狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「自己実現」と「神実現」の違いについての私の独り言・・・過去を振り返り、「悔い改め」と確認をする

2013-08-30 09:22:01 | エッセイ・コラム
 私は、今まで「自己実現」を賛美して、「神実現」を侮って来た事が大きな罪でした
 世間的に評価されたり認められたりする様な事、学歴・肩書き・資格・職歴・勤務先会社のネームバリュー・高給・財産等、それら全てが私に当てはまらないにしても、それらを得る事で自分に誇りを持ったり自慢して高慢になっていた事が罪であるという事が、やっとこの年になって本当の意味で解って来た様に思います。
 つまり、自己実現する事で自分には能力・才能が有ると勘違いをして自分を賛美し、創造主・全能の神を賛美するどころか侮辱していたのです。
 神の導きによって私が動かされ、神のお力添えが無ければ、私は何も出来ず、何でも出来ません
 又、例え私にとって不本意な状態に置かれても、神を賛美し神に祈る事が必要です。
 神の導きには其々に意味が有り、却って周りから見て不幸な状態に置かれた場合の方が、神の業が現れ易いのではないかと思います。
 自分の意志・考えでは無く、神の命令・意志に従って行動し、神の御心に適った行動が出来ますようにと日々祈る事が必要です。
 考え方や生き方等の全ての「根拠」「聖書」にし、日々「悔い改め」を行う為に神に祈り神を賛美します。
  「悔い改め」て「許し」を得て、再び神の御名を汚したり神の御心に背かない様に努めます。
 自分自身への確認を込め、自分に言い聞かせています。

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