いのではないでしょうか。」

 「『自ら考えて成長する』選手を育てることが重要だと考えている」吉井理人氏の写真の背景には、何故か本棚が……?。その参考文献(次に記す)を上梓されたエディターは、「#だからひとりが好き」を担当されておられる。

 以下、2016年7月21日付・本ブログ記事、「『笑われて来た』イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃」より、
  『(前略)……また、その個性を認める監督やコーチに恵まれた事も運が良かった。故・仰木彬監督は放任主義でイチロー氏には好都合であったが、…(中略)…
  「科学する野球」…(中略)…
  本書には、物理を基にした打撃・ピッチングの本質が説かれている。そして、現場の監督やコーチの言っている理論とは、全く異なる事が書いてある。従来からの常識とされる理論を否定し、科学的・物理的な理論を根拠にした技術指導を行っている。著者は、巷の指導者よりは実績が無く、肩書きも無い為に説得力に欠ける様に感じる方々も多いと思う。しかし、現場の指導者や先輩は、昔からの根拠の無い言い伝え的な理論や、自分の経験からの思い込みによる指導をされる事が多い。それ故に、プロに入ってコーチにいじられ過ぎて、鳴かず飛ばずで去っていく選手達が多い。又、真実で無い為に、人によって指導理論・内容が違ってくる為に、聞く耳を持ち過ぎる選手は、それらの様々な理論に振り回されてしまう。本書に有る様に、科学的・物理的な理論を根拠にした技術指導であれば、真に正しいフォームとなって、故障する事も無く、選手としての寿命も延びる。
  イチロー氏の打撃に見られる様に、……(後略)』
 (以上、2016年7月21日付・本ブログ記事、「『笑われて来た』イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃」より)

 イチロー氏は今季(2018年)、シアトル・マリナーズのベンチ入り25人枠から外れ、同チームの「会長付特別アシスタント」に就任された。その後の5月3日(日本時間4日)、記者会見された。
 以下、2018年5月4日付・日刊スポーツ、「イチロー『野球の研究者でいたい』一問一答2」より、
  イチロー氏
   「(試合に出られない寂しさは、という問いに対し、)これからでしょうね。もちろん、あると思いますよ。あると思いますけど、選手でいる間はもちろんですけど、僕の近くにいる人は、これが分かると思いますけど、僕は野球の、何て言ったらいいですかね、研究者でいたいというか、まあ、自分が今44歳でアスリートとして、この先、どうなっていくのか、というのを見てみたい。それはプレーしていなかったとしても、毎日鍛錬を重ねていくことでどうなれるのか、ということを見てみたいという興味が大きいので、それは変わらないと思うんですよね。それでチームと一緒に練習することもできるわけですから、それを続けられること、仮にこれで終わりだったとしても、僕、それを続けると思うんですよね。だから、なんか喪失感みたいなのは、実はないですよね」
   「(来年以降も現役への扉は閉じられていない事について、)それがあることで、明確に、まあ遠いですけど、目標を持っていられるというのは大きなことです。まあ、なくても僕は何かに向かっていくと思いますし、ただ、チームがそういうスタンスでいてくれるというのは、こんな形を取ってくれたのは本当に信じられないことですよ。これがシーズンの後半なら、それなりの時間をすごしたことになるし、時間をかけて見られるものがあると思うので。ただ、短かったですからね、時間が。それで、この判断をしてくれたことに応えたいという思いが生まれるのは当然じゃないですかね」
   「(試合に出ずに調整を維持する難しさは、と問われ、)これからですよね。まあ、新しいチャレンジであることに間違いない」
   「(今抱いている印象はの問いに、)ただ、キャンプをやらなくても、ゲームできちゃう…。申し訳ないですけど、そういうことも分かったりはしているので、できないことじゃない。イメージできないことではない。ただ、明確にどうかと言われると、もちろんやってみなくては、というところですけど。それも研究材料のひとつになるんじゃないですか」
 (以上、2018年5月4日付・日刊スポーツ、「イチロー『野球の研究者でいたい』一問一答2」より)

 丁度、そのインタビューが行われた頃、僕は本年(2018年)5月までの約半年間、隠遁生活(引きこもり)を行いながら、本を買い集めたりキュレーションの為の情報を集める等をしながら、ジャーナリズムを行う「研究者」として、本ブログの記事を投稿する等をして来た。そしてその間に、旧ナチス・ドイツによるユダヤ人ホロコーストが実は無かった事をはじめとした「歴史修正」、また、その事をはじめ、その他、同じ先の大戦に於いての敗戦国・日本の自虐史観等と「嘘」ばかりを垂れ流す「マスコミ修正」、そして「世間の常識・空気・価値観の破壊」を、今後の「僕の目的」に掲げた。
 記事には載ってはいないが、「見てみたい」等の言葉からして、記者の方からイチロー氏に対し、「唆す」、「促す」様な、何か前振りでも行ったのであろうか……?。2016年のインタビューと本ブログ記事の事もある故に……。

 関連・本ブログ記事
  ・2016/07/21付:「『笑われて来た』イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃」

 参考文献
  ・2016/06/15付・The Huffington Post Japan:「イチロー、日米通算4257安打 大リーグ最多ローズを抜く【画像集】」
  ・2018/05/04付・日刊スポーツ:「イチロー『野球の研究者でいたい』一問一答2」
  ・2018/05/04付・日本経済新聞:「イチロー『僕は野球の研究者でいたい』 『44歳、この先見てみたい気持ち変わらない』」
  ・2018/12/22付・The Huffington Post Japan:「真の指導者は、教えない。プロ野球・吉井理人コーチが明かす『勝手に成長する人』の育てかた 『コーチって偉そうだなと思って、みんなで話し合いにしたい』」

 因みに、2009年3月23日のワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝を決めたテレビの生中継(TBS系)を母と視聴していたのであるが、その優勝決定後のインタビュー会場で茶化す様にしてメンバー全員で「N****、N****」と、恰も「失敗」を囃し立てるが如くの事をされたのを記憶している。たぶん、「反日」TBSの仕業、唆し、注文であろう。僕はその2日後に医療系専門学校の卒業式を控えていたが、その時点で未だ、就職先が決まっていなかった。

 「唆し」と言えば、「子どもたちに『その気』になってほしい」と強調された、元ヤクルト・スワローズの古田敦也氏。本年(2018年)9月19日、出身地である兵庫県川西市のオープンを25日に控えた複合施設「キセラ川西プラザ」に設けられた、「古田敦也メモリアルギャラリー」の除幕式に出席された時の、古田氏のコメントである。僕はその頃、前述のサイト等を訪問した。わざと強調しているのは、神戸新聞の方ではないだろうか……?。そして、古田氏のあだ名の由来は、漫画「ドラえもん」の登場人物「野比のび太」である。そう言えば、本年の夏頃、夕食時に興味も無く見たくもない、阪神タイガースと読売ジャイアンツだったか、プロ野球中継(確か関西テレビ)を母がテレビに映していた時、「嫌な顔をして降りて来ましたねぇ」(うろ覚えでスンマセン)とおっしゃっておられたなぁ(ほっとけ!)。

 野球と言えばついでに、本年(2018年)の全国高校野球で優勝した大阪桐蔭の選手で、来季(2019年)のシーズンからドラフト1位でプロ野球界にデビューされる、中日ドラゴンズの根尾昂選手。根尾氏は高校では投手と遊撃手の二刀流として野球に専念されたものの、中学時にはスキー男子大回転で全国優勝し、イタリアでの国際大会にも出場されたらしい。また、父親が医師で、兄は医学部生、姉は看護師でもあるらしい。岐阜県に住まれる父親から毎月20冊程の本が送られてくるそうで、高校3年間での読書量が100冊を超える程の「読書家」で、哲学的な本も読まれると言う。文武両道を実践し、「毎日のストレッチ」を欠かさないとの事である。そして本年10月25日のドラフト後には、小学生くらいから好きな言葉として持つ「継続は力なり」と書かれたバットを振る仕草が撮影された写真が掲載された。その頃、僕は若い頃に世話になった鉄工界の先輩に紹介(招待)されて、新たな鉄工所に入ったばかりであった。そして、僕のPCのデスクトップ画面には、「継続は力なり」と書かれた付箋が貼られている。

 関連・本ブログ記事
  ・2018/02/27付:「『隠遁者』で『世捨て人』、『道化師』の私からの一言、『麻生さん、ひょっとして、マンガが好きって「ドラえもん」の事だったのですか?』」

 参考文献
  ・2018/09/19付・神戸新聞:「『川西からもいける』古田さんが子どもらにメッセージ」
  ・2018/10/20付・NEWSポストセブン:「根尾昂にドラフト直前インタビュー『プロで25年やりたい』」
  ・ウィキペディア:「根尾昂」

 



最高のコーチは、教えない。
「最高のコーチは、教えない。」
(著者:吉井理人氏、
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン、
出版日:2018/11/15)
科学する野球・打撃篇
「科学する野球・打撃篇」
(著者:村上豊氏、
出版社:ベースボール・マガジン社、
出版日:1985/03/25)
一流の人は空気を読まない
「一流の人は空気を読まない」
(著者:堀紘一氏、
出版社:角川グループパブリッシング、
出版日:2008/10/10)


 テレビ大阪(テレビ東京系)で、本年(2018年)12月19日に放送されたドラマスペシャル、「東野圭吾 手紙」。母が録画していたものを、一緒に視聴させて頂いた。2006年に映画化されたものを、2007年の末~2008年の春までの間の頃にテレビにて視聴した様な気がするものの、余り内容は憶えていなかった。そのドラマでは、主人公が「レッテル、偏見、差別」を受け、運命として夢を諦める事を受け入れ、職場や住居を転々とするものの、同様な過去の不遇を抱える事から共感・理解の出来る、精神的な支えとなる女性と結婚する内容が含まれる。
 その主人公を務められたのは、当初、僕の芸能界についての浅薄な知識から、同じく大晦日に母と一緒に視聴した、第69回NHK紅白歌合戦にゲスト審査員として参加されておられ、確か「N****(さん)入れます」とおっしゃられた様な気がするのだが(周囲のスタッフ(裏方)に言わされているものと思われるが)、俳優の佐藤健氏かと思った。しかし調べて見ると、顔がよく似ている、ジャニーズ事務所のKAT-TUNのメンバー、亀梨和也氏であった。ついでに、トリを務められておられたサザンオールスターズの桑田佳祐氏も「N****見とぅ」等とおっしゃられていた様に聞こえたのであるが……?。
 亀梨氏主演のドラマは、以前、2006年秋に読売テレビ(日本テレビ系)で放送された「たったひとつの恋」を視聴させて頂いた事が有る。そのドラマでは、趣味と実益を兼ねて「夜釣り」をしている亀梨氏演じる主人公が、小さな「造船鉄工所」で働き、やがて苦しい経営状態からその「鉄工所」をたたみ、引っ越して大手造船企業に就職するという内容が含まれている。そのドラマのタイトルから、今ではとてもじゃないが気恥ずかしくて視聴する事は出来ないが、その当時は丁度、医療系専門学校に通学していた時であり、夢に浮かれ、自身の運命を悟らずに勘違いしていた事もあって、視聴させて頂いた。亀梨氏はその後、「妖怪人間ベム」、「時代をつくった男 阿久悠物語」等に出演されておられるものの、それらを僕は視聴していない。但し、テレビ・アニメとしての「妖怪人間ベム」の再放送は、小学生時(や中学生時?)に視聴した。見た目は悪いものの、心優しい妖怪である。また、僕は故・阿久悠氏の著作、「清らかな厭世―言葉を失くした日本人へ」(2007/10/20、新潮社)を読んだ事が有る。尚、「東野圭吾 手紙」には、前述の広瀬アリス氏や妻役でモデル・女優の本田翼氏(O型)等が共演されておられた。
 そのドラマ「手紙」では、主人公が、あの1985年の日航ジャンボ機「撃墜」事件で亡くなられた歌手・坂本九氏の「見上げてごらん夜の星を」を、刑務所の慰問に於いて歌う場面が最後に挿入されていた。
 また来年(※ 2019年、この文章執筆時に於いては年が明けての視聴後となっており、「来年」となっている事は、悪しからず)1月6日(日)に関西テレビで放送された、フジテレビ開局60周年特別企画「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」も、母と一緒に視聴した。「文豪ヴィクトル・ユゴーが1862年に上梓した不朽の世界的名作『レ・ミゼラブル』を、平成30年間の日本を舞台に置き換えた大河エンターテインメント」(番組宣伝より)。「神戸」を舞台にする所から始まり、過去に正当防衛でありながらも罪を犯し、その後に別人に成り代わって「逃亡」を続ける主人公と、その人を追う者。そのドラマでも、過去の出来事、「経歴」が仇となり、重荷となり、「自分の十字架」となる事が描かれている。そのドラマ内では、自らは結婚もしない独り身を通しつつ、弁護士となって他人の世話ばかりを焼く主人公に向かって、「もっと自分の幸せを求めたらどうか」といった意味合いの言葉を述べている場面が挿入されていた。
 
 関連・本ブログ記事
  ・2016/05/08付:「デラシネの如く哲学無く軽佻浮薄に漂う未熟な世間へ・・・『清らかな厭世 言葉を失くした日本人へ』を読む」

 参考文献
  ・(2019/01/06までに・)フジテレビ:「フジテレビ開局60周年特別企画 レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」

 そのドラマ「手紙」を母が録画していた事によって、また、「レ・ミゼラブル」も一緒に視聴させて頂いたのであるが、前述(前掲)の「嘘の常識」から外れた本、「科学する野球・打撃篇」を僕が高校生時の1985年か1986年の時(16歳時)に、また同じく同様の前述(前掲)の本、「ユダヤが解ると世界が見えてくる 1990年『終年経済戦争』へのシナリオ」を僕が21歳の時に、それぞれ母からもらった。そして、ここに於いてもう一つ付け加えるものとして、「高校中退者のための 大検合格ガイド 大学入学資格検定」(第一高等学院編、1988/09/10、池田書店)という本も、僕は19歳の時に母からもらった。そしてその後、僕は九死に一生を得た直後、34歳にして「大検」を受験する事となったのであった。母は僕が高校中退した後の19歳か20歳頃まで、本屋でのパート勤めを行っていた。また母は、僕がクリスチャンとして生きていく様に方向付ける為に、僕が8歳になる年に受洗に導いてくれた。前述のサヘル・ローズ氏と同じく、僕にとっても母は大きな存在であり、ガイド役でもあったし、そして寛容・寛大、包み込む様な存在である。因みに、僕の洗礼名はアッシジのフランチェスコであるが、母の洗礼名はマリア・インマクラータである。
 一方、僕の父は既に亡くなられて昇天されたのであるが、亡くなられた2010年末(享年67歳)まで、僕は自分の事ばかりで父を放置してしまっていた。僕が2009年の春まで学校に通いながらも、その様であった。色々と経緯が有ったにせよ、後悔している。僕が鉄工所の仕事をしようと考えたきっかけは、父が鉄工所の仕事をして独り商売していたからである。父はお金に苦心する等、生涯苦労された。

 



「高校中退者のための 大検合格ガイド 大学入学資格検定」
(編著者:第一高等学院、出版社:池田書店、出版日:1988/09/10)


 前述のサザンオールスターズの桑田佳祐氏が「桑田佳祐 & The Pin Boys」というコラボレーション名義で2019年元旦にシングル「レッツゴーボウリング」をリリースされた。「Pin」(ピン)とは、単にボウリングのピンなのか、それとも一人である事なのか?、はたまた第一番、最上のもの、うわまえの事なのか……?。

 以下、2019年1月1日付リリース・シングルCD、「レッツゴーボウリング」(作詞・作曲:桑田佳祐氏、歌:桑田佳祐 & The Pin Boys)より、
  「ボウリングをしませんか?
  ボウリング場に来ませんか?」
  「ボウリング場にいる人と
  友だちになってみませんか?
  プロボウラーやスタッフさんに
  逢いに出かけてみませんか?レッツゴー!」
  「ボウリング場に来ませんか
  幸せさがしに来ませんか
  素敵な仲間が待ってます」
 (以上、2019年1月1日付リリース・シングルCD「レッツゴーボウリング」より)

 この歌詞の内の一部より、「ピン」が「孤独」を対象としている事が解り、僕も含めた独り者へのメッセージ・ソングである事が解る。丁度、本年(2018年)の末にかけての毎週日曜日と年始の特番で毎日放送(TBS系)で放送された「下町ロケット」も母と一緒に視聴したが、そのドラマでは、佃製作所の社長以下スタッフが、ボウリングをする事による親交と団結を深める場面が、度々、挿入されていた。僕も以前、母と一緒に父の墓へ「追懐」(世間一般的には墓参りと言っている事)しに行った後、ボウリングを何回かした。

 



YouTube: 桑田佳祐 & The Pin Boys - レッツゴーボウリング(Full ver.)

YouTube: [新ドラマ] 『下町ロケット』新たな挑戦が幕を開ける!! 10/14(日)スタート!!【TBS】


 僕は「孤独」ではあるものの、「ロンリー」(lonely)では無く「アローン」(alone)である。

  ・「lonely」…「ひとりぼっちの、寂しい,心細い」。
  ・「alone」…「単独で、(感情・行動・立場等において)独立している、(能力・特性などで)匹敵するものがない」
    (goo辞書(プログレッシブ英和中辞典等)より)

 「ロンリー」は、寂しさを感じる事を伴った「孤独」であり、常に誰かにしがみつかないと居れない「自分」を持たない「0人称」である。しかし一方の「アローン」は、必ずしも寂しさという感情を含意しない「孤独」を表すと共に、精神面や行動、立場等に於いて「独立」し、他から抜きん出ている「孤高」をも表している。そして「アローン」は、独りで考えて行動する事が出来る、主観的に自分を持つ「一人称」であったり、それを超えて唯一の神様への信仰心から創造主に依存する「主と共に居る0人称」である。よって、人間としての次元、レベルは、「ロンリー」よりも「アローン」の方が数段も高い事が解る。「アローン」とは、「自尊心」(セルフ・リスペクト:self-respect)、「誇り」(プライド:pride)を持ち、群れず、つるまず、属さず、俗世間から離れた、「独立自尊」の精神を持つ「一匹狼」(a lone wolf、又はloner、maverick)である。

  ・「maverick」…どの派にも属さない政治家・芸術家・組織等、一匹オオカミ、異端者。
    (goo辞書(プログレッシブ英和中辞典等)より)

 僕自身、「アローン」であり「マーヴァリック」な「孤独」であり、僕はその事について恥じるどころか、「プライド」、「セルフ・リスペクト」を感じている程である。その様に、僕は考え方や物事の捉え方、判断、生き方、哲学等が世間一般とはズレており、そのズレている事をも値打ちが有ると思っている。周りと同じでは、値打ちは無い。
 そんな僕の「孤独」を、世間一般に向けての反論として、「孤独は良いもの」であるという事のアピールとして、更に世間一般の常識・空気・価値観の破壊を目論んで、本ブログに於いて投稿し、そのカテゴリ-「孤独・独立・自尊心・誇り」「世間・空気」に収められている記事の内、昨年(2017年)3月29日に投稿した記事、「壇蜜氏『死ぬまで孤独』、何も恐れる事は無いのである・・・キリストへの信仰心で主と共に歩む」。イエス・キリストとセットになった、キリストに在って(繋がって)の説得力……。
 タレント・女優・文筆活動の壇蜜氏のメディアに登場する時の派手なイメージとはまるで逆とも取れる、壇蜜氏自身が述べられた「死ぬまで孤独」という言葉。2016年8月24日付のLINE ブログDESSART、「壇蜜、35歳大胆ヌードが話題 女性誌で語った『死ぬまで孤独』」に記載されていたものであるが、それ以前から、僕が度々、口に出していた言葉であるし、僕の書斎の机の前やPCのデスクトップ画面には、プレパレーション(preparation)として、「独行道」、「生涯独身」、「恋愛無用」、「友達無用」とも貼ってあった。
 そしてこの度、また「意味深」なタイトルの文献記事が、世に放たれた。

 以下、2018年9月20日付・日経ウーマンオンライン、「壇蜜『ご機嫌を保つために不機嫌な人を見る』 母は『尊敬すべき、仕事をしていて家にいない人』だった」より、
  『【質問8】自分の機嫌をよくするために工夫していることはありますか?
   【回答】機嫌が悪い人を見ます
    機嫌の悪い人を見ると、「自分の機嫌は自分で取らないとダメだな」と思わされます。機嫌は自分で直すのが正しいと思っていて、そのためには不機嫌で、みっともない人を見ればいいんです。そういう人を見ていると、「必死で物事をかなえようとしてきたけれど、それがかなわなかったり、何か言われたりしたら、こうなっちゃうよね」と、機嫌が悪い人に愛おしさを持てるようになります。だから、許すために見るという感じですね。
    機嫌の悪い人は、自分で直す気がないから手に負えないんです。私も「代わりはいくらでもいる」とか「お前は安っぽい」と言われたことがあります。でも、「それを言われても、私は普通さを保てているからいいや」と思うと、今日を納得して締めくくれる気がするんです。
    何かいいことがあってうれしくて、「明日もいいことがあるといいな」と思えるのは、20代前半くらいまでですかね。一日何事もなかったことに感謝して、神棚に向かって手を合わせて「明日もよろしくお願いします。明日も見守っていてください」と言うような時間が生まれたとき。そういうときに、明日もやっていこうとか、何とか生きる線を保っていこうみたいな気持ちが生まれると思うのです。それが私のモチベーションにもなっているのかもしれません。』
 (以上、2018年9月20日付・日経ウーマンオンライン、「壇蜜『ご機嫌を保つために不機嫌な人を見る』 母は『尊敬すべき、仕事をしていて家にいない人』だった」より)

 「取材をしたのは東京が今年一番の暑さを記録した7月某日」と在り、僕は丁度その頃、某M鉄工所で勤務中に「何か言われたりしたら、こうなっちゃうよね」と言われる様な、「不機嫌な」感情を起こした事による「トラブル」を起こし、「みっともない」態度を曝け出し、翌月(8月)の頭にその会社を退社した。その後、この「僕の証」シリーズにも表されている通り、今一度、自分を見つめ直して自分自身を分析・検証しながら、創造主、イエス・キリストに向かって、「明日もよろしくお願いします。明日も見守っていてください」とお祈りを行って来た。そして、今から10年程前まで、医療系専門学校で「必死で物事をかなえようとしてきたけれど、それがかなわなかった」。
 日々、ポーカーフェイスで笑顔を余り出さずに「不機嫌な」顔をしている僕。そんな僕の母は前述の様に大きく、寛大・寛容で包み込む様な存在であり、普段、「尊敬すべき」人であるし、後述する通り内閣総理大臣賞を受賞した事の有る老舗の料亭・レストランでマネージャーから取締役まで務めながら、夜遅くまで、日が明けるまで仕事を熟して来られた姿は「尊敬すべき、仕事をしていて家にいない人」であった。
 そして壇蜜氏も、「『仕事をする人間の女性』としての母親を見ていた」と、母親に大きな影響を受けたと述べられておられる。昨年(2017年)3月29日に投稿した僕の本ブログ記事「壇蜜氏『死ぬまで孤独』……」投稿後の、年が明けた本年(2018年)の本インタビュー記事。そんな壇蜜氏は、果たして、普段、「不機嫌な」顔をしている僕を見る事によって、ご機嫌を保っておられるのであろうか……?。因みに、壇蜜氏も「O型」であられる。

 またついでに、僕と同世代で「独身なのが不思議な美女」タレントについての記事はこちら。
  ・2017/09/27付・女子SPA!:「独身なのが不思議な美女ベスト10。3位は鈴木京香・49歳…」

 関連・本ブログ記事
  ・2013/11/11付:「敏感で太い『鈍感力』と、『alone』と『maverick』の『孤独力』による『心の安定』・・・『人間関係は浅くていい。』を読んで」
  ・2017/03/29付:「壇蜜氏『死ぬまで孤独』、何も恐れる事は無いのである・・・キリストへの信仰心で主と共に歩む」

 参考文献
  ・2016/08/24付・LINE ブログDESSART:「壇蜜、35歳大胆ヌードが話題 女性誌で語った『死ぬまで孤独』」
  ・2018/09/20付・日経ウーマンオンライン:「壇蜜『ご機嫌を保つために不機嫌な人を見る』 母は『尊敬すべき、仕事をしていて家にいない人』だった」

 僕が昨年(2017年)11月~本年(2018年)5月まで休暇を取っていた頃、引きこもり、隠遁生活を送り、傍から見ると恰も鬱(うつ)の様にも見える様子から、「死ぬのではないか?」と思っていた方々も多い事であろう。僕が世間一般の様な「欲望」にまみれた生活を送っていない事も、その所以となっている事であろう。その様な中で、母が点けていたテレビに出ていた予備校講師でタレントの林修氏が、「多分、死なない」とおっしゃっておられた事を聴いた憶えが有る。
 因みに、僕は傍から見てどう思われようとも、決して鬱では無い。確かに、欲望からは程遠い生活、ストイックな生き方をしている事は、「世間的な価値観」に照らし合わせた場合には、「死」に相当するのかもしれない。しかし、「神様の価値観」に照らし合わせた場合は、逆に生きているのであって、却って欲に陥った、堕落した生活に浸る事こそが「死」に値するのである。
 また、僕は自殺しよう等とは全く考えもしない。自分の命は自分の持ち物では無く創造主の所有するものであるので、それを自分勝手に扱ってはいけないということを解っている。また、例えいじめ等の辛い境遇下に置かれようとも、その事によって信仰が試されており、その試練によって人間、頭、心が磨かれていく事を理解している。そして、旧約聖書の「イザヤ書52~53章」に預言されて書かれている様に、イエス・キリストも迫害されていじめられ、「ボロボロ」になられたのであり、僕は、そんなイエス様の御姿を思い浮かべる。僕の洗礼名「アッシジのフランチェスコ」は、イエス様の御姿を真似られてボロを纏われた。
 更に、研究、検証、、調査、ブロガー、キュレーター等とする事も無いのであれば、以前の様に「釣り三昧」となって、少し車で遠出して景色の良い所でのフィッシングで気分転換でもしている事であろう。要するに、そういう事をする事に費やす時間をも惜しんで、隠遁しながらそれらを実践している訳である。そして、それらをする上で、僕は嫌々行っている訳では無く、好きで行っているのであるから、鬱である訳が無い事が解るであろう。
 その林修氏が毎週日曜日に毎日放送(TBS系)で司会を務めておられる番組、「林先生が驚く初耳学!」の本年(2018年)7月29日付放送分では、前掲の押井守氏の著書「友だちはいらない。」と同様、「友人不要論」を提唱され、自分を見つめ直したり、読書をしたり、独りでものを考える時間を持つ事の大切さ、孤独の大事さを説かれたという。

 林修氏
  「友だちがたくさんいることが良いといつの間に思いこむようになったんでしょうか」
  「(童謡『1年生になったら』は、)現代人の人間関係の悩みを象徴する歌である」
  「“1年生になったら友達100人できるかな”を否定すべき!」
  「孤独って、寂しいんですか?」
  「僕はやっぱり孤独って大事だと思いますね」
  「孤独は嫌だという人の共通点は、本をあまり読まない人が多い」
  「友だち関係、特に女子同士はいろいろと、重い…面倒…となるときはないですか?」
  「深夜のメール返信などを負担に思うときはないか」
  「(SNSなどの普及で)人と繋がるのは簡単な時代になった一方で、多くの人と繋がりすぎているのでは」

 その番組の放送時は、僕は某M鉄工所に復帰していた(その後直ぐの8月頭、その会社は退社した)。また、僕の書斎の机の前には、「僕の目的」も掲げていた。その番組を僕は視聴していないが、僕には、恰も僕のその目的に向けた行動への応援の様にも感じられた。果たして、その真意は……?。

 関連・本ブログ記事
  ・本ブログ カテゴリー:「孤独・独立・自尊心・誇り」 ・・・本ページ・右サイド
  ・本ブログ カテゴリー:「世間・空気」 ・・・本ページ・右サイド

 参考文献
  ・2018/07/30付・ザ テレビジョン:「林修『友人は少ない方が幸せである』 朝ドラ女優も思わずうなるニーチェの名言が深い」
  ・2018/08/01付:日刊大衆:「林修先生が提唱する“友人不要論”納得の理由とは?」

 以下、2017年8月23日付・The Huffington Post Japan「『社会の奴隷から抜け出すため、ひとりになる』映画監督・紀里谷和明が語った生き方・創作」より、
  紀里谷和明氏
   「同調圧力が苦痛だった」
   「結局、人間というのは、周囲の環境から色々なものを提案されて生きて行く。そのほとんどが同調圧力とか集団的価値観で、本来の野生は失われ、身動きが取れなくなってゆく。」
   「……多くの人が、奴隷化されている。
   生まれた時から、自分で自分の物事を選択しなくていいように社会に教育されていたり、親が自分の持っているコンプレックスを解消するために子どもを使っていたり、そうやって、子どもは洗脳されてしまう。」
   「例えば北朝鮮なんか、……
   まあ、疑問を感じた人は処刑されちゃうのでしょうが、この国でも程度の違いはあるにせよ基本構造は一緒で、多くの人達がそれを疑問すら持たずに受け入れている。受け入れざるを得ない。アメリカでも同じようなことが起こっている。」
   「……報道がいわゆるニュースポルノになっていく……
   何故かというと、それを見ている大衆というものが本質を理解しようとしない、真実を求める時間もない。スキャンダル週刊誌が売れて、ワイドショーが見られるのは、人がリンチされるのを見たい奴らがそれだけいるからです。
   そんな高尚な物じゃないんです、人間なんて。」
   「映画監督に限らず、何かが内側にない限り、アウトプットなんか出来ないわけです。空っぽのボトルから水なんか出てこない。
   今の時代は、内側にあるものを認めようとしない。……」
   「……誰もが色んな物を背負ってます。抱えています。内側に。しかしそれを見ようとしてないように、僕には思える。
   それを無視しているし、押し殺しているし、外に出そうものなら、社会的な抑圧がまた始まってしまう。……」
   「社会的価値観というのは、極めて曖昧な、流動的な価値観。」
   「コロコロ変わる訳の分からない社会の基準に振り回されて、多くの人達が聞こえない悲鳴をあげている。その奴隷になっている。」
   「(社会の奴隷から抜け出すには)僕にとっての答えは、ひとりになるしかない、というものでした。自由になるためには孤独を受け入れなければならない。
   孤独というものが、あたかも悪いことのように、ネガティブな否定的な意味合いをもって語られるでしょ。ひとりぼっちってかわいそう、みたいな。それこそがまた集団的価値観による、意味の無いレッテル張りですよね。
   孤独というものが僕は素晴らしいと思うし、肯定している。寂しくもないし、そこで初めて自分の内側に入っていける。」
   「(流されない生き方はとても強く映り)……
   ……この世界をあまり信じすぎなくていいと思うんです。僕は信じていない。」
 (以上、2017年8月23日付・The Huffington Post Japan「『社会の奴隷から抜け出すため、ひとりになる』映画監督・紀里谷和明が語った生き方・創作」より)
 
 上記の紀里谷氏の考え方、哲学は、僕とほぼ同じであられる。因みに、紀里谷氏は1968年生まれで僕とほぼ同じ歳(1つ上)でもあられる。紀里谷氏は、2002年~2007年までの間、シンガー・ソング・ライターの宇多田ヒカル氏と結婚生活を送られた。一方の宇多田ヒカル氏は、2014年に再婚され、2018年4月に再び離婚されたという。
 その宇多田ヒカル氏の楽曲の内の一つに、「道」という曲が在る。その曲は、「サントリー天然水」の「水の山行ってきた 南アルプス篇」CMに採用された。

 以下、アルバム「Fantome」収録曲「道」(2016年9月28日リリース、歌・作詞・作曲・編曲:宇多田ヒカル氏)より、
  「見えない傷が私の魂彩る
  転んでも起き上がる
  迷ったら立ち止まる」
  「わたし心の中にあなたがいる
  いつ如何なる時も
  一人で歩いたつもりの道でも
  始まりはあなただった
  It's a lonley road
  But I'm not alone」
  「調子に乗ってた時期も
  あると思います
  人は皆生きてるんじゃなくて
  生かされてる
  目に見えるものだけを
  信じてはいけないよ」
  「この身はあなたと共にある
  一人で歩まねばならぬ道でも
  あなたの声が聞こえる」
 (以上、アルバム「Fantome」収録曲「道」(2016年9月28日リリース、歌・作詞・作曲・編曲:宇多田ヒカル氏)より)

 前述の通り、僕はその曲とは「反対」で、「孤独」ではあるものの、「ロンリー」(lonely)では無く「アローン」(alone)である。但し、自分に主体性を持つ「1人称」を超えた「超越的0人称」となって天の唯一の神様に寄り添いたい、近付きたい、繋がりたいと思う、「神様への寂しさ」を僕は肯定する。飽くまでも、僕は、「人」を対象とした寂しさを持たないのである。
 そして、僕としては、その曲を次の様に捉える。その曲の「あなた」とは、僕にとっては「唯一の創造主である神様」の事である。そして、“神様に対して”、lonelyでありaloneでは無い。また、「調子に乗ってた時期」とは、神様に背を向け、神様から心が離れて、信仰が遠のいて、「神実現」では無く「自己実現」しようとしていた頃の事である。「人は皆生きてるんじゃなくて生かされてる」とは、正に、天の造り主によって生かされているという事である。「目に見えるものだけを信じてはいけない」、そう、信仰すべき唯一の神様は、目に映す事が出来ない。

 
YouTube: サントリー天然水『水の山行ってきた 南アルプス』篇 60秒 サントリー CM

 参考文献
  ・2016/09/28リリース・アルバムCD「Fantome」収録曲:「道」(歌・作詞・作曲・編曲:宇多田ヒカル氏)
  ・2017/08/23付・The Huffington Post Japan:「『社会の奴隷から抜け出すため、ひとりになる』映画監督・紀里谷和明が語った生き方・創作」

 関連・本ブログ記事
  ・2013/11/11付:「敏感で太い『鈍感力』と、『alone』と『maverick』の『孤独力』による『心の安定』・・・『人間関係は浅くていい。』を読んで」


 旅行や釣りが趣味であられる作家の夢枕獏氏は、「僕にとっての人生の杖は、ペンと釣り竿かもしれない」とおっしゃられる。……(「My Testimony/僕の証<8-13/14>」へ続く)

  「 My Testimony/僕の証<8> 」<1/14> ~ <14/14> ↓
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