狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

失敗、ユニーク、ユーモア・・・「道化師の孤独」を抱えた「聖なる無用性」:「寅さんとイエス」を読む

2015-08-23 18:09:10 | 孤独・独立・自尊心
 「寅さんとイエス」(著者:米田彰男氏、出版社:筑摩書房 、出版日:2012/07/15)
 本書を読んだ。

 共に失敗、ユニークさ、ユーモア等を併せ持つ、寅さんこと車寅次郎とイエス・キリストの二人の多くの共通点を見出した、カトリック神父である著者の聖書を根拠・ベースにしてのその捉え方により、その共通性の奥深くに存在する価値を読み解き、一見すると表面的には道化師の様に見えるその姿と異なり、実際のその真の意味合いとしての「聖なる無用性」について語られている。
 寅さんもイエスも、生涯独身であった。また共に孤独を抱えていた。因みに寅さんを演じた渥美清氏は、亡くなる直前に夫人と同じくカトリックにて洗礼を受けてクリスチャンとなられた。
 私自身も今までずっと独身であったが、今までの40数年の生涯の上で多くの失敗を重ねて来た。仕事は大筋で鉄工であったが職場は転々とし、且つ他の仕事も種々経験した事から、定着せずに「放浪」していた。また鉄工の仕事の上では若い頃の継続した経験がある事から「有用」とされたが、他の職種では役に立たないと言う「無用」とされた。また鉄工の上においても人間関係等から「無用」とされることもあった。また世間一般と同じ事をせずに世間体を気にせず行って来た事も多く有り、今までの経験等から、周囲・世間一般・多数派とは異なり、希で独特で独自性である「ユニークさ」を持っている。また世間の多くの人達との考え方や捉え方、判断の仕方等が違っていると言う「ユーモア」も持っている。そして現在に至っては、自身の欲心も薄れて世の物事が虚無に感じられて厭世的になり、世間からは一歩身を引いて隠遁的にさえなっている。世に存在する欲望の対象になるものや肩書き等の装飾等の「余分なもの」が落とされて解放されて自由となり、見栄・虚栄が無くなり素の自分、裏も表も曝け出している自分にもそのユニークさ・ユーモアが感じられているものと思うが、その点においても寅さんやイエス、そして「無い」事や持たない事が実際は豊かであると言う事を表現した良寛とも共通する事である。そしてまた、世を軽んじて全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順を体現し「神の道化師」とも言われるアッシジのフランシスコも同様に感じる。私は物心の付いていない小学生の頃ではあるがカトリックにて洗礼を受けており、現在は教会には通ってはいないが新改訳聖書を読んでいる。それらの為に、本書を多くの共感を感じながら、またその共通性を有していると言う事からの励ましを受けながら、本書を読ませて頂いた。
 本書は300ページ程も有り内容も実に濃いのであるが、以下に、本書の内容を少し引用する。

 イエスは当時のユダヤ社会の体制を全て拒否し、掟破りの人生を送った。また、寅さんの社会常識からのはみ出し度も尋常では無く、常軌を逸していたが、その「両者に共通する逸脱は、他者を生かす為の他者への思いやりであり、表層の嘘を暴き真相を露(あらわ)にする、いわば道化の姿である。」。当時の常識を排除して不浄とされた職業に就いている者達と差別意識を全く持たずに一緒に食事を取ったイエスは、寅さんも同様に、「既成の常識よりも、眼前の困っている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人への共感であり、人間として当然正しいことを正しいこととする毅然たる態度である。」。イエスと共に食事をした、社会から差別され排除された人々には生きる希望が蘇った。また寅さんの笑いとユーモアを背景にしたぶざまな姿を見た人々は自らを慰めたが、その「振舞の中にこそ、神の心の痕跡をみる」。
 寅さんの愚かさ、アンバランスの中にユーモアの不思議さ、イエスと食事を共にした社会からのけ者にされていた人々の嬉しさが溢れた事実から読み取れるイエスのユーモア。「ユーモアにとって欠かせない自分を客観視して笑いのめす余裕がイエスに備わっているからである。」イエスが当時の義人達、律法学者達からの反応も読み切り、「『お前さんらがつべこべ悪口を言っても、あるいは笛吹けど踊らずとも、そのうち結果として俺の正しいことは証明されるよ、いや現にもう証明されているじゃないか』とユーモア混じりに言ったとしても不思議ではない。」
 イエスが多く語られた例え話・比喩には、逆説的で皮肉、ユーモアが溢れていた。滑稽の中にある温かさ、フーテンの姿をとり、道化の姿をとり、自己を笑い飛ばしながら自己を無化し、一方で冷たい現実を冷徹に見据え、その時代が盲目的にのめり込んでいる誤った価値観を、ユーモアに包んでメタノイア(回心)に導く、これが二人の姿であった…(中略)…両者は人間性の回復に生涯をかけたと言っても過言ではない。」
 新約聖書の四つの福音書である「マタイの福音書」、「マルコの福音書」、「ルカの福音書」、「ヨハネの福音書」。この内ヨハネが最も遅く1世紀終わり頃成立との事であるが、マルコが最も早くに成立し、その数十年後にマルコを原典・ベースとして参考にしながらマタイとルカがそれぞれが集めた資料を加味して福音書を書いたとの事。一番最初に書かれるマルコのイエス像が、後に書かれる福音書によって幾分上品な装いになっていることは一目瞭然である。例えば、マルコ福音書では“怒るイエス、憤るイエス”も端的に描かれるが、それがルカ福音書になると、“穏やかな、落ち着いたイエス”に修正される傾向がある。」、「もし生きたイエス、即ちイエスの歴史的実像に多少フーテンの匂いがあったとしても、そういった事実には目をつぶり、出来るだけ尊敬に値するイエス像を描こうとしたことは疑う余地がない。」、「歴史の中に生きたイエスの実像は、ルカが描くイエス像よりも更にスキャンダラスであった可能性が高い。」。
 「…(前略)…そこに在るのは、現場でのイエスの出来事である。素朴な名もなき民衆の記憶を頼りに、イエスの出来事をていねいに描いてゆく。マルコ福音書とは、イエスにキリスト論的称号を着せてイエスを理解しようとした当時の主流に対し、そうした既成観念を離れ、生きたイエスの具体的な出来事を描くことを通じて、イエスを理解し賛美した一つの試みに他ならない。そして描き出すイエスの風貌は、…(中略)…「野生の革命家」であった。」
人はとかく称号というかレッテルに惑わされてしまう。どういう職歴か、どういう学歴かでその人物がわかったように思ってしまう。そうした称号やレッテルを一切取り外し、その人物が一つ一つの新しい具体的な出来事に、如何に応じていったかを描くことによって、その人物の質を捉えようとした試みがマルコ福音書である。」
 「誰かから馬鹿にされようと、自分の愚かさ弱さを曝け出しながら、自分を必要とする他者のために暇を差し出すフーテンの寅もまた、ある意味で「野生の革命家」である。誰が寅のように常識をはみ出して生きることが出来よう。人間、口ではいくらでもいい事が言える。いくらでも美しく格調高い文章を書くことも出来る。しかし、具体的な出来事を前にして、自分を必要としている人が眼前にいるにもかかわらず、そこから逃げてゆく人の如何に多いことか。そしてあとで理由を付けて、逃げた行為を弁解する。
 「自分はフーテンである、自分はヤクザである、…(中略)…心の底から自覚している者こそ、いざとなった時、不測の出来事に遭遇した時、自分を捨て他者のために生きることが出来る、人生のパラドックス(逆説)がここにある。」、「泡のように消えてゆく、取るに足らない者としての自覚…(中略)…無益な自分、迷惑ばかりかけてきた自分ゆえ、今何か少しでも人のためになれるならとの思いが生まれる。」
 「福音書から浮かび上がってくるイエスの風貌は、一切の依存、一切の権威を必要としない独立心の人であったこと。人からの評価も、スキャンダルの種になることも、自らの生命を失うことも恐れない、勇気ある人であったこと。物事自体の真実性のみに、言葉や行動の動機を置く、確信に満ちた人であったこと。さらに澄み渡る洞察力と共感力を持ち、今困っている人、悲しんでいる人と共に歩もうとした心温かく、優しい心根の人物であったことなどである。」
 「…(前略)…譲る心、許す心、他者を生かす喜びを二人は教えてくれた。果てしない利益追求に明け暮れる、ゆとりのないこせこせした生活、時間と空間の『空白』に堪え切れず、それを埋め続ける現代人に、『暇』だらけの、時代遅れの寅が、自らぶざまな姿を示しながら、『そんなに急いでどうするんだ、空を切ってるよ』と気づかせてくれた。」
 寅さんの旅先が騒音のるつぼと化した都会を避けて農村や漁村や地方の静かな田舎であり、イエスの舞台も同様に田舎の小さな町や村であったとの事。「『沈黙の世界』の著者M・ピカートは、ラジオ…(中略)…テレビや携帯電話やコンピューターによる騒音と情報の増大は、エネルギーの源泉である、真の意味の『沈黙』を消失せしめ、無意識のうちに当然あるべき人間性を破壊し続けている。」、「『沈黙は言葉なくしても存在しうる。しかし、沈黙なくして言葉は存在しえない』『もしも言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうだろう』」。「その沈黙から一人の人間イエスが誕生するという『受肉』」
 「出来るだけ合理的に利益を上げるため、時間と空間の無駄を排除しようとする発想は、功利性に反するもの、有用性に反するものを社会から排除してゆく。無用な空間や空白は我慢ならず、…(中略)…空漠としたものに不安を感じ、そこに留まる時にのみ見出し得る何かを、自ら抹殺している。」
 「寅さんの姿勢は、『非接触・非破壊』…(中略)…すなわち一線を越えないこと、触れないことは、相手を大切に思う心の現れであり、今後の新しい出会いに対して、相互にとってより開かれた可能性を残す。」
 「日本的人間の深さはこのつらさによって極まる。日本的に言って深さのある人間、もののわかる人間は、このつらさのわかる人間である。」
 
 本ブログ過去の関連記事↓↓
  ・2013/04/13付:「俗事における「無用性」は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」

 引用文献↓↓
 「寅さんとイエス」(著者:米田彰男氏、出版社:筑摩書房 、出版日:2012/07/15)
「寅さんとイエス」(著者:米田彰男氏、出版社:筑摩書房 、出版日:2012/07/15)

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YouTube: 男はつらいよ カバー (捨て身の愛)

一部を除く縮命効果、全体主義検診の無意味、医者の人為操作パンフレット鵜呑み:「抗がん剤は効かない」

2015-08-23 06:35:18 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 「医者の言いなりにならないためには、医者に対抗できるだけの理論武装が必要です。」、「健康診断や人間ドックは受けないほうがよい。ただ日本は異常な国で、国家が職場検診を強制します。こんな全体主義的方策をとる国は、欧米には存在しないと聞きます。」(本書より)

 「抗がん剤は効かない」(著者:近藤誠氏、出版社:文藝春秋、出版日:2011/5/15)
 本書を読んだ。

 世間一般の医療界・臨床医やマスコミ等の「常識」とは大きく異なっている著者の理論を、私は正しく思い信じている。出世には関心が無く、私利・私欲無く、医療における真実を追求する為に孤独に研究されて来られた著者。孤独に研究されて来た事による、何ものにも囚われずに自由に研究されて来た成果である著者の理論が、現在では医療改革に繋がって来ている。
 以下に本書から引用する。

 抗がん剤は毒薬・劇薬である。また、抗がん剤は発がん物質でもある。抗がん剤を調整する医療従事者には、厳格な取扱いマニュアルが定められているとの事である。
 医者、医学者、専門家、製薬会社、厚生労働省の官僚からなる「抗がん剤ワールド」による馴れ合い審査人為的操作によるデータ改変により日々、新薬が発売され、医者の無理解と横暴によりその「抗がん剤神話」の押しつけが、日本の医療界においては常識となっている。それにより、医者、製薬会社、官僚への莫大な利益と、患者側には抗がん剤使用による延命効果が無く、ただ多大な副作用を生んでいると言う「利益相反状況」が存在している。
 広義において分子標的薬をも含む抗がん剤は、急性白血病や悪性リンパ腫等の「血液がん」の多くは、抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法であるとの事。但し、慢性白血病には無効であるとの事。一方、肺がんや胃がん等のがんが腫瘤を作る「固形がん」には無効であり延命効果が無いとの事。但し、固形がんの内の睾丸のがんと子宮絨毛がんだけは、抗がん剤に延命効果どころか治す力まであるとの事。以上の理由は不明であるとの事。但し、以上の極めて例外的に効くがんにおいても再発を繰り返すものについては、抗がん剤が効いていないのではないかと検討した方が良いとの事。
 また、抗がん剤に意味が有る一場面として「化学放射線療法」(通称「ケモラジ」)が在り、現在、頭頸部がん、食道がん、膀胱がん、子宮頸がん等で実施されているとの事。あくまでも放射線をメインとして、抗がん剤と放射線は同じ日に施行し、且つ、数週間に渡り連日施行される放射線治療の期間中に毎日の様に少量の抗がん剤を投与するとの事。この治療法により、手術至上主義による臓器全摘とならずに臓器を残せる可能性が高まるとの事。
 また、放置すると転移死しなくとも原発病巣が増大して臓器の機能不全を起こす局所死する可能性が有る喉頭がん、咽頭がん等の頭頸部がん、食道がん、子宮頸がん、胆管がん等には保険適用で自己負担の少ない定位放射線治療等の臓器を残す治療法が妥当であるとの事。重粒子線や陽子線は高額なだけで、従来の放射線治療以上の効果が得られない事から不要であるとの事。しかし、他の臓器に転移がある場合には、その様な局所療法は不適であり、がん組織にホルモン受容体が有ればホルモン療法をするとの事。
 手術療法・化学療法(抗がん剤)・放射線療法のがん三大療法以外の、ホルモン療法や免疫療法、食事療法にも問題が多々在るとの事。免疫療法においては、自分自身であるがん細胞を免疫でやっつける事は出来ないとの事。また食事療法においては、体重減少により却ってがんに対する抵抗力が下がり、がんの進行速度が急に速くなることが少なくないとの事。
 社会問題化した肺がん治療用のイレッサをはじめとした分子標的薬。がん細胞は正常細胞から分かれた為に同じ遺伝子を持ち、それを基にしたタンパク生成も共通のものとなるので、結局は分子標的薬も正常組織中の分子をも攻撃してしまい、それが毒性として表れるとの事。
 がんがCT検査で発見されるよりも前から臓器転移がどこかに小さく潜んで存在しているのが「本物のがん」で、転移が無いのが「がんもどき」であるとの事。その「がんもどき」を放置しておいてもいつまで経っても転移しないという事が社会通念に反すると言う事から、反発する医者が多いとの事。一歳未満の子どもの神経芽細胞腫は、自然に縮小して消失する自然退縮が少なくなかったとの事。早期発見・早期治療理論による検診によって発見数が増えているが、死亡数は横ばいか却って増えている。それ故、がん検診や人間ドック等による発見が、実は「がんもどき」が多いとの事。転移が無ければ危険は無いとの事である。積極的検査・治療が却って「縮命効果」を上げている。
 がん早期発見のがん検診は無意味、原発病巣術後の局所再発は臓器転移の原因にはならず、原発病巣治療後の転移発見検査は無意味、無症状であれば発見されたがんを放置しても命取りにならないとの事。CTによる放射線被曝を防いで検査による発がんを予防し、精神的に病から解放されて気楽に安楽に過ごす事が出来、その意味でがんは「末期発見」が望ましいとの事である。
 がんワクチンであるとしてのパピローマウイルスの予防ワクチンが中学生女子等に対して始められたが、本物の子宮頸がんを予防した事実は無く、それを打つ事による性交早期開始が流行る事により却ってパピローマ感染が増えてしまうとの事。
 認可やその後の利益に関わりの有る、抗がん剤の臨床試験の最重要結果である「生存曲線」。全生存率(%)を縦軸に、生存期間(年、月、週)を横軸にしたグラフにおいて、普通は左斜め下方に凸となる「指数関数曲線」が自然に描かれる。しかし、抗がん剤の新薬による治療とプラセボ(偽薬)や旧薬、無治療群による治療との比較の為に同じグラフに生存曲線を重ね描く上に於いて、新薬の曲線が途中で急に右上方へと屈曲して素直な指数関数曲線とならず、それまでの期間中ほぼ一致していたもう一方の曲線と解離している。それが、生存率が上昇し効果が有る様に見せかける「人為的操作」によるものとの事である。またその後の生存期間において、新薬側の曲線が急落してもう一方の曲線と一致する頃を切り取って省いたグラフを、医学雑誌等の論文中に掲載しているとの事である。また参加間もない被験者が生存中の打ち切り・寸止め、追跡調査を行なわないと言うケースでは死亡者がいつまでも確認されずに生存している事となっており、それらが意図的行為、データ操作・改変・隠蔽、臨床試験のインチキであるとの事である。それによって作られた製薬会社のパンフレットを臨床医は鵜呑みにし、抗がん剤治療をしているとの事である。
 新抗がん剤の認可の基準として、臨床試験での1~2割程度の(被検者で)がん病巣(腫瘤)の縮小度が用いて来られている。その為、生存曲線グラフで全生存率(OS:オーバーオール・サバイバル)よりも無憎悪生存率(PFS:プログレッション・フリー・サバイバル)の方を第一指標として用いているとの事。増大と判定するのがCTによるが、その検査を前倒しにするだけで比較する2本の曲線が離れて統計的に有意差が有ると認めてもらい易くなるという様に、OSよりもPFSの方が人為的操作が容易になるとの事である。CT検査とCT検査の間の無検査期間中のグラフは横ばいとなり、次のCT検査時にグラフが下降する事から、PFSを用いたグラフは階段状になるとの事。一部を強調して、全体を誤魔化しているとの事である。
 そして腫瘤縮小を有効の指標とする事で、「殺細胞毒」である抗がん剤の毒性により「縮命効果」やQOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)の低下を引き起こしているとの事。腫瘤の縮小は希であり、被検者の内の1~2割程度にその現象が認められれば新薬として認可されてしまうという事なので、圧倒的多数は症状の緩和どころか副作用や毒性で苦しむと言う事である。術前の腫瘤縮小についても当てはまり、臓器温存を図る事が望ましいとの事である。
 医学雑誌にも、新規性やポジティブ論文による「パブリケーション・バイアス」という、他のマスコミと同様の偏向報道・偏向情報が存在し、更に医学雑誌には「格」が存在し、特に超一流医学雑誌に掲載される事によるインパクトが強く、抗がん剤ワールドの繁栄にはそこへの掲載が不可欠であるとの事。
 ところで鎮痛剤の処方時に習慣となっている胃薬の同時処方が、胃薬の副作用の為に危険であり、鎮痛剤のみとするべきであるとの事。
 また、抗がん剤と同時投与される制吐剤に弱いステロイドを入れる事による気分の高揚感や食欲の回復等の症状緩和が有るらしいが、ステロイドには副作用や毒性が在り、毒性が蓄積・増大し、「縮命効果」しかないとの事である。
 痛みの治療には鎮痛剤が使われる。放射線治療によってがん病巣が小さくなる為に痛みが軽減するが、骨転移による全身の痛みに対する全身への照射は危険であり不適との事。脳転移の放射線治療後に抗がん剤を使用すると、脳組織の崩壊しているバリアを通過して脳組織に流れ込み、脳組織の崩壊が起こり得るとの事。脳組織は放射線障害もなくはないとの事。
 治療法は、患者個人の人生観・価値観、そして諦観による選択となる。現実的対処法としての医者・病院との付き合い・対応方法が語られている。
 米国の権威・後ろ盾を得る為にあの国士であった田中角栄氏を陥れた、ジャーナリストの立花隆氏との文藝春秋にての対談も合わせて掲載されている。

 本ブログ過去の関連記事↓↓
  ・2013/05/17付:「イルミナティの傀儡・女優アンジー、がん予防で両乳房切除・・・癌ビジネス広告塔として利用された挙句に捨てられる & 『乳房温存療法』のパイオニアの医師の告発、定義の無いがんの治療と検診の無意味」
  ・2013/10/25付:「医療界の常識・因習・体質・構造・権威を否定し、普通では無い「真実」が存在・・・『成人病の真実』を読んで」
  ・2014/04/29付:「健康診断基準値の大幅な緩和は近藤氏の批判・訴えに学会が折れた為か・・・講師に折れた名誉教授等の御偉方」
  ・2014/05/04付:「矛盾・偽善がはびこり基準・根拠・規範の無い医学・世間においては却って『非常識』が正しい・・・『医者に殺されない47の心得~医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』を読んで」
  ・2015/08/15付:「保守的カトリック作家と異端の医師との対談・・・『野垂れ死にの覚悟』を読む」

 引用文献↓↓
 「抗がん剤は効かない」(著者:近藤誠氏、出版社:文藝春秋、出版日:2011/5/15)
「抗がん剤は効かない」(著者:近藤誠氏、出版社:文藝春秋、出版日:2011/5/15)

利権により承認されなかった免疫療法の先駆け「丸山ワクチン」

2015-08-16 18:33:09 | 予防医療の危険性と生命倫理
 「がんになったら、金持ちはだめ。貧乏人のほうが長生きできる」(本書より)
 「今こそ丸山ワクチンを! 30数年の時を経て再びがん治療の最前線へ」(著者:井口民樹氏・丸山茂雄氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:2012/03/02)
 本書を読んだ。
 有効治験薬として本書初版出版当時(2012年)において使用者が40万人を超えたが、現在(2015年時点)未だ抗がん医薬品としては認可されていない「丸山ワクチン」。昨今の癌に対する手術療法・放射線療法・化学療法に続く第四の治療法としての免疫療法のその先駆け的存在であったが、、1976年11月にゼリア新薬工業が厚生省(当時)に抗悪性腫瘍剤としての製造承認を最初に申請して以来、現在までの39年間一度も認可されなかった。
 審査に於いては差別があったとの事である。同時期に化学療法剤であるが同様に免疫療法剤に近い薬が、1年や2年で承認されていたとの事。丸山ワクチンの場合は、何回も提出資料が不備だ等と、粗探しや根拠の無い難癖を付けられて、追加資料を求められる等された挙句、認可が下りなかった。厚生省の官僚と製薬会社、医学者が癒着して純粋な学問的判断が歪められ、秘密・非公開の薬事審議会の中で不公正が行なわれ、それらの利権の為にそのライバル的存在であった丸山ワクチンに不承認の烙印を押し続けたとの事。
 今でこそ免疫療法が持て囃される程のブームとなっているが、丸山ワクチンは世に出るのが早すぎた為か、医学界からは叩かれ迫害されたとの事。大病院では抗がん剤を用いる化学療法が進んで用いられ、患者が丸山ワクチンでの治療を頼んでも「あんな水と同じもの」と一蹴されてしまったとの事である。癌患者にとれば、抗がん剤の使用で副作用ばかりで一向に効果が上がらず、同様に放射線治療や手術をしてもすぐ転移病巣が次から次へと見つかる等した上での、藁をもつかむ思いでの主治医への懇願であったのだが。医学界のみならず、日本の社会・世間一般の中では独創を嫌う傾向が有り、常識の枠からはみ出したものを排除しがちであり、大勢に追随していれば安泰としていられる為であるとも言う。
 本書には症例とその経過が報告されているが、ある医師による2004年~2005年の2年間に限った、丸山ワクチン10年以上使用の進行胃がんと進行大腸がんの患者を調査した論文を報告している。丸山ワクチンが開発された日本医科大学付属病院のワクチン療法研究施設には、丸山ワクチン使用者のカルテが全世界から集まっており、それを基にした調査であるとの事。その論文によれば、10年以上の丸山ワクチンの使用年数は、10~14年使用者が33例、15~19年が28例、20~24年が40例、25年以上が25例、そして最長使用年数は34年であるとの事。そして結論として、丸山ワクチンの単独使用によって数十年を元気に生存する実績からの類推で、生命延長に寄与した考えを否定しがたいとの事である。
 「丸山ワクチン」は元々は皮膚結核の治療の為に開発されて「丸山結核菌ワクチン」と命名されたとの事で、専門的にはSSM(Specific Substance Maruyama)と呼ばれている。その5つの特徴は、― ①副作用が無い、②延命効果が高い、③痛み等の自覚症状が消える、④免疫力を高めてがんを自滅させる、⑤がんを封じ込め、がんと共存する、― との事。
 また、丸山ワクチンががんに効く理由として、― ①樹状細胞を活性化する、②自然免疫を元気づける、③増産させたコラーゲンによるがん封じ込め、― が挙げられている。尚、樹状細胞は放射線に強いとの事である。
 次は、ある一人の患者の言葉である。「抗がん剤をやるのも、やめるのも、最終的にはあなた自身の判断なのですよ。数カ月の延命のために、苦しくても抗がん剤を打ち続けるか、寿命が数カ月短くても、日々を精一杯充実させるほうを選ぶか、その人の人生観で決めるしかないと思います」
 因みに、次の様な意見も有る。丸山ワクチンの使用によって副作用が無くなり、食欲が回復する等して心証が良くなったと言う事の原因が、抗がん剤を止めたからではないかと。





「今こそ丸山ワクチンを! 30数年の時を経て再びがん治療の最前線へ」(著者:井口民樹氏・丸山茂雄氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:2012/03/02)
「今こそ丸山ワクチンを! 30数年の時を経て再びがん治療の最前線へ」(著者:井口民樹氏・丸山茂雄氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:2012/03/02)




 

対イスラエルBDSムーブメント・・・パレスチナ独立に向けて

2015-08-16 08:14:50 | パレスチナ 2012~2017
 
  上図:出典(経由):World Literature Today・・・クリックにて拡大

 イスラエルは孤立化を深めている。世界各国のパレスチナ独立国家承認や主権回復への動き、パレスチナ自治政府のICC(国際刑事裁判所)への加盟によるイスラエルの戦争犯罪訴追とパレスチナ人の基本的人権回復への胎動が起こっている。
 アメリカをはじめとするシオニズムによる今から67年前の一方的なイスラエル建国、4度に渡る中東戦争を経て、現在まで不法占領を続けながら、パレスチナ人の土地に侵略を続けて入植地の拡大を続け、分離壁を設けてアパルトヘイト(人種隔離政策)を行なっている。
 シオニズムは旧約聖書に書かれている、シオン、つまりカナンの地、パレスチナの地について創造主が、主の選民であるへブル人(現ユダヤ人)に対して約束した地であるという事を根拠にしている。しかし、パレスチナ人は先祖代々パレスチナの地に住み続けて来たのだが、パレスチナ人の殆どが、実は先祖アブラハム―イサク―ヤコブの血を受け継ぐ本当のユダヤ人なのである。またしかし、イスラエルの中の二級・三級市民や戦争での前線に出るスファラディー・ユダヤ人も本当のユダヤ人なのである。「乳と蜜の流れる地」であるカナンの「約束の地」は、それら本当のユダヤ人に対してのものである。米国等のシオニズム組織・団体や反ユダヤ主義監視圧力団体、イスラエルの支配階級・一級市民、欧米に多く存在している白人系のアシュケナジー・ユダヤ人は実はユダヤ人ではなく、先祖はユダヤ教に改宗したカザール人であり、彼ら偽ユダヤ人には主はパレスチナの地を約束されていないのである。そして実は、日本に存在する血縁的な繋がりの有る本当のユダヤ人の子孫も、そのカナンの地・パレスチナの地を主は約束しているのである。但し、本当の「約束の地」は、実はアラビア半島西南部のアシール(イエメンの北西部のサウジアラビアとの国境付近)であるとも言われている。
 入植地拡大や分離壁設置の既成事実化が進められ、パレスチナ人の生命線とも言える、樹齢数百~数千年にも及ぶオリーブの木々の破壊が続けられる。昨年のガザ50日戦争後には、より一層の制裁・圧力の強化となった。封鎖、停電、下水処理・浄水・医療・衛生の不足、失業、ホームレス、食料不足、資金援助停止、住宅破壊、農地収用、人権侵害、戦争犯罪等が現在まで続いている。
 EU・ヨーロッパをはじめとしたパレスチナ独立国家樹立への気運の高まりと、世界中の草の根的・民衆による反イスラエルのBDS運動(Boycott、Divestment and Sanction:ボイコット、投資撤収、制裁)によるイスラエル製品やイスラエル支援企業への圧力による変革が促されて来た事、米国のオバマ大統領が実は内心はイスラム寄りである事等によるイスラエルの孤立化の現状が在る。その裏の根本には、世界権力であるイルミナティ・フリーメーソンが今までイスラエルを利用して来たのだが、今やそれを不要としているからである。欧米の背後には、その世界権力の意向が働いている訳である。
 しかしイスラエルは孤立化しようとも、200発とも300発とも言われる核兵器を保有している。この事も既成事実である。その核兵器を背後にして、イスラエルはパレスチナの土地を自分のものとしてほぼ不動のものにしている。
 また米国においては依然根強く、イスラエル・ロビーの力が存在する。BDS運動に対しては、反ユダヤ主義への制裁という名目の下で、それを行なう者や企業に対する制裁・罰則・禁止措置等を加える事が出来る様にする法律が、米国において制定されつつある。

 尚、イスラエル支援企業の主なものは、次の通りである。
 スターバックス・コーヒー、マクドナルド、コカ・コーラ、エスティ・ローダー、ネスレ、インテル、マイクロソフト、アイ・ビー・エム、ディズニー、ダノン、ロレアル、サラ・リー、ジョンソン&ジョンソン、ノキア、カルフール、カルバン・クライン、キンバリークラーク(クリネックス)、ペプシコ、レブロン、サンキスト、ケンタッキー、リーバイス、クラフトフーズ、ハーゲンダッツ、ラルフ・ローレン、アルマーニ、チャンピオン、Sanex、シュウェップス、ティンバーランド、Kotex、REDKEN、Garnier、ハギーズ、ヘインズ、マークス&スペンサー、ギャップ、メイベリン、Gossard、ザ・サン、ナショナル・グラフィック、CNN、タイムズ、TIME、20世紀フォックス等が在る。
 
 また、上記イスラエル支援企業の多くは、多国籍企業でもある。その多国籍企業は、進出している国においては税金を納めていない。また税率の低い国・地域をタックス・ヘイブンとして利用している。しかし、OECD(経済協力開発機構)はその国際課税方法を見直し、米アマゾン・コム等のインターネット通信販売企業が物流拠点として置いている進出国における巨大倉庫への課税のルールを強化する方向となった。日本においてもその国際法を基に、来年度辺りから租税条約改正を踏まえた上での多国籍企業の税金逃れを止める見込みとなった。

 次の本を読んだ。
 「インパクション〈160〉特集 ボイコット―生活から世界につながる」(編集:インパクト出版会、出版社:インパクト出版会、出版日:2007/11/10)
 対イスラエル・ボイコット、ウィンドウズのボイコット、資本の論理のボイコット、多国籍企業のボイコット、消費者運動としてのボイコット等についての掲載が在る。
 国際法を遵守しないイスラエルに対し、草の根的な下からの圧力をかけるBDSムーブメントイスラエル商品、研究・文化・スポーツの交流、観光をボイコットすることから始まり、イスラエルを支援・支持する企業への二次的ボイコット、国家によるイスラエルに対する経済制裁・封鎖、イスラエルからの企業による資本引き揚げ、更に軍事協力や兵器貿易の中止を求める運動の方法があるとの事。
 またオリーブオイルをはじめとした、パレスチナ人による生産物のフェアトレードによる購入を行なう事。
 しかし、イスラエルの主な輸出品がIT・バイオ産業関連、医療機器、ダイヤモンド等と、大衆的ボイコットが通じにくいものが多いとの事。
 外務省・元駐レバノン特命全権大使の天木直人氏によると、イスラエルは金融・米国を牛耳り、外務省での出世には米国系ユダヤ人へ強く出る事が支障となるとの事。また、イスラエルは情報発信力や情報操作が世界一であるとの事。

 本ブログ過去の関連記事↓↓
  ・カテゴリー:「パレスチナ」
  ・2013/06/22付:「多国籍企業の租税回避が問題・・・米国企業の『納税逃れ』原因となる『日米租税条約』」

 参考記事↓↓
  「FREEDOM FOR PALESTINE~注意深くお金を使うために~主なイスラエル支援企業」 
  ・NAVERまとめ:「平和のための『買ってはいけない』イスラエル支援企業」
  ・ウィキペディア:「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」
  ・ウィキペディア:「アメリカシオニスト機構(ZOA)」
  ・ウィキペディア:「サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)」

 参考ウェブサイト↓↓
  「パレスチナ情報センター」

 「インパクション〈160〉特集 ボイコット―生活から世界につながる」(編集:インパクト出版会、出版社:インパクト出版会、出版日:2007/11/10)
「インパクション〈160〉特集 ボイコット―生活から世界につながる」(編集:インパクト出版会、出版社:インパクト出版会、出版日:2007/11/10)

 



・「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」
・「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」
・「ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎」
・「ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎」
・「聖書アラビア起源説」
・「聖書アラビア起源説」



 参考動画↓↓
 

YouTube:パレスチナ女性によるイスラエル製品ボイコット運動ジェニンで開始
 

YouTube: イスラエル製品ボイコット活動家「人種への憎悪を煽る罪」で起訴
 

YouTube: ‘Boycott Israeli goods!’ West Bank people show solidarity with Gaza
 

YouTube: Coffee in Palestine - Boycotting Israeli goods boosting Palestinian industry
 

YouTube: Palestinian supermarkets remove Israeli products from their shelves
 

YouTube: Activists boycott Re/Max involvement in West Bank expansion
 

YouTube: Palestine launch boycott campaign against Israeli products
 

YouTube: Palestinian women call for boycott of Israeli products
 

YouTube: Anti-war activists slam Boeing’s sale of arms to Israel
 

YouTube: 293 US universities to join boycott campaign against Israel
 

YouTube: 10th anniversary of BDS movement marked in Gaza
 

YouTube: 崩壊するアメリカ経済③税金を払わぬ大企業【藤井厳喜】AJER

人を恐れる、つまり人からの評価を求めると偽善となる:「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」を読む

2015-08-15 17:54:31 | 世間・空気
 人からの評価を求めたり認められようとすると、偽善行為となる。つまり、人を恐れる事で罠にかかる。
 人の為と書いて「偽り」となる。表面的には人の為等と綺麗事を言いながら、自分の生活費や遊行費を稼ぐ為、家族・恋人を養う為にビジネスを行なう。
 生まれたばかりの赤ん坊は純粋であるが、年を経る毎に物心が付いていき、知識が増え、悪知恵が働く様になる。
 人間は皆、「原罪」を持って此の世に生まれて来る。人間の本質は悪である。元々から、「原罪」と言う悪の性質を誰もが持っている。つまり、中国・戦国時代の思想家・荀子の唱えた「性悪説」の通りである。最初の人であるアダムが、悪魔の蛇の誘惑と言う雑音に乗せられ騙されたその妻エバの、その言う通りに行なう事により創造主に背いた事から始まった。
 今から3,500年程前の頃、へブル人(後のユダヤ人)達は創造主から離れ、その自分の悪の性質に心が支配されていた。そこで創造主はその選びの民に対して、指導者・モーセを通して「律法」と言う基準・規範を与え、律法を基にした行動、善悪の判断を行なえる様にした。主は、神から離れ悪に傾いていく選民達に歯止めを与えた。
 今から2,000年程前のイエス・キリスト在世時、ユダヤの最高法院サンヘドリン等のユダヤの国の支配者、権力者、祭祀者、律法学者達は律法を重んじ、律法を表面的、形だけ行ない、或いは口先だけの形式主義に陥っていた。不正が蔓延して真理が失われ、愛や真心の籠っていない形式主義と言う偽善がはびこり、それが当時のユダヤの体制に繋がっていたが、その体制を破壊しようとしたイエス・キリストは、それら偽善者達とそれに煽られ扇動された世間一般の民衆達によって十字架刑に追いやられ殺された。
 律法を守り行うだけでは、罪からは解放されない。主への信仰によって解放され真の義となる。律法、つまり規則や法律は、元々から悪の性質を持っている人間に対して理性を与える為のものである。理性は頭に生じるものである。頭と心は異なる。頭の知識だけで行い心が籠っていない事が形式主義・偽善となる。エリート等の俗に頭が良いと形容される者達が偽善である事が多いのは、その為である。真心、聖霊の宿る心を基にする行為は、真に正しくなる
 全部がそうであるとは言わないが、支配者、権力者、エリート、役人、官僚等は偽善者である事が多い。高い学歴を持ち、出世、保身の為に、自分より上の者や力の有る者に対しては迎合して媚びへつらっている。物事の善悪には興味が無く、或いは気付いてもそれを無視して、自身の安泰と繁栄を願っているだけである。
 世間の多くの人達も、真実には興味が無く、只々周囲と同じ事をしていれば周囲から批判を受ける事も無く、嫌われたり笑われたりする事も無いと言う様に、当たり障りなく社会生活を送れる様にと、エリートと同様に保身の姿勢を持っている。例え正しい事に気付いても、自分独りでそれを行なう勇気が無い。周囲の人の反応を気にするあまりに表面的なイメージ、形式を重視するだけで、その実中身は空っぽで、結局は偽善に陥っている。
 世間の多くの人達は真実に興味が無いが故に、物事の本質が解っていない。あくまでも、みんながやっている事を正解や善としているだけである。物事を真に理解していない人達から評価してもらったところで何の値打ちも無い。認めてもらったところで何の意味も無いのである。その様な世間に基準を置く事は間違う事となる。本質・根から外れた上辺・表面・形式に基準を置くが故に偽善となる
 有難迷惑というものも在る。善かれと思って行う事も、実際には相手にとれば迷惑に感じている事が多々ある。それは、自分の欲望・希望を相手に押し付けているだけであるからある。相手は何もその様なものは全く望んではいないのである。つまり要らないお節介や介入である。この様な独善的自分の思い込み・欲望を押し付ける事も偽善である。その極端なものがストーカーである。本当に善を行なおうとするのであれば、相手の気持ちを尊重することである。相手が放っておいて欲しいと思っているならば、放置する事が真の善となる。その様な相手にいちいち介入すると、余計に関係は悪化するのである。現在までの国際情勢の上でも、西欧の民主化と言う名目での押しつけが、その民族の反発心を起こしているのである。病気にしても、根本原因を取り除く根治療法をせずに、対症療法と言う表面に現われた症状だけを治そうとしても、余計に症状は悪化し長引くのである。皮膚が痒いからと言って掻きむしったりステロイドを塗ると、余計に症状は悪化するのである。
 「助け合い」や「人はひとりで生きられない」等と言う言葉が、マスコミ等で多用され美化される。確かにある程度はそれらは必要である。しかし、それらの言葉によって、甘え、安易に人に頼ろうとする人達が多い。解らない事が有っても、直ぐに人から聞こうとする。自分でインターネットや本を読む等して勉強し調べようとしない。自分で考えない為に自分で判断出来ない。安易に多数派の判断に付和雷同している。精神的に独りで立つという「自立」が出来ていない。「自己責任」を負うと言う感覚が欠けている。社会保障・サービスに助けてもらえるからと胡坐(あぐら)をかいている。人から受ける事に依存して、自らの努力が無い。甘やかしは偽善である。
 マスコミや宗教団体の唱える「平和」や「愛」等の聞こえの良い言葉も偽善である事が多い。それら一見聞こえの良い言葉によって世間の多くの人達は思考停止に陥り、「平和ボケ」と言う感覚の麻痺が起こっている。感覚が麻痺する事で、空想に浸る事で、現実の危機感を感じる事が出来なくなっている。それら聞こえの良い言葉には「裏」が在る。マスコミの言う事を鵜呑みにする事は、洗脳され思い込まされているだけである。マスコミ、そのスポンサー、上層組織、裏で操る権力の意図に扇動されたり陥らされるだけである。マスコミには嘘・偽りが多い

 次の本を読んだ。
 「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)
 作家と評論家という、共に現在80代(初版出版当時80歳前後)の保守派の論客の対談。共に高齢でありながらも現役で、自立・自律し、世間一般の多くの人達が平和の内にボケているのとは対照的に、自分の信念・思想・哲学をしっかり持っておられる。
 戦前の古き良き日本人の気骨・気概ある精神や思想、姿勢等が、現在においては失われてしまっている事を憂えている。教育に於いては、戦前には修身という基準となるものが存在したが、現在の日教組教育にはその様な基準が存在しない。 
 以下、本書から引用する。

 「『戦後の日本人を大きくダメにした日教組的教育が人間というものの現実を正視し把握しなかったのと、…(中略)…マスコミが実は勇気がなく、無難な理想論に迎合して、そうでないものに対して思想弾圧までしたところにある』」(2013年元日付・産経新聞「『年頭にあたり 幼児性と画一性脱し強い国家に』」)
 「『自助』『共助』『公助』という順であるべきだと思いますが、『自助』を忘れて『公助』ばかりを求める風潮がどんどん強くなってきています。…(中略)…昔の日本人は困難に立ち向かうことが自分を鍛え、磨き、立派にしていくことにつながると考えていた。」
 「いまの日本人は綺麗事でないことは受け入れない。だから世界の本当の現実もわからないんです。庶民から政治家に至るまで、見えていてもイヤなこと、見たくないものは、ないことにしてしまっている。」
 「世の大勢を覆うのは綺麗事で、私は、綺麗事しか認めようとしない偽善が日本を亡ぼすと本気で考えています。」
 「戦後の日本人をダメにした日教組的教育の問題は、祖国や同胞を大切に思うこと、人はまず自らの足で立たなければならない、ということを教えなかったことにあります。」
 「戦後の日教組教育が濃厚に刷り込まれ…(中略)…祖国をいたずらに卑下する教育はよくないし、戦後この方、他国との共生を強調し、日本人としてのアイデンティティをことさら希薄化するような教育が行なわれてきたのは大きな問題です。国際化や地球市民という言葉で誤魔化して、他国の文化や価値観、主張に日本人が歩み寄り、合わせることがさも良いことだというふうにして、日本人としてのアイデンティティや教養、誇りを失わせるような教育をしたことを見直す時期に来ていると思います。」
 「地域によっては日本史をまったく履修しないまま卒業する生徒も多く、…(中略)…『国際化』が理由になっていますが…(中略)…自国の歴史を教えない国になっている
 「国語教育の充実よりも、英語を第二公用語にしようという近年の議論は誤り…(中略)…言葉が一つ確固としていなければ、思考の基軸がないのも同然で、…(中略)…バイリンガルをめざすよりも、まず日本語をしっかりと…(中略)…言葉はその国の歴史と文化と一体…(中略)…たんに英語が使えるというだけでは、英語圏の人間に使役されるだけの存在になる
 「教育者やマスコミ自らが考えることを怠り、その影響から、若い人たちが同じ型で抜いたクッキーのように同じ思考、精神の傾向をもち、似たような判断を是とするようになってしまった。」
 「報道の幼稚化…(中略)…犯罪や事件の劇場化…(中略)…テレビも新聞も現実感覚を喪失して、何か架空の世界のことを伝えるような安直さ…(中略)…しょせん他人事」
 「『艱難辛苦汝を玉にす』…(中略)…福祉というものは、それを手厚くすればするほど人間を怠惰にさせかねない」
 「自己責任…(中略)…甘えきった態度が“当然の権利”になったら、…(中略)…いったい誰が黙々と働いて納税の義務を果たす気に…(中略)…お金は、『ないほうが強い』と」
 「誰も責任をとろうとしない社会…(中略)…みんなと同じことを言い、同じ方向を見ていればいい。画一的な思考に埋没して流行に迎合していれば、自分だけが責任を負わされることはない。…(中略)…誰も悪や損な役回りを引き受ける勇気がなくて」
 「いまの日本人、日本国家は平坦な道ばかりを歩もうとして、かえって多くの大切なものを失っています。人生は波瀾万丈のほうがいい、とは言いませんが、…(中略)…高級官僚に代表される学校秀才…(中略)…前例と規則を遵守しているだけで、独創性も個性もない……(後略)」
 「民主党政権の対応…(中略)…ひたすら中国の機嫌を伺い、摩擦回避の“事なかれ主義”で」
 「中国側から『日中友好に反する』と言われれば、物事の理非にかかわらず、平身低頭するだけで何も言い返せない
 「責任から逃げたがる卑怯な人は、多くのマスコミや文化人の中に…(中略)…保身に汲々と…(中略)…GHQによる検閲、統制…(中略)…今度は日本人自身がいくつもの“閉ざされた言語空間”をつくってきた…(中略)…創価学会に対する批判ができない…(中略)…中華人民共和国に関する報道の著しい偏向…(中略)…中国の提示する『政治三原則』…(中略)…日中記者交換協定…(中略)…『朝日新聞』やNHKなどの中国べったり報道……(後略)」
 「自己責任…(中略)…危険を承知なら、最後までその使命を受諾して、殺されようと長く拘留されようと意志を貫く…(中略)…ボランティアとはそこまでの覚悟をもって取り組むものだ」
 「実に多くの人たちが、自分の信念に従って仕事をしてはいない。無難を目指して、自分が標的にならないようにと…(中略)…価値観の基準は自分のものじゃなくなるんです。別の人の物差しで計られるようになっているということを、…(中略)…一体自分というものはどこにあるのでしょう。」

 引用文献↓↓
 「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)
「この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人」(著者:曽野綾子氏・金美齢氏、出版社:PHP研究所、出版日:2013/04/04)

保守的カトリック作家と異端の医師との対談・・・「野垂れ死にの覚悟」を読む

2015-08-15 13:46:14 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 「治療しない医者と、医者にかからない作家」と第二章のタイトルによって形容されている、近藤誠氏と曽野綾子氏の興味ある対談と言う事で、次の本を読んだ。

 「野垂れ死にの覚悟」(著者:曽野綾子氏、近藤誠氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:25014/06/01)

 日本の医療界において異端の医師として、孤独に真実を追求・研究して医療改革に努めて来られた近藤誠氏。一方、神の下の平等に反する階級制度や偶像を持つカトリックの信者で、そのローマ・ヴァチカンから勲章を受け、「世界は一家、人類みな兄弟」等とグローバリズムの一端を担ったCIA笹川良一氏が設立した日本財団の会長を務めた傍ら、保守的な考えを持ち、現代の御老人達にもっと自立せよと訴えておられる曽野綾子氏。
 私も幼き時にカトリックの幼稚園に通い、まだ物心の付いていない小学校2年生の時にカトリックにて洗礼を受け、「アッシジのフランシスコ」の洗礼名を持っている。しかし、物心の付いている今現在に至っては、カトリックの教会には通っていない。しかしその一方では新改訳聖書を読んでいる。カトリックやプロテスタント等のキリスト教界という組織・団体が聖書を教典として利用しているだけであって、元々はそれらの組織・団体とは無関係で独立した書物なのである。要するに、組織の教えでは無く、聖書そのものから学ばなければならないと言う事である。自分で直接聖書を読むと言う事が大事である。
 以下に、私と同じく、世間一般の常識や考えからは大分ひねくれていると思われる本書から、一部を引用する。
 
 「百歳を超えて元気な人は医者に近づかず肉が好き」
 「風邪は薬で長引く ガンの九割は治療で命が縮む」
 「一日一万歩で体を壊す トレーニング好きは人間だけ」
 「病院をハシゴできるのは日本だけ」
 「衰えたら小屋に隠遁して静かに死にたい」
 「医者向けの添付文書にしか書いてない、重大な副作用」
 「ボケのかなりの部分は薬害」
 「人間ドックに行くとあちこち詳しく調べられて、治療する必要のない、いろんな『異常』を見つけられて、病名をつけられて、治療が始まってしまう」
 「一般に日本の内科医は、患者の全体像を見ないで、症状ごとにセキ止め、解熱剤、炎症止め、胃薬……って、どんどん出します。ひとりの患者に平気で10種類以上の薬を出したり。」
 「『インフォームドコンセント』が強調されて、何が起きたかというと、医者の責任逃れに使われてる」
 「医療って『医者を崇める気持ち』で効果がぜんぜん違ってくる部分があって。たとえば痛みや苦しみをやわらげるプラセボ(偽薬)効果」
 「ところが、日本は医師会の力が強くて、なんでもありです。たぶん戦争の影響でしょう。戦時中に、国が一気に医者を増やしたから医師会が力を持って、規制にことごとく反対してきた歴史があります。
 外国は、キリスト教もイスラム教も一神教で全部『性悪説』ですよね。人間はほっとけば間違えるものだ、強欲になるものだという。
 そうそう。その点、日本は神も仏もいるから、いい加減(笑)。薬の臨床試験でも、外国では査察がよく入る。データも改ざんできないようになっています。日本は規制が甘くて、悪いことし放題。製薬会社が自社の新薬の臨床試験にかかわって、統計解析をしたりね。だからデータの捏造がしょっちゅう起きる。」
 
 本ブログ過去の関連記事↓↓
  ・2013/05/17付:「イルミナティの傀儡・女優アンジー、がん予防で両乳房切除・・・癌ビジネス広告塔として利用された挙句に捨てられる & 『乳房温存療法』のパイオニアの医師の告発、定義の無いがんの治療と検診の無意味」
  ・2013/10/25付:「医療界の常識・因習・体質・構造・権威を否定し、普通では無い「真実」が存在・・・『成人病の真実』を読んで」
  ・2014/04/29付:「健康診断基準値の大幅な緩和は近藤氏の批判・訴えに学会が折れた為か・・・講師に折れた名誉教授等の御偉方」
  ・2014/05/04付:「矛盾・偽善がはびこり基準・根拠・規範の無い医学・世間においては却って『非常識』が正しい・・・『医者に殺されない47の心得~医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』を読んで」

 引用文献↓↓
 「野垂れ死にの覚悟」(著者:曽野綾子氏、近藤誠氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:25014/06/01)
「野垂れ死にの覚悟」(著者:曽野綾子氏、近藤誠氏、出版社:KKベストセラーズ、出版日:25014/06/01)

人の褒める言葉も私の心を引かず・・・「世の楽しみよ去れ 世の誉れよゆけ」

2015-08-15 12:56:20 | 世間・空気
 車での通勤中、ラジオの会話はとかく空虚で意味の無い「雑音」が多いと私には感じる為に、何か意味の有る、値打ちを有するものを聞きたいと思い、次のCDを聞いている。
 
 「Aus Liebe アウスリーベ-愛のゆえに-」(ソプラノ:吉村美穂・ピアノ:野田常喜・フルート:安念恵、出版日:2013/5/25)
 次は、その中からの引用。

 「血潮したたる 主のみかしら
 とげにさされし 主のみかしら」

 「主よ 主のもとに 帰る日まで
 十字架の影に 立たせたまえ」

 「キリストには代えられません
 世の宝も また富も
 このおかたが 私に代わって死んだゆえです

 世の楽しみよ去れ 世の誉れよゆけ
 キリストには代えられません 世の何ものも

 キリストには代えられません
 有名な人になることも
 人のほめる言葉も この心を引きません

 キリストには代えられません
 いかに美しいものも
 このお方で 心の満たされてある今は」

 「Aus Liebe アウスリーベ-愛のゆえに-」(ソプラノ:吉村美穂・ピアノ:野田常喜・フルート:安念恵、出版日:2013/5/25)
「Aus Liebe アウスリーベ-愛のゆえに-」(ソプラノ:吉村美穂・ピアノ:野田常喜・フルート:安念恵、出版日:2013/5/25)

前例から原発爆破の脅し、核の傘による平和の享受、真の独立の為の核兵器開発、偉大な微生物群

2015-08-13 21:14:34 | 災害・地震・戦争
 先日8月11日、九州電力は川内原発1号機の原子炉を起動し再稼働させた。東日本大震災における福島原発事故後の新規制基準合格後初の事で、これにより「運転ゼロ」が2年で終了する事となった。
 次の本を読んだ。
 「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)
 福島原発事故は、人工地震兵器・気象兵器によるテロ攻撃で爆破された。東日本大震災だけではなく、阪神大震災も人工地震兵器によると言われている。核兵器工場の在る中国四川省における四川大地震も同じくして起こされた。
 福島原発爆破後、事故対応が全く不可能であった。原発と言う科学は、人間の能力をはるかに超えてしまっている。原発事故が起こってもどうする事も出来ないのである。誰もが手に負えない。そしてパニックが起こらないようにと、情報隠蔽・情報操作が行なわれていた。騙され隠されている間に多くの人達が被曝した。
 また現日本国憲法には、国際法では認められ主要各国が皆持っている緊急事態に対する国家緊急権が存在せず、それによっても事故対応に制限が掛かっている。戦前の憲法には存在した。
 戦後、米国と米国に従い原発利権を手にする政財界の日本人CIAスパイがあえて活断層上や津波を被る海岸沿いに原発を建てた。福島原発爆破の前例が作られた事により、その事が日本への脅しとなり、原発が存在する限り、今後日本は再度の人工地震兵器による原発爆破に怯え続けなければならない
 日本の政府の奥の裏側に存在する支配階級は、日本の真の独立と自立を求めている。その為にプルサーマル等と言う名目でプルトニウムを多く溜め込んでいるが、核兵器開発を行なっていると推測されている。現実の世界においては核兵器を所有する国が発言力を持ち、日本も米国の核の傘に入って来たお陰で平和を享受する事が出来た。決して現日本国憲法のお陰では無い。そしてその間に、中国と北朝鮮は核兵器を所有する事となった。
 プルトニウムの毒性はウランの20倍も有り、プルトニウムは破局的事故の可能性を高めているとの事。
 福島原発後、汚染水は流され続け、内部被曝量は増えている。年間被曝限度の1mSvは外部被曝のみを対象とし、内部被曝は無視している。内部被曝による症状は、直ぐには表れず、将来的に癌の発症が考えられる。また被曝線量に安全値はないとの事である。
 地球温暖化の原因はCO₂ではないのだが、原発がCO₂を排出しない為に自然環境に貢献するとの宣伝によって今まで稼働させて来た。しかし原発稼働にはその過程において、多くのCO₂を排出している現実が存在しているとの事。
 青森県六ヶ所村における再処理工場からは放射性物質が排出されつづけている。原子炉等規制法の対象から外して濃縮規制をせず、放射性物質を捕捉せず海中放水管や排気塔はら全量が放出されているとの事。また稼働率20%で破綻状態であるとの事。
 事故原発からは出来るだけ遠くに避難する事。放射線量は距離に反比例する。ゼオライトは放射線物質を吸着して回収する事が出来るが、その廃棄物を持って行く場所が無い。光合成細菌やEM菌等の有用微生物により放射性物質を分解・除去することが出来る。また日本の伝統食である味噌汁や納豆等の発酵食品を食べる事によって体内放射性物質を分解・除去する事が出来る。人間は原子力と言う科学に手を負えないが、微生物は放射性物質を消し去る程に偉大な力を持っている。

 「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)
「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)

「東洋のユダヤ人」、「血のネットワーク」を持つ客家・・・「客家・中国の内なる異邦人」を読んで

2015-08-13 18:46:46 | 東アジア
 「東洋のユダヤ人」と言われ、「血のネットワーク」を持つ客家
 次の本を読んだ。
 「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)
 大勢に流されやすい中国人と異なり大勢に流されず大義に殉ずる客家。一般中国人に溶け込まずに山岳地帯・山奥に住む少数民族として、多くの文化人を輩出して来た客家。流浪の民で、土着では無く他所から来た人々という意味の客家。軍人・政治家・革命家・学者・哲学者が多い客家
 シンガポールを建国したリークアンユー元首相と二代目ゴーチョクトン前首相、元・中華人民共和国の最高指導者・小平氏、李鵬元首相、太平天国の乱の洪秀全氏、辛亥革命を起こした孫文、元台湾(中華民国)総統の李登輝氏、陽明学の王陽明氏、朱子学の朱子氏等は客家人である。
 客家精神は、強い団結心、進取・尚武の精神、文化・伝統保持への自信、教育の重視、政治への高い指向性、女性の勤勉性に特徴があるとの事。また、「刻苦耐労」、「剛健弘毅」、「創業勤勉」、「団結奮闘」の4つの精神を持つとの事。また、客家人は裏切らないとの事。
 科挙に強い客家人は、「読書耕田、忠臣孝子」、田を耕しつつ学問に励む事を理想とするとの事。
 客家には第二次埋葬法が残る。埋葬後の4~5年後に白骨化した遺骨を椿油で清め、陶製のカメに納めてから再び埋葬するとの事。山奥に住んでいた事と移住が多かった事によるとの事。
 人民解放軍は共産党の軍隊であって国軍では無く、極めて独立性が高いのであるが、本書出版当時の1991年頃において、北京中央の共産党に属するはずの人民解放軍が各地の有力者の軍隊となっており、客家が多く存在する広東省が事実上軍隊を持つ事となっているとの事。その広東省を含む広州軍区の軍隊は当時中国最強と言われていたが、北京に充分対抗出来る力を持っていたとの事。その広州軍区は香港を通じてイスラエルから近代兵器の導入を図っていたとの事。その様に当時、広東省の独立性が見えていたとの事。
 その客家人が多く存在している広東省、福建省、台湾による華南経済圏が当時独走し成長していたとの事。

 「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)
「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)

独立を維持し自尊心・自信を持ちつつ自分の弱さを認め謙虚である事による力・・・「負ける力」を読んで

2015-08-13 16:37:32 | 孤独・独立・自尊心
 独立を維持し自尊心・自信を持ちつつも、自分の弱さを自分自身が認め、傲慢とならず謙虚である事が大事である。
 次の本を読んだ。
 「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)
 日本には「柔よく剛を制す」の精神を基とする柔道や、自分の力の弱さを認めて相手の力を利用する合気道等、日本人の高い精神性から生まれたものが昔から多く存在し、特に戦前の方が戦後よりもそれらの精神性が重んじられていた。
 しかし敗戦後、多くの事がアメリカナイズされてしまい、戦前までの日本の高い精神性、日本人としての自尊心が自虐史観の植え付け等によって弱められたり失われてしまった。
 帝国主義の欧米列強は罠を掛け、騙し、武力の力で強引に、アジア・アフリカ諸国を植民地にして来た。そのように欧米人・白人は日本人とは異なり、力により強引に従えようとする
 本書は、その本来の日本人独特の高い精神性に通ずる、謙虚な心による「負ける力」を唱えている。
 日本の戦後の義務教育世間一般の常識・慣習・空気・雰囲気等から来る「正解主義」、「前例主義」、「事勿れ主義」が、この「負ける力」、「ベクトルの和」を邪魔しているという。そうでは無く、それぞれ「修正主義」、「先例主義」、「事あれ主義」であれと説く。
 常識化されて一応正解とされている事を鵜呑みにせずにそれに対して疑問を持ち、周囲を恐れずに人と同じ事をせず自分が率先する程の気持ち・姿勢を持ち、失敗を恐れずに例え失敗してもそれを教訓にすれば良い。
 教育委員会における権限の分散により、無責任体質が存在すると言う。戦後GHQによる日本人への戦争責任の植え付けと共に、日本人の精神性を破壊させる為の日教組設立と同様のものではないかと思えるのであるが、その戦後体制の内の一つである教育委員会改革を唱えている。
 「みんなと一緒」より「それぞれ一人ひとり」の成熟社会へとも言っている。その通りである。日本の世間一般の人達はあたかも「世間教」という宗教を信じて、人の顔色や反応をあたかも神のように崇めて、その顔色・反応を恐れて生きている人達が多い

 旧約聖書・箴言 29章25~26節
  「人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。」

 人を恐れないと言う事は、人のうわさ話、陰口、悪口、誘惑、煽り立て等の「雑音」に惑わされず、嫌われたり笑われたりする事を厭わず、人からの評価を求めず、人から認められようとしないことである。そして創造主を恐れて主に従う事が大事である。

 「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)
「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)

自分のアイデンティティを重んじ自尊心を高める事が自信・誇りとなり、ひとりで生きる強さとなる

2015-08-13 14:49:54 | 孤独・独立・自尊心
 私は現在46歳(2015年時点)で未婚であり独身である。また独り・孤独である事を全く苦に思わず、寂しいと感じる事も全く無い。一日中黙っていても全く苦にならない。私はその様な性格であり、その事が世間の中に在っては私のアイデンティティや個性となっており、世間一般の目からすると特異に見えているものと思う。
 世間一般的、特に日本に於いては、孤独という言葉の悪いイメージが定着してしまい、孤独であることがあたかも悪い事と思い込んでいる者達が多い。しかし私は逆に、孤独である事が値打ちの高いものであると思っている。
 世間一般の人達は、理由も無く思い込んでいる事が多い。孤独に関しても、「みんなが言っている事だから」という様な理由だけで悪く捉えている場合が殆どである様に思う。
 しかし孤独である事は自由であり、他から干渉される事も無い。自分で考えて自分で判断し、それを自分の言動に繋げるという様に、孤独は精神的な「自立」に繋がる。安易に人に頼らず、自分で解決出来る様になる。
 世間の多くの人達には理屈・理論が存在しないが、孤独であれば熟考する事で自分の内に理屈・理論が生まれ、それが自分の哲学となる
 世間の多くの人達は真実に興味が無く、ただただ周囲の反応を恐れ気にするあまりに周囲の人達と同じ事をして嫌われなければ良しとしているだけである。しかし、孤独であれば真実を追求する様になる事が出来る。
 また孤独は、黙想・祈り・悔い改めに繋がり、周囲・空気・雰囲気に流されず、自分の内側を見つめ、自分の精神・心を高める事が出来る
 その様に、孤独である事の方が自分自身のレベルを高くする事が出来、或いはその可能性を秘めているのである。
 次の本を読んだ。
 「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)
 本書は世間の中で寂しさを感じている人達向けに、著者自身の本著作時65歳に至るまで独身である事からのシングル者への共感を込めての自身の経験等からの参考文を書かれているが、私の場合は前述の様である為に、群れ・集団を嫌い世間からは一歩も二歩も身を引いている程である。
 自分自身の中には多様な独自性があると言う。私の内にも色々有る様に思う。しかし私は創造主によって自分に課された運命が存在し、それにより予め道が決められているものと思っている。その主に委ねて主に課された通りに進んで行くと「絶望」とは無縁になるのである。寂しさというのも自分の持っている希望が叶えられない事から生じてくる事の内の一つであり(例えば恋愛願望等・・・)、その様な自分の欲望を基にして自分勝手に希望や目標を持ったところで主が予め引いた路線からはみ出している為に、いつまで経っても叶う訳が無く絶望に繋がるのである。
 自分のアイデンティティを重んじる事は、自尊心を高める事である。孤独で自尊心が高いという事は、「独立自尊」の精神を持って自立している事となる。その事が自信・誇りに繋がりひとりで生きていける強さとなる訳である。

 「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)
「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)

何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無い。もっと高いレベルの現実を見るべきである。

2015-08-13 12:27:59 | 世間・空気
 私は、自分を信じて世間を疑っている
 何も、此の世に存在する物事全てを行なう必要は無い。此の世に存在するものは、殆どが人の欲望の対象になるものばかりで、商売・ビジネスもその欲望によって成り立っているものが多い。
 グルメ、酒、レジャー、博打、ファッション、ショッピング、物欲、性欲、等々・・・、それら欲望にまかせて手を出し取り入れても、その時の一瞬の快楽・充足を得るだけで、また直ぐに心や頭は渇いてしまう。そして、次から次へと際限無く欲望に身を任せて手を出し続けるのである。
 要するに、欲望の対象となるものは実際は中身が空っぽである為に、何時まで経っても心が満たされないのである。取り入れた一瞬だけ充足感を感じているだけなのである。
 あの栄華を極めたソロモンでさえも、年を重ねた晩年に次の様に言っている。

 旧約聖書・伝道者の書1章2・3節
 「空の空。伝道者は言う。
 空の空。すべては空。
 日の下で、どんなに労苦しても、
 それが人に何の益になろう。」

 「色即是空」と言う言葉も存在する。此の世に存在する物事の殆どが実際は虚無であり、価値・意味が無いものが多いのである。故に、その虚無である事を行なう必要は無いのである。
 しかし、世間の多くの人達の捉え方は逆である事が多い。セックスをはじめとして、それら欲望の対象になる事を行なわなかったり経験が無いと恥ずかしい事と思う人達が多いのである。しかし前述の様に、その世間の多くの人達のその様な捉え方は間違っているのである。
 現実を見るという事は大事な事である。しかしこの点においても、世間の多くの人達は現実を見ずに空想・ファンタジーに浸っているのである。フィクションの恋愛ドラマやアクション小説を見読したり、キャバクラで虚構の恋愛に浸る等して、日々のストレスからの解放感を得たい為もあってか、「現実逃避」しているのである。
 此の世に存在するその様な欲望の対象となるレベルの低い現実に目を向けるのでは無く、国際情勢の悪化で戦争・侵略が危惧される状況下に対する国の安全保障体制の脆弱さの現実や、借金財政・財源不足による医療・介護・年金等の社会保障を削減せざるを得ない現実、大地震等の自然災害が間近に迫っている現実、金の裏付けの無い紙切れの紙幣を印刷し続けて来たが故のハイパーインフレが迫る現実、バブルである米国株価の下落が迫る現実等、そういうもっとレベルの高い現実に目を向けなければならないのである。却ってレベルの低い現実に目を奪われ続ける事によって「平和ボケ」してしまい、危機意識を持てなくなってしまうのである。
 次の本を読んだ。
 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
 著者は本書著作時42歳で、結婚、独り暮らし、海外旅行等をしたことが無いと言う。私も現在46歳(2015年時点)で、著者と同じくA型で未婚で海外旅行や合コンをした事も無く、キャバクラにも行った事が無い。しかし前述のとおり、私は世間の多くの人達と違ってその様な事等に関する経験の無い事を恥ずかしいとは全く思わない。タバコは吸わない、パチンコはしない、食事は粗食、服はめったに買わない。世間の多くの人達が行なっている事をやりたいとも思わず、レジャーやスポーツ観戦も今に至っては興味が無い。私は、そういう低レベルの現実に入らなくとも、全く恥ずかしいとは思わないのである。何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無いのである。
 本当の「大人」という者は、自分で考えて自分で判断する事が出来る、精神的に「自立」して周囲の多くの人と異なる事が出来る者の事を言うのである。

 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)