狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

ザリフ外相「戦争止める努力続ける」ライター「ジャーナリストは抑止力」/"I continue effort that stop war""Journalist is deterrence force"

2019-11-27 04:37:06 | エッセイ・コラム
 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 

 


 イランのザリーフ外相「戦争止める努力続ける」
  ノンフィクション・ライター「ジャーナリストは抑止力」
 "I continue effort which stop war"
  "Journalist is deterrence force"


 9月23日午前(日本時間同日夜、国連総会の為に米ニューヨークを訪問中に茂木外相との会談)
  イランのザリーフ外相
   「我々は戦争を止めるための努力を続けていきたい。イエメンの戦争も止めたい」

 以下、2018/07/28付・日本経済新聞「ジャーナリストは抑止力 ノンフィクションライター 最相葉月」より
  「来月、ジャーナリストの山本美香さんの七回忌を迎える。2012年8月20日、シリアのアレッポで取材中に凶弾に倒れた。朝型の私は日本時間未明、アラブ系メディア、アルジャジーラの速報で知った。名前は特定されていなかったが、シリア内戦を取材する日本人女性は彼女以外に考えられない。すぐさま友人に連絡した。数時間後、日本のメディアも一斉に報じた。
  美香さんが東京の自宅に戻った日の夜、別れの挨拶をした。9カ所……」
 (以上、2018/07/28付・日本経済新聞「ジャーナリストは抑止力 ノンフィクションライター 最相葉月」より)

 丁度、この記事が出された頃、僕は近況の変化等で心身や収入、自分の時間等が不安定となり、調べたり書いたりする事に調子が出ず、そしてその後、それらが滞る様にもなってしまった。その様な中で、インスパイアされる様なそのタイトルが飛び込んで来たものの、暑さやその他の疲れ、その為に受け身で居られる読書の方にに注がれた事も相まって状態は変わらず、投稿のブランクも開く事となった。その辺りの事は本年はじめの投稿記事「My Testimony/僕の証」(下の「本ブログ過去の関連記事」)に整理して記載したので、ここではこれ以上、触れない。

 以下、2019/10/21付・毎日新聞「風知草 正倉院の仮面とイラン=山田孝男」より
  『先月、ニューヨークで行われた日米首脳会談で、トランプ米大統領が安倍晋三首相にこう言った――という報道があった。
  「日本のユニークな立場を生かしてイランとの関係を維持し、話し合いを続けてもらいたい」(産経新聞9月27日付)
  米大統領が日本のどんな立場をユニーク(独特)と見ているのか不明だが、先週、上野の東京国立博物館で始まった御即位記念特別展「正倉院の世界/皇室がまもり伝えた美」(11月24日まで)は、古代の日本に伝わったペルシャ(現在のイラン)由来の品々をいくつも展示している。……』
 (以上、2019/10/21付・毎日新聞「風知草 正倉院の仮面とイラン=山田孝男」より)

 
  
 出典:2019/08/27付・稲城市中小企業勤労者福祉サービスセンター『「正倉院の世界 」 御即位記念特別展 皇室がまもり伝えた美』

 その記事の中で引かれた言葉の引用元にはこう書かれてある。

 以下、2019/09/27付・産経新聞『「日本のユニークな立場生かして」トランプ米大統領 安倍首相にイランとの話し合い継続を要請』より
  『25日午後(日本時間26日未明)に行われた安倍晋三首相とトランプ米大統領との首脳会談で、トランプ氏がイラン政策をめぐり 「日本のユニークな立場を生かしてイランとの関係を維持し、話し合いを続けてもらいたい」と求めたことが分かった。政府関係者が明らかにした。中東での軍事衝突回避に向け、独自のパイプを持つ日本の役割に期待したとみられる。
  「ユニーク」とは、日本が米国と同盟関係にあり、なおかつイランと長年友好関係を保ち、先進7カ国(G7)で唯一、最高指導者ハメネイ師とのつながりを持つことを指す。実際、ロウハニ大統領は24日の日イラン首脳会談で、首相に「私もハメネイ師も、安倍首相と日本は信頼している」と伝えていた。
 トランプ氏の言葉には、イランとの衝突を望まず、両国と信頼関係を持つ首相への期待感もにじむ。……』
 (以上、2019/09/27付・産経新聞『「日本のユニークな立場生かして」トランプ米大統領 安倍首相にイランとの話し合い継続を要請』より)

 9月9日、トランプ大統領が「悪魔カルト」で「ユダヤ・パペット」でありそれ故の「対イラン強硬派」であるボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官を解任し、それまでにも醸成されつつ有ったイランと米国との融和ムード、首脳会談の可能性が一気に高まったかと周囲に思わせたその直後、9月14日にイエメンのフーシ派が「国産」無人機10機を用い、サウジアラビアの国営石油会社「サウジアラムコ」の施設を攻撃し、米国内のネオコン、ネオリベラル、シオニスト、偽イスラエル・ロビー等の好戦派からの「イラン責任論」の宣伝によって、その雰囲気は一気に萎んだかの様に思わせた。
 その後、現「偽」イスラエルに於いてのやり直し総選挙で暫定首相のネタニヤフ率いるリクードが最大野党の「青と白」に敗北した中で国連総会が行われ、ネタニヤフはそれに出席出来ず、「イラン核施設」の“でっち上げ”を宣伝する事が出来なかった。
 そして、米ニューヨークに在る国連にイランのロウハニ大統領と米国のトランプ大統領が共に居合わせる中で、この機会を逃すまいとして、若干未だ41歳でしかないフランスのマクロン大統領が両者の対話に向けて奔走された。しかし、米国のイランに対する不当な経済圧力が未だ存在している事を理由に、ロウハニ大統領は会談を固辞された。
 トランプ大統領の本音は「非介入主義」、「反グローバリズム」、「自国第一主義」、「反戦」、「外国駐留米軍撤退」であるので、首脳会談に対しては現在でも変わらず前向きであろうし、この度のサウジアラムコへの攻撃も内心では「イランは関与していない」と思っていることであろう。
 しかし、ボルトンを政権から排除したものの、トランプの周り、政権内外には、幾らでもボルトンと同様の者達が存在する。米国の現体制下、つまり「ユダヤ・レジーム」下に於いては、その自身の本音を通す事は難しい。
 そこでトランプが頼りにするのが、米国からは大分離れ、且つ、島国で周囲と海で隔離されている日本である。日本は島国の中で、大陸の国々とは異なった伝統、文化等と、長い歴史の上でアイデンティティを磨いて来た。
 それ故、トランプ大統領は国連総会にて、日本の安倍首相に対して、前に掲げた引用記事の通り、イランと米国との仲介の役割を熟して欲しいと頼んだのであろう。

 安倍首相はそのトランプ大統領との会談に先立つ24日夜(日本時間25日午前)、国連総会での一般討論演説に於いて、次の様に述べられた。
  「(演説に先立ちイランのロウハニ大統領と会談したことに触れ、イランに)叡智に基づく行動を求めることは、私の変わらぬ役割だ(と述べ、米イランの橋渡し役を担う意欲をにじませた)」

 その3ヶ月程前の6月に日本の首相としては40年ぶり、イラン・イスラム革命が行われて以来初めてとなる安倍首相のイランへの訪問が実行された事、また、偽イスラエルと米国好戦派による日本のタンカー攻撃がその時を狙って行われた事を意に介さず、今後も変わらず仲介外交を続けていく覚悟を示された事と共に、安倍首相は日本の首相としての世界に於いての役割を自覚しておられる。

 ところで、辞書によると「ユニーク(unique)」とは、「ただ一つしかない,唯一の」、「類のない,匹敵する[及ぶ]もののない,すばらしい,無比の;きわめてまれな」、「特有の,独特の,独自の」、「唯一の結果しか生じない,他に可能性が考えられない」と在る(goo辞書(小学館 プログレッシブ英和中辞典)より)。

 また同じく辞書によると、「アローン(alone)」とは、「ひとりで[きりの],単独で;ただ…きりで;ひとりぼっちの,孤独で」、「ひとりである;独立している」、「(能力・特性などで)匹敵するものがない」「独力で」と在る。
 更に「alone」を用いた慣用句として次が在る。
  ・go it alone:「独立してやっていく」
  ・leave [let] ~ alone:「~(人・物)をそのままにしておく,~(人・物)の干渉[じゃま]をしない」
  ・stand alone:「1-(他の物・建物から)離れて立つ[いる]、2-独立[自立]する、3-類を見ない,孤絶している」


 安倍首相は、「調和(harmony)」を掲げた外交、殊に経済面に於いてはグローバリストとの融和を図りながらも、その本心に於いては、「日本を取り戻す」、「戦後レジームからの脱却」を掲げて復活した通り、日本の長い歴史の上に築かれて来た伝統や文化を守る「保守主義」であり、その伝統や文化を破壊しようとするグローバリズムに対して反対する。
 トランプは、現在ブレグジット(EU(欧州連合)離脱)を達成しようと努力しているイギリスのジョンソン首相を応援している事にも表れている様に、その同じ「反グローバリズム」である安倍首相への期待も有るのであろう。
 国家の主権は「独立」であり、独立は「ユニーク」であり、どこの国とも違ったオリジナル性を持った国家であり、共産主義体制の下の全体主義に在る「みんな同じ」とは違うのである。そして、その共産主義とは、オリガーキーの下に在る「偽善の平等」であり、また、その抑圧下の中で生まれる「偽善の平和」であり、そしてグローバリズムとは、とどのつまりは「世界共産化」の事である。

 しかし、世間一般、特に日本人には多いのであるが、まるでその共産主義を自ら好んでいるかの様にして、空気に流され、マスコミに煽られ、恰も監視・密告状況の有る中で生活しているかの様にして人の顔色ばかり気にし、「みんなと同じ」事を好み、個性の有る者を除け者にする「大衆」について、スペインの哲学者オルテガは、次の様に述べる。

 『大衆とは善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。』
   (「大衆の反逆」(オルテガ・イ・ガセット氏著、神吉敬三氏訳、1995/06/07、筑摩書房刊(1967/09/10、角川書店刊)(原典-1930刊)より)

 「ジャーナリスト」、「ノンフィクション・ライター」という者は、そのオルテガの言う「大衆」には染まらず、客観視し、大衆とは異なった視点や立場、捉え方を持ち、独立性を保つ「ユニークさ」が必要ではないだろうか。

 因みに「ジャーナリスト(journalist)」とは、「1-日誌[日記]をつける人、2-(新聞・雑誌などの)記者,執筆[編集]者,ジャーナリスト」と辞書に在る。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2019/01/30付:「My Testimony & Witness/僕の証 2018・・・まとめ<1> ~ <10>」 ・・・または、本ページ右サイドの「ブックマーク」
  ・2019/09/10付:『ポピュリズムは「両刃の剣」:香港は反共?それとも共産グローバリストの煽動?「逃亡犯条例改正反対デモ」/Is Hong Kong demo anti-Communism?or globalism?』

 引用文献
  ・2018/07/28付・日本経済新聞:「ジャーナリストは抑止力 ノンフィクションライター 最相葉月」
  ・2019/09/24付・日本経済新聞:『イラン外相「戦争止める努力続ける」 茂木外相と初会談』
  ・2019/09/25付・読売新聞:『イランへの橋渡し役「私の役割」…安倍首相、国連総会で演説』
  ・2019/09/27付・産経新聞:『「日本のユニークな立場生かして」トランプ米大統領 安倍首相にイランとの話し合い継続を要請』
  ・2019/10/21付・毎日新聞:「風知草 正倉院の仮面とイラン=山田孝男」
  ・「大衆の反逆」(オルテガ・イ・ガセット氏著、神吉敬三氏訳、1995/06/07、筑摩書房刊(1967/09/10、角川書店刊)(原典-1930刊)
  ・goo辞書(小学館 プログレッシブ英和中辞典):「unique」
  ・goo辞書(小学館 プログレッシブ英和中辞典):「alone」
  ・goo辞書(小学館 プログレッシブ英和中辞典):「journalist」


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Unknown (無飼)
2019-12-01 14:02:42
真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。
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