狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<8-13/14>:エピローグならぬプロローグの追録~「失敗」の過程に於ける「世上毀誉軽似塵」と“I think success is to make mistake”

2019-01-30 06:02:17 | エッセイ・コラム
 ※ 当「My Testimony/僕の証」シリーズの内、特に<8-1/14~14/14>の記事に於いては、他の文献から多く記事を引用しておりますが、当方はこの記事をはじめ、その他、本ブログ全記事に於いて、一切、収入を得ておりません。
 ※ また本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証
   エピローグならぬプロローグの「追録」
    ~「失敗」の過程に於ける「世上毀誉軽似塵」
      &“ I think success is to make mistake.”
       …失敗のステップを積み重ねる事が成功への道を創る


 (「My Testimony/僕の証<8-12/14>」からの続き)……

 
 



 新約聖書・マルコの福音書6章41~44節
  するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
  人々はみな、食べて満腹した。
  そして、パン切れを十二のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた。
  パンを食べたのは、男が五千人であった。

 The New Testament・The Gospel of Mark 6:41~44
  He took the five loaves and the two fish, and looking up to heaven, he blessed and broke the loaves, and he gave to his disciples to set before them, and he divided the two fish among them all.
  They all ate, and were filled.
  They took up twelve baskets full of broken pieces and also of the fish.
  Those who ate the loaves were five thousand men.


 旅行や釣りが趣味であられる作家の夢枕獏氏は、「僕にとっての人生の杖は、ペンと釣り竿かもしれない」とおっしゃられる。そのタイトルで、サンテレビ(テレビ神奈川)で放送されている「おとな釣り倶楽部」のWebサイトに、「SPECIAL TALK vol.1」として寄稿されておられる。

 「シマノがシニア世代に向け、『釣りは永遠の趣味であり、永遠のロマン』のメッセージとともに立ち上げ」、「手軽に、ゆったりと、ぜいたくに、をコンセプト」とした「おとな釣り倶楽部」(参考:2017年3月8日付・サンケイスポーツ「シマノ『おとな釣り倶楽部』新メンバーお披露目釣行 先輩サオリン、高級魚アカハタGET!/関西フィッシング」)。 

 因みに、サンテレビでも放送が開始された2017年4月から、WEST方面(関西エリア)を担当された女性メンバーのお二人のプロフィールには、共に「O型」、「モデル」と書かれていた(現在、メンバーは交代されておられる様である)。これは、恰も誰かを意識しての人選、及び宣伝であったのだろうか……。

 



YouTube: おとな釣り倶楽部 TV【兵庫県淡路島 前編】

YouTube: おとな釣り倶楽部 TV【兵庫県たつの市編】


 しかし、その様な「誘惑」にも関わらず、あいにく僕は、2015年3月に知人から誘われて船で小豆島東沖(小豆島北東・福田港沖)に真鯛を釣る事を目的に釣行した事を最後に、それ以来、現在までの約4年間、釣行していない。また、お手軽な地続きの波止釣りに至っては、その前年の2014年5月31日以来の4年半超、釣行していない。尚、この日はウキ釣りを行っていたのであるが、予備で持参していた磯竿も含め磯竿が2本共、竿先が折れてしまうアクシデントに見舞われてしまい、しかもその日は僕の誕生日の翌日という、非常に「意味深」な出来事であった。丁度、現在乗っている中古車を購入したのもその年で、前年(2013年)からの1年間は、一旦自分の車を手放して、車に乗っていなかった。この出来事は、当時、2012年11月から始めてから1年半となっていた本ブログや、読書やネットの検索等の研究・検証へと、「神様によって」僕の意識を方向付けられた様に思うのである。
 ただ、「偶には」釣行するのは気分転換にもなるので、景色の良い、水の綺麗な、「静かな所」での釣行を、今後、再び「偶には」行おうとは思っている。飽くまでも度が過ぎぬ程度に……。飽くまでも、僕の仕事は、「静かなインドア」に存在する。くれぐれも、単なる「暇つぶし」には成らぬ様に。

 2015年7月15日付登録・YouTubeチャンネル、「おとな釣り倶楽部」より、
  「『おとな釣り倶楽部』では生涯の趣味として、“釣り” を中心とした余暇のすごしかたを提案し、人生をより豊かにするお手伝いをしています。日本各地を訪ねアウトドアでより深く自然を感じながら、その土地の歴史や文化と触れ合い、名産品や地方色あふれる食を味わい、釣り人ならではの料理を堪能する――。日々をさらに充実させ、上質な時間を満喫するための ”釣り” の提案と情報を……」

 僕も以前、33歳半までは趣味として「釣り」に凝っていて、その晩年のピーク時には年間50数回もの釣行を重ねた事もある。よって、その当時は平均すると週1回は行っていた事となる。そしてそれは、当時、年末年始とゴールデン・ウィーク、盆休み以外では、普段、日曜日しか休みが無く、しかも納期の無い(納期までの時間が無い)「特急」の仕事をその納期に間に合わせる為に残業の延長や休日出勤を度々行う中での釣行結果である。それらから、当時、僕が如何に、大方、鉄工所での仕事と釣りのみで時間が埋められていたかが解るものであろう。
 その釣りに凝っていた頃の「晩釣」には、「チヌ(黒鯛)釣り」に凝っていて、より大きいサイズを、より数釣りを、新天地で……、等と、その釣りの上での「目標」、「目的」を持って生きていた。当時の僕も、その様に、夢枕獏氏のおっしゃられている事と同様に、釣りが「支え」となる杖となっていた訳である。
 しかし、その33歳半で怪我をする前ぐらいから、少し心の変調の兆しが現れていた。当時、27歳から住んでいた3LDKの新築マンションで独りで暮らしながら、ぼちぼちと空虚感を感じ始めていた。独りで住むには大きすぎる住戸内のスペースがそのことを象徴するが如く、自分の心の空白に気づき始めていたのである。
 そして、その九死に一生を得る経験を転機にして、僕は、その心の空白を、それまで不足していた「人」との繋がりで埋めようと考え、それから、友達や結婚を求める様になった。そして、その2年後(36歳時)に医療系専門学校に入学する際には、多くの人と繋がることを「目的」の内の一つに持っていた。
 しかし、今から10年前(2009年3月)までのその学校への通学によって繋がりを得る事は無く、結婚も、僕に負わされている境遇からして「有り得ない」事を、後に悟る事となった。
 6年前(2012年、43歳時)から、自分の運命を「素直に」受け入れて悟り始め、自分の心の空虚感を埋める事を創造主、イエス・キリストによって埋めていく様に考え始めた。よって、以前の様な、人によって空白を埋める事が間違いであるという事が解っていた事となる。
 世間の殆どの方々も、スケジュール帳にぎっしりと予定を書き込む事によって、寂しさや不安、恐れを無視する事が出来、自分の心の空虚感に気付いていない。しかし、それは心に空白が存在している事を誤魔化しているだけなのである。以前の僕も、その通りであった。仕事の空白を、趣味の釣りで埋める事によって「誤魔化していた」訳である。また、その様な仕事や趣味の「忙しさ」に流されて「心が亡くなっていた」訳である。世間的な欲望に裏打ちされている物事で心の空白を埋めようとする事は、「心の死」となる事を、「多忙」の「忙」の字に表されているのではないだろうか。
 しかし、その6年前からは、その様では無くなって来た。「釣り」を趣味にする等で、元来、基本的に「マイペース」で生きて来たものの、前述した様に、現在ではハッキリと、寂しさを伴わない孤独であり、「アローン」な「マーヴァリック」である事を断言出来る。その僕の「寂しさを伴わない孤独」、「アローン」、「マーヴァリック」であるエビデンスは、主であるイエス・キリストへの「信仰」である。そして、過去の「仕事の実績」や「チヌ釣りの釣果」等といった「プライド」では無く、現在に於いては、イエス・キリストへの「信仰」を根拠にした、キリスト者(クリスチャン)としての「誇り」と「セルフ・リスペクト」(自尊心)を持つ。だから、以前の僕の「自信」と現在に於ける僕の「自信」との違いも解るであろう。現在に於ける僕の「自信」の根拠も、「信仰」である。

 以下、2017年9月10日付・神戸新聞 子ども新聞 週間まなび→:「手塚塾 講師・夢枕獏さん 『きりひと讃歌』 病に立ち向かった人間のすごさ」より、
  「手塚治虫さんのマンガには、深く考えなければならないような問題をつきつける作品があります。……」
  「体が犬のように変形してしまう病気がある地域に広まり、研究者の桐人(きりひと)は病人の治療に全力を注ぎますが、いつしか自らこの病気にかかってしまいます。偏見や差別に苦しみ、人生の意味を見失いそうになりますが、人々に助けられながら、自分とはなにか、ということに目ざめていきます。」
  「……手塚さんはハッピーエンドにしません。読者が…(中略)…桐人と同行して、心がきたえられる旅になるでしょう。」
  「桐人は、イエス・キリストのことではないかと思います。最後まで物語から目をそむけず、しっかりと読んで桐人を見つめ続ければ、……」
 (以上、2017年9月10日付・神戸新聞 子ども新聞 週間まなび→:「手塚塾 講師・夢枕獏さん 『きりひと讃歌』 病に立ち向かった人間のすごさ」より)

 




きりひと讃歌 1
「きりひと讃歌 1」
きりひと讃歌 2
「きりひと讃歌 2」
きりひと讃歌 3
「きりひと讃歌 3」
きりひと讃歌 4
「きりひと讃歌 4」

(著者:手塚治虫氏、出版社:手塚プロダクション、小学館、講談社等、出版日:「『ビッグコミック』(小学館)にて1970年4月10日号から1971年12月25日号まで連載、1972年に虫プロ商事からCOMコミックス増刊として全2巻が刊行、その後も各社から何度も再版」(ウィキペディア「きりひと讃歌」より))
 創造主、イエス・キリストへの「信仰」によって、新しい心、新しい人と変えられ、「創造主の似姿」、「キリストの似姿」に変えられていく。

 
 



 新約聖書・ローマ人への手紙8章28~30節
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
  なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
  神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 The Epistle to the Romans 8:28~30
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.
  For whom he foreknew, he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers.
  Whom he predestined, those he also called. Whom he called, those he also justified. Whom he justified, those he also glorified.

 
 



 新約聖書・コロサイ人への手紙3章9~12節
  互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
  新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
   それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Colossians 3:9~12
  Don’t lie to one another, seeing that you have put off the old man with his doings,
  and have put on the new man, who is being renewed in knowledge after the image of his Creator,
  where there can’t be Greek and Jew, circumcision and uncircumcision, barbarian, Scythian, bondservant, or free person; but Christ is all, and in all.
   Put on therefore, as God’s chosen ones, holy and beloved, a heart of compassion, kindness, lowliness, humility, and perseverance;


 参考文献
  ・2015/06/23付・おとな釣り倶楽部:「SPECIAL TALK vol.1 作家・夢枕獏が語る『釣り・歓び・愉しみ』 『僕にとっての人生の杖は、ペンと釣り竿かもしれない』」
  ・2015/07/15付登録・YouTubeチャンネル:「おとな釣り倶楽部」
  ・2017/03/08付・サンケイスポーツ:「シマノ『おとな釣り倶楽部』新メンバーお披露目釣行 先輩サオリン、高級魚アカハタGET!/関西フィッシング」
  ・2017/09/10付・神戸新聞 子ども新聞 週間まなび→:「手塚塾 講師・夢枕獏さん 『きりひと讃歌』 病に立ち向かった人間のすごさ」 
  ・ウィキペディア:「きりひと讃歌」

 関連・本ブログ記事
  ・2013/03/20付:「本年初釣行で初マダイ」

 僕は以前は、前述の様に「釣り」に凝っていた訳であるが、有名人・芸能人、それも女性のタレントで「釣り」を趣味にされておられる方々が、結構いらっしゃる。
 その参考記事はこちら。

  参考文献
   ・2016/08/17付・NEWSポストセブン:「2位菜々緒が釣りガール!『趣味が意外で驚きの芸能人』1位の強面芸人は…」
   ・2017/02/11付・ツリホウ:「連載:現役釣りガールが教える『意外と多い!芸能人釣りガール』」
   ・2017/07/01付・LureNwesR:「釣りが好きな芸能人(女性編)元A○Bの超人気アイドルやハリウッド進出した彼女も実は…」
   ・2018/07/16付・KIRARI:「釣りガールのブログ19選!美人が多いと話題に!」
   ・安い海外旅行のおすすめ:「釣り好き 釣りガール,女性芸能人まとめ」

 その数々の有名人・タレントの「釣りガール」の中に、女優・タレント・モデルの菜々緒氏(1988年生)がおられる。
 思い出されるのは、今から約7年前の2012年2月下旬、僕は或るI鉄工所に入社したのだが、その初日に怪我をしてしまった。そして、約10日後に、腫れて紫色に変色した右手の親指の根本付近が一向に治らない為に「おかしいなぁ」と思い、職場の移動の間隙に在って健康保険が途切れていた中で、自宅近くの或る整形外科にて診てもらった。そしてレントゲンを撮ってもらうと一目瞭然、骨折していたのであった。そしてその5日後、骨折手術の為に3泊4日の入院をした。そして、退院前に請求書を見ると、腰が抜けた。それは、その入院前に受けた検査や診断の料金も含めて、何と、約40万円もの金額が書かれてあったのであった。つまり、「10割負担」である。因みに、その「右手の親指」(右第1中手骨)の骨折手術には、「全身麻酔」が用いられた。他院、或いは他の医師の場合では、「局所麻酔」で済む事もあろうに、と思う。しかし、具体的に、それらの料金がどれほど違って来るのかは、知らない。しかし退院後直ぐに、会社の社会保険に加入する事が出来、高額療養費も請求し、更に任意保険からの見舞金も入ったので、支払い額はましにはなった。
 その後、その年は、僕は8月下旬~10月下旬までの派遣の仕事を挟む以外は、「療養生活」に始まった「隠遁生活」を行った。初めての「聖書通読」や備蓄、「悔い改め」、遺書とも言える「もしもノート」の作成、父の墓建立等を行い、「死への備え」を行っていた訳である。というのも、その年、世界中では、「世の終末」の情報が満ち溢れていたのである。しかし、日本の「平和ボケ」して「マスコミ」からの情報のみを「鵜呑み」にしていた多くの方々は、その様な「世の終末」についての情報を知らされていなかったのである。僕はその情報を得ていた為もあって、その年、その「療養生活」をきっかけとして、それら色々な事を行った訳である。そしてこの年に明けた直後から、偶然にも、国際時事問題や社会問題、政治等に目覚めたのであった。
 その休暇中の確か6月頃ではないかと思われるのであるが、現在、女優として活躍されておられる菜々緒氏が、こう言われた事を思い出す。

  「声がへたな人、大歓迎!」

 当時、その退院直後という事もあり、僕は世間から「期待」も込められて、「注目」を浴びていた。その様な中でのその発言。僕は当時、既に僕自身へのものである事を気付いていた。僕は2003年の時の怪我による入院手術以来、声が「嗄声」となっている。但し手術の後遺症によるもので、病気では無い。そして、菜々緒氏がその後に連続ドラマ初出演で初主演となるフジテレビ系のドラマ「主に泣いてます」(2012年7月7日~9月8日まで放送)が始まる事を知った。そのタイトル通り、またドラマの中での絵画モデルとしての修道女?の様な姿(?)から、キリスト教に少し引っ掛けている様にも見えた。よって、僕がクリスチャンである事からも察しが付く。しかし、僕は当ドラマは視聴しておらず、また、その証拠となる文献記事が現在探しても見つからない事もあって、これ以上の詳細は解らない。因みに、菜々緒氏も「O型」であられる。
 菜々緒氏も釣りを趣味にされておられる様であるが、丁度その年に投稿されたブログ記事は次である。

  ・2012/05/17付・菜々緒オフィシャルブログ:「先駆け」

 菜々緒氏はバス釣り、ルアー釣りが得意であられる様であるが、僕は釣りが好きとはいうものの、バス釣りはした事が無く(子供の頃に何回かのみ)、ルアー釣りも苦手である。僕は、景色の良い所で、しかも誰もいない静かな所で、独りポツンと、黙って、ウキを浮かべながら、「ボーッ」と、釣りをするのが好きである。しかし、その方が、却って、チヌやメバル等の警戒心が強かったり「擦れている」魚が釣れるのである。この事も、世間の「逆効果」の一つに挙げられるのではないだろうか。僕は、家族連れで賑わう釣り場は、大変苦手である。却って、「ストレス」が溜まってしまう、「逆効果」である。折角の休日、ストレスを溜めては意味が無い。僕は、老練なチヌと同様、「擦れている」ので、世間からははみ出し、ズレている。

 本年(2018年)12月21日
  菜々緒氏(大阪市内、映画「シュガー・ラッシュ:オンライン」公開初日の舞台あいさつにて)
   「悪役じゃない役に挑戦してみたい。飽きられると私も困っちゃうので」(2018年12月21日付・スポーツニッポン「菜々緒 来年は悪役以外に挑戦を『飽きられると困っちゃう』 ミニワンピで美脚披露」より)

 僕の「嗄れ声」、「擦れている」に関して、現・京都市立芸術大学理事長・学長で元・大阪大学総長等を務められた哲学者、鷲田清一氏のコラムは次である。この記事は、僕が或るH透析クリニックを“たった”2ヶ月弱で「クビ」になった直後である、その約1週間後に、新聞に掲載されたものである。また鷲田氏が、哲学者として「臨床哲学」と「倫理学」を研究対象にされて来られた事からも、察しがつく。因みに、僕が2009年3月まで通った某O医療系専門学校は阪大系で、ファッションの「モード学園」との姉妹校であるとか聞いた。鷲田氏の著書には、「モードの迷宮」(中央公論社、1989年4月)が在る。

 以下、2013年3月18日付・神戸新聞(夕刊?):「鷲田清一のラジカルラジオ3 哲学的DJの時間 嗄れ声に触れていたい 体の表面の擦れ 聴くものの魂揺さぶる」より、
  「……そんな僕が昨年の暮れによく聴いたのは、ボブ・ディランの《テンペスト》でした。このアルバムは、過去のあやまちへの苦々しい思いから、抵抗や敗北、離別や復讐、難破や埋葬なで、なんともブルーな内容らしいのですが、ボブの意思で英語の歌詞カードはなしということで、よく聴き取れません。
  でも、久しぶりに聴いたボブの声には体が震えました。あの独特の嗄れ声がそれそこ潰れたように、がらがらになっているのです。……」
  「思えば僕はずっと。嗄れ声の歌手に入れ込んできました。……トム・ウェイツ……マリアンヌ・フェイスフル……」
  「声に歴史が刻まれていると言えば凡庸になってしまいますが、苦労した人の掌のように、声に皺がたたみ込まれています。そういう意味では、ビリー・ホリデイやエディット・ピアフなどもよく聴きました。これらの嗄れ声は……」
  「……嗄れ、嗄れた声に惹かれてきたのは、その声がさわってくるからです。触れるというだけではなく、事の滑らかな成り行きを遮るところ、つまりは障りがあるからだとおもいます。
  しかめた眉間のあいだ、握りしめた拳のあいだ、噛みしめた唇のあいだというふうに、体の表面が寄りあわされ、擦れあうところに〈魂〉が生まれると言った哲学者がいましたが、その擦れを人並み以上にやってきたのが苦労人というものだし、そういう擦れが度重なると、顔に深い皺が刻まれ、声は嗄れてくるのでしょう。そしてその擦れは、聴くものの魂を揺さぶります。……」
  「……声が滑って、それを耳にしたはなからどこかへ消えていく…、そんな言葉があふれるこの時代に、僕はむしろ、滑らずにむしろこちらに絡んでくるような、ざらついた言葉に触れていたいと願っています。」
 (以上、2013年3月18日付・神戸新聞(夕刊?):「鷲田清一のラジカルラジオ3 哲学的DJの時間 嗄れ声に触れていたい 体の表面の擦れ 聴くものの魂揺さぶる」より)

 「孤独」である事は「自由」であると同時に、「自己責任」、「公序良俗」を乱さない「責任」を伴う。また、「孤独」に成る事と「自由」を得る「権利」を所有すると同時に、「義務」、「公義」も併せて持つ。
 その「自由」を本当の意味で、また本質的な部分で得ようとするならば、人の顔色・反応をはじめとした「空気」によって支配されやすく、且つ、それによって流されやすい、日本人達で構成されたのこの「世間」・社会に於いては、「嫌われる」事を恐れない事が必要となる。人を傷つける事を述べる事は勿論、間違いであるが、真実を追求していき、そしてやがての嘘を排除した後の真実による占有を目指して、「言論の自由」が保障された上での議論が必要であり、その言論界に於いては、「嫌われる」事を恐れてはならず、間違った知識を持ったりレベルの低い価値観を持った人達からの「承認」を「不要」としなければならない。
 よって、本当の意味での「自由」とは、自らの社会的地位や名誉をも捨てる必要が有る。もしもそれらの「世間的栄光」、「この世的名誉」という本当の意味での「恥」、「神様の価値観」に照らし合わしての「恥辱」、「欲望」に拘るならば、「迎合」「媚び」、「へつらい」、「忖度」をする事となり、それらの「繋がり」によって「拘束」され、「縛られる」事になるのであるから、本当の自由は得る事は出来ない。
 故に、人から認められない事こそ、「嫌われる」事こそが、「自由」であると言う事が出来る。
 また、「ストーカ-」被害に遭ったり、「プライバシー」侵害の被害に遭う等によって、他者からの介入・干渉・侵略を受ける事も、「自由」を得る事が出来なくなってしまう。
 人からの「承認」を得る事や人に「依存」する事を否定し、且つ、唯一の神様の御心に適った行いをする事によって創造主から認められ、主に従い依り頼む事で、本当に「解放」される事であろう。
 前掲の本ブログ・2019年1月6日付記事、『My Testimony/僕の証<8-4/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future』でも聖書から引いた次の聖句は、その事を言っている。

 
 



 旧約聖書・箴言29章25~26節
  人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。

     …蛇の雑音は聞かない。
     …嫌われる事を厭わない。
     …人の承認・評価は不要である。


 尚、この聖句の下に掲げている三点リーダ「…」後の言葉は、僕が説明も兼ねて書き足したものである。この聖句と三点リーダ「…」後の言葉のセットを、僕は次のNHK・Eテレの教養番組「100分 de 名著」の番組が放送されるより前からWindowsアプリの「付箋」(現「Sticky Notes」)に書いて、PCのデスクトップ画面に貼り付けてあった。

 この事について書いてある本として、アルフレッド・アドラーの思想と心理学を解説している「嫌われる勇気」(著者:岸見一郎氏、古賀史健氏、出版社:ダイヤモンド社、出版日:2013/12/13)が有り、また、NHK・Eテレ「100分 de 名著」の2016年2月放送分、「アドラー『人生の意味の心理学』」でも述べられておられた。

 僕が定期購読している神戸新聞の2016年2月17日(水)付のテレビ番組表に於いて、NHK・Eテレの「100分 de 名著」の欄には、次の様な見出しが書いてあった。
  「承認欲求のわな▽嫌われる勇気!」

 また、同日付のテレビ番組の紹介ページには、「100分 de 名著・アドラー」がピックアップされていた。このアドラーについてのシリーズ第3回分を紹介する内容は、次の様に書いてあった。
 以下、2016年2月17日付・神戸新聞朝刊、「教養 100分 de 名著・アドラー(Eテレ 後10・00)」より、((2016年2月3日までに、)NHK~「100分 de 名著」~「プロデューサーAのおもわく」~「名著51 アドラー『人生の意味の心理学』」~「第3回 対人関係を転換する」が原典) 
  『私たちは他者に認められたいという「承認欲求」を常にもっている。しかし、アドラーは「他者から承認を求めることを否定せよ」と説く。他者の期待を満たすために生きてしまったら、本当の自分を捨てて他者の人生を生きることになるからだ。「承認欲求」から解放される要はアドラーが提唱する「課題の分離」。「これは誰の課題か?」という視点で、自分と他者の課題を線引きし、他者の課題に踏みこまない、自分の課題に踏みこませないことを徹底させる。それができたとき、対人関係は驚くほどシンプルになり、無駄な競争から解放され、各人が対等な関係を築けるという。第三回は、複雑な対人関係を解きほぐし、自由を得るための処方箋をアドラーから学ぶ。』
 (以上、2016年2月17日付・神戸新聞朝刊、「教養 100分 de 名著・アドラー(Eテレ 後10・00)」より)
 
 また、アドラーのシリーズ第1回分の要旨は次である。
 以下、(2016年2月3日までに、)NHK~「100分 de 名著」~「プロデューサーAのおもわく」~「名著51 アドラー『人生の意味の心理学』」
『第1回 人生を変える「逆転の発想」』より、
  『アドラーの著作には、私たちの常識へのアンチテーゼにあふれている。私たちにとって客観的な世界などなく、全て色眼鏡を通してしかみることはできないという「認知論」。トラウマや過去の体験に支配されているという原因論は誤りで、人間は、目的を変え過去を意味づけ直すことで人生を変えることができるという「目的論」。変えることが困難だとされる「性格」をもっと柔軟なものと捉え、いつでも選び直せると考える「ライフスタイル論」。アドラーの思想は、いつでも「この瞬間」から人生を変えることができるというポジティブな人間観に貫かれているのだ。第一回は、アドラー心理学の基本概念を学ぶことで、私たちの常識的な見方をひっくり返し、人生や幸福についての考え方をシンプルに転換する。』
 (以上、(2016年2月3日までに、)NHK~「100分 de 名著」~「プロデューサーAのおもわく」~「名著51 アドラー『人生の意味の心理学』」より)

 尚、本「嫌われる勇気」の方は、僕は読んでいない。しかし、この本は、そのNHK「100分 de 名著」でアドラー・シリーズを放送していた2016年2月の時点で、上梓されてから約2年を経て、発行部数が100万部に達したそうである。尚、因みに、NHK「100分 de 名著」のMCを務めておられるタレントの伊集院光氏は僕とはほぼ同じ年(2つ上)であられると共に、同じく高校中退であられ、そして「O型」でもあられる。
 そして、その翌年、2017年1月12日~3月16日までの期間、関西テレビ(フジテレビ系)にて、この本を原案としてドラマ化された「嫌われる勇気」が放送された。僕は、このドラマを視聴していない。尚、前述のフジテレビ開局60周年特別企画ドラマ「レ・ミゼラブル 終わりなき旅路」にも出演されておられた、女優・モデルの香里奈氏が主人公を務められたそうである。
 香里奈氏が演じられた主人公は、次の様であったそうである。

 以下、ウィキペディア「嫌われる勇気」より、
  『庵堂 蘭子(あんどう らんこ)〈32〉
  演 - 香里奈(14歳当時:桜田ひより)
  警視庁捜査一課8係所属の刑事。帝都大学文学部心理学科卒。階級は警部補。本庁の捜査一課ではナンバーワンの検挙率である。彼氏無しの独身で丁寧な口調で話す。相棒は青山。一匹狼で滅多に笑顔を見せない不愛想な性格。その上、捜査会議に出ず捜査員の推理を「(その推理) 明確に否定します」の言葉とともに一蹴し自分の意見を貫くアドラー心理学で提唱される特徴をそのまま具現化したような人物。また、携帯電話を所持しているが基本的に捜査中に持ち歩く事はなく、実質彼女がどこにいるのかを探る為の鍵が青山である。青山には「先輩」呼ばわりをせず、それ以外で自分の事を呼ぶように命令する。少女時代は明るく屈託のない笑顔で良く笑う少女だった。だがそんなある1999年、14歳の時誘拐され1週間後に救助されたが、その直後に一家離散、更に学校に登校すると自分の机に花瓶を置かれる嫌がらせにあった。だが、彼女は元々教室にあった花瓶にその置かれた花を活け直す等、精神的に乗り越えた結果、今のような性格になる。事件の鍵となる証拠を発見した時、いつも一つ括りにしている髪を解く癖がある。さらに、「見つけた」と口にする。上記にもある通りかなり人間関係を築くのが非常に困難な個性を持つ性格であるが、アドラー心理学の知識を用いて犯人やその周りの人々に意見を言う等、変わり者ながら正義感の強い女性である。』
 (以上、ウィキペディア「嫌われる勇気」より)

 嫌われる勇気
「嫌われる勇気」
(著者:岸見一郎氏、古賀史健氏、出版社:ダイヤモンド社、出版日:2013/12/13)

 参考文献
  ・(2016年2月3日までに)・NHK~「100分 de 名著」~「プロデューサーAのおもわく」~「名著51 アドラー『人生の意味の心理学』」
  ・2016/02/17付・神戸新聞朝刊、「教養 100分 de 名著・アドラー(Eテレ 後10・00)」
  ・2016/02/19付・神戸新聞夕刊、「『嫌われる勇気』がミリオンセラー」
  ・ウィキペディア「嫌われる勇気」

 前掲の本ブログ・2019年1月6日付記事、『My Testimony/僕の証<8-4/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future」の中で言った様に、「その年の5月のゴールデンウィークに兵庫県の淡路花博へ行った時に、僕がサングラスを掛けていても周囲に完全に僕である事がばれてしまっていた事件」が2015年に有った。僕は人の大勢集まるイベントやレジャーが大の苦手であるので、勿論、僕自身はその様なものに行きたくは無かった。飽くまでも、母の事を思って行っただけである。僕がその様な所へ行った所で、雑音に苛まれてしまうだけで、不快な思いをするだけであり、また大した意味も無く、値打ちが無い事も解っている。更に、ゴールデン・ウィーク中という渋滞も予想されていた中なので、僕にとっては最悪な状況下であった訳である。
 しかし、僕がレッテル、偏見、差別を受ける事は解るとしても、僕と一緒に住んだり行動したりする母にもその影響が出て来た事は、僕にとっては痛ましく感じ、大変申し訳なく感じている。19歳の後半にアパートを借りるも20歳でまた実家へ戻り、再びその歳に家出、21歳で一旦戻って今度は寮生活に、22歳で実家に戻った後に鉄工所に見習いに入った後、その歳の後半にアパートを借りて、以降、36歳で医療系専門学校に入学するまでは独り暮らしを続けた。しかし、特に僕が高校中退直後の19歳時、母は街中で「顔を指される」事が多かった様である。僕が高校の時は街中の本屋にパート勤めをしていたものの、その様な境遇に苛まれた為であろう、その後にパート先を変えた。しかしその後、母は或る老舗の内閣総理大臣賞も受賞した事のあるU料亭・レストランのマネージャーから取締役まで出世する事となった。前掲(本ブログ・2019年1月6日付記事、「My Testimony/僕の証<8-4/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future」)した様に、子供の頃に僕の境遇が良かった事は母が所以であった事が、ここにも証される。

 2015年11月1日(日)の新聞のテレビの番組表で、関西テレビ(フジテレビ系)で放送された「Mr.サンデー」の所に、宮古の或る高校で全員がサングラスを掛けて合唱したという意味合いの見出しが書かれていた。僕はその見出しを読んだだけで、番組を見なかった。当時、その同年5月に前述の僕の「サングラス事件」が有った為に、僕に対しての連帯を表明したのか?、とか、東日本大震災を経験された岩手県宮古市の事か?、震災を経験した事から痛みに対する共感を示されたのか?、とか、僕は勝手な思いを抱いていた。
 この度、この「僕の証」シリーズを書くにあたり、ふと思い出したので、調べてみた。すると、それは僕の勘違いであった事が解った。しかし、少なくとも、その見出しを付けた番組の宣伝スタッフか何かは、きっと、僕のその事件に引っ掛けて、また、僕へのアピールであったものと思われる。
 調べた所は、次に引用させて頂く。
 以下、2015年11月1日付、価格.com:~テレビ紹介情報~フジテレビ、「『Mr.サンデー』 2015年11月1日(日)放送内容」より、
  『今年(※ 2015年)9月25日、沖縄・宮古島にある合唱ホールで県立宮古高校による合唱祭が行われた。ステージに登った生徒たちはいずれも学ラン・サングラス姿という出で立ちで、尾崎豊の「15の夜」を熱唱した。子宮頸がんワクチンの副反応で光の刺激に弱い生徒を慮り、クラス全員がサングラス姿で熱唱したというハートウォーミングな青春物語は度々報道された。……』
  『高校3年の岩崎遥さん(仮名)は中学時代はバスケ部に在籍し、陸上部からも助っ人に呼ばれた程のスポーツ少女だった。だが市からの案内と学校からの勧めで子宮頸がんワクチンを接種し、計3回のワクチンを接種する度に起き上がれなくなったり、ひどい頭痛や記憶力の低下に苛まれた。何より日々の体調に波があり、ひどい時には何の前触れも無く過呼吸から意識消失になったこともあった。高校に入学してから一ヶ月で母親は学校に呼び出され、診断した医師にも原因は不明だった。次第に遥さんには記憶障害が出始め、一家は藁にもすがる思いで東京の病院で診断を受けたところ子宮頸がんワクチンによる副反応であることが判明した。
  子宮頸がんワクチンの副反応と報告されているのは約2700人で、症状が多岐に渡るため別の病気と誤診された人も少なくないとされる。岩崎遥さん(仮名)から報告を受けた担任は同級生たちに理解を求めたが、生徒たちはガンと勘違いしたり、中には仮病を装っていると悪ふざけする生徒もいた。遥さんは学校に行く意味があるのかとツイッターに投稿したところ、山口翔平さんらクラスメートの一部はそのつぶやきを真摯に受け止めていた。そんな時に合唱祭の曲選びが行われ、尾崎豊の「15の夜」を選曲した。
  合唱祭の練習に参加していた遥さんだったがサングラス姿で歌うのは気が引けるとして参加を辞退したいと担任に申し出た。同級生の1人は全員でサングラスをかければいいと語ってくれたが、遥さんはクラスメートに負担をかけてしまうことを思って嬉しさは感じられなかった。それでも男子生徒がクラスメート1人1人に聞きまわり、全員がサングラス姿で歌うことを快諾した。今年9月25日に合唱祭当日を迎え、クラスメート全員だけでなく担任もサングラス姿で尾崎豊の「15の夜」を熱唱した。
  子宮頸がんワクチンの副反応に苦しむ岩崎さんのためにクラス全員がサングラス姿で合唱祭に臨んだという顛末だけがマスコミによって美談として報じられると、岩崎さんは同じ副反応に苦しむ元同級生から美談として利用されただけと連絡を受けた。だが今回のことをきっかけに子宮頸がんワクチンの副反応について知りたいと切に望み、岩崎さんに連絡してきたクラスメートもいた。クラスメートから理解を示してくれるようになった岩崎さんは高校を卒業して卒業パーティーに参加したいとコメント。』
  『合唱祭の練習に参加していた遥さんだったがサングラス姿で歌うのは気が引けるとして参加を辞退したいと担任に申し出た。同級生の1人は全員でサングラスをかければいいと語ってくれたが、遥さんはクラスメートに負担をかけてしまうことを思って嬉しさは感じられなかった。それでも男子生徒がクラスメート1人1人に聞きまわり、全員がサングラス姿で歌うことを快諾した。今年9月25日に合唱祭当日を迎え、クラスメート全員だけでなく担任もサングラス姿で尾崎豊の「15の夜」を熱唱した。』
 (以上、2015年11月1日付、価格.com:~テレビ紹介情報~フジテレビ、「『Mr.サンデー』 2015年11月1日(日)放送内容」より)

 

 出典:2015/10/24付・Jesus bleibet meine Freude 「医者は人殺し 薬は危ない」 

 この番組内容からしても、前述(本ブログ・2019年1月6日付記事『My Testimony/僕の証<8-1/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~ 今までに有った不思議な事の数々・・・odd, strange, mysterious, & miraculous』)した様に、2013年に「子宮頸がんワクチン中止」を訴えた僕への、その合唱祭と同じ年(2015年)に起きた「淡路サングラス事件」を被った僕への、アピールが感じられる。

 参考文献
  ・2015/11/01付・価格.com:~テレビ紹介情報~フジテレビ「『Mr.サンデー』 2015年11月1日(日)放送内容」
  ・2015/10/24付・Jesus bleibet meine Freude tnerualyn.exblog.jp:「医者は人殺し 薬は危ない」

 関連・本ブログ記事
  ・2019/01/06付:『My Testimony/僕の証<8-1/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~ 今までに有った不思議な事の数々・・・odd, strange, mysterious, & miraculous』
  ・2019/01/06付:『My Testimony/僕の証<8-4/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~未来を創造する為の「ビジョン」/Vision Create the Future』

 「My Testimony/僕の証」シリーズに於ける、この「エピローグならぬプロローグの『追録』」(※ 飽くまでも他の記事を書き終えた後にこの記事を「追加」した)の記事は、この際、いっそのこと、ついでに、ついでに……といった感じで、結果的にとても長くなってしまった。それ故、投稿する事も大幅に遅れてしまった。そして気が付けば、もう年明け間近。否、結局、年を超えてしまった。本文中、「本年」としているのは、飽くまでも2018年の事であり、敢えて訂正せずそのままにさせて頂く。そして、この記事の中で、結果的に後から振り返って見ると、女性を取り上げる事が多くなった様な気がする。そりゃぁ仕方がない、僕は男性なのであるから。僕は、同性愛や同性婚には勿論、反対であるし、その様なものを正直に言って嫌悪している。
 しかし、その様な姿を傍から見ると、やはり、「変態コレクター」として見られているのだろうなぁ……。
 ※ 尚、当記事に於いて、結果的に他文献記事から引いて用いる文章が多くなりましたが、本記事によって当方は収入を一切得ておりません。

 また、本ブログの「My Testimony/僕の証」シリーズ、2019年1月6日付記事『My Testimony/僕の証<8-1/14>:エピローグならぬプロローグの「追録」~ 今までに有った不思議な事の数々・・・odd, strange, mysterious, & miraculous』の冒頭に前述し、この本シリーズの他記事にも多く述べている様に、僕の「不思議な事」の数々について、僕自身が行っている事では無く、僕自身の能力でも無いのである。その証拠として、誰もが嫌に感じるであろう、自分のプライバシーや秘密が暴露される事を、僕自身が自ら暴露しているはずが無いと言う事である。これでお解りであろう。僕自身が「不思議な事」の数々を行っていないという事が。それでは、一体、どなたが、僕を通して「不思議な事」の数々を行っておられるのであろうか?。
 それは、前述の通り、「神様からの恵み」である。それしか、考える事は出来ないのである。よって、この一つの例を取ってしても、「無神論者」達が、如何に傲慢で、間違っているかが解り、唯一絶対の創造主である神様が存在する事が解るはずである。

 近藤誠氏
  「……『超』早寝早起きがベストです。……
  僕は昔からずっと、朝4時前に起きて、5時台に出勤し、6時から医学論文を読んだり、執筆をしています。世間は静まりかえり、頭は冴えわたって、いちばん研究がはかどるときです。
  人間の脳は、睡眠中に記憶をふるいにかけてムダな情報は消し、必要な情報だけを優先順に並べ替えます。だから起きぬけの頭の中は、掃除したての室内のように、すっきり片付いています。
  その日『ベスト』の状態の自分の体と脳を、満員電車で消耗したり、朝の雑事に何となく使ってしまったりするのは、あまりにももったいない。
  朝はじっくり考えたり、ひらめきを呼んだり、名案を練るのに最適。思考も前向きなので、大事な判断は朝する習慣をつけると、人生そのものが前向きになります。
  早起きを続けると、脳を有効に使う快感に目ざめ、時間をムダにしなくなります。そして時間に余裕が生まれて、心の余裕にもつながります。」
  「『70歳から働いている今の会社が、人生でいちばん長く勤めていることになるよ』」(2012年9月、某メディアからの引用文)
   (「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法」(著者:近藤誠氏、出版社:アスコム、出版日:2012/12/19)より)

 サヘル・ローズ氏
  「成功とは失敗をすることだと思います。失敗をして初めて次の道が見えるし、失敗出来ることで成功に繋がると思うから、成功は失敗をたくさんして次に行くためのステップだと思います。」
  「描いたビジョン通りにいかないこともたくさんあって、悔しいと思うこともあります。でも努力はしているから、もし夢が叶わなかったとしても恥ずかしいとは思いません。生きているだけでもありがたいことだから、今この瞬間を本気で生きることを大事にしていきたいです。」
   (2017/02/28付・HIGHFLYERS:「BICULTURAL SOULS #6 | 育ての母と祖国イランを離れ来日するも、野宿や壮絶ないじめを経験。暗い過去と強く明るく生きる今を女優のサヘル・ローズが語った」より)

 
YouTube: サヘル・ローズ/Sahel Rosa

 西郷隆盛
  「世上毀誉軽似塵」
    ・・・世間の人々の褒めそしりは塵の様で、軽くはかない、大した意味の無いものである。

 ……(「My Testimony/僕の証<8-14/14>」へ続く)
   ・・・『My Testimony/僕の証<8>:エピローグならぬプロローグの「追録」』の「本ブログ過去の関連記事」、及び「参考・引用文献・サイト」掲載

  「 My Testimony/僕の証<8> 」<1/14> ~ <14/14> ↓
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