狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God

2018-03-19 04:18:50 | エッセイ・コラム
(2018/03/20:タイトル訂正)

I am not outlaw, and I am“out-low”. ― 身分の低い外れ者)
I am servant. ― 私は僕(ぼく、神様のしもべ)
I doesn't have the ability. ― 能力の無い僕
 People who have faith in God are make changeing their all things as good by the grace of God. ― 神様への信仰心により、神様の恵みで益として下さる


 

新約聖書・コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 15:10
  But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.

 コリント人への手紙 第一15章58節
  ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

 The First Epistle to the Corinthians 15:58
  Therefore, my beloved brothers, be steadfast, immovable, always abounding in the Lord’s work, because you know that your labor is not in vain in the Lord.



 

コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.



 

新約聖書・エペソ人への手紙3章7~9節
  私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。
  すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
  また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。

 The New Testament・The Epistle to the Ephesians 3:7~9
  of which I was made a servant according to the gift of that grace of God which was given me according to the working of his power.
  To me, the very least of all saints, was this grace given, to preach to the Gentiles the unsearchable riches of Christ,
  and to make all men see what is the administration of the mystery which for ages has been hidden in God, who created all things through Jesus Christ,

 

 

新約聖書・ローマ人への手紙8章28~30節
  神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
  なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
  神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 The Epistle to the Romans 8:28~30
  We know that all things work together for good for those who love God, for those who are called according to his purpose.
  For whom he foreknew, he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers.
  Whom he predestined, those he also called. Whom he called, those he also justified. Whom he justified, those he also glorified.

 

 

ローマ人への手紙12章2節
  この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 The New Testament・The Epistle to the Romans 12:2
  Don’t be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, so that you may prove what is the good, well-pleasing, and perfect will of God.

 旧約聖書・伝道者の書7章21節
   人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。

 The Old Testament・Ecclesiastes 7:21
   Also don’t take heed to all words that are spoken, lest you hear your servant curse you;

 新約聖書・テモテへの手紙 第二4章5節
  しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

 The New Testament・The Second Epistle to Timothy 4:5
  But you be sober in all things, suffer hardship, do the work of an evangelist, and fulfill your ministry.

 
 
 


新約聖書・ルカの福音書1章26~38節
   ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
  この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
  御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
  しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
  すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
  ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
  その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
  彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
  そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
  御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
  ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
  神にとって不可能なことは一つもありません。」
  マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

The New Testament・The Gospel of Luke 1:26~38
   Now in the sixth month, the angel Gabriel was sent from God to a city of Galilee named Nazareth,
  to a virgin pledged to be married to a man whose name was Joseph, of David’s house. The virgin’s name was Mary.
  aving come in, the angel said to her, “Rejoice, you highly favored one! The Lord is with you. Blessed are you among women!”
  But when she saw him, she was greatly troubled at the saying, and considered what kind of salutation this might be.
  The angel said to her, “Don’t be afraid, Mary, for you have found favor with God.
  Behold, you will conceive in your womb and give birth to a son, and shall name him ‘Jesus.’
  He will be great and will be called the Son of the Most High. The Lord God will give him the throne of his father David,
  and he will reign over the house of Jacob forever. There will be no end to his Kingdom.”
  Mary said to the angel, “How can this be, seeing I am a virgin?”
  The angel answered her, “The Holy Spirit will come on you, and the power of the Most High will overshadow you. Therefore also the holy one who is born from you will be called the Son of God.
  Behold, Elizabeth your relative also has conceived a son in her old age; and this is the sixth month with her who was called barren.
  For nothing spoken by God is impossible.”
  Mary said, “Behold, the servant of the Lord; let it be done to me according to your word.” Then the angel departed from her.

 

 


ルカの福音書1章46~55節
  マリヤは言った。
   「わがたましいは主をあがめ、
   わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
   主はこの卑しいはしために
   目を留めてくださったからです。
   ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
   私をしあわせ者と思うでしょう。
   力ある方が、
   私に大きなことをしてくださいました。
   その御名は聖く、
   そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
   代々にわたって及びます。
   主は、御腕をもって力強いわざをなし、
   心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
   権力ある者を王位から引き降ろされます。
   低い者を高く引き上げ、
   飢えた者を良いもので満ち足らせ、
   富む者を何も持たせないで追い返されました。
   主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
   そのしもべイスラエルをお助けになりました。
   私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に
   語られたとおりです。」

 The Gospel of Luke 1:46~55
  Mary said,
   “My soul magnifies the Lord.
   My spirit has rejoiced in God my Savior,
   for he has looked at the humble state of his servant.
   For behold, from now on, all generations will call me blessed.
   For he who is mighty has done great things for me.
   Holy is his name.
   His mercy is for generations and generations on those who fear him.
   He has shown strength with his arm.
   He has scattered the proud in the imagination of their hearts.
   He has put down princes from their thrones,
   and has exalted the lowly.
   e has filled the hungry with good things.
   He has sent the rich away empty.
   He has given help to Israel, his servant, that he might remember mercy,
   as he spoke to our fathers,
   to Abraham and his offspring forever.”

 
 
 

旧約聖書・イザヤ書7章14~16節
  それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
  この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
  それは、まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。

 The Old Testament・The Book of Isaiah 7:14~16
  Therefore the Lord himself will give you a sign. Behold, the virgin will conceive, and bear a son, and shall call his name Immanuel.
  He shall eat butter and honey when he knows to refuse the evil and choose the good.
  For before the child knows to refuse the evil and choose the good, the land whose two kings you abhor shall be forsaken.

 

 


 新約聖書・マタイの福音書1章23節
  「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
 
 The New Testament・The Gospel of Matthew 1:23
  “Behold, the virgin shall be with child, and shall give birth to a son. They shall call his name Immanuel;” which is, being interpreted, “God with us.”

 新約聖書・ガラテヤ人への手紙6:14
  しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

 The New Testament・The Epistle to the Galatians 6:14
  But far be it from me to boast, except in the cross of our Lord Jesus Christ, through which the world has been crucified to me, and I to the world.






 先日2月27日の本ブログ記事の内の2本から、ヒョッとすると誤解、勘違いされているかもしれないので、本記事で追記しておく。
 僕(ぼく)は、決して、出世したい等とは、全く望んでいない。それらの記事に記載している様に、衣食住が足りれば良く、必要最低限の収入さえ有れば良い。全く、高望みはしていない。そして、却って出世してしまうと、出来なくなってしまう事が有る。また、名を売ってしまっても、出来なくなる事が有る。僕は、例え周囲から評価されなくとも、世間一般から認められなくとも、これから続けて行っていこうと自分の内に懐いている事を行っていく。世間、人からの承認はいらない。
 そして、今までもそうであったが、今後も同様に嫌われ続ける事を、全く厭わない。僕は、自分を信じる「自信」であって、人から嫌われるとか、人から笑われるとかの、その様な他人の判断を疑い信じない。飽くまでも、「自信」であり、「他信」では無いのである。人から誤解され様が、どう思われ様が、僕はそんな事に関心は無い。但し、周囲に迷惑が掛かっていないかどうかは、勿論、常に気にはしている。
 基本的に、他人、世間が希望する事に、僕は応えない。他人、周囲の、その様な欲望の奴隷にはならない。だから、今までも敢えて、反発、反抗して来た。飽くまでも、自分の考えを優先し、周囲やその場の空気や雰囲気には、決して呑まれない。僕は敢えて孤独を選び、中に入らず外から客観的に眺める。
 但し、「自信」であり「他信」では無いものの、「神第一」とする「神信」である。「神信」は、神様を信じる事である。高いレベル順に並べれば、「神信」>「自信」>「他信」となる。飽くまでも、「神第一」とし、その下で、「独立自尊」の精神を伴う「自信」である。
 また、その「自信」も、今から7年前程までは、「僕の能力」に置いていた。つまり、僕は、仕事やスポーツ、勉強、資格、住居、等々……と、それらの上での実績、成績、技術、上手さ、……等を「誇り」としていた。しかし、教会では無く、自ら聖書を手にして「通読」し始めた6年前からは、それが間違いである事に気付いた。それらの、僕が「自己実現」した結果に「誇り」を持つ事が間違いである事を、悟り出したのである。
 「自己実現」とは、自分の能力で、自分の立てた計画通りに、自分の希望通りに、自分の欲望通りに、そして自分の目標を達成する等と、自分の力で成し遂げる事を意味するものである。それに対して、「神実現」が有る。全ての物事は、神様の立てた御計画通りに進んでいる「運命」、「宿命」であり、その上で、決して自分の力では無く、飽くまでも「神実現」によって成し遂げられ、その事に素直に委ねる事によって、神様である創造主に感謝する。但し、勿論、委ねるだけでは単なる甘えであるので、努力する事は大事である。他人への依存は甘えで良く無いが、自立する努力が大事であると共に、神様への依存、委ねは、敬虔な信仰の姿勢、態度であり、最も正しい事である。
 自分の能力を過信する事が良くない事は勿論の事、自分が取るに足りない者、小さき者、無益者、無用者、無能者、役立たずである事を素直に認め、その上で日々、創造主によって自分自身が造られて、創造主によってこの世に遣わされ、創造主によって命を託され、創造主によって日々、生かされている事を感謝する。飽くまでも、創造主によって成し遂げられる「神実現」に対し、感謝する。そして、取るに足らぬ、弱き僕自身の日々の営みの中で、生きる事が出来ている事をはじめとした事柄に、神様の力が働いている事に感謝すると共に「誇り」を置く。飽くまでも、自分を誇るのでは無く、神様を誇るのである。
 小さき無用者の僕自身が、世間、他人に対してギフトを与える事が出来る様な能力は、決して持っていない。また、その様なものを、僕が持っている等と思い込んでもいない。飽くまでも、僕には、大した能力は全く無い。
 例え、何かで失敗せずに成功したとしても、また、良い成績を残したとしても、それらは私の能力で成し遂げたものでは無い。飽くまでも、唯一の神様、創造主が成し遂げたものである。
 ところで、自分が嫌に感じる事を自ら行う事は、一般的には考えられない。自分の良い部分、過去の実績や栄光、現在の地位や役職、肩書等は、とかく一般的にはそれらを見せびらかしたくも思うぐらいであり、またそれによって、世間一般からの承認を得たいとも思うものであろう。この様なブログ記事や投稿動画、その他のSNS、商品レビュー等においても、世間一般の人達へのアドバイス、How to 、お勧め、説教や、その他、自慢話、成功物語……等を行い、それに対しての承認、評価の点数が多い等と良い反応が有ると、喜んだりしているものであろう。
 しかし反対に、自分がコンプレックスに感じていたり、自分で欠点に思い込んでいるもの、また過去の失敗や体たらく、スランプ、不遇、加害者として、或いは被害者としての経験等は、大概、隠して秘密にしたいと思うものであろう。その様な秘密は、多かれ少なかれ、誰でも持っているものである。そして、その秘密にする事は、大抵の場合、恥ずかしいと感じているものであろう。或いは、その秘密が明かされてしまう事で、地位や身分、自分の生命や組織の体制等が、崩壊する事に繋がってしまうものであろう。
 その様な、大なり小なり誰でも持っている秘密を、自らがバラす事は、余り考えられない。それは、バラされると羞恥心を抱く事になり、それに嫌悪感を抱くからである。故に、自分で秘密にしたいと思っている事を、自分で暴露する事は有り得ないと言って良い。
 普通、一般的に、家の鍵は閉める。そして少なくとも就寝する時には、窓のカーテンは閉める。そして勿論、セックスする時に、カーテンを閉める事は勿論、電気も薄暗くして行っているものであろう。それは、一般的に、セックスに対して羞恥心を抱いているからである。人間の考えから言って、セックスを人前に見せびらかす事は、普通は考えられない。例え、夫婦の間でのセックスは悪いものでは無く、また子供を創造主から授けて頂く為の手段としてのセックスで正しい事であっても、それを自ら曝け出す事は有り得ない。そのセックスをはじめとしたプライバシーを、誰でも自ら暴露する事は有り得ないと言って良い。
 セックスは勿論の事、人前で裸を見せる事にも、普通は恥ずかしく思うものである。服も基本的には、その裸を隠すものである。自分の性器、「恥部」を、服でカバーしているのである。その「恥部」を、自らの意思で見せびらかす事は、普通は有り得ない。
 しかし現実、この世には不思議な事が、時々起こるものである。その様に自分が嫌だと感じる事であっても、起こるのである。自然災害は、その内の一つの例である。誰しも、その様な災害を望んでいない。また、その様な自然災害を、科学的に理由付けが出来ない。今後将来、科学が幾ら進歩しても、その解明は不可能である。しかし、超常現象、超自然現象、超科学的現象は、実際に今まで数多く、起こって来たのである。
 精子と卵子がくっついて細胞分裂が始まり、生命が誕生するとされている。しかし、何故、精子と卵子がくっついただけで、生命が誕生するのであろうか?。またその後、頭、手足、各種臓器等と、人間が勝手に形造られていき、そして、勝手に心臓が動いているのである。更に、神経系、免疫系、内分泌系と生体の恒常性(ホメオスタシス)の維持も含めて、これら不随意で造られ動かされているのを果たしてお偉い只の人間の科学者の方々は、どの様に解明し説明していくつもりであろうか?。そんなものは、将来的にも不可能である。
生命の誕生、人間の誕生、超常現象等と、それらの発生原因、及び発祥は、ただ一つ、創造主である。何とシンプル、何と単純、何と簡単な答えであろうか。そのシンプル、単純、簡単な答えを、不信心で、無神論者で、科学至上主義の人間達が、ややこしく、複雑にして来たのである。
 その代表的なものが、「進化論」である。「進化論」は、聖書の「創造論」を否定したものである。旧約聖書の最初、創世記の第1章に繰り返し書かれている、「その種類にしたがって」、人間を含む全ての生き物が、それぞれの種毎に独立して造られ、また子孫を残し、繁栄していく事が述べられている。決して、種と種の壁を突き破る事は無い。よって、サルやチンパンジーから人間に進化する事は有り得ないのである。ダーウィンの唱える「進化論」は聖書を否定したものであり、サタニズム(悪魔主義)と言える。「進化論」は無神論カルト、イルミナティのサタニズム・サイエンス(“Satanism Science”)なのである。「創造論」は、創造主によって、人間を含む全ての生物が造られた事を論じるものであり、それは、聖書そのものである。
 今から約2,000年前、只の人間のマリアさんは、処女にして子供をお産みになられた。その子供に、「イエス」と名付けた。そう、救い主、イエス・キリスト(メシア)である。この事も、超常現象である。世間一般の無神論者達は、セックスなしで子供を産める訳が無いと考える。また、科学至上主義のお偉い科学者の方々も、その様な事を否定する。それ故、タルムード・ユダヤ教やイルミナティの御用学者達や歴史家達は、その事を神話扱いしたり、否定する内容の論文や捏造された歴史書を、今までに発表して来た。前述の「進化論」も、同じである。セックスなしでも、生命が誕生する事は起こり得る。その約2,000年前の事実が、それを物語り、証明している。
 そして、人間マリアさんが処女でイエス様をお産みになられた事においてもう一つ大事な事は、飽くまでも、マリアさんは、只の人間であったという事である。決してマリアさんは、聖人でも無く、単なる人間でしか無かったのである。「聖母マリア」と言われるが、確かにイエス様をお産みになられた時点では処女であったが、その後、イエス様の弟と妹を数人お産みになられたのである、そのイエス様の弟妹達は、マリアさんの夫、ヨセフとの間の子、ヨセフとのセックスを通して産まれたのである。故に、マリアさんは僕たち人間と、何ら変わらず同じ、同じレベルの人間であったのである。そしてマリアさんも自分の事を、「卑しいはしため」と言っているのである(新約聖書・ルカの福音書1章48節「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです」)。
 それでは何故、只の人間でしか無いマリアさんが処女にしてイエス様をお産みになる事が出来たのであろうか?。それは、創造主である唯一神によって、マリアさんの身体を利用して、成し遂げられたからである。創造主である唯一神に不可能な事は無い。飽くまでも、「創造主の能力」によって、神様の全能の力によって、事が成し遂げられたのである。決して、人間マリアさんの能力によってイエス様がこの世に御降誕されたのでは無い。マリアさんは「只の人間」なので、自らの能力によって、その様な超常現象を起こせる訳が無いのである。
 しかしマリアさんがすごかった所は、天の創造主からの御使いガブリエルが「『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。』」(ルカの福音書1章28節)と言われても、決してプレッシャーに感じなかった事である。それどころか、その御使いを通した神様の御意志を嫌がる事無く素直に受け入れて、「『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」(ルカの福音書1章38節)と述べられたのである。普通、神様に敬虔でない者ならば、神様の子を宿し、産み、育てる事について大きなプレッシャーに感じ、ストレスとなって、出来れば避けて、世間一般と同じ様になりたいと思うのではないであろうか?。しかしマリアさんは、嫌がる事が無いばかりか、「ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」(ルカの福音書1章48節)と、素直に受け入れると同時に心から喜ばれ、更にその奇跡を起こされる神様を賛美されたのであった。
 そのイエス様が処女の身体を通してこの世に御降臨される事が、その約700(~800)年前、今からでは約2,700(~2,800)年前に、預言者イザヤによって預言されていた。名を「インマヌエル」と言い、「人と共に住む」という意味が込められている。その事は、旧約聖書のイザヤ書に書かれている(旧約聖書・イザヤ書7章14節「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」)。
 僕は、この世で最底辺に生きる小さき者であり、前述の通り、人にギフトを与える事が出来る様な、その様な大層な能力は持っていない。例え発言した事が偶々(たまたま)その後に同様な事が起きたとしても、それは飽く迄も「たまたま」であり、決して予言者でも預言者でも無く、只の人間、単なる人間であり、役立たず、無用者、無益者であり、小さき者の僕は、大した能力を全く持っていないのである。
しかし、その「たまたま」の方が、却って意味が有る。何故か?。自分の意思で、自分の立てた計画通りで、自分の立てた目標通りで行動する事は、一般的に見ると立派であり、世間、周囲の評価は高い。逆に、「たまたま」であると、評価には繋がらない。しかし、その「たまたま」と言う、不随意で、自分の考えの存在しない、思ってもみなかった事こそ、創造主の御意志で成し遂げられたと言って良い。「偶然」に起こった事こそが、人間の考えに依らない、神様の御意志に純粋な出来事と言えると思う。
 確かに、7年以前の僕自身と、6年前以降の僕自身では考え方や生き方、捉え方、持っている知識や教養の量には違いが有ると同時に格差も有り、以前のイメージで依然、僕自身を捉える方々が、世間一般には多い。それは仕方の無い事である。その事も誤解される事に繋がっている。自分の十字架として背負っていく様に捉える事も必要であろうが、前述通り、人の評価を当てにせず、嫌われようが笑われようが、そして誤解されようが、その様な事に僕の心を関わらせない(=関心しない)。一時期、あそこに通っていた9~13年前の頃は、「ファッション」に気に掛けていた頃も有ったが、今では全く興味は無く、服は、寒暑を凌げれば良いぐらいにしか考えない。よって、「Dress Rehearsal For The Antichrist」(反キリストの為のドレス・リハーサル)は行わない。また、先日の記事にも記載した通り、資格も教科書も資料も全部捨てたので、その関係に戻る事は無い。よって、「思い出が罠になる時」は、僕には来ない。お金になる方の仕事は、衣食住が最低限賄える事と、こちらと並行して出来るものであれば良いと、考えている程度である。
 本日の本記事においては、「私」では無く、「僕」を用いた。「僕」は、普段の会話の時にはいつも、「オレ」とかでは無く、「僕」(ぼく)を使っている。漢字の「僕」の「ぼく」とは、「しもべ」とも読む。「しもべ」とは、召使い、身分の低い者、雑用に使われる者である。僕(私)は、身分の高い人間の召使いには成りたくは無い。その様な奴隷には甘んじたくはない。しかし、「しもべ」の英語「servant」は、召使い、使用人の意味が有ると共に、奉仕者、公務員、役立つ者でもある。創造主である唯一神の「しもべ」となり、公義を基として奉仕、陰徳を行う、「サーバント・リーダー」(“servant leader”)を目指したい。決して出世して上に立つのでは無く、「アウトロー」の視点と立ち位置を忘れずに。但し僕の言う「アウトロー」とは、“outlaw”(無法者、無頼漢、やくざ者)では無く、“out-low”(身分の低い外れ者)の事である。
 僕には、能力は無い。例え何かが成されたとしても、それは、僕が行ったのでは無く、創造主が行った事である。「神様の力の働き」、「神様の恵み」によって、成し遂げられるのである。飽くまでも、私には能力が無いのである。そして、その「神様の恵み」は、「運命」、「宿命」、「使命」である。しかし、僕は只の人間で完璧には程遠いので、その様に解っていながらも、完全に開き直る事は出来ていない。悪しからず。

 本ブログ過去の関連記事
  ・2012/12/02付:「世を軽んじ、全てを捨て、清貧・純潔・謙遜・愛・従順・・・『アシジの聖フランシスコ』を読んで」
  ・2013/08/30付:「『自己実現』と『神実現』の違いについての私の独り言・・・過去を振り返り、『悔い改め』と確認をする」
  ・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」
  ・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
  ・2015/08/23付:「失敗、ユニーク、ユーモア・・・『道化師の孤独』を抱えた『聖なる無用性』:『寅さんとイエス』を読む」
  ・2016/04/10付:「プライバシー侵害とストーカー行為は孤独・独立精神・自尊心を持つ権利を蹂躙しようとするものである」
  ・2016/05/08付:「聖霊存する不動の土台が築かれた心により失敗・ユニークが才能・特性に変貌する・・・『聖書力』を読む」
  ・2016/12/25付:「聖書を冒涜する『進化論』は、タルム―ディックユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンの悪魔主義である・・・聖書が真実。宗教組織・偽預言者・無神論者・科学至上主義・人間至上主義・人間第一主義による幻惑」
  ・2017/07/23付:「高校中退後の30年間、友達・つながりが全く無かったが、こうして今ちゃんと生きている・・・世間・マスコミの論拠崩壊、独立自尊の精神、マイペース、へそ曲がり、リラックス、そして行雲流水、成るように成る」
  ・2017/07/22付:「『陰徳』により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える」
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/02/27付:「『隠遁者』で『世捨て人』、『道化師』の私からの一言、『麻生さん、ひょっとして、マンガが好きって「ドラえもん」の事だったのですか?』」
  ・2018/02/27付:「『ボタン一つ』の『生命倫理』、核戦争、仕事、技士さん、そして透析医療と導入前『保存期腎不全対策』に見る病院の『利益相反』行為」
  ・本ブログ・カテゴリー:「孤独・独立・自尊心・誇り」
  ・本ブログ・カテゴリー:「世間・空気」
  ・本ブログ・カテゴリー:「エッセイ・コラム」

 関連文献
  ・Christian Today:「多くのクリスチャンが取り除かなければならない聖書的ではない3つの態度」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

 参考・関連動画
 



YouTube: Dress Rehearsal For The Antichrist

YouTube:「思い出が罠になる時」第2列王記18章1節から8節
"When memories will be traps." The Second Book of Kings 18:1~8

 



YouTube:「天の国籍と地上での役目」ピリピ3章20節21節
"The nationality in heaven and the duties on this world"
  The Epistle to the Philippians 3:20~21

YouTube: 今日の聖書の言葉 2016年9月11日
人の言葉を気にしない 伝道者の書7章21節
Today's Biblical words September 11, 2016
Don't worry about person's word. Ecclesiastes 7:21

 



YouTube: 今日の聖書の言葉 2016年6月6日
この世の声に調子を合わせてはならない ルカの福音書23章13~25節
Today's Biblical words June 6, 2016
Don't play along with voices in this world.  The Gospel of Luke 23:13~25

YouTube: 今日の聖書の言葉 2015年1月23日
全てのことを働かせて益として下さる 創世記50章15~21節
Today's Biblical words January 23, 2015
The Lord make them as profit by act of all things. The Book of Genesis 50:15~21





YouTube: [CGN フォーカス] 1123編 横田早紀江さんを囲む祈り会
[CGN Focus] 1123 pieces. The prayer meeting which circles Mrs. Sakie Yokota

YouTube: 柳美里×富岡幸一郎×西部邁「人生にはやらなくていいことがある」
  〔新著〕を題材に『柳美里さんと人生を語る』 TOKYOMX西部邁ゼミナール

Misato Yanagi x Koichiro Tomioka x Nisibe Susumu "There are things that we don't
 need to do in a life." "We told lifes with Mrs. Misato Yanagi" by using [new book]
  as a subject. TOKYOMX Nisibe Susumu Seminar

 



YouTube:【直言極言】最も絶望する者が最も希望する者である[桜H29/6/9]
[speaking plainly and going so far as to say ]
 The person who despairs most is the person who hopes most.
  [Sakura(cherry blossom) Heisei 29/6/9]

YouTube:【直言極言】人間の屑と呼ばれて[桜H29/7/7]
[speaking plainly and going so far as to say ] About that had been called human waste.
  [Sakura(cherry blossom) Heisei 29/7/7]

 



YouTube: お金が目的でなければ 何をしたいか? Alan Watts
If you aren't money as an aim , what would you like to do?

YouTube: What Can We Do? - David Icke



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