狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<8-10/14>:エピローグならぬプロローグの追録~いじめ・不登校・引きこもりの公表は続く/Continuing Coming-out about Bullying

2019-01-29 17:05:31 | エッセイ・コラム
 ※ 当「My Testimony/僕の証」シリーズの内、特に<8-1/14~14/14>の記事に於いては、他の文献から多く記事を引用しておりますが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。
 ※ また本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証
   エピローグならぬプロローグの「追録」
    ~いじめ・不登校・引きこもりのカミングアウトは続く 
      Continuing Coming-out about Bullying


 (「My Testimony/僕の証<8-9/14>」からの続き)……
 マルチタレントであられる坂上忍氏。坂上氏は、あの約30年もの間、平日の昼に放送が続けられた、タモリ氏が司会のフジテレビ系「笑っていいとも!」の後継という、フジテレビと世間一般に対しての、また、その前番組の「反日」イメージの払拭という重責を担う番組「バイキング」の司会を担当されておられる。坂上忍氏は、僕と年齢がほぼ同じ(2つ上)であるだけでは無く、「毒舌」、「潔癖症」であられる事から、どうも、今まで僕に引っ掛けて気を引く様な、番組スタッフ等による「陰謀」を、僕は感じていた(気付いていた)。ただの勘違いだろうか……?。
  坂上忍氏
   「物心ついた時からこの仕事しちゃってたんで、中学のある時期、猛烈ないじめの対象になっちゃって『学校行ってどうされちゃうんだろう今日』っていうような日が結構続いた」
   「ぎりぎりアニキとか友達のおかげで助かったタイプなんですね。でも、その時に何考えてたかって言ったら、こういうことテレビで言うのはよくないと思ってるんだけど、やっぱり『死にたい』って思ってた。でも、そっちのほうが怖かったからできなかったし、話し相手になってくれる人もいたので」
   「(いじめによる自殺防止について、)大人がもっとちゃんとしなきゃいけない」

 参考文献
  ・2018/11/08付・東京スポーツ:「坂上忍 壮絶ないじめ体験を告白 『死にたいと思っていた』」

 「保守派の論客」でもあられる美容外科・高須クリニック院長の高須克弥氏が、本年(2018年)7月に著書「大炎上」(扶桑社、2018/07/01)を上梓された。その著書の中では、自身の幼少期に受けられた壮絶なイジメをはじめとした自身の半生について、赤裸々に書かれておられる。
 また先日、(2018年)11月頭に、韓国の音楽グループ「防弾少年団(BTS)」が「原爆Tシャツ問題」だけでは無く、2014年に韓国のファッション誌に掲載され、当時、韓国の大手紙も批判的に言及し、その後、ネット上に出回っている旧ナチス・ドイツのシンボルを想起させる帽子を被ったメンバーの写真を、ユダヤ人権団体のサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)に対し送り付けると共に、立て続けにリプライを送っておられたとの事である。

 高須氏からTwitterのSWC公式アカウント宛に写真を送りつけると共に、英語で、
  「What do you think this?(これをどう思いますか?)」というメッセージが併記され、リプライの回数は9度に及ぶと言う。

 また日本語でも、高須氏からSWCへのTwitter、
  11月5日
   「サイモンヴィーゼンタルセンターさんは何故沈黙してるんでしょうか?」
  11月6日
   「サイモンヴィーゼンタルセンターさんもイスラエル大使館も日本政府も沈黙しておられます。何故ですか? 遺憾砲は今こそ有効ですよ」
  11月10日
   「何故大騒ぎしないんですか? サイモンヴィーゼンタルセンターさん。なう」
 (参考:2018/11/11付・J-CASTニュース:「高須克弥氏、ユダヤ人団体に怒涛リプ BTS写真貼り付け『何故大騒ぎしないんですか?』」

 その後、世界に張り巡らした「ユダヤの網」によって世界各国の言論界を常に監視し、「言論弾圧」を行って来たSWCが、その監視網が存在しているにも関わらず、「何故か」、その高須氏の「突き上げ」によって、ようやく、「重い腰」を上げる事となった。誠に、果たして、何故、SWCはその様な写真の存在を通報や密告、垂れ込み等をされなくとも知っていたはずなのに、動かなかったのであろうか?。相手が韓国であるからであろうか?。さて、何故だろうか?。僕はこの事について、今後、また別の記事で書くつもりである。

 僕は昨年11月から本年5月までの約半年間、隠遁生活(引きこもり)を行っていたが、そのはじめの頃に、次の本ブログ記事を投稿した。
 以下、2017年12月1日付・本ブログ記事、「アウシュウィッツの『ガス室』とユダヤ人『ホロコースト』は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画『DENIAL』(「否定と肯定」)12/8公開」より、

  『先日、美容外科・高須クリニックの高須克弥院長が、所属する米国美容外科学会(AACS)を退会された。高須氏は2015年に、「報道ステーション」(テレビ朝日)の安保法制反対の報道姿勢に反発し、同番組のスポンサー降板の経験を持っておられる。そしてこれまでに、次の様なツイートをされて来られた。
   「南京もアウシュビッツも捏造だと思う。」(2015年10月19日)
   「我が国の医学は大東亜戦争に負けるまではドイツ医学だった。ナチス政権下のドイツ医学の発展は目覚ましいものだった。」(同3日)
   「全てを疑い真実を追及するのが科学です。」(2017年8月30日)……
 そして前述のSWCがAACSに抗議して圧力を掛けて高須氏を追放する様に働き掛けて来たとの事だが、AACSから高須氏には連絡が無く、その事を知った高須氏は11月9日に次の様にツイートし、自分から退会された事を示された。
   「SWCの目的は僕の首を取って見せしめにするつもりだったのは明らかです。気分が悪いので『AACSに退会する』とメールを送り、記録に残しました。国際連盟から名誉の脱退をした大日本帝国の松岡洋右の気分なう。」
   「(SWCは)自由民主の敵です。僕が神話を壊します。見ていてください。」
  上記の高須氏の発言は、おっしゃっている通りで正しい。しかし高須氏は日本フリーメーソンの会員である。それ故、私は高須氏に対しては今ひとつ半信半疑である。イルミナティ・フリーメーソンはカルトであり悪である。それ故、わざと国内に分断が生じて混乱が起きる様に煽っている事も考えられる。しかし、前述の浜田(和幸)氏と同じ様に世界権力の後ろ盾を得ているが故に、公に対して大胆な発言が出来ているのかもしれない。また、ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの中で内部対立が有るのかもしれない。前述の宇野(正美)氏はかつて、自身がユダヤ問題を取り扱って来たにも関わらずイスラエル対外諜報機関モサド等から襲われる事が無かった原因を、「聖書を読んでいるから」と、デーブ・スペクター氏らに語ったと言う。つまり、創造主を崇めて信じ、神の御言葉が書かれている聖書を読んで勉強して身に付け心に留める事で、ユダヤ教徒が嫌っているイエス・キリストが盾になって敵(タルム―ディック・ユダヤ)は攻撃する事が出来ず、また神に守られると言う事である。宇野氏は元KGB(ソ連国家保安委員会)諜報員との繋がりも持たれているが、イスラエルのネタニヤフ首相からも電話を受けたと述べられる。かつては大手出版社から著書を上梓されていたが、その後はそれが出来ない為に自身の出版社からのみとなっている。その著作はインテリジェンスも兼ねているのだが、海外で翻訳されて読まれている事を前提としているとの事である。注目・監視されている自らの状況を、逆利用しているのであろう。』
 (以上、2017年12月1日付・本ブログ記事、「アウシュウィッツの『ガス室』とユダヤ人『ホロコースト』は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画『DENIAL』(「否定と肯定」)12/8公開」より)

 僕自身も宇野正美氏と同様に「逆手に取って」、インテリジェンスを行っていると自負する。但し、それが僕の才能や能力によって行なっているのでは無く、飽くまでも、「神様の恵み」によって行われているという事を、大事な事なので付け加えておく。
 さて、日本の「保守派の論客」でもあられる高須克弥氏は、僕としては残念な事に、「フリーメーソン」の会員でいらっしゃる。因みに、本ブログ「僕の証」シリーズの『My Testimony/僕の証<8-2/*>:エピローグならぬプロローグの「追録」~ いじめを演出し加担してブームを作るマスコミとそれに煽動される世間の姿と重なる2,000年前のイエス・キリスト虐殺』に前掲した様に、僕も2016年大統領選挙中に、ヒラリー・クリントン氏の陣営の選挙対策委員長ポデスタ氏から、「魚」というメタファー(隠喩)を用いて「お前こそイルミナティだ!」と……?!。
 しかし僕は、勿論、イルミナティでは無く、フリーメーソンの会員でも無く、更に、僕の母から言われた事があり、あのイルミナティの鳩山由紀夫・元首相にも言われていた「宇宙人」でも無い。僕は唯の人間であり、創造主であるイエス・キリストを信じるクリスチャンである。イルミナティやフリーメーソンのカルト組織は、「傲慢な無神論者」達の集いであり、反対にキリスト者(クリスチャン)は唯一絶対の神様に対し「謙遜」である。
 ひょっとすると、僕がその昨年末の記事に於いて、「高須氏は日本フリーメーソンの会員である。それ故、私は高須氏に対しては今ひとつ半信半疑である」と述べた事から、高須氏は僕の誤解を解こうと、僕に理解してもらおうとして、マスコミやそれに煽られ空気に流され支配されやすい世間の人達からいじめを受ける僕に共感を示す様にして、その著書を上梓されたのかなぁ、と思った。さて、どぅだろうか……?。
 
 以下、2018年8月30日付・日刊SPA!~日刊SPA!PLUS、「『ダウンタウンDX』に高須院長降臨! 破天荒で波瀾万丈な人生を語る!」より(原典:高須克弥氏著「大炎上」~「はじめに」)、
  『最近は、学校でも家庭でも、「失敗するな」「迷惑をかけるな」と言われ過ぎて、いい子ほど、人に迷惑をかけたり失敗することを極端に怖がるように思えます。
  もちろん、人様に迷惑をかけてはいけないし、失敗もしない方がいいに決まっています。けれども、生きていれば失敗をしないなんてことはあり得ないし、人は知らず知らずのうちに他人に迷惑をかけながら生きているのです。
  人生で大事なのは、「失敗しない」「迷惑をかけない」ことよりも、「チャレンジする」ことです。失敗や迷惑をかけることを恐れていては、「チャレンジする喜び」を知る機会なんて一生訪れません。これは教育の間違いだと僕は思います。
  でも、教育されなくったって、「チャレンジする喜び」を味わうチャンスはそこら中に転がっているんですよ。……』
 (以上、2018年8月30日付・日刊SPA!~日刊SPA!PLUS、「『ダウンタウンDX』に高須院長降臨! 破天荒で波瀾万丈な人生を語る!」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2017/12/01付:「アウシュウィッツの『ガス室』とユダヤ人『ホロコースト』は無かった・・・言論弾圧を行うタルムード・ユダヤが嫌うイエス・キリストと聖書を盾にした大胆さ、映画『DENIAL』(「否定と肯定」)12/8公開」

 参考文献
  ・2018/08/30付・日刊SPA!~日刊SPA!PLUS:「『ダウンタウンDX』に高須院長降臨! 破天荒で波瀾万丈な人生を語る!」
  ・2018/11/11付・J-CASTニュース:「高須克弥氏、ユダヤ人団体に怒涛リプ BTS写真貼り付け『何故大騒ぎしないんですか?』」

 



YouTube: 【櫻LIVE】第284回 - 高須克弥/高須クリニック院長 × 櫻井よしこ(プレビュー版)
2018/03/30公開
大炎上
「大炎上」
(著者:高須克弥氏、
出版社:扶桑社、
出版日:2018/07/01)


 「リアリスト」であり、恐らく同様に保守系であられ、映画監督・アニメーション演出家・小説家・脚本家・漫画原作者・劇作家・ゲームクリエイター・東京大学大学院特任教授・東京経済大学客員教授等であられる押井守氏。多才・鬼才の押井氏も「O型」であられる。
 著書「友だちはいらない。」(東京ニュース通信社、2015/05/10)を読ませて頂いたが、その第二章では「子ども時代はいじめられっこ」であった事に関して述べておられる。

 以下、2016年5月8日付・本ブログ記事、「自立せず『自助』の努力を怠り安易に『共助』に依存するのは本末転倒である・・『友だちはいらない。』を読む」より、
  『ズバリ、このタイトルに共感し読んだ。』
  『友達を安易に作るよりも、先ず自分で勉強し、自分で考え、自分で判断し、自分で行動するという、「自立意識」を持つ事が大事である。最初から安易に他人に頼らずに、自分で努力する事が大事である。精一杯に自分独りで努力した後に、不足する部分を他人に補ってもらう順番が大事である。「自助」を怠り「共助」を求めるのは本末転倒であり、それは単なる甘えである。以上の様に、無欲恬淡に孤往独邁していく覚悟の私は思うのである。
  私は「自分の価値観」として、友達も恋人もいらないと、今に至っては正直その様に思っている。また、群れる事が元来から嫌いである。
  友達も恋人もいない孤独である事をおかしいと思うのであれば、勝手に笑っておけと思っている。笑われたからと言ってその様な低俗な事を気にする訳が無い。また、笑われたからと言って、それによって私が笑った相手に媚びへつらい迎合して友達や恋人を作ろう等とは全く考えない。つまり、笑われたところで、私は今後も変わる事は絶対に無い。自分に自信が有れば、人の反応や評価、顔色、中傷、雑音等に影響されず、振り回されず、逆にそれらに対しては、却って見下す事が出来るぐらいである。
  確乎不動たる自尊心、誇り、自信があれば、自分がおかしいのでは無く、却って著書も言っている通り「世間がおかしい」と思える様になるのである。』
 (以上、2016年5月8日付・本ブログ記事、「自立せず『自助』の努力を怠り安易に『共助』に依存するのは本末転倒である・・『友だちはいらない。』を読む」より)

 以下、2016年5月8日付・本ブログ記事、「ロジック無き会話不要と論理思考により気付く時事問題の繋がり:『コミュニケーションは、要らない』を読む」より、
  『ロジックの無い、論理的に言葉を連ねた文章や話では無い、その様な「コミュニケーションはいらない」。』
  『テレビのバラエティ番組に象徴される様に、その時・その場の空気・雰囲気に合わせた、一瞬の笑いや一瞬の感情ばかりである。一目ぼれする事と同様に、パッと見た瞬間に、感じた事を直ぐに口に出す。その事で、特に中傷や悪口の場合、安易に相手の人を傷つける。思考回路を通さずに、直観で、口に出している訳で、そこにおいては熟考する事が存在していないのである。よく考えた末の発言であれば、安易に人を傷つける事も少ない様に思うのである。
  その様な言葉には裏付け・証明となるものが存在しない為に、発言した者が責任を取る事が出来ないのである。無責任に発言し、弁証出来ず、言い逃れ、或いは撤回するしか方法が無いのである。論理と根拠を持っていれば、弁論によって証明し弁明出来るはずであるが、表面だけである為にそれが出来ないのである。いい加減である。
  論理的に考える事が出来ない、精神的に未熟な状態に在る為に、理性・心で制約を掛ける事が出来ず、自由の行き過ぎ・履き違えをして、恣意的に行動し発言する者が多い。
  心に土台を築く事が大事である。その礎を基準にして考え、判断する。その基盤を築く為には、相対的では無く絶対的で確固たる規範が必要であるが、それに準ずるものとしては、日本の長い歴史で培って来た伝統・文化である。
  最も奥深くに根本原因が在り、それを根拠としての経過・過程が在る。結果・過程の途中には、細工、工作、曲学阿世等も加わる。そして多くの枝葉に分かれる。その後の表面に現れるのが結果やイメージである。それらの一連を、順序立て筋道を立てたものがロジックである。その論理こそが証明・裏付けとなり、責任ある発言となるのである。
  よく考える為には「沈黙」が必要である。周囲の空気・雰囲気に流されず、喧騒から離れた静寂の中、黙想する。そして、マスコミや世間の放つ目先の出来事や情報に右往左往したり一喜一憂せず、それらを疑問視し、自分でじっくり考えてから判断する事が大事である。私は安易に信じず受け入れないが故に、ポーカーフェイスであり、そう簡単には笑わないのである。
  結局は、世間一般的多数派の人たちは、マスコミや周囲の人たちに感情を操作されてもいるのである。考えずに直観でものを言ったり判断し、考えないから洗脳されやすく騙されやすいのである。
  日本人の国民性として、性善説の傾向が有る。人間は皆いい人であるというものである。つまり、人を疑う事無く、安易に信じて受け入れる傾向がある。それは、現日本国憲法の前文に在る、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、つまり諸外国が皆いい国だと信頼して、平和ボケしている事にも現されている。
  しかし、日本人が平和や愛、道徳律の事ばかりが書かれていると勘違いして恰も可愛い本だと思い込んでいる「聖書」は、逆に「性悪説」を述べており、人間は皆悪だと言っているのである。そして、その現日本国憲法を押し付けたアメリカ・GHQは、その聖書の知識を持っていたのである。
  自分の欲望を基準にした希望的観測や、思い込み、勘違い、先入観、洗脳によって頭が覆われると、論理的に考える事が出来ない。表面に現されている事象、物事、出来事、情報、人間を、順番に筋道立てて奥深く探って行き、最も奥に在る根本・原因を見て検討する事が必要である。その事が、真の理解に繋がる。
  歴史はロジックを構成する。歴史を検証する事は、現在の諸問題を解決する手立てとなる。表面の現諸問題を、過去を振り返って歴史という過程を検証していき、それらの原因・根拠を見つけ検討する。日本の戦後歴史教育には捏造・虚構・抹消が在るが、それらを奥深く検証して修正・訂正する事で、今後の日本の未来が開けていくのである。要するに、表面しか見る事が無ければ、未来は無い、つまり属国、グローバル政府の一部となる等して、国は滅ぶのである。
  マスコミなどが流行らせるブームは直ぐに消えて無くなるが、思想書、哲学書等の「古典」は、長い時間を経て現在まで残っている。その中でも「聖書」は世界最大のベストセラーで、今から約3,500年前から約1,900年前まで書き足されながら、現在まで全く書き換えられる事が無かった本である。真実である為に、今後とも永遠に変わる事が無いのである。その古典を基にして、筋道立てて順に論理的に考えて、結論、判断、決断へと繋げるという思考方法が良い。また読書により教養を養い、それをベースにして論理性を持つ。教養とは……』
  『本書はタイトルを「一見すると」、単に会話の事に関してしか書かれていない様に「勘違い」するかもしれない。しかしその「内容」は、そのイメージとは異なって幅広いのである。原発、核兵器、国防、自衛隊、憲法、国家、政治、米国、映画、マスコミ、世間、文化、歴史等と、多岐に渡っているが、見ても解るように、その全ては関連して繋がっているのである。
  論理的に考えて見ていけば、その繋がりに気付くのである。しかし、世間一般的多数派の人たちの様な表面ばかりを見ていると、そのそれぞれがバラバラの様に感じてしまうのである。しかし実際は、中でも特にその一部は地下で、繋がっているのである。
  著者は原発推進派との事である。福田康夫内閣時の石破茂防衛大臣(当時)の発言した事と同じく、日本が原発とその原料、技術を保有する事が、いつでも核兵器を作る事が出来るという可能性を対外的に示す事による核抑止力を持つ事になり、日本は実質、核保有国であると述べる。因みに、現内閣府特命担当大臣(※ 当時)の石破氏はクリスチャンである。また、「自民党きっての外交・安全保障の論客、政策通で知られる」(ウィキペディア「石破茂」より)。世間一般的クリスチャンたちと異なって、幻想に浸らず現実を見ているのである。』
 (以上、2016年5月8日付・本ブログ記事、「ロジック無き会話不要と論理思考により気付く時事問題の繋がり:『コミュニケーションは、要らない』を読む」より)

 以下、2015年6月7日付・神戸新聞、「著者に聞く 押井守さん 『世界の半分を怒らせる』 根本的問題を一から考える」より、
  『……メルマガの連載コラム「時事砲弾」を2年分まとめた新著では、…(中略)…中でも強調したのは、論理的思考より気分や空気の影響力が強い日本の言論空間のゆがみだ。』
  『……空虚な言葉ばかりが踊り、…(中略)…根本的問題を一から順番に考えようとする言説がほとんど目立たない。真実の追求より目先の平穏に価値が置かれている。」』
  『日本の戦後は、本質を直視せず、語るべきことを語らない70年だったとも指摘。…(中略)…日本人は歴史から遊離し、原理原則のない戦後が生まれたと説く。』
  『「そんなご都合主義の『戦後民主主義』も、戦争まみれの超大国がよこした『平和憲法』も相当怪しい。まして理念も政策もそっちのけで人気取りに終始する今の政治は、…(中略)…に手を貸すくらいなら、好き勝手に言っていた方が社会に貢献出来る』
  『「やっぱり最後に頼れるのはフィクションなのかな。『戦争になるぞ!』と言論で警告するより『戦争だ!』と映画で脅かしたい。人をその気にさせるのは純粋に面白いですから」』
 (以上、2015年6月7日付・神戸新聞、「著者に聞く 押井守さん 『世界の半分を怒らせる』 根本的問題を一から考える」より)

 関連・本ブログ記事
  ・2016/05/08付:「自立せず『自助』の努力を怠り安易に『共助』に依存するのは本末転倒である・・『友だちはいらない。』を読む」
  ・2016/05/08付:「ロジック無き会話不要と論理思考により気付く時事問題の繋がり:『コミュニケーションは、要らない』を読む」

 


「友だちはいらない。」
「友だちはいらない。」
 (著者:押井守氏、
出版社:東京ニュース通信社、
出版日:2015/05/10)
「コミュニケーションは、要らない」
「コミュニケーションは、要らない」
(著者:押井守氏、
出版社:幻冬舎、
出版日:2012/03/30)


 音楽バンド「SEKAI NO OWARI」のボーカル、Fukase氏(1985年生)
  「いやぁ、生きてて良かったなあと思いますね。本当に、毎日がやっぱり楽しい。ボロボロだったぶん、今が楽しいですし。
  …(中略)…学校にほとんど行かなくなっちゃって。
  …(中略)…、結局、パニック障害で帰ってきちゃって。
  絶望したときに音楽を始めて、やっとここまで来たなあ、っていうか」 
 (原典:2014.1.26放送・TBS系「情熱大陸」)

 女性歌手・タレントのmisono氏(1984年生)
  『「周りに合わせなきゃ、イジメられるから、嫌われるのが怖いから、自分を出せない」って人が多く皆、同じ格好して、個性がなくなってきている。
  きっとウチも“出る釘はうたれるから”小、中学で、イジメられたのかもしれない。
  でも今では、過去の自分と、ウチをイジメてた人には、感謝してる。
  何故なら、そのイジメという辛い経験のおかげで、イジメられてる子達の気持ちがわかるから』
 (原典:2011/12/18付・misono Official Blog:「ヒーローと悪者と悲劇のヒロインと脇役☆ならウチは2番せんじを選ぶ」

 魚類学者・タレント・イラストレーターのさかなクン氏(1975年生)
  「中学時代のいじめも、…(中略)…
  ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます
  大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません
  外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ
  広い空の下、広い海へ出てみましょう。」
 (原典:2016/07/01付・5ちゃんねる「【論説】いじめられている君へ、広い海へ出てみよう [無断転載禁止]©2ch.net」

 小説家・詩人の中園直樹氏(1974生)
  「……それまでも助けを求めて読み続けていた多数の本に救いも支えも見つからなかったことから、『自分で書こう』と作家を志す。」
 (原典:ウィキペディア「中園直樹」

 他にも、有名人、芸能人、タレントで、いじめを受けた経験をカミング・アウトされた方々が沢山おられる。その文献記事はこちら。

 参考文献
  ・2018/03/16付・TOCANA:「生駒里奈、手島優…“壮絶ないじめ”に遭った過去を明かした芸能人4人!」
  ・2018/11/08更新(随時更新中)・NAVERまとめ:「【芸能】こんなにいた!! イジメられた経験のある有名人」

 それら文献で紹介されている方々の他にも大勢おられる様で、調べると次から次へと出て来ると思うので、キリが無いので次に進む。

 「#不登校は不幸じゃない」と題した、不登校経験者が集まる全国各地でのイベントを企画し発案され、本年(2018年)8月19日、全国100カ所での同時開催を実現させ成功させた、そのイベントの発起人、和歌山市の小幡和輝氏(24)。自身も不登校を経験されたらしい。小幡氏は、現在、地方創生等の事業を展開する会社社長であられるとの事である。有名人や芸能人では無いものの、彼の苗字から推察して、古代ユダヤ人「秦氏」の「血統」に繋がる方であられるのではないだろうか。世間の「価値観」を変える事等、小幡氏からは、古代ユダヤ人の「改革力」が伺える。本年7月には、著書「学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい『正しい不登校のやり方』」(健康ジャーナル社)を上梓されておられる。
  小幡和輝氏
   「「不登校という『選択肢』もあるという主張です」
   「つまり、学校の方が合っている人は学校に行けばいいと思うし、合わない人は無理やり合わせるのではなく、不登校という選択もあるということです」
   「現状が不幸じゃないという意味ではなく、不登校を不幸じゃなくすための活動だと思っていただきたいです」
   「当事者に何かを求めるということは特にないです。求めるとするなら、学校の役割は勉強することと友達作りの場なので、不登校をするなら、それは別の形で補った方がいいよ、ということでしょうか。問題あるのは社会の方なので」
   「色んな意見があるのは当然のことだけど、僕が目指しているのはあくまで『不登校を否定しない空気感』を作ることであり、それを理解してもらえたらいいなと思います」
   「やりたくないことをやらされるのが嫌いだった」
   「それまで僕は不登校を隠していましたが、自分の経験を話し、相手が聴いてくれて、しかも感謝してもらった。隠していた不登校という経験が自分の中でプラスに変わった」
   「主催することで過去を肯定してほしい」
   「不登校自体は悪いものではない。学校以外のコミュニティーを見つけることで新しい世界が広がることもあるかもしれないということを知ってほしい」
   「不登校は楽な道じゃないけど、可能性も広がっている。当事者で悩んでる子たちにも伝えたいし、社会の空気を変えていきたい」
   「学校がつらい子どもを支えるためには、まずは親に『無理に学校に行かなくてもいい』と思ってもらうことが重要」、「そう思えるように、周囲の人がそれを示せるようにしたかったんです」
   「すでに次のアクションを考えている主催者たちもいて、独自に広がっていっているのがうれしい。僕は今後、『不登校になった先どうする』という部分を、企業や団体と協力しながら具体的にすすめたい」
   「不登校を『治す』とか『解決する』のではなく、『社会課題じゃなくする』。そのためにできることを考えていきたいです」

 参考文献
  ・2018/07/21付・withnews:「『不登校を否定しない空気感』作りたい 経験者の集まり、全国で企画」
  ・2018/08/26付・withnews:「『#不登校は不幸じゃない』で変わったこと 大人たちの『これから』」

 学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」
「学校は行かなくてもいい 親子で読みたい『正しい不登校のやり方』」
(著者:小幡和輝氏、出版社:健康ジャーナル社、出版日:2018/07/15)

 

 出典:2018年7月21日付・withnews「『不登校を否定しない空気感』作りたい 経験者の集まり、全国で企画」


 その全国100ヶ所で同時開催されたイベント「#不登校は不幸じゃない」の内、兵庫県の芦屋会場に参加されたバンドグループ「JERRYBEANS」。「JERRYBEANS」は、本年(2018年)、結成20年を迎えられ、滋賀県を拠点とされておられる。そして、メンバーである3人共が、不登校であられたとの事である。

 「双子の兄弟であるボーカル&ギター山崎史朗とドラム山崎雄介、ベースの八田典之からなるバンド。 3人ともが子どもの頃に不登校を経験。ひきこもりだった時期もあった。 そんな経験からなるメッセージを、語りと音楽で伝える講演ライブスタイルで学校を中心に届けている。」(「毎日多数の作品を配信ストアに届けるデジタル音楽流通サービス『TuneCore Japan』~『JERRYBEANS』」より)

 前述の小幡和輝氏と同じく、メンバーの内の一人、ベース担当でリーダーの八田典之氏(36)も「秦氏」の血筋ではないだろうか……。
  八田典之氏
   「長い人生の中で、悩んだ時間はいつか財産に変わる」
   「人には様々な心があることを知って、自分らしく自分のペースで生きてほしい」
   「音楽には本当に救われました。不登校って、自分だけが置いていかれる、将来の就職にも影響するんじゃないかっていう不安があるんですよ。でも、夢中になって楽器を練習する時間ができ、自分には音楽があるんだっていう自信がわいてきました」
   「転機は8、9年前です。バンドとしての方向性が見えなくなっていた時期がありました。そんな時、かすかに動く手で文字を書く難病の書家の友達ができて思ったんです。一見コンプレックスのように思えるものこそ、自分のオリジナルなんじゃないかって」
   「それから少し後に、知り合いの校長先生から、教員の勉強会で3人の体験談をぜひ語ってほしいと頼まれて、じゃあ演奏も取り入れてと、やったのが最初です。メンバー同士も知らなかった過去のつらい経験を、泣きながら明かしました」
   「しんどい時は立ち止まって休めばいいさ 長い人生のほんの一瞬さ」、「これ、オリジナル曲の歌詞の一部にしたのですが、実は、僕が不登校だった頃にある人に言われて楽になった言葉です」
   「不登校って、その時はすごく不安になるんですけど、振り返ってみると悪くなかったなと思うんですよ。好きなことに熱中できる時間がたくさん作れたり、学校以外の居場所でひと足先に社会経験を積めたりもできます」
   「不登校の僕に、ある日、親が嬉しそうに言ってきたことがあります。『不登校の子は感受性が豊かなんやって』と。誰からか聞いてきたのだと思いますけど、僕も今そう思います。感受性が豊かだとその分悩みやすいのかもしれません」
   「でも、それは人と喜びや悲しみを分かち合ううえで必要な感覚でもあります。人は似たような悩みを通じて、心がつながることも多いのではないでしょうか。僕らのバンドがまさにそうであるように、悩みは新しい出会いのチャンスなんだと」
   「そして、好きな人、好きなもの、好きなことと、とことん向き合ってほしい。その中で『自分らしさ』に気づき、次につながるはずです」

 参考文献
  ・2018/05/29付・withnews:「『メンバー全員不登校でした』全国飛び回るバンドの『#withyou』」
  ・2018/08/26付・withnews:「『#不登校は不幸じゃない』で変わったこと 大人たちの『これから』」

 参考サイト
  ・「TuneCore Japan」~「JERRYBEANS」

 



YouTube: JERRYBEANS 果実 MV【歌詞字幕あり】

YouTube: JERRYBEANS 太陽と月と僕らの唄 MV【歌詞字幕あり】


 因みに、次に参考文献として挙げさせてもらっている記事のタイトルの中に含まれる「中の人」。前述の阿波・徳島の「那賀」や「葦原中国」(いのはらの「なか」のくに)とも関係有りそうであるが……。
 本文を読んでも、「中の人」の意味が解らない。
 たぶん、「『悩みがあるけど身近な人には相談しづらい』『行政のホームページにも相談先一覧が載っているけど、いまいちどんな人が相談に乗ってくれるのかわからない』――。そんな…(中略)…悩みを持つ人の相談に乗る活動をネット上でしている団体」の事を、著者は言っておられる様である。「中の人」とは、悩める方々にとっての救助者達の事であろうか?。
 「中の人」……、一方で、世間の中で「多数派」を構成している人達が、自らの「価値観」を「中心」として考えてしまい、「少数派」、「弱者」、「貧困者」、そして「いじめ」の被害者や「不登校」、「引きこもり」の人達の「価値感」を蔑ろにしている事を表しもしないだろうか……?。これが、現状である。

 参考文献
  ・2018/08/13付・withnews:「あなたの悩み聴かせてください SNS相談『中の人』ってどんな人?」

 イラン西部クルディスタン地域で誕生された、イラン人のタレント・女優であられるサヘル・ローズ氏。イラン・イラク戦争(1980年9月22日~1988年8月20日)の最中、1985年にお生まれになられ、1989年、3歳の時に、13人の大家族の中、空爆により家族全員を失い、唯一人生き残られた。
 そして、孤児院で暮らされた後に養母に引き取られ、1993年、8歳の時に養母と共に来日された。その後、ホームレス(野宿)の暮らしを2週間程経験されたり、中学校では壮絶ないじめを経験された。
 サヘル・ローズ氏は、自身の孤児、養母との出会い、移民(難民)、ホームレス、いじめ被害の経験から、『ビッグイシュー日本版』を応援したり、養子縁組問題、児童養護問題、難民問題、いじめ問題等について特に関心を持たれ、積極的な発信、その他、活動をしておられるそうである。2012年からNGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の日本代表である土井香苗氏と一緒に、日本の養護施設をサポートする活動をされておられる。そして、将来は児童養護施設を作りたいとも考えておられる。また、広い視野を持って、その他の社会問題、国際時事問題にも、他人事としてでは無く、当事者意識をお持ちになられて、常に関心を寄せられているそうである。そんなサヘル・ローズ氏は、自身の恋愛よりも、養母の幸せを願われておられる。
 インタビュー記事を読んでみると、サヘル・ローズ氏は、とても意識が高い様に感じる。そして、広く物事を理解しておられる様にも感じる。サヘル・ローズ氏は、日本の安泰としてあぐらをかいて「平和ボケ」している世間一般の人々とは異なり、自身の今まで経験されてこられた「痛み」や「苦しみ」、「悩み」から、逆に「感謝」、「喜び」、「幸せ」を感じる敷居が低く、その様な経験からの感受性の高さに結び付き、広く世界に向けて張ったアンテナを持って、自身の出身地、中東地域をはじめとした世界中の問題に「高い共感」を持って、隣人として接しておられる様にお見受けされる。
 僕も、いじめや差別等の経験を持ち、そして世界の中心である中東、聖書の地である中東に、常に関心を持つ。そして僕は、マスコミには騙されず、聖書に書かれてある通りに、サヘル・ローズ氏の出身地イラン(旧約聖書に書かれている当時はペルシヤ)が寛容の国である事を知り(旧約聖書・エズラ記1章1~11節、同2章1(~2)節、同6章1~16節)、また堕落した西側欧米と異なり旧約聖書とクルアーン(コーラン)を確固たる規範とした保守的民主主義である事を知っているので、僕は「親イラン」であり、そのイランと敵対しているアメリカについては、僕は「反米」である。
 そして因みに、サヘル・ローズ氏も、血液型は「O型」であられる。

  サヘル・ローズ氏
   「母と私は生活に困り、日本で生活をしていた知人を頼って来日しました。1993年で私は8歳でした。最初に思ったのは『「おしん」がいない……』」。
   「小学校6年生の時に埼玉から東京に引っ越したのですが、その頃から周りと馴染めなくなってしまい、いじめが始まり…(中略)…振り返ってみて、あの頃が今までで一番苦しい時期だったけど、あの時期があったからこそ今の自分があると思うので良い経験だったと思ってます。」
   「ある時耐えられずに、もう疲れたと母に告げたら、母も疲れたと泣き始めたんです。母も常に我慢して、頑張って私のために安心できる母を演じていたんですね。母とハグをしたら、すごく歳をとって痩せ細っていたことに改めて気づきました。それまで全てを捨てて私のために生きてきた母に、私はまだ何も恩返し出来ていないのに死にたいだなんて、自分の身勝手さに情けなくなりました。その時、母を幸せにすることが私が生かされている理由の一つなんだと思って、やっぱり生きないといけないと思ったんです。誰かのために生きたいって思ったのはそれが初めてでした。」
   「でも、誰かのために生きたいって思った瞬間から、大変じゃなくなるんです。誰かを幸せにするという目標が出来るだけで生き方は変わります。私は母のために生きようと思ったし、私のことをいじめた人達や世の中に対して「見てなさい」って見返したい思いがあった。そして施設の子供達のためにも、いつか私が見本になれるような存在になりたいと思いました。親がいなくても、出生届が出されてなくても、世の中に認められていなかったとしても、自分で道を切り拓くことが出来るから。でも中学時代は本当に地獄の様な毎日だったので、卒業式ではみんなが泣いている中、私ひとり『やっと終わった!ここから解放される!』と喜びましたけどね(笑)。」
   「高校は都立の園芸高校に進学しました。学校で育てた野菜を家に持ち帰ることが出来たので、母の血色が良くなりました(笑)。いい先生もたくさんいて、本当に信じられる仲間を持つことの大切さを教えてくれましたね。自分を周りに合わせる必要はないし、本当の自分を周りにさらけ出せば自然と同士が集まるから、ありのままの自分でいなさいと言ってくれました。この高校が私を変えてくれたんです。」
   「施設での生活やいじめられたことも含め、それまでの自分の中で悔しいと思ったこと全てが私の原動力になっています。私は小さい時から人の縁に恵まれていて、自分の人生のターニングポイントには、必ず誰かがいて、私を助けて導いてくれました。ここまで来れたのは誰かが次の誰かに繋げてくれたからです。」
   「家族を失ったり、死をも考える程のいじめにあったけども、それが今こうして生きている私の役割だと思うんです。直接的な言葉で伝えるのはすごく難しいけど、私が育ってきた環境や辛かった経験全てをプラスに変えて活かしたいと思いました。」

 中学の卒業式を終えられた当時のサヘル・ローズ氏は、その後に入学された高校ではいじめは無く、「個性」を伸ばしてくれる先生との出会いに恵まれたそうである。そして、中学卒業と同時に、中学時代に使った品は全て捨てられたそうである。僕も高校中退後、表彰状や写真、その他のものを捨てた。また直近の何年か前にも、今からほぼ10年前に卒業した医療系専門学校在籍時に得た資格や教科書、資料を捨てたし、その学校卒業時には既に、卒業アルバムを捨てていた。
 聖書には、次の聖句が在る。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書10章14節
  もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。

 The New Testament・The Gospel of Matthew 10:14
  Whoever doesn’t receive you or hear your words, as you go out of that house or that city, shake the dust off your feet.

 ※ 新約聖書・マルコの福音書6章11節、同・ルカの福音書9章5節、同書10章10~11節、同・使徒の働き13章50~51節も同様


 「足のちりを払い落としなさい」……。僕はこの聖句の意味を、もうひとつ理解出来なかった。いじめやハラスメント、差別をはじめとした迫害を行う相手、組織を汚いものとして捉え、そこで付着してしまった汚らわしいものの数々、俗塵を払い落として綺麗になれ、とでも言っているのかなぁ、とも思っていた。実際、僕がサヘル・ローズ氏と同様にして捨てる上で、その様に感じていた。
 そこで、聖書について造詣が深いであろう方々の解釈を引用させて頂く。
 北海道砂川市にある空知太栄光キリスト教会の牧師、銘形秀則氏によると、「フランシスコ会、および波訳の註」から、「関係の決定的断絶、つまり無関係であることを示す象徴的行為」を引かれる。(2011/12/15付、牧師の書斎「『ルカの福音書』を味わう 35.自分の名が天に書き記されていることを喜ぶとは」より)
 また、同志社大学教授の木原活信氏によると、「イエスが弟子たちに語った奇妙な言葉、…(中略)…『足の塵を払い落とす』というのは、自らそのことに対してくよくよと思いめぐらすことから解放され、堂々と次のミッションのために、塵と汚れをとって過去とそれと決別し、フレッシュな気持ちでいくための『儀式』のようなことなのかな。それゆえにこそ、新たなミッションへと、立ち向かえるのであろう。」。(2017/01/08付、木原活信 公式ブログ “雑想”「足の塵を払い落として」より)

 続いて、僕を含めた、いじめやハラスメント、バッシング、差別、その他の迫害を受けられている方々へのメッセージ
  サヘル・ローズ氏
   「今しんどい君に伝えたいのは、全然強くなる必要もなければ、すぐにはい上がる必要もない。疲れたら立ち止まっていいよ、っていうことです。立ち止まっている時ほど、インプットする機会。吸収して厚みのある人になってほしい。私は弱いですって言える大人になってほしい。自分の弱さも闇も、抱えたままでいいよ。
   学校が全てではないです。本当の友達は、30代や40代で会うかもしれない。社会に出てから会う人たちが、自分の教科書のような存在になってくれることもある。
   自分がしたいことがわからない時は、いっぱい寄り道してごらん。無駄な時間ほど財産になる。だから焦らなくていい。年齢なんて関係なく、自分の好奇心を探ってほしい。」
   「生きる意味もわからない子がいたら、ふと思ってほしい。今、地球の裏側で、あなたと同年代の子たちがもっともっと過酷な状況で、生きたくても生きられず、苦しんでいることを。
   たしかにつらいかもしれないけど、日本という安全な国で勉強ができて、親がいて食べられるものがあって着られる服があって。この恵まれた環境にいることを考えてみてほしい。生きているだけで意味があると思えるから。」

 更に、世間、社会、マスメディア、そして僕への提言
  サヘル・ローズ氏
   「いつも母から言われていることなんです。『物事って、ただ聞かされたことを聞くんじゃなくて、自分で調べて、自分で見る。そして自分でいろんな情報をいろんな角度から見るようにしなさい』って。知らないのは恥ずかしいことではない、知ろうとしないことが一番恥ずかしいことなんです。」
   「何事に対してもクエスチョンマークを付けていくことは本当に大切だと思います。常に疑問を持つ気持ちを持って生きなさい、というのが母の教えです。」
   「これも母からの言葉なのですが、『何事も、やるからには頂点を目指しなさい』と言われたことがあります。きっと頂点って1つではない。いろんな角度から見たら、いろんな頂点はあると思うけど、自分の中の目標として頂点を目指さなければ何事も達成できない。他人にどうこう言われても、私自身にも自分の目標があります。」
   「イタリアからイランの雑誌『Giovane(若者)』を取り寄せて読んでいます。あと『Big Issue(ビッグイシュー)』を読んでいます。みんなが読む一般的な週刊誌ではなく、特徴のある雑誌を読むのが好きなんです。自分が興味持っているテーマの記事だけじゃなくて、『なんだろうな?』って、入り口だけでものぞいてみる。宇宙についての記事、自然環境問題を扱った記事など、自分の生活からは遠いような記事もいろいろ見ているんです。
   雑誌や新聞を読んで、疑問に感じたことがあれば、いろいろなサイトも見る。何かにとらわれるようなことはしたくない。……(「My Testimony/僕の証<8-11/14>」へ続く)

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